魔性の血

拙訳『吸血鬼カーミラ』は公開を終了しました。

伊良子清白の『孔雀船』と北原白秋の『邪宗門』

マリー=フランソワ・フィルマン=ジラール「ロワイヤル橋の花売り娘」。ウィキメディア・コモンズより。

一天社から『孔雀船/邪宗門: 明治文語詩傑作選 (一天社古典文庫)』というKindle本が出たので、宣伝せんとアカンのですが、上のリンク先のAmazonの商品紹介ページに書いてあることと重複しそうな内容はすっ飛ばして、何よりまず中身を見ていただきたいので、引用多めで紹介します。

伊良子清白の『孔雀船』

伊良子いらこ清白せいはくの詩集『孔雀船』は、周知の通り、わが国の幻想文学史に燦然と輝く傑作ですが、これについては前にも書いたことがあります。

www.eureka0313.com

上の記事を書いてからもう10年以上経つわけですが、その間も『孔雀船』を読み返すたびに「何でこんなに面白いんやろ?」と自問自答しておったわけですが、結局のところ、この詩集の最大の魅力はその「近代性」にあると思われます。「近代性」とはすなわち、「そこにわれわれ自身を認める」という意味です。
『孔雀船/邪宗門: 明治文語詩傑作選 (一天社古典文庫)』の巻頭を飾る「花売り」という詩の第二節。

はみまれてあしるは
山家やまが子等こらげんあれど
こひ附子矢ぶすやきずつかば
どくとげぬくもおそからん
(伊良子清白「花売り」)

ボードレール風」…という言葉が口を衝いて出かかります。用語の一つ一つは古典的というよりもむしろ土臭い感じのするものですが、その底を流れるトーンの中に、何か「近代的」というか、現代に通じるものが感じられるわけです。この詩の最終節、

いちえんなるはなりが
わかみゃくはな一枝ひとえ
弥生やよひ小窓こまどにあがなひて
こひ血汐ちしほあぢははん
(伊良子清白「花売り」)

ここまで来ると、その辺がよりはっきりします。
上に言う「近代性」は、この本(『孔雀船/邪宗門: 明治文語詩傑作選 (一天社古典文庫)』に採られた五篇のすべてに感じられますが、注意すべきは、この近代性が、たとえば蒲原かんばら有明ありあけ等に見られるような、西欧の詞華集を読みかじってマネをしてみました程度の付け焼き刃的な「近代性」とはまったく質の異なる、「自然発生的」なものであるという点です。「自然発生的」とはすなわち、この伊良子清白という人間自体の新しさから来ている、という意味です。「花柑子」という詩の最終節、

きよらなるとかはり
五月野さつきのをち
花環はなたまきにじめぐり
しろがねあめそそぐ
(伊良子清白「花柑子」)

おわかりでしょうか?ここまで来るともう室生むろう犀星さいせいの『抒情小曲集』や萩原朔太郎の『月に吠える』の世界まであと一歩、いや、あと半歩のところまで迫っているのです。

北原白秋の『邪宗門

この『孔雀船/邪宗門: 明治文語詩傑作選 (一天社古典文庫)』という本が編まれたのは、ほんと言うと、『孔雀船』の紹介が主たる目的だったのですが、紙数が足りないということで、白秋先生には誠に申し訳ないが、『邪宗門』のパートは後から付け足されたものです。
さて、『邪宗門』ですが、これは要するに、上田敏の『海潮音』ですね。ただ『海潮音』から派生したものの中では一番優れている、と確かに思います。
で、これが書かれた当時は「退廃」とか「憂鬱」とか言った言葉がよほど持てはやされていたのですね。作者もおそらくそういう気分にどっぷりと浸かりながら書いていたのだろうと思われますが、今のわれわれが読むと、別のところに興味を引かれたりする。たとえば「大寺」という一篇、これは大変面白い詩なのですが、

路次ろじの隅、竿さをかけわたし
皮交り、襁褓むつきせり。
そのかげにむさ姿なりして
面子めんこうち、子らはたはぶれ、
裏店うらだな洗流ながしの日かげ、
顔青き野師やしの女房ら
首いだし、煙草吸ひつつ、
にぶき目にいらかあふぎて、
はてもなう罵りかはす。
北原白秋「大寺」)

作者は「退廃的」な情景を歌ったつもりかも知れませんが、今日われわれの胸を打つのは、むしろ「写実的」な表現の力強さです。
あと、私が面白いと思うのは「蟻」という詩です。これは『邪宗門』中の他の詩と少しトーンが違います。『邪宗門』全体を通じて感じられるのは過剰な官能性というか、知的要素の乏しさですが…

時に、われ
みつもとめ
雄蕋ゆうずゐの林の底をさまよひぬ。
北原白秋「蟻」)

この「蟻」という一篇だけは、少し知的というか、抽象的というか、異質なトーンが感じられます。事実、この一篇を日夏耿之介の『転身の頌』に紛れ込ませておいたら、見分けが付かなくなるのではないかと思われます。要するにここにも「時代の先取り」が認められるわけです。

 

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「湖(The Lake)」他四篇

ポーが「湖」の着想を得たとされるドラモンド湖(ヴァージニア州)。ウィキメディア・コモンズより。

アクロスティック(An Acrostic)

エリザベス 君が「恋をするな」と
言っても無駄さ その声が甘すぎるから
それは君やエルイーエル.が言っても無駄だ
それを言い切るには鬼嫁クサンチッペの才を要する
もし本気で僕を振る気なら
もっと冷たく言って すぐさま目を覆うことだ
月姫ルナエンディミオンの恋を癒やそうとした
すると彼はプライドも恋も狂気も
何もかも癒やされた――死んだからだ

湖――ある女性に(The Lake — To —)

少年時代 私はこの広い世界の
とある一角と縁があって
その風景をこよなく愛したものだ
それは人里離れた場所にひろがる
美しい湖で 黒いいわお
松林とがあたりを取り巻いていた

だがやがて夕闇が 他のすべての
地と同様 その地にも降り
怪しい夜風が妖しい歌を
歌いながら通り過ぎると
私はようやくこの湖の
本当の怖さに目ざめた

だがその怖さは恐怖ではなく
ふるえるようなよろこびだった
それは宝の山といえども これを定義するよう
導くことも 惑わすこともできぬ感情
たとえ愛でも それがあなたの愛だとしても

毒ある波にひそむのは死で
その深淵に隠れているは墓なのだった
それはこの湖を見れば見るほど
魅せられる人間にぴったりな墓
この寂しい湖は この淋しい心に
あこがれの彼岸エデンと映るのだった

フランシスへ(To F—)

19世紀アメリカの女流詩人、フランシス・サージェント・オズグッド。1850年に死後出版された彼女の詩集の扉絵で、肖像画家だった彼女の夫の作品に基づくもの。ウィキメディア・コモンズより。

恋人よ この何もいいことがない
 憂き世の小径をさまよいながら
(それはただ一輪の薔薇の花さえ
咲いてくれない寂しい小径)――
 わが魂はせめてあなたを想う
ひと時にのみ慰藉いしゃを得て ただそこでのみ
天国エデンの安らぎを知る

さればあなたの記憶は私にとって
 どこかの荒天に見舞われた海に浮かぶ
不思議な孤島のようだ
どこかの海 そこは嵐による大波で
 荒れに荒れている その一方で
その明るい島の上だけはいつもいつも
 雲ひとつない青空がひろがっている

神聖なる王権(The Divine Right of Kings)

神授した王権による唯一の王
それはエレン・キング もし彼女が俺のキングならば
俺は自由を求めて戦う代わりに
つながれた鎖をひしと抱きしめたろう

彼女の胸は真っ白な玉座
「美徳」という名の暴君が専制
この法外な権力を抑止しようと
あらがう卑劣な臣下など誰もいない

ああ もし彼女が俺の運命のぬしとなるなら
俺は王と王制とを固く支持して
この金科玉条を終生奉じるだろう
「王は 俺のキングは 常に正しい」と

スタンザ――F.S.O.へ(Stanzas [To F. S. O.])

フランシス・サージェント・オズグッドの墓碑銘。三人の娘とともに眠っている。ウィキメディア・コモンズより。

姫様 願はくはこのうたの全句が
姫様の来たるべき日々の歓喜
健康と平和とを告げる響きを
惜しげなく 存分にき散らすよう

姫様の毎日はハッピーな日々
よろこびは長く 憂いは短い
妬む心に絶賛を呼びさます徳
宿敵に愛され 後継ぎに惜しまれる

奔放な精神はこの狭い下界の
限界を踏み越えて旅を続ける
寄る波は「時間」の岸壁を打ち
決して水泡に帰すことはない

お祈りの句のごとく純粋無垢な
まごころだけが持つ真の明るさ
他人ひとのよろこびを我がことのように喜び
幸せは他人ひとからも祝福される

詩人や哲人に親しむことで
炯々けいけいと研ぎ澄まされた判断力は
若くして明るく 老いてなお鋭く
謬説びゅうせつ」の輝きに惑わされない

まっすぐな魂は荘厳華麗そうごんかれい
知恵に富み 徳を積み 感性も豊かに
「思想」の永遠の青空のもと
従容しょうようと ひとすじに歩み続ける

このような徳性に守られた道
このような旅路こそあなたの人生いのち
人の世が贈り得るさちというさちに恵まれ
天のみが授け得るあらゆる希望ゆめに輝いて

吉川永青『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』

吉原で金貨をばらまく紀伊國屋文左衛門。歌川国周による浮世絵で、歌舞伎の『誉大尽金の豆蒔』の「紀文大尽」を演じる二代目澤村訥升の舞台を描いたもの。edo-g.comより。

表題の歴史小説につきまして、一天一笑さんから内容紹介をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


吉川永青『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』(中央公論新社)を読了して。
華やかな元禄文化を生み出した元禄年間(1668年~1704年)、五代将軍・徳川綱吉の治世に“紀文大尽”と呼ばれ、六代将軍・家宣いえのぶ、七代将軍・頼宜よりのぶの短い治世を経て、緊縮財政の八代将軍・徳川吉宗の時代に“政道が変化した”のを理由に、余力のあるうちに(ある日突然解雇ではなく、従業員に退職金を用意できる余裕をもって)材木商・紀伊国屋を畳み、別所武兵衛を名乗り、俳句に親しむも、最後は零落し病没するが、本人は決して後悔しなかったであろう紀伊国屋文左衛門の生涯を、吉川永青が丁寧で確かな筆致で描きます。

大阪市西区の安治川沿いの公園に立つ「贈正五位河村瑞賢功碑」。瑞賢による安治川掘削の功を讃えたもの。www.osaka21.or.jpより。

紀伊國屋文左衛門は河村瑞賢を商売の師匠と仰ぎます。
「詰まるところ、世の中は人と人でできている。世の中を動かせないなら、せめて世の中を作る仕事がしたい」
師匠のこの言葉と、一緒に旅をしていた婚約者を亡くしたことで、心に一生消えない傷を負った紀伊國屋文左衛門は、故郷(和歌山県湯浅市)を離れ、江戸へ出ます。
故郷で材木問屋・西浜屋の手代を務めた経歴を買われ、材木問屋に奉公をします。
商売のセンスがある紀伊國屋文左衛門は、予定より速く木を切り出して、運搬に成功します。
この時、協力関係にあったきこりは、後に紀伊國屋の手代・長次郎となります。使える人材として、紀伊國屋文左衛門に見込まれたのです。

「ふいごまつり」の図。「ふいごまつり」は鍛冶屋など「ふいご」を使う職人たちのお祭りで、毎年11月に行なわれ、特に江戸では供え物のミカンを集まった子どもたちに投げて与える風習があった。www.543life.comより。

他にも、紀州では安く簡単に手に入る蜜柑が、江戸では貴重であることに目をつけ、船乗りと交渉(儲けを気前よく分配)し、荒天の海に船を出し、多量の需要が見込まれる“ふいごまつり”に間に合わせます。莫大な収益を上げました。以後、この蜜柑の運搬は定期便となります。これによって、本業は材木問屋であるにも関わらず、“紀文大尽”と揶揄されるようになりました。
やがて、故郷から屋号を採り、材木商“紀伊國屋”文左衛門として独立します。
当時お上(幕府)の認可を得なくても、開業できるのは材木屋と呉服商でした。
商売敵の奈良屋茂左衛門もざえもんとの軋轢や、新参なのに材木商の既存の組織に加入しない事への陰湿ないやがらせなどもありましたが、元禄十年八月末、東叡山とうえいざん寛永寺の根本中堂の普請を見事終わらせます。その祝いとして、吉原総上げ(貸し切り)を行います。
江戸っ子は良くも悪くも拍手喝采です。一晩で千両箱が幾つカラになったことでしょう。

葛飾北斎「東叡山中堂之図」。ウィキメディア・コモンズより。

時流に乗った紀伊國屋文左衛門は、吉原遊郭を使い、幕閣を接待します。
江戸は火事が多いので、付け届けや接待をしたら、仕事を廻して貰える?
主要メンバーは、側用人そばようにん柳沢やなぎさわ吉保よしやす勘定奉行・荻原重秀、老中・阿部正武まさたけなどです。
中でも、柳沢吉保には、ナンバーワンの高尾太夫をつけます。費用はどれくらいかかったのでしょうか?全盛期の紀伊國屋だからこそ支払えた費えですね。
後に、前妻・凪と死別した紀伊國屋文左衛門は、自分の担当だった几帳を落籍させて、後妻・まつとして迎え、三男・明生あきおをもうけます。明生は、異母兄たちとは違い、貧困の中で成長します。

歌川国貞『古今名婦伝』より「万治高尾(=仙台高尾)」。吉原・三浦屋の二代目高尾太夫で、仙台藩(六十二万石)の藩主・伊達綱宗に身請けされたが、別の客(六百石の旗本)に操を立てて同衾を拒んだため、手討ちにされたという伝説がある。万治三年(1660年)没、享年十九歳。

元禄八年(1695年)、勘定奉行・荻原重秀から、元禄金銀の鋳造を引き受けないかと持ち掛けられます。ちょうど材木問屋から両替商への鞍替えを試みて、認可が下りず、苦戦していた文左衛門は、いささかの不安を覚えながら応じます。
その当時、流通していた慶長金銀より、金の含有率が少ない元禄金銀を鋳造するのです。いわば悪貨をつくるのです。
この話は、勘定奉行・荻原重秀との今までのつきあいがあるとはいえ、断われた話ですが、ビジネスライクで割り切ることの出来ない気性、江戸商人の誇りを持った紀伊國屋文左衛門は、財産の殆どを鋳造に賭けます。これが零落の主原因です。
元禄金銀は、綱吉の病死と呼応するように、流通しなくなります。

元禄小判。ウィキメディア・コモンズより。貨幣の質を落として流通量を増加させた荻原重秀の政策は、今日でも毀誉褒貶相半ばする。

零落しても、奉公人たちに退職金を出す余力のあるタイミングで、店を畳みます。一緒に商売をしてきた兄弟たちにも財産を分け与え、故郷に返します。
紀伊國屋文左衛門の名を、別所武兵衛と、名乗りを変えます。
自分たちの生活は、昔、老中・阿部正武に貸していた金の返済で糊口をしのぎます。
阿部家も、息子の代でも責任をもって返済します。

口さがない江戸っ子たちは、紀文大尽も落ちぶれたものだとはやしますが、気にはしません。むしろ、吉宗の時代になり、政道が変わったからには仕方がないとあっさりしています。
当時としては長生きの六十六歳まで生きたため、息子や弟、かつての商売敵の奈良屋にも先立たれます。
時流に乗り、儲けても、自分の商売の哲学を見失うことなく「世の中は人と人でできている」との信念を貫いた紀伊國屋文左衛門の物語をお楽しみください。
天一

 

 

(日本語訳)アルフレッド・テニスン「シャロットの女(The Lady of Shalott)」

エリザベス・シダル「シャロットの女」。ウィキメディア・コモンズより。

このくそ暑い夏休みは、行楽などは控え、エアコンの効いた室内で、古詩に親しまれることをお薦めします。テキストは1843年版に拠る(2022年8月)。

19世紀のドイツの運河で、馬にかれて進むからのバージ。ウィキメディア・コモンズより。

流れる川をはさんで
大麦とライ麦の畑が
地を覆い 坂の上まで続いている
その中を塔多きキャメロットへと
 続く一本の道が走っている
行き交う人々は道すがら
坂の下の川に浮かぶ
シャロットの島の周囲に
 咲いている睡蓮を見る

柳は白く ポプラは葉をふるわせ
そよ吹く風は夕暮れを告げる
大河はシャロットの島をめぐり
絶えることなく滔々と
 キャメロットめざして流れ去る
四つの灰色の城塔と城壁とが
花々を見下ろしていて
この城にひっそりと隠れ住んでいるのが
 『シャロットの女』だった

柳の木陰になっている川岸近く
重荷を積んだバージが馬にかれて
鈍行するかたわら シルクの帆を張った
軽舟シャロップが 歓呼の声はないものの
 キャメロットへと急行する
だが手を振る彼女を見た者はなく
窓辺に立つ彼女を見た者もなく
その国のどこにも『シャロットの女』を
 知っている者はなかった

ただ朝早くから のぎのある大麦の
畑の中で働く刈り入れびとたちは
塔多きキャメロットへと 折れ曲がりつつ
流れる清らかな川の方から
 響いてくるよろこびの歌を聞いた
夜は夜とて 疲れた刈り入れびとは
風吹く丘に麦束を積み重ねながら
耳をそばだて 小声で「あの妖しい歌声は
 『シャロットの女』の声だ」と言った

通行人に祝福を授ける旅の修道院長。『セント・オールバンズの書』(1486年)の木版画からのクリップアート。clipart-history.comより。

彼女はそこで昼夜を問わず
色鮮やかな妖しい織物を織っていた
「もしキャメロットを見下ろしたなら
お前は呪われる」とささやく声を
 彼女は聞いたことがあった
どんな呪いかは知る由もなく
ただ彼女は来る日も来る日も
はたを織る楽しみに打ち込み
 余念がなかった

彼女の前にはいつも
一枚の鏡がかかっていて
窓の外の景色が映るのだった
そこに彼女はキャメロットへと下る
 曲がりくねった大通りを見た
川の水が渦巻くのを見た
また育ちの悪い村の男たちや
市場で働く赤い外套の女たちが
 シャロットを通り過ぎるのを見た

また時には賑やかな少女たちの一群や
老いぼれ馬で徐行運転の修道院長や
羊飼いとおぼしき巻き毛の少年や
真紅の服を着た長い髪の小姓などが
 塔多きキャメロットへと向かうのを見た
また時には騎士たちが二人一組になって
通り過ぎる姿が青い鏡に映った
『シャロットの女』には愛を誓ってくれる
 一人の騎士もなかった

それでも彼女は鏡に映る妖しい
夢を織るのが楽しくて仕方なかった
時には葬列が羽根飾りとランプと
しめやかな弔いの歌とともに
 キャメロットへと向かう有様を見た
また時には新婚の若い男女が
月夜にそぞろ歩く姿を見ることもあった
「私は幻視になかば疲れた」と
 『シャロットの女』は言った

ウォルター・ジェンクス・モーガン「ウナと赤十字の騎士」。「騎士」のフル装備(「兜」「羽根飾り」「盾」「襷」等)をご確認ください。エドマンド・スペンサーの『フェアリー・クイーン』の挿絵。ウィキメディア・コモンズより。

その城の軒端から矢の届く距離
麦束の堆積やまの間を 馬に乗って通る男
まぶしい日ざしは木々をつらぬき
怖いものを知らないランスロット卿の
 真鍮の脛当すねあてを照らした
貴婦人の足下に忠誠を誓う
赤十字の騎士が描かれた盾
その盾はシャロットの島のかたわら
 黄色い野に光を放った

彼の手綱は燦然として
夜空を飾る天の川の
星の流れのように輝いた
手綱に付いた鈴を鳴らしながら
 彼はキャメロットへと馬を駆った
紋章入りのたすきからは
銀製の立派な喇叭らっぱがぶら下がっていた
シャロットの島のかたわらを進むにつれて
 彼の武具は音を立てた

雲一つない青空のもと
宝石をちりばめた鞍の皮革はきらめいた
兜と兜の羽根飾りとを
一体の炎のごとく赫々かっかくと燃やしながら
 彼はキャメロットへと馬を駆った
その姿は時として星降る夜に
パープルの闇を引き裂き
静かなシャロットの上空を通過する
 長く尾を引く流星のよう

彼の秀でたひたいは輝いていた
彼の愛馬の蹄は磨かれていた
兜の下から 内部なかに収まりきれぬ
黒い巻き毛を風になびかせながら
 彼はキャメロットへと馬を駆った
川辺かわべから また川面かわもから
その影は光となって鏡にひらめいた
彼は「ティラ・リラ」と鼻歌を歌いながら
 川のほとりを通り過ぎた

彼女は手を止めて織機しょっきを離れ
室内を三歩だけ横切よぎった
目の前に睡蓮が花咲き乱れ
羽根飾りと兜とが光り輝き 
 彼女はキャメロットを見下ろしていた
織物はたちまち破れて散った
鏡には横一文字にひびが入った
「私は呪われたのだ」と
 『シャロットの女』は叫んだ

ウォーターハウス「シャロットの女」。ウィキメディア・コモンズより。

東風が吹き荒れる中
色づいた葉を落とす木々
大河は音を立てて流れ
キャメロットまで掛かった低い雲からは
 雨粒がしたたり落ちた
彼女はさまようほどに
柳の木の下に乗り捨てられた
一艘の小舟ボートを見つけ その舳先へさき
 『シャロットの女』と書いた

そうしてみずからの悲運を覚悟しながら
なお毅然たる見者のごとく
彼女は涼しい顔で
暗い川の下流を見た
 キャメロットの方角を見据えた
日が暮れる頃
彼女は鎖を解いて横になった
大河の流れは『シャロットの女』を
 はるかかなたへと運んで行った

白いローブをまとって横たえた身は
移ろう流れにまかせ
落ち葉は降るにまかせて
彼女は夜のざわめきのさなかを
 キャメロットへと下って行った
そうしてめぐりめぐる船の舳先へさき
丘や野原を分けて進むにつれて
丘や野原は『シャロットの女』が
 最後に歌う声を聞いた

その歌は悲しい祝歌キャロル 聖なる祝歌キャロル
その声は時には高く 時には低く
そうするうちに彼女の脈はおとろえ
キャメロットの方角を見据えていた目には
 もう何も見えなくなった
彼女を乗せた船が
都会の最初の人家へとたどり着く頃
末期まつごの息の下でなおも歌いながら
 『シャロットの女』はこと切れた

塔の下を 露台の下を
塀のかたわら 歩廊のそばを
彼女はほのかな光となって漂った
城と城との間をしかばねとなって 音もなく
 キャメロットへと流れ着いた
船着き場には騎士も紳士も
貴人も貴婦人も駆けつけてきて
読んだのは舳先へさきに記されている
 『シャロットの女』という名前だった

これは誰だ? どうしてここに?
煌々とあかりがともる ほど近い王宮に
歓声はぱたりと止んで
キャメロットつどった騎士たちは皆
 怖くなって十字を切った
だがランスロットは 少し考えてから
言った「綺麗なお嬢さんだね
願わくはこの『シャロットの女』とやらに
 神の温情のあらんことを」


実写版「シャロットの女」。あきれるほど原作に忠実な映像化。2009年、イギリス。

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ロリーナ・マッケニット「シャロットの女」。1992年、ジュノー賞授賞式でのパフォーマンス。

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ケイト・ブッシュ信者たちの活動状況について

2016年、メルボルンで開催された「嵐が丘の日」の様子。ウィキメディア・コモンズより。

嵐が丘の日(The Most Wuthering Heights Day Ever)」

毎年今頃になると、欧米各地で行われる恒例の野外イベント「嵐が丘の日(The Most Wuthering Heights Day Ever)」。ここ二年ほどはコロナの影響で鳴りをひそめていたようですが、今年は2022年7月30日の土曜日、ケイト・ブッシュの誕生日に合わせて大々的に行うところが多いらしい(すでに実施済みの国もあり)。
下は2019年7月、イングランドの港町フォークストーンでの映像。


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楽しそうですね。何となく、怪しげな新興宗教の集団儀式のようにも見受けられますが…もっとも、これは別にケイト・ブッシュ本人が「教祖」として関わっているわけではない。本人は(最近のインタビューによれば)家にこもってもっぱら「ガーデニング」にいそしんでいるそうな。
今ちょっとこの催しの「起源」について調べてみると、何でもイギリスの「シャムブッシュ(Shambush)」というパフォーマンス集団が2013年にイギリスのブライトンで開催した「究極のケイト・ブッシュ体験(The Ultimate Kate Bush Experience)」というイベントが事の始まりらしい。下はそのオリジナル映像。


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この映像がYouTubeを通して世界に広まり、このイベントの趣旨に賛同した各国のケイト・ブッシュ信者たちがこれに反応して、2016年ごろから世界規模のイベントになった。英語版ウィキペディアによれば、コロナ禍前の2019年にはイギリス、アイルランドアメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ、ベルギー、フランス、スウェーデンフィンランドデンマークノルウェイ、およびイスラエルのもろもろの都市で開催されたということです。
「参加要領」はそれぞれの国や地域によって異なりますが、だいたい以下の点は共通している。

  • 年齢・性別は不問
  • 赤い服(必ずしもワンピースでなくてもいいらしい)を着て
  • ケイト・ブッシュになったつもりで踊ること(ダンスの巧拙は問わない)

野外イベントなので、雨天の場合は延期になるのだろうと思いますが、動画を見ていると、小雨の場合は決行しているみたいです。
お手本は「レッド・ドレス・ヴァージョン」と呼ばれる下の公式プロモーション・ビデオ(オリジナルの「レッド・ドレス・ヴァージョン」がなぜか突然YouTubeから削除されてしまったので、代わりにたくさん公開されているチュートリアル動画のうちの一つを貼っておきます)。


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まあ、観ている限りでは大変優雅なものですが、これを完全にコピーするのは専門家でも難しいらしい。上の「参加要領」の「ダンスの巧拙は問わない」とはそういう意味なので、ダンスが下手な人を不参加にすると、参加できる人がいなくなってしまうからです。
下は2017年7月、スウェーデンのウプサラでの映像。


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前半は「嵐が丘」に合わせて踊り、後半は「神秘の丘」に合わせて文字通り「丘を駆け上がる(Running Up That Hill)」という、体力的にハードなプログラムですが、まあ、ストレス解消にはなるでしょうね。

ケイト・ブッシュならではの「癒し」

「ストレス解消」と言えば、「ベビー・ブシュカ(Baby Bushka)」というアメリカのケイト・ブッシュ・トリビュート・バンドについて、こちらの記事で少し触れておりますが、ケイト・ブッシュと相性が悪いと言われるアメリカからこんなバンドが出てくること自体が驚きですが、このバンド、勇敢にもイギリス・ツアーを敢行している。言わばケイト・ブッシュ敵地アウェーから聖地ホームへと殴り込みをかけているわけです。
下はその「ベビー・ブシュカ」による「バブーシュカ」のカバー。2018年、グラスゴーのカフェ・バーでのステージ。


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このバンド、歌も踊りも演奏も非常に達者なのですが、何というか、プロのステージというよりも、女子校の文化祭の出し物のような素人っぽい雰囲気がある。おそらくこの点がこのバンドの最大の魅力なので、こういうステージはる方も観る方も大変な「ストレス解消」になるのではないかと想像します。
下は同じバンドによる「神秘の丘」のカバー。2018年、エディンバラのパブにて。


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他にもたとえば、先日『ドリーミング』を聞き直して思ったことですが、あの中の「オール・ザ・ラヴ」という曲(こちらの記事参照)は、暗い曲ですが、今の日本では「自殺願望」とか希死念慮とかいったものに悩まされている人も多いかと存じますが、そうした人の心には、明るく前向きな曲よりも、こうした暗い曲の方が「癒し」として効くのではないでしょうか。こんな曲が書ける人は、本当にケイト・ブッシュしかいません。
7月30日、全世界的に晴れるといいですね。