魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

老いらくの恋(『レスボスの女王』より)

「ウーマン・ラブ・ウーマン」の三つのエピソードは、すべてフィクションだろうと私は思いますが、ナタリー・バーネイの「老いらくの恋」の話は実話で、それもフィクション作家が卒倒しかねないほど奇抜な実話です。そもそも「老いらくの恋」などというような生易しいものではありません。
時は1958年、ナタリー・バーネイさんは82歳。若い頃は次々と人妻を誘惑し、世の亭主らを震え上がらせたこの稀代の漁色家も、今は生涯の伴侶と言っていい人とめぐり合って、静かな老後の生活を送っております。その人とは女流画家のロメーヌ・ブルックスで、この人はナタリーの浮気性によく耐えて、もう40年以上も彼女と連れ添っている。こうして王様とお妃様…ではなくて、女王様と女王様とは幸せに暮らし、あとは神に召されるだけと、周囲はもとより本人たちもそう思っていたのではないでしょうか?
この本(ジャン・シャロン著『レスボスの女王』小早川捷子訳)でジゼルと呼ばれている女性は、当時58歳であったということです。以下、ちょっと勝手にこの本から引用します。ナタリーとジゼルの出会いについては、双方の記憶にはっきりしないところがあるが、街角のベンチにぼつねんと腰掛けていたジゼルに、ナタリーがこのように話しかけたのがきっかけらしい。

「あなたはどうしてそんなに悲しげにしていらっしゃるのですか?」

良妻賢母型のジゼルは、それまで家族の絆にがんじがらめに縛り付けられ、「娘夫婦ばかりか、孫息子にまでないがしろにされていた」。どうもジゼルはナタリーと出会って再生したというよりも、はじめて開花したと考えた方がよさそうです。以下はジゼル自身の言葉です。

「ついに一日のうちの何時間かが、自分のものになったのです。楽しいひとときが!わたくしは驚いてしまいました。…ナタリーのおかげで、何もかもなんと変ってしまったことでしょう。あのひとがわたくしの目を覚まし、起こしてくれたのです。そしてわたくしの戦いと解放に必要な自信と力を、十分に与えてくれたのです」

以後七年間にわたって二人の密会が続きます。密会といっても、八十代の女性と六十代の女性が二人きりになったところで、あらぬ疑い(?)を抱く人などいなかったろうとも思われますが、当時二人の間でやりとりされていた恋文を読みますと、この恋が若い男女の恋愛と何ら変わりないシビアなものであったことがわかります。要するに修羅場ですね。「神様、健康、家庭…といった、実につまらない口実」でナタリーの求愛をしりぞけるジゼルに、ナタリーは詩を送ります。

望みは一週間引き延ばされ、
眠れぬ夜と暗い日々が続く。
それはあなたも同じ、迷えるひとよ。

ナタリーの「正妻」ロメーヌは二人の関係を知っていますが、いつものことと見て見ぬふりをしている。一方ジゼルの二十歳年上の夫は、七年間二人の関係に全く気がつきませんが、これを間抜け呼ばわりすることは無理でしょう。書いている私の方が何だか自信がなくなってきますが、たぶん疑う方がどうかしていると思います。七年経ってやっと二人の関係に気づいたこの男性は、ナタリーを呼び出して、こう宣告します。

「これが最後だ。どうか私の妻に構わないでいただきたい」

「それはわたくしの台詞です。あなたこそ奥様に構わないでいただきたい」とナタリーはやり返します。六十五歳の妻を八十九歳の女性に寝取られた夫…その心境たるや、どのようなものだったでしょうか、考えてみるのも阿呆らしい気がしますが、この男性はこのあと三ヶ月ほどして亡くなったそうです。
さて、晴れて自由の身となったジゼルは、喜び勇んでナタリーのもとに転がり込みますが、そこには「正妻」ロメーヌが控えています。「私自身は嫉妬心に苦しんだことはなかったが、他人の嫉妬心にはいつも苦しめられた」とはナタリーの名高い言葉です。やがて彼女は「正妻」か「愛妾」か、どちらか一方を選ぶよう迫られますが、彼女にはそれが出来ない。彼女には二人とも必要なのです。何と欲張りなお婆さんでしょう!ぶち切れて出て行ったのは「正妻」ロメーヌの方で、ナタリーに絶交を申し渡し、「誰にも会いたくない」と言い残して世を去ります。悲嘆に暮れるナタリーが亡くなったのは二年後、それから一年ほどしてジゼルも亡くなったということです。