魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十三

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落合芳幾画「平蜘蛛を割る松永久秀」。この姿は人間ではありませんね。ウィキメディア・コモンズより。

⑲六月二日:妙心寺

妙心寺に到着した光秀は、静かに信長公遺体発見の知らせを待った。
信長の遺体と首級が無ければ、光秀は反逆者と認定される。何が何でも探し出さなければならない。それはその後の天下を掌握するためには必要不可欠なものなのだ。
しかし、その知らせは遂に届かなかった。

テレビや映画などでは、燃え行く本能寺から脱出せず、“是非に及ばず”と言って幸若舞こうわかまいを舞いながら炎にのみ込まれる場面がよく見られるようですが、著者の伊東眞夏はここで、通常では考えられない信長の遺体消滅を想像します。それにはどの様な方法があり得ただろうか?
可能性の一つとして、信長爆死を考える。以前、戦国時代の梟雄きょうゆう松永久秀が信長に対して使った手法である。“平蜘蛛の釜”をめぐって、信長軍の目の前で、当てつけのように爆死しているから、当然細かな報告は信長に上げられたであろう。
死の寸前に大量の火薬に点火すれば全て跡形もなくなる。信長ならその程度の火薬を準備することは造作もなかっただろう。信長は爆死の方法を熟知していたと思われる。二条御所の信忠の遺体は火薬の量が少なかったのか爆死未遂で発見されている。信忠の爆死は未遂に終わったが、爆破しようと試みた痕跡がある。このことは、有事の際は爆死すべしとの申し合わせが信長・信忠父子の間で成立していたのではないか。だから明智軍の必死の捜索にもかかわらず、信長の遺体は消失し、遂に発見されなかったのではないか。
本能寺が一時、通常の火事では考えられない火の勢いに包まれたのも、謎が解ける。火災も爆破によって起きたと推定される。そもそも夜陰に紛れて行軍し、打倒信長を旨とする明智軍は、本能寺に火をつける必要は無く、武器を使って信長主従を討ちとればよいだけの、至ってシンプルな事案だったのだ。はやる気持ちは兎も角、何も放火するまでには及ばなかったろう。

光秀としては、信長の遺体が発見できなかったことは手痛いが、そこにばかりかかずらわってはいられなかった。
信長を討った以上、やらなければならないことが、山ほどあるのだ。
その一つが、正親町天皇への上奏文を書き上げることです。その主旨は信長を討つのは正義であるという言い訳でした。
これに駆り出されたのが妙心寺の役僧だった。日頃の落ち着いた佇まいとはまるで別人のように血走った眼をして、興奮冷めやらぬ態の光秀(頭がクールダウンしていない状態)に口述筆記を命じられた妙心寺の練達の役僧もさぞかし困惑したことでしょう。
かくして出来上がった上奏文は、全くもって焦点のボケた、精度の低い出来映えとなってしまった。ちなみに内容は、先ず信長の悪行をくどくどと述べる。次に光秀の出自の良さをこれでもかと書く。つまり明智家は代々朝廷に仕える家柄で、天皇を守るのは自分の責務と言いたかったのだろうが、読むと只々己の血筋自慢をしているのみで、そこから更に血筋の良さが正義に通じ、自分は正義を行なったとの独り善がりの残念な文章になってしまった。
これならば、いっそ形だけの上奏文のほうがましだったかと思われる。
光秀は、思い込んでいたのであろう、近衛前久の助力(?)もあり、自分の真意は正親町天皇の周囲には認識されているだろう。言葉で足りないところは彼らが補ってくれるだろう。また今度の変事を歓迎する雰囲気は朝廷内に整っているだろう。
光秀には、日本史に連綿と打ち続く朝廷独自の生き残り策を警戒している余裕はなかった。朝廷は自分に応えてくれるはずだと信じて疑いませんでした。

上奏文を書き終えた光秀が次にしたことは、毛利家と、越前に檄文を書き送ることだった。
光秀の目論見は、信長を倒した自分が檄文を送れば、毛利を始め、織田家と敵対関係にある陣営は、一も二もなく、自分に呼応するだろうと思い込んでいた。なので、自分は何の為に信長を討ったのかの説明は一切省いていた。
光秀の檄文は、只自分は信長を倒したの一点のみに触れていた。つまり自分がお前たちの窮地を救ってやったんだと言わんばかりの内容でした。
少なくとも光秀は、檄文の内容はこれで充分だと思っていた。

上奏文と檄文が出来上がると、光秀は見直しもせず、さっさと軍の移動の手配をし始めた。
京の周辺には最低限の守備兵を配置し、主力は安土城にむけて移動を開始した。
結果、六月二日午後四時頃の京都には、明智軍の兵士は殆ど残っていなかった。

結果的には、この論点の整理されていない上奏文と、一方的な檄文とが後の光秀を抜き差しならぬ状況に追い込むことになるのですが、高揚感と焦燥感に駆られる光秀がそれに気が付く余裕はなかったもののようです。(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

 

ボードレール「聖ペテロの否認」他一篇

無題(Que diras-tu ce soir, pauvre âme solitaire)*1

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オーギュスト・クレサンジェ作「蛇に噛まれた女」。ウィキメディア・コモンズより。こちらの記事をご参照ください。

わが心 今宵彼女に そも何を告げんとするか
このひとに この善良で 美しく 優しいむすめ
冬枯れの景色に春をもたらした 神々こうごうしい目
わが心 その持ち主に いま何を告げんとするか

――佳き人をほめ歌うこそ われわれのこよなき誇り
そのひとのいと甘美なる驕慢に 勝るものなし
すっぽりと 人を光で包み込む 清きまなざし
霊的なその肉体の発するは 天使の薫り

たとえ真夜中 人々と遠く離れてあろうとも
たとえ白昼 人々のうちに混じりてあろうとも
松明たいまつの炎のごとく その影はひらめきやまず

時に言う「君が恋しているひとは 美貌の女
さればこそ 君は美のみを愛すべし 君をみちびく
わたしは天使 詩の女神 君が信奉すべき聖母マドンナ

 

聖ペテロの否認(Le Reniement de Saint Pierre)*2

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ミケランジェロ作『サン・ピエトロのピエタ』。ウィキメディア・コモンズより。

天にまします神様は 天に向かって放たれる
日々夜な夜なの雑言ぞうごんを いかがなされるおつもりか
酒池肉林に飽き足りた専制君主さながらに
神は 世人の冒涜を 楽しく聴いて寝てるのよ

殉教者らや犠牲者ら 彼らすべての慟哭は
神にとっては必ずや 心とろかすシンフォニー
天人てんにんたちの快楽に 人間の血は不可欠で
かつて彼らの欲望は 満たされたことがないからよ

ああイエス様 橄欖ゲッセマネの園に思いを馳せたまえ*3
そこであなたが愚直にも 膝を屈して祈った「神」は
死刑執行人たちが 生きたあなたの肉体に
釘を打ち込む音を聞き 天の高みで笑ってた

おそれを知らぬ看守らや まかながた下衆げすどもが
「神の子」であるイエス様 あなたに唾を吐いた時*4
茨で出来た王冠が すべての人を救うべき
「愛」の思想が住んでいる頭蓋の骨を噛んだ時*5

完膚なきまで傷ついたその全身の重量が
その伸びきった両腕を 引っこ抜くほど引っ張って
割れた額も蒼白に 血を垂れ 汗を噴いた時
あなたが皆の嘲笑の的のポーズを取った時

あなたは何を見たかしら あの栄光の日々かしら
かの永遠の約束を果たそうとしてやってきて
優しい驢馬にまたがって 花と小枝を踏みしめて
都に着いた日の夢を いまわのきわに見たかしら*6

夢みたかしら 蛮勇をふるって 神の住まいから
商人たちをことごとく追い出した日を*7 万人の
師と仰がれた日のことを 槍より先に 後悔が
その脇腹に ぐっさりと 刺さったのではないかしら

ええ わたくしは出て行くわ 何の未練も悔いもなく
夢とうつつが睦まじき姉妹たりえぬこの世から
出来ることなら剣を取り 剣でこの身を滅ぼそう*8
聖者ペテロはキリストを「知らぬ」と言った…あっぱれでした*9

*1:悪の華』初版37。

*2:悪の華』初版90。

*3:さて、一同はゲツセマネという所にきた。そしてイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。そしてペテロ、ヤコブヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。(『マルコによる福音書』14:32 - 14:38)

*4:それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、「キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか」。(『マタイによる福音書』26:67 - 27:68)

*5:それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。(『マタイによる福音書』27:27 - 27:30)

*6:さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。すなわち、

「シオンの娘に告げよ、
見よ、あなたの王がおいでになる、
柔和なおかたで、
ろばに乗って、
くびきを負うろばの子に乗って」。

弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、

ダビデの子に、ホサナ。
主の御名によってきたる者に、祝福あれ。
いと高き所に、ホサナ」。(『マタイによる福音書』21:1 - 21:9)

*7:それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。(『マタイによる福音書』21:12 - 21:13)

*8:そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。そのとき、イエスは群衆に言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」。そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。(『マタイによる福音書』26:47 - 26:56)
シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった。すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」。(『ヨハネによる福音書』18:10 - 18:11)

*9:そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。(『マタイによる福音書』26:31 - 26:35)
ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。(『マタイによる福音書』26:69 - 26:75)
以上、福音書からの引用はすべてウィキソース版『口語 新約聖書』(日本聖書協会、1954年)による。

「岬」ほか四篇

夫婦

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阿寒湖のフロストフラワー。visit-hokkaido.jpより。

花のように咲いた夫婦 咲いた不思議な夫婦
少女と少女の夫婦 処女と処女の夫婦
泉の中の夫婦 湖のほとりの夫婦
白いお城のうしろに咲き乱れた夫婦 夫婦 夫婦

水星

私には
星が見えます
星が見えます
私にはひがしの空に住んでいる星が見えます
明け方の静かな空に住んでいる星が見えます
ひるがえるぴあののひびき
船出するふらんすの船

その星は
水があります
水があります
その星は淫らなものに満ちている水があります
磨かれたからだの影に満ちている水があります
ひるがえるぴあののひびき
船出するふらんすの船

耳もとに
水がひろがる
水はさざなみ
そして今鳥が飛び立つ
数知れぬ鳥が飛び立つ
ときはなたれてゆくはばたきの
おびただしさよ

耳もとに
水がひろがる
水はさざなみ
さざなみは水のささやき
生いしげる白いかがやき

そして今
空のかなたへ
空のかなたへ
そして今数かぎりない風が住む空のかなたへ
数知れぬ涼しい風が住んでいる空のかなたへ
その星は消えてゆきます
その星は消えてゆきます

私には夕陽が見えた

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free-photo.netより。

私には夕陽が見えた
 夕陽しか見えなかった
 それで船は進み続けた
船はみなみに進み続けた
おびただしい飢えを忍び
 おびただしい渇きに耐えて
 それで私には見えなかった
夕陽しか見えなかった

あなたは風を呼び集めた
 風を夜空に呼び集めた
 それで船は向きを変えた
少しひがしに向きを変えた
あなたは風をはびこらせた
 風をまだらにはびこらせた
 それで波がならびはじめた
波がななめにならびはじめた

数が数えきれない
 風の数が数えきれない
 それで船はきしみ続けた
船はしきりにきしみ続けた
風のひびきがひしめいた
 数かぎりない風のひびきが
 それで水が入り込んだ
水がみだりに入り込んだ

私には夕陽が見えた
 夕陽しか見えなかった
 それで船は進み続けた
船はみなみに進み続けた
おびただしい飢えを忍び
 おびただしい渇きに耐えて
 それで次第に近づいてきた
島がしずかに近づいてきた

海に生まれたむすめ

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「人魚(The Mermaid)」。 Coccineusさんがdeviantart.comに投稿した画像。元画像はこちら

海に生まれたむすめ
青い海に生まれた優しいむすめ
あなたは私の人魚
あなたはもう
私だけの人形

心にかかる火曜日
吸い寄せられる水曜
金曜は禁じられても
土曜日は抱擁に酔う
優しい指に
ふたたび触れるうれしさ
海のほとりで触れ合うよろこびの日々
優しい朝の光が
今日も海に生まれる

とても愛とは言えない
私の飢えは癒えない
青い海のかなたに白い詩のような船が咲いても
抱きしめて抱きしめて抱きしめて
夕陽のように燃えていたい
あけぼのの口づけで
息を吹きかえすまで

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大阪府泉南郡岬町の遊園地「みさき公園」(2020年3月31日閉園)の観光灯台。そらまめきなこ @shirokumarokoさんがtwtterに投稿した画像。元画像はこちら

ある岬のあけぼのが
いま目の前によみがえる
はばたいて鳥が飛び立つ
さようなら さようなら さようなら
ちぎれるほど手をふっている子どもたち
ひきちぎるほど 力いっぱい吹きつける風
そうして船は海を越え 愛の世界へ
そんなある岬のあけぼのが 今よみがえる よみがえる

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十二

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現在の妙覚寺ウィキメディア・コモンズより。

⑲六月二日午前九時頃:中将信忠

本能寺と同じように、周りに堀をめぐらし、小さな城郭のような構えを持つ妙覚寺に宿泊していた信忠に、本能寺の変の報せが届いた。信忠は自ら先頭に立ち、父信長の救出を試みたが、多勢の明智軍の前には手も足も出なかった。
そして、本能寺が焼け落ちたことを知らされた。信忠は父信長が討たれた衝撃の余りか、正気を失ったような行動を取る。
即ち、守りの堅い妙覚寺を引き払い、向かいの二条御所に移動したのだった。
しかも御所には誠仁さねひと親王、若宮(のちの後陽成天皇)、その母の阿茶局あちゃのつぼね勧修寺かしゅうじ晴子はるこ)以下、皇子・姫君お付きの女房衆が住んでいたのだが、勝手に侵入した信忠は、即刻彼らに退去を命じた(一説には、皇族たちを人質にして、明智勢と交渉し、自分は安全な場所に逃げようとしたとも云われている)。
誠仁親王の一家にとって、とんでもない災難であったことだけは間違いない。この状況を見かねた織田方の武将村井禎勝が、信忠に勝手に上がり込まれて巻き込まれた形になった誠仁親王一家が無事に退去できるよう、明智軍に一時休戦を申し入れた。信長の遺体捜索に忙しい明智軍もさすがに休戦を承知した。ただし織田方の者と御所の者とを区別するため、馬や籠を使用しての退去は罷りならないとの条件を付けた。
親王一同にすれば、自分の足で歩いて御所を出るのは初めての経験であり、屈辱でもあったが、従うしか他に方法が無かった。
ここで町屋の者、連歌師の里村紹巴が活躍した。彼は歩いて御所を出た親王一家のために輿を用意したのだった。ただし用意できた輿は地下人じげにんの使うような粗末なもので、床には筵がひかれている有様だった。輿を担いだのは町衆の者だった。親王一家がそのような粗末な乗り物で通りを往来するのは前代未聞のことであった。輿を担ぐ町衆は何故か神輿みこしでも担ぐよう面白がっていた。物見高い京雀たちは目配せをしていた。命が助かった上に、輿が無かったらもっと無様な姿を衆目に晒していたことを思えば、誠仁親王としては本来、里村紹巴に礼を言うべきところでもあったろうが、とても感謝する気持ちにはなれなかったようだ(里村紹巴がこのことをどう思ったかは史書には記されていない)。

そうして誠仁親王一家の退去に目途が付き、休戦もまさに終わらんとするタイミングで、取り敢えず本能寺の後始末をつけた光秀が、二条御所にやってきた。
その時、隣の屋敷の戸が勢いよく開かれ、光秀の傍に転がるように走り出た男がいた。近衛相国前久だった。
明智殿,、よくやってくれた。よくぞやってくれた」
近衛前久は、今にも泣き出さんばかりに興奮していた。
「信忠は血迷って、御所に逃げ込んだ。しかし心配無用です。御所はうちの庭から丸見えです。ぜひうちを使ってください。遠慮なく使ってください!」
前久は、当主自ら門を開いて、光秀の軍を屋敷の庭に迎え入れた。
二条御所の戦いでは、逃亡者や投降者が多数出た。それも名のある武将らに限ってだった。前田玄以、織田長益ながます水野忠重等である。
それとは対照的に、名もない兵卒たちは果敢に戦って死んでいった。何せ普通の戦ではなく、攻撃側(明智軍)も防御側(織田軍)もお互い顔見知りの者たちで編成されていたのだった。兵卒たちは誰に言われたわけでもないが、知り合いの前では見苦しい真似はできないとの気持ちが強く働き、各々の名誉のために持てる限りの力を尽くし、誇り高く戦死していった。その甲斐あって、明智軍を三度門に追い返した。尋常ではない強さを見せた。しかし寡兵の悲しさはカバーできなかった。総勢五百名の二条御所の織田軍の戦死者は、約四百二十名に達した。殆ど全滅に近い状態であった。通常の戦争では全体の二割の死者が出た時点で戦の勝敗が決まってしまう。死者の倍は負傷者が出ているからで、その時点で戦闘員は既に五割を切っていると考えられる。
この五割を切った時点で指揮官に理性があれば、これ以上の戦いは無意味だと判断し、敗北か撤退かの決断を迫られる。これ以上の戦いは虐殺になるからだ。やがて、二条御所に火の手が上がった。
「おお~!火が出た、火が出た」
近衛前久は小躍りして喜んだ。光秀はその様子を悲しそうに、暗い瞳で見ていた。そのような二人に伝令が走り寄って、信忠の自害を告げた。
素早く小耳にはさんだ前久は、いよいよ喜んだ。
「勝った、勝った!」
と二度叫んだ後、腰でも抜けたように地べたにへたり込んでしまった。
しかし一瞬の後、不安になったと見えて、
「信長は、信長はどうした」
と光秀を振り返った。光秀は静かに苦々しく言った。
「おそらく自害されたでしょう」
「そうか、あいつも死んだか。あいつも…うんうん、そうか、死んだのだな」
前久はそう口の中でブツブツ言いながら、魂が抜けたようにいつまでもヘラヘラと笑っていた。
光秀は、前久の様子を醒めた目で眺めながら、自身は用意された馬に素早く飛び乗った。そして言った。
「本能寺には信長公の亡骸を早急に確実に探すように言え。信長公の首を持ってきた者には篤く褒美を取らせる」
光忠が尋ねた。
「で、お館様はどちらに」
妙心寺じや。これからやらねばならない事が山ほどある」
光秀は、馬に鞭を入れて、単騎妙心寺を目指して出発した。(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

 

リェーナ・カーチナ「t.A.T.u.は時代を超えたプロジェクト」(「リェーナ・カーチナ vs. t.A.T.u.」番外編)

リェーナ・カーチナの新曲「Вирус(ウィルス)」。2020年2月リリース。

恋わずらいは
肺をむしばむ
メディアは嘘をついた
ウィルスは命取りだと


Лена Катина - Вирус (акустическая версия) live


以下はロシアのテレビ情報誌『Teleprogramma』のホームページに2020年8月5日付で掲載されたリェーナ・カーチナに対するインタビュー記事からの抄訳(英訳からの重訳)。原文はこちら

<目次>

 

息子は芸能界には入れたくない

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リェーナ・カーチナと長男のアレクサンドル(=サーシャ)・ケイティン君。teleprogramma.proより。

10年前、リェーナ・カーチナはt.A.T.u.を解散、ソロのキャリアを選びました。新しい人生はうつ病とともに始まりましたが、彼女は何とかこれを克服。現在、カーチナは息子、家族、そして音楽チームに満足しています。コロナ禍における活動制限のもと、彼女はショー「マスク」に参加、ツアー再開を待っています。

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2020年3月、リェーナはロシアのTVショー「マスク(Maska)」に巨大な蜘蛛のコスチュームで登場、レディ・ガガの「ポーカーフェイス」などを披露。teleprogramma.proより。

A:リェーナ、サーシャは今何になりたいの?そしてあなたは息子さんをどんな職業に就かせたいですか?
Q:サーシャは一度にすべてのものになりたいんです!警官、消防士、運転手、機械工、そして芸術家...それは私たちが一緒にどんな本を読むか、どんな漫画を見るかによって変わるんですね。今のところ、この子がもっといろんな能力を持っているかどうかを言うのは難しい――学校に上がればそれが明らかになると思います。私はこの子が多面的な教育を受け、この子の好みに合った職業を決定し、安定した収入が得られればそれでいいと思っています。この子がどんな選択をしてもサポートするつもりですが、それがショービジネスではないことを心から願っています。
A:ショービジネス界で活動する子どもにとって、最も危険で難しいことは何ですか?
Q:ショービジネスの世界では、芸術全般と同様、保証や安定はありません。おそらくそれが天職と呼ばれる所以です――他の仕事はここまで不安定ではないからです。才能のある人はたくさんいますが、成功するのはごくわずかです。それにショービジネスは誘惑の世界であり、多くの場合、心身ともに健康に悪影響を及ぼします。私がこの世界に入ったのは運命です。私はたまたま選ばれて、まったく違う人生が始まったのです。最も困難だったのは「人気」という名の試練でした。特にあなたがまだ若くて、しかも全世界があなたを崇拝している場合、正気を失うのは簡単です。そうして私はやはり幸運でした。なぜなら私は「スター病」の初期の段階で、人気というものは急速に失われるものであり、あらゆる職業におけるプロに対する敬意とは全く異質なものだということを明確に説明してくれる家族や友人たちに恵まれていたからです。もちろん、背伸びしたいという誘惑(ドラッグやアルコールに関して)は再三ありましたが、結局それは私にとって魅力的ではありませんでした。ある種の内面的なタブーがあって――それはおそらく私自身の健全な成長のためのガイドラインだったのですね。さらに私はこれらの重い中毒のせいで、人々に何が起こるかを常に観察していました。だからショーがはねると本を持って部屋にこもり、「本の虫」と呼ばれたものです。

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2013年8月、イギリスの週刊誌『OK!』のロシア版の表紙を飾ったサショ・クズマノヴィッチ氏とリェーナの結婚式の写真。starhit.ruより。

A:母性の話題に戻りますが――あなたはサーシャのお父さんとの離婚後、友好的な関係を維持することができていますか?息子は父親とコミュニケーションを取っていますか?
Q:サショと私は常に連絡を取り合っています。サーシャは定期的に彼と連絡を取り、私は写真やビデオを送信しています(編集部注:サショはスロベニアに住んでいます。彼はスロベニア出身です)。私たちは9年間一緒にいて、サショは永遠に私の家族になりました。したがって、良好な関係を維持することはそれほど難しくありません。さらに、私たちには息子がいて、私たちは優先順位を完全に理解しています――子どもの感情が最優先です。離婚後もお父さんとお母さんは仲良くコミュニケーションを取る、それがあるべき姿だと思っています。

ユーリャが親友だったことは一度もない

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「20年前、リェーナ・カーチナとユーリャ・ヴォルコヴァは何百万人もの女子学生のアイドルだった」teleprogramma.proより。

A:ユーリャ・ヴォルコヴァやイワンと今も連絡を取っていますか?
Q:ユーリャとは長い間連絡を取っていません。私たちの交際範囲はかぶっていないのです。しかし私はヴァーニャとは連絡を取り合っており、またお互いに知り合いがいるので、私は常に彼が今何をしているのかを知っています。
A:ユーリャとのコミュニケーションをやめたのはなぜですか?
Q:私たちはまったく違う人間で、ただ同じプロジェクトに終始し、多くの時間を共にしただけです。もちろん、私たちは良い関係を保っていましたが、私たちが親友だったことは一度もありません。私たちは違うことに興味があるのです。もちろん一緒に仕事をする上で、他の誰もがそうであるように、小さな諍いもあれば、大きな対立もありました。2009年に初めてt.A.T.u.を解散し、次に2014年にソチ・オリンピックに出演するためにチームを組み、再び活動することに決めました。しかしその結果は共同作業の終わり以外にありませんでした。それは世間の目にさらされている多くの人々の問題、すなわちファンの期待の問題です。たとえば二人の俳優が映画の中で演技をする場合、ファンは実生活の中でも彼らが切っても切れない関係だと信じ続けます。しかしそれは演技が真に迫っていたことを示すだけで、スクリーンの外では誰もが自分の人生を持っています。だから「連絡を取っているか、いないか」というような質問は、私の意見では、いささか馬鹿げています。

イワン・シャポヴァロフは現代のツァラトゥストラ

A:シャポヴァロフはあなたにとって、あなたの両親よりも共に多くの時間を過ごす人となりました。舞台裏で何があったのですか?彼はあなたに対して苛立ちを見せましたか、それとも彼はいつも「家族の父」でしたか?
Q:イワンはいつも私たちとよくコミュニケーションを取り、私たちが今何をしているのか、なぜそうしているのかを説明してくれました。彼はこれについて決定的に時間をかけてくれたので、私たちはプロセスを理解し、整理することができました。彼は私たちに対して時間と忍耐を費やし、私たちはこれについてどんなに感謝しても足りません。「あそこへ行って、これを歌って」と指図するだけのプロデューサーの話を私はたくさん知っています。ヴァーニャは決してそうではなかった。彼はいつも注意深かった。私は彼を他のどのプロデューサーとも比較することはできません、彼はぜんぜん違うのです!ヴァーニャは常に彼自身のヴィジョン、彼独自のやり方を持っていて、アイデアで人々にスイッチを入れる才能がありました。彼はまるで現代のツァラトゥストラです。私は何よりも彼とスタジオで仕事をするのが好きで、ヴァーニャはいつも魔法でした。彼は何かしら、私から自分でも信じられない感動を呼びさます術を知っていた。彼は人を仕事に集中させ、正しいムードに持っていく術を知っていたのです。しかしツアーでは、彼は実際には私たちとともに出発せず、私たちは彼といつも一緒だったとは言えません…コンサート・ディレクターすら同行しないことがほとんどで、それは何よりもまず、私たちは月に30公演をこなしていたからです。

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2020年8月4日、イワン・シャポヴァロフはラジオ・コムソモリスカヤ・プラウダの音楽番組に出演。自らの新しいプロジェクトについて語り、「コロナ禍の世界における音楽の使命とは何か」との問いに「美は世界を救う。音楽は美と調和の顕現だ」と答えた。radiokp.ruより。

A:16歳のとき、あなたはすでに成功したアーティストとしてお金を稼いでいましたが、その頃から不動産に投資していたそうですね。今の生活は快適ですか?
Q:エアバッグを持っているので、活動を制限されていても快適に過ごすことができます。ただ「お金が出ていくのは、お金が入らなくなった時だ」という諺がありますよね。ちなみに、これは事実です。ですから、近い将来に仕事が再開されることを願っています――経済的安定のためだけでなく、精神的安定のためにも。私はステージが、コンサート会場の熱気が、旅が本当に恋しいのです...

t.A.T.u.は時代を超えたプロジェクト

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リェーナのパーソナル・アーカイブに保存されていた21年前の写真。teleprogramma.proより。

A:t.A.T.u.は多くの国で人気がありました。海外のファンは今でもあなたを覚えていますか?
Q:さまざまな国にたくさんのファンがいて、私は定期的に海外で歌っています。ファンの大部分はt.A.T.u.を愛するファンで、私のソロ作品も気に入ってくれています。私のソロ・プロジェクトに触れ、それを通してt.A.T.u.を知った新しいファンもいます。私たちのファンの愛は「無限以上」で、私はいつも長年にわたってあらゆる苦境で彼らのサポートを感じてきました。たとえば、今年の初め、t.A.T.u.のシングル「オール・ザ・シングス・シー・セッド」はSpotify(編集部注:オンライン音楽ストリーミングサービス)での再生回数が1億回に達しました。これはt.A.T.u.が時代を超えたプロジェクトであり、さまざまな世代の人々に関連していることをもう一度示しているように思えます。
A:t.A.T.u.が解散した時、あなたの心理学士としての卒業証書は役に立ちましたか?
Q:ご存じですか、すべての心理学者は自分自身の心理学者を持っていることを。もちろん、ある種の知識は私を常に助けてくれます。たとえば状況を分析することとか、物事を客観的に見ることとか。もちろん、t.A.T.u.が解散した時、それは私にとってはとてもつらいことでした。私はうつ病にかかり、カウンセラーに助けを求めました、彼は早い段階で私を助けてくれました。次には私の家族と友達が私を支えてくれました。私にソロアーティストとして活動を続けるよう勧めてくれたボリス・レンスキーや、私の個人的なアシスタントであり、友人でもあるオルガ(訳者注:オルガ・ルデンコ。リェーナの現在のマネージャー)や、曲を書くことを恐れるなと言ってくれたバンドのメンバーたちです。一般に、困難な時期には愛する人から助けを求めることが不可欠だと思います。今では、私を信じ、すべてを理解してサポートしてくれる素晴らしいチームができました。

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シングル「マクドナルド」のPV撮影中のリェーナ・カーチナ(右)とオルガ・ルデンコさん。 I love Lena Katina Chileさんのインスタグラムから。

もう一人子どもが欲しい

A:あなたの幸せな気持ちはどこから来るのですか?
Q:幸せは何物にも依存しない内なる感情です。結局のところ、生活の質は部屋の数やら、新しいスマートフォンやら、スピードの出る車やらに依存しません。生活の質は、あなたが今どれだけ幸せか、どれだけオープンかによって決まります。それが一番大事なことで、人生を楽しむのに欠かせません。素晴らしい息子、私と親密な関係にある素晴らしい家族、私の好きな仕事、そして素晴らしい友達がいるので、私は幸せです。もちろん、私にはやりたいことがたくさんあり、目的と手段とがたくさんあって、そのすべてが私の場合、非常に困難です。普通の人と同じように、捗々しくない時間や、絶望の瞬間があります。それでも私は自分を幸せ者だと思っています。今のところ完全に満足するためには、英語版EP(編集部注:ミニアルバム)のリリースと、来年予定している家の改装工事が必要です。それともちろん、生涯のパートナーと出会い、もう一人子どもを産みたいのですが、こればかりは神の思し召し次第ですね。あとは自力でできます。


次回はユーリャ・ヴォルコヴァのつい先日公開されたロング・インタビューの内容をご紹介するつもり。


リェーナ・カーチナのニューアルバム「Акустика(アコースティクス)」。2020年4月リリース。「Вирус(ウィルス)」等4曲のアコースティック・ヴァージョンを収録したミニアルバム。

Акустика

Акустика

  • 発売日: 2020/04/17
  • メディア: MP3 ダウンロード