魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

フィリップ・ジュリアン著『世紀末の夢‐象徴派芸術』

フィリップ・ジュリアン著『世紀末の夢‐象徴派芸術』(杉本秀太郎訳、白水社、1982年)を読む。
こういう衒学的な本はイヤですね。衒学的というのはつまり、人の名前がたくさん出てきて、「さてあなたは何人知っていますか?」と嘲笑混じりに問いかけられているような気がするわけです。私はもともと人名とか年号とかを覚えるのが大の苦手で・・・
とにかく人がたくさん出て来る。それもそのはず、著者の方針がとにかく「浅く広く」と言った感じで、大体においてフランス、イギリス、ドイツを中心としながらも、ほぼヨーロッパ全域をカバーしようとしている。それも文学、音楽、美術、演劇、映画までをも含む文化活動のうち、特に華やかなもののすべてについてです。訳者も「疲れた」と書いていらっしゃいますが、読者も疲れますよ。
要するにこの「象徴派芸術」なるものは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを風靡したある種の芸術上のスタイル、もしくは思想上のポーズ、ということになるんですかね。それもせいぜい20~30年の間で、ブームが過ぎるとまたたく間に忘れられてしまった。それは二度の「大戦」がはさまったせいもありますが、仮に戦争が起こらなくても、そう長続きはしなかったでしょう。それほど薄っぺらな、中身のない流行です。
それが20世紀も後半になると、次第に見直されるようになってくる。「やっぱりモローはすばらしいね」とか、「ルドンも捨てたもんじゃないよ」というように。そこで現われた旧時代の文化の案内書の一つがたとえばこの本である、というわけです。しかしこれ、よほど的を絞って読まないと、漠然と読んでも何も得るところはないですよ。
それと図版がたくさん入っていますが、残念ながらすべてモノクロです。これが全部カラーだったら、ラヴリェーツキーさんの本棚に入れてもらえたでしょうに。

さて、私が今回この本を借りてきたのはルネ・ヴィヴィアンについて調べるためでした。まずはこの一節。

その美貌が理想的『世紀末』をまざまざと示現していたナタリー・バー二―嬢は、彼女の恋人たちを興奮させたあの閃光を、今なおかすかながらもわれわれに感じさせる。恋人というのは、彼女の著書に名の出ているところでは、レミ・ド・グールモン、ミローシュ、モンテスキューダヌンツィオ、ルネ・ヴィヴィアンである。忘却からよみがえった彼らは、腕に百合の花を抱きかかえて、その博学な、そして不安げな姿を見させる。世に知られている度合いに多少の差はあれ、彼らは皆精神的アヴァンチュールを生きたし、また、常識が悪徳呼ばわりをするような突飛な言動にもかかわらず、彼らは美の聖杯を求めて旅立った人たちであった。

「精神的アヴァンチュール」という言葉が出て来ますが、これはナタリー・バーネイの著書名で、回顧録です。
それとここに出て来る「モンテスキュー」というのは、三権分立を唱えたというあのモンテスキューのことではありませんで、J. K. ユイスマンスの『さかしまに』という滅法おもしろい小説の主人公デ・ゼッサントのモデルとされるモンテスキュー伯爵という人のことだそうです。フィリップ・ジュリアンはこのモンテスキュー伯の伝記も書いているそうで、いつか読んでみたいと思います。では次。

いかにも、デカダンたちがヴィーナスの島キテラに捧げることを拒んだ讃歌をレスボス島に捧げることはよくあった。ギュスターヴ・モローはすばらしいサフォを描いたし、ロダンクリムトが同性愛の女のすてきなデッサンをやがて描くだろう。ボードレールヴェルレーヌはゴーチェの手で『モーパン嬢』中に描き出されたような傾向をたどった。ロランは数多くの詩で呪われた女たちの同性愛をたたえた。だが、サフォに仕える女祭司長、ルネ・ヴィヴィアンが世にあらわれるには、二十世紀の初頭まで待たなくてはならなかった。本名をポーライン・ターンというこの美しい英国女性は、モーラスに賞賛された詩をフランス語で書き、ロランの作中人物あるいはむしろバルザックの『金色の目の娘』のような生涯を送った。大金持ちの女性の愛人となった彼女は、豪華な東洋の阿片窟のような居間に閉じ込められたが、身のまわりには仏像、漆塗りのテーブル、ふかぶかとした腰枕の山があり、中国人の召使いが幾人か仕えていた。伝えるところでは、愛人の男爵夫人が彼女に飽きてしまうと、召使いが彼女に毒を盛ったそうな。

この時代の女子同性愛に対する奇妙な関心の高さが、数行のうちに上手くまとめられています。ただしルネに関する記述は伝説の域を出ません。確かに晩年のルネは、仏像を飾り、香を焚きしめた部屋、コレットに言わせれば「胸くそが悪くなるような」部屋で暮らしておりましたが、それはエレーヌ・ド・ザイレン男爵夫人と別れてからの話です。
またバルザックの『金色の目の娘』と申しますのは、さる伯爵夫人の「愛妾」だった少女が、伯爵夫人と瓜二つの青年に恋したために、伯爵夫人に惨殺されるという物凄い話です。では次。

クノップには豹=女に拝跪するところがあったが、レヴィ=デュルメルは髪の毛に対してボードレール風な情熱をもっていた。ルネ・ヴィヴィアンの同性愛の相手だった絶世の美女にたのんで、髪をほどいた姿で、もの悲しげなバッカスの巫女やらモルヒネ中毒のサフォやらのポーズをとってもらっていた。

そしてレヴィ=デュルメルによるナタリー・バーネイの肖像(と言えるかどうかわからないほど幻想的な肖像画)が挿入されておりますが、今回はそれをご紹介する代わりに、レヴィ=デュルメルのために「悲しきバッカスの巫女」のポーズを取っているナタリー・バーネイの写真を一枚貼っておきましょう。なおレヴィ=デュルメルはルネのもろもろの詩集や小説『一人の女が私の前に現われた』の表紙も手がけております。

世紀末の夢―象徴派芸術

世紀末の夢―象徴派芸術