「気づけないままワナにはまってた…」
BAND-MAIDの来年(2025年)のツアーの日程が発表されましたが、海外ツアーの予定は今のところないようですね。海外での「お給仕」がないと、ファンカムを上げてくれる人がいないので、個人的にはちょっと残念。
実は先日、上の動画ではありませんが(これはファンカムではない)、BAND-MAIDのアメリカでのある日のコンサートがまるごと入った2時間ほどのファンカムを見ていて、確か三曲目か四曲目がこの「alone」でした。「alone」を聴き直すのは、私は久しぶりだったのですが、音質のいいファンカムで、ヴォーカルの彩姫さんが冒頭、低音域ぎりぎりで歌う歌詞の内容が、日本人である私の胸にまっすぐに刺さってきました。
君の中に飛び込んだ
複雑な迷路みたいだ
いつまで経っても抜けられそうにないや
気づけないままワナにはまってた
Suffocating, running out of breath
(息が詰まる 息が苦しい)
どうしようもなくて
ただただ泣いた…
「中村淳彦の『悪魔の傾聴』みたいだな」と、ふと思いました。ただこれだけだと飛躍しているようなので、少し説明を加えます。
「傾聴の三原則」
「傾聴」という言葉に心理学的な意味が加わったのは、比較的最近のことであろうと思われますが、私の認識では、これはカール・ロジャース(Carl Ransom Rogers, 1902 - 1987)というアメリカの臨床心理学者の手法を日本に普及させようとする上で、この平凡な日本語に奇妙な負荷がかけられることとなったもののごとくです。とはいえこの「傾聴」なる言葉がロジャースの用いたどの言葉の訳語に当たるのかは、私にはよくわかりません。
ロジャースの「傾聴の三原則」なるものは、今日では専門家の領域を越えて広く知られているが、そのためにかえって表面的にしか理解されていない、と日本語版ウィキペディアには書いてあります。
- 無条件の肯定的配慮
- 共感的理解
- 自己一致
中村淳彦氏が『悪魔の傾聴』(2022年)で説かれているメソッドも、これと一脈通じるところがあるのですが、中村氏は別にロジャースを研究したわけではなく、ただインタビューの相手の「本音」と信じるものを引き出すべく、いろいろと試行錯誤しているうちに、似たような手法に落ち着いたということらしい。ただ中村氏の場合、「傾聴」の目的が要するに「売れる」記事を書くことなので、一見すると精神医療の専門家の場合よりも不純で軽薄でいい加減に思われますが、実は精神医療の専門家よりも中村氏のメソッドの方が徹底している。「いつも心に底辺を」などという座右の銘を掲げるお医者さんは日本中どこを探してもいないでしょう。「いつも心に底辺を」とは、要するに「自分は人間のクズである」という強い自覚を持て、ということです。でなければ「上から目線」を敏感に察知され、「底辺風俗嬢」の赤裸々な告白を聞き出すことなどとてもできないでしょう。
「二次受傷」の恐怖
この『悪魔の傾聴』という本の「はじめに」には、このメソッドを習得するメリットとして、こんなことが書いてあります。
- 話上手でなくても、相手にとって充実したコミュニケーションになる。
- 相手に対する理解が深くなる。
- インプットが増えて、視野が広がる。
- 相手に好感を持たれて、信頼される。
- 異性に持てる。
さらに「ビジネスだったら成約率はアップし、筆者のような著述業なら、いい取材ができて本が売れる可能性が高くなり」「男女間ならば関係が進行する」、従って「悪魔の傾聴は、収入があがって人間関係も広がり、婚活や恋活にも効いてくる」「メリットだらけ」の「魔法のようなメソッド」だという。
だまされてはいけません。この言葉には裏があります。そして著者の中村氏は、これを重々承知の上で書いています。
「二次受傷」という言葉があります。たとえば近ごろ日本では地震や大雨など災害が多いですが、被災者の物理的な支援の他に、いわゆる「心のケア」のために被災地におもむき、被災者の心の傷と向き合う専門家たちが、被災者と同様の心の痛みに悩まされることがある。被災者と同様のトラウマを抱え込み、夜眠れなくなったり、家族に八つ当たりしたりするようになるのです。この「二次受傷」については専門家たちの間では広く知られていて、研究も進んでおり、対策も講じられているようですが、中村氏の場合はぜんぜん別の世界で心の壊れた人たちと向き合っているので、氏自身、深刻な「二次受傷」をまともに経験している。私は氏の著作を全部読んだわけではないが、私が読んだ中では『名前のない女たち最終章』(文庫版、2010年)という本が一番面白かった。何が面白かったかというと、この「二次受傷」によって、「傾聴」に徹する中村氏自身の心が壊れてゆく様子がありありと窺われる、そこが面白かったのです。
「現実からの逃避行さ…」
この「二次受傷」に対する実戦的な対策を、中村氏はこの『悪魔の傾聴』の中でいろいろと上げているので、このメソッドを仕事などに取り入れようと思う人は、これをしっかりと習得すべきだと私は思うのですが、その一つに「受容力」を鍛える、というものがあります。そうして「受容力」は心理学の本などをいくら読んでも鍛えられるものではない、経験を積むしかないと中村氏は主張する。氏は強い希死念慮を抱いた若い女性とともに、その女性の自宅マンションの屋上に上がった時の例を挙げています(これも確か『名前のない女たち最終章』にあった話だと記憶します)。
女性:ここから飛び降りたらグチャグチャになるよね。薬飲んで助かったときは本当に苦しかったから、絶対に死ねるためにここなの。決めているの。
中村氏:死にたいっていつも思っているの?
女性:日常茶飯事だよ。見慣れた風景だもん。実は今も死にたいし、昨日も死にたかった。あの遺書を書いたときも一晩中、ここで悩んで躊躇した。一気に飛んじゃったら楽になるのにね。
中村氏:怖いよね。無理だよ。
女性:怖い。すごく怖かった。
中村氏:痛いだろうし。
女性:うん。
中村氏:死ぬのやめれば?
女性:飛び降りたくても、ここから飛べる自信はないし、いままで何十回とチャレンジしているけど、どうしてもできない。
こうして自殺は回避できたわけですが、中村氏が主張するのは、ここで一番いけないのは、相手の様子に驚いて、自分自身が取り乱してしまって、感情的に「死んだら駄目だ」などと発言することです。そのような独善的な発言は、かえって相手の反発を招き、結果的に相手を屋上から突き落とすことにもなりかねない。事実、この女性は「自殺を止めようとする人がいるじゃないですか。そういう人、すごく嫌。わたしに死なないでほしいのはその人たちのエゴであって、関係ないもん」とも言っているのです。
ただ、上記のような冷静な対応は、中村氏のように、常日頃から「受容力」を鍛えることを心がけている人だからこそできることで、われわれ素人がたやすく真似できるものではありません。ここに「悪魔の傾聴」における「悪魔のワナ」があるのです。相手の心の傷と正面から向き合い、相手の本音を「傾聴」することに大成功を収めたあげく、自分自身の心も壊れてしまって、上のBAND-MAIDの歌詞にもあるように「どうしようもなく」なり、「いっそ一緒に死のうか?」てな結論に突き進むこともあり得る。事実、若い人たちの場合、このような最悪の結果に向けて突っ走ってしまう例も少なくないのであろうと察せられる。BAND-MAIDの「alone」の歌詞の最後の、
現実からの逃避行さ…
というフレーズは、このぎりぎりの崖っぷちで踏みとどまろうとする意志を示した言葉だと思います。