魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の参

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吉田兼見(兼和)像。國學院大學図書館所蔵。ウィキメディア・コモンズより。
④光秀、密かに吉田兼和の屋敷を訪問する

光秀は予定通り、吉田兼和かねかずの屋敷に到着します。家人に取り次ぎを頼むと、兼和は玄関まで出迎えに来ました。
明智殿、さあ上がられよ。で、安土の様子はどうです」
この兼和は、吉田神社の神主を務めると同時に、神道を司る神祇大副じんぎのたいふの役職に就き、尚且つ情報通でもあります。細川幽斎の従兄弟に当たります。後に兼見かねみと名をあらため、日記『兼見卿記かねみきょうき』を遺しています。光秀とは細川幽斎の仲介で、既に十年来の付き合いがあります。更に兼和は光秀を介して信長に謁見を果たしています。後に『兼見卿記』は兼和自身の手に依って、光秀との交流の部分が改竄されました。
部屋に上がった光秀は、言います。
「まず、お人払いを願いたい」
兼和は侍女を下がらせます。
「では、これから申すこと、他言無用に願います。よろしいですね」
兼和は、何時いつにない光秀の迫力に気圧けおされた。
「この光秀、このたび信長公より出雲・岩見の二国を拝領いたしました」
「ほう、それは目出度いことではないのですか」
「いや」
光秀はゆっくりとかぶりを振った。
「そのかわり、丹波・丹後の両国を私からお取り上げになりました」
光秀が只愚痴を言いに来たのではないことを、その様子から看取した兼和は、要領を得ないまま、光秀に話の先を急がせます。
「それで、信長公のお考えとは何でしょう?」
「私を京から追い払い、みかどを成敗されるおつもりです」
「帝を成敗?畏れ多くも、帝に対して何というお言葉を・・・」
「いいえ、言葉の問題ではないのです」
「帝を弑逆すれば五臓が腐り、呪われ死にするのですぞ」
「私は比叡山の焼き討ちの際も、同じような噂を聞いた記憶があります。呪詛の本場・比叡山を焼けば、五臓六腑が腐り・・しかし実際には何も起こりませんでした」
迷信深い兼和も光秀の言葉に黙るしかありませんでした。確かに比叡山延暦寺は加持祈祷・呪詛呪法等の一切を担い、信長との交渉に応じようとしませんでした。自らの『聖域特権』を恃んで驕慢な旧態依然の態度でした。しかし、現実主義者の信長はそれを認めなかった。呪うなら呪ってみろ。祟るなら祟ってみろ。信長は『天下布武』を非情な手段で実現します。
現実主義者信長は、目に見えない抽象的な”権威“を断じて認めず、邪魔者は排除する。焼き討ちは躊躇ためらわず行われました。抑々そもそも征夷大将軍位の権威を持つ義昭を奉じて上洛したのは信長なのですが・・・矛盾を感じないのが信長か?
「手始めに信長公は、天皇親派の私を京から追い払われました」
「あなたの領国が召し上られたのはお気の毒ですが、それが信長公が帝を成敗する証拠となりえますか?」
「もう結構。私の望みは、今の話を内裏にお知らせ願いたいということです」
「内裏と言われても、一体誰に?」
「出来れば直接帝に」
「とても無理です」
「では、帝に直接お目通りできる方に」
「心当たりが無いわけではないが、只今のあなたのお話を理解していただけるかどうか」
「兼和殿、心当たりとはいったい何方どなたなのですか?」
兼和は目を剝いて言った。
太政大臣近衛このえ前久さきひさ様でございます」
実は最近、兼和は近衛卿から、信長の身辺に少しでも変わったことがあれば報告するよう仰せつかっていました。いい機会だから、近衛邸を訪ねるのも悪くはないだろう(本来は家格の違いで、兼和の側から近衛家に訪問はできないが)。取り敢えず、光秀の領地召し上げの件だけを話しておけば用は足りる。
「わかりました。その旨、お伝えしておきましょう」
「いつですか?今すぐお願いしたい」
「相手は近衛様ですよ。無理をおっしゃらないでください」
「では手紙を渡すだけなら」
「ええまあ、手紙を置いてくるだけなら今すぐ・・・」

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矢立は携帯用筆記具容器で、墨を入れる壺と、筆を入れる筒とから成る。ウィキメディア・コモンズより。

光秀は、いきなり矢立から筆を取り出すと、懐紙にその場で短いふみをしたためます。書き終えると小さく折りたたんで、兼和の前に差し出しました。
「これを太政大臣へ。ただしお読みになられた後は、ただちに火にくべていただくよう、お伝え願います」

⑤兼和、光秀の依頼を受ける。

情報通ではあるが、腰が定まらず、政治的センスに欠ける吉田兼和には、光秀の焦燥感は伝わりません。それどころか自分も正気を疑われてしまうと不満を感じながらも、兎も角二条御所近くにある近衛の屋敷に到着します。家人に取り次ぎを頼みます。
吉田兼和近衛前久様に織田家のことでお耳に入れたいことがあり、参りました」

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引き上げられ、釣り金具で留められた蔀。法隆寺聖霊院。ウィキメディア・コモンズより。

兼和は奥に通されました。しとみを落として、昼なお暗く、燭台の灯りを頼りに御簾みすの向こう側にいる近衛前久と会話をします。
明智とは、確か坂本城主。織田家中でも名のある武将と聞いているが」
「はい、その通りでございます」
「その明智がどうかしたのか」
「つい最近、領地の丹後・丹波を取り上げられたそうで」
「それは確かなことなのか」
「本人から直接聞きましたから」
「本人?では明智は今、都にいるのか」
「はい」
御簾の向こうで暫く沈黙が続きます。
「兼和、何か思い当たることがあるのか?」
「光秀の世迷よまごとでしょうが、畏れ多くも信長は帝を亡き者にしようと計画を・・・」
御簾の中は、より一層重い沈黙に包まれた。
「帝を亡き者とするのと、領地返上とどういう関係があるのか?」
「丹後・丹波は京のすぐ近くです。しかも光秀は帝をお慕い申し上げております」
「それゆえの領地召し上げか?」
「ただの思い過ごしと存じますが・・・実は、光秀より手紙を一通預かってきているのです」
く、それを見せよ」
「しかし、世迷い言では・・・」
「よい、見せよ!」
前久の何時にない剣幕に驚いて、御簾の下から手紙を差し入れた。
再び、御簾の中は重い沈黙に支配されたが、低いうめき声が聞こえた。
次の瞬間、御簾の中がパッと明るくなった。手紙が燃え滓となったのだ。
「兼和、明智光秀をここに呼ぶことは出来るか?」
「それは勿論できますが・・・何時がよろしいでしょうか?」
「今すぐじゃ!」
兼和は近衛前久の剣幕に押され、息を切らせて帰宅した。待機していた光秀に、直ぐに仕度して、自分とともに、近衛邸に参上するのだと告げた。道々兼和は、一体自分は何をしているのだろうと思った。二人はやがて、近衛邸に到着した。今度は取次無しで奥に通された。
御簾が巻き上げられた状態で、前久と光秀は対面します。武家の光秀には破格の扱いです。
明智惟任日向守にございます」
「近衛です」
形通りに初対面の挨拶をします。
「手紙を読みました。あれは確かなことなのですか」
「確たる証拠はありません。しかし・・・」
「惟任どの、ご存じかどうか、信長は昨年より作暦にも口出しをしているのです」
「作暦・・・」
色白のぽっちゃりした顔立ちに、腫れぼったい眼をしている近衛前久は、言葉を続けます。
「朝廷には朝廷の暦、地方には地方の暦があります。朝廷の暦は公のものです。お互いに強制されたものでもなく、共存しています。しかし、それをいいことに、朝廷に地方の暦に従えというのは、本末転倒も甚だしい。もっての外です。暦の件は承知せず、信長も取り下げたが、今年になって蒸し返してきました。しかも帝は、英断を以て、信長を征夷大将軍に推挙する旨、決心された」
「信長公に将軍位を・・・」
光秀には初耳です。
「そうです。ところがにべもなく断ってきました。理由は言わず、勅使は門前払いですよ」
この数ヶ月、近衛前久は、信長の不可解な行動に悩まされ続けたが、今日光秀の手紙を読んで、正解に行き当たったと直感した。信長は天皇を廃絶するつもりだ。天皇を滅ぼす肚だ。作暦に口を挟むのも、朝廷に無理難題を吹っかけるのも、拒否すればそれを口実に攻める肚だ。
征夷大将軍位も要らない訳だ。信長の行動は首尾一貫している。
「朝廷としては、今後どうすればよいとお考えか」
前久は、心を奮い立たせて光秀に尋ねた。
「黙って手をこまねいているわけにはいかないと思います。」
近衛前久は重い沈黙の後、深く頷いた。
光秀は躊躇わずに言った。
「帝におかれましては、詔勅を発出されて、信長公を討伐するよう、天下に号令されるのが最善かと」
近衛は、一層重い沈黙の後、深い溜息をついて言った。
「もっと穏やかな策はありませんか」
光秀は沈黙を続けながら、静かに首を横に振った。
「もし信長が動くとしたら、何時頃になりますか」
「毛利攻めの後ゆえ、半年ないし一年後。猶予はありません。毛利攻めで、将軍義昭の首をあげ、返す刀で帝の首を刎ねんとすることでしょう」
余りの言葉に、兼和が光秀を諫めるが、光秀は構わず続けた。
「このまま黙っていれば、公方くぼうの首と帝の首とが仲良く洛中の見世物となってしまいます。手遅れになる前に。それどころか、この会見が露見したら、今日明日にでも御身の一大事」
明智殿に信長を諫めるのは出来ないのですか」
「私に信長公と刺し違えて死ねと仰せですか。私に死ねと仰せならば、帝から直々に“信長を討て”とのお言葉を賜りたい。直ちに檄を飛ばして、反織田家の勢力を結集いたします」
近衛は、慌てて手を挙げた。
「いや、待たれよ。私の一存では決められぬ」
光秀は、思わず前のめりになった姿勢を戻し、大きく息をついて、静かに言った。
「近衛殿、最後に一言。事を起こそうというのは、私自身の“義の心”によるものです。信長公を討つチャンスは、今日より七日間のうち、京都に滞在する日しかない。それまでの間、私に帝のお言葉“信長を討て”を賜るよう、お働きください。それでは私はこれで」
光秀は深々と頭を下げ、ついと立ち上がり、足早に出て行った。
残された近衛と兼和は圧倒されて声も出なかった。(続く)
 

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

 

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の弐

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大英博物館に展示された江戸時代のからくり人形。「茶坊主」ってこんな姿をしていたんでしょうか。ウィキメディア・コモンズより。
③光秀、饗応役を外される。

茶坊主に取り次ぎを頼んだのは、光秀のまかなかたの若者でした。彼は青い顔をして言いました。
「さきほど、上様が台所に見えまして、今夕の家康殿歓迎の宴会に馳走する予定の魚(鯛)の事で、まかながしらをかなりの勢いで叱り、惟任これとう日向守ひゅうがのかみ光秀)を呼んで参れとおっしゃいました」
それで慌てて光秀を探していたのでした。光秀は、兎に角台所に急ぐこととし、うわずった声で「急用ができた」と家康に別れの挨拶をしました。
台所に駆け込んだ光秀は、普段と変わりない様子に拍子抜けしますが、恐縮のていの賄い方責任者、弥市やいちに話を聞きました。
信長激怒の真相は、賄い頭の片付け忘れが原因です。用心の良い光秀は、もてなし用の魚を、堺と、少し遠い瀬戸内の二箇所から仕入れていたのでした(もてなしに使う鯛は一尾だけです)。光秀の指示どおりに、瀬戸内産の魚は捨てたはずでしたが、賄い方の迂闊なのか、単なる横着なのか、魚は台所棟の軒下に放置され、腐臭を放っていました。何時いつになく家康へのもてなしに意気込んでいる(喜んでいる?)信長は、その臭いを咎め、『お前は腐った魚を出すつもりか』『惟任の指図か、直ちに呼んで参れ』と立腹したわけです。
その後、今夜の宴会に出す魚を見て納得した信長が気を静めたと聞いた光秀は、心の底から安心しました。
夕刻から始まった宴会に、光秀は、紫の地に桔梗紋ききょうもんをあしらった直垂ひたたれ、頭には風折烏帽子かざおりえぼしをつけて、廊下に控えていました。正装です。
宴会は、家康と梅雪との上洛へのねぎらいの言葉、本領安堵の言葉とともに、順調に進み、信長もいつになく上機嫌で、盛り上がりました。
信長は皆に「そのまま宴会を続けよ」と言いおいて、中座して小姓に光秀を呼びにやらせ、小書院こじょいんに姿を消しました。そして光秀にあっさり告げます。
「接待の役、大儀であった。役を解く。明日にでも坂本へ帰れ」
光秀は驚いて顔を上げました。
「私に何か落ち度がありましたか?」
信長は答えず、中国戦線で毛利と戦っている秀吉の書状をポンと投げつけた。
「私は毛利攻めに出向く故、その方にも出兵を命じる。坂本に帰って戦仕度をせよ!」
かしこまりました。で、出発はいつ?」
「六月の一日。私は二日程遅れて進軍する。その方は先んじて秀吉と合流し、到着を待て」
「しかしながら、戦仕度は五日あれば充分でございます。何故接待の役を降ろされるのでしょうか?用意した魚のことで不調法ぶちょうほうがあったと聞き及んでおりますが」
「話はそれまでじゃ」
信長は立ち上がり、怒りのあまり蒼白となった顔で光秀を見下ろした。
「もうよい。下がれ!」
「は!」
信長の凄まじい殺気を感じた光秀は、転がるように書院を出ましたが、控えの間に移動しても胸の動悸は収まりませんでした。
家康への接待は、五月十五日から二十日にわたって行われたが、光秀は初日で降ろされました。
信長はまさか、光秀と家康が、いずれ共同謀議を図るとでも想定したのでしょうか。
ここで筆者が思うのは、信長と光秀とは人として相性が悪かったのではないかということです。光秀ほど信長に打ち据えられた家臣も珍しいのではないでしょうか。
信長よりやや年嵩の家臣の光秀は、常に正論を言い、落ち着いた挙措動作をします。主君の信長は、神出鬼没で常に動く人です。そして感情の起伏も激しく、家臣には恐怖政治を敷いています。信長は理屈抜きで光秀の落ち着いたたたずまいが癪に障って、「この訳知り顔の金柑きんかん頭が」等の言葉が口を衝いて出てきたのではないでしょうか。

④坂本への帰還

光秀は、五月十七日昼前に坂本城へ帰り、正室のおひろの方や家臣の明智左馬之助・斎藤内蔵助利三等の出迎えを受けます。家臣に中国戦線の仕度と日時を指示すると、二の丸で寛ぎかけたタイミングで、信長からの上使が来ます。
上使青山与三右衛門よそうえもんは、坂本城客殿で信長の書状を読み上げます。
『此度、惟任日向守儀、岩見、出雲をたもうものなり。丹波、丹後両国は、これ召し上げ候ものなり』
青山は、書状を裏返して、光秀に、差出人信長の文字と印とを確認させると、逃げるように帰ってゆきました。
光秀は混乱します。たまわるとはいえ出雲と岩見は攻略中で、平定しない限り、領国にはなりえません。そして、召し上げられる丹波・丹後はこの十年、自ら心血を注いで、丹念に国作りをしてきたところです。上様は、家臣や家族を抱えたこの私に死ねとの仰せなだろうか。他にも狙いがあるのだろうか?
その夜、光秀は、身体中に汗をかく嫌な夢を見ます。比叡山焼き討ちの際、自分も信長に生首にされ、延暦寺の僧侶たちと一緒に燃やされる夢です。逃げたくても胴体がありません。聞こえるのは信長の哄笑のみ。思わず恨み言を投げつけます。
そこでお煕に揺り起こされました。この時、遠くにぼんやりと見える比叡山が近づいてくる幻覚に陥りました。お煕が声を掛けます。
「あなた、大丈夫ですか?」
「ああ大丈夫だ。今日はどうかしている」
光秀は床を抜け出し、庭石に腰を掛けて、独り言をいいます。
「あの時もそうだった」
「あの時?」
思わずお煕も聞き返します。
比叡山の焼き討ちの時も信長公は、一人で決められた。私はやるだけだった。信長公は思い付きで動いているように見えて、何か月もしくは何年も前から計画して、行動している」
光秀が普段の様子でないなら、お煕も普段通りではなく、光秀の仕事に口を挟まずにはいられません。
「どうかなさいましたか?」
光秀は両手で顔を覆って言った。
「やっと分かった」
「何がお分かりになりましたか」
「お前は知らぬ方がいい」
お煕は素直に頷きました。
「私は一両日城を空ける。誰にも知られてはならない。尋ねる者があれば、病気だと追い返せ!」
「はい!」
光秀は頭を抱え、
「なんということを・・・」
と、何かに取り憑かれたかのように、繰り返し呟いた。
翌朝、光秀は京都に向けて馬を疾駆させます。坂本から京都までの近道、比叡山の急峻な坂道を駆け上がり、駆け下りる道を選びます。(続く)

 

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

 

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の壱

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摠見寺(滋賀県近江八幡市安土町)の二王門。国の重要文化財に指定されている。ウィキメディア・コモンズより。

表題の作品につきまして、一天一笑さんから再度紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。なお前回の記事はこちら

はじめに

1582年(天正10年)6月2日に起こった本能寺の変へのスプリング・ボ-ドは何であったのか。明智十兵衛光秀の心の動きを時間軸と共にミステリ-タッチで描いた歴史小説です。又敗れた側からの約一か月間の戦国武将の手記という一面もあります。
時間軸は、1582年5月15日から6月15日迄を前後に行き来します。
6月1日に京都を出発し迷走し、6月2日に瀬田大橋を迂回し坂本へ戻るまでが、一番詳しく描かれています。
6月2日を境目として、第一部と第二部に分かれています。

第一部 5月15日~(信長の誕生日の4日後)

冒頭にイエスズ会宣教師ルイス・フロイスの『完訳日本史』中公文庫の一節が取り上げられています。
余談ですが、ルイス・フロイスによる光秀の人物評は芳しくありません。曰く“狡猾で残虐な人物、計略と策謀の人物”と評されています。
ここで最も注目すべきは、信長が自分の誕生日(5月11日?)を身分や立場を問わず祝えと領内にお触れを出し、お金を取って自分自身を拝ませた暴挙を我らの主イエス・キリストが許すはずがないと書き遺している点です。
第六天の魔王信長は、神になろうとしたのか?当時の日本には特定の人の誕生日を祝う習慣はなかったものと思われます。
以前筆者が紹介した『家康の遠き道』では人生の仕上げとして、日光東照宮に自分自身を神として祀らせる準備に勤しむ家康の奮闘ぶりが描かれています。
乱世には往々にして自分自身が神になる必要性をもった人物が出現するのかもしれません。

完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変―織田信長篇(3) (中公文庫)

完訳フロイス日本史〈3〉安土城と本能寺の変―織田信長篇(3) (中公文庫)

 
①光秀、信長の命令により徳川家康穴山梅雪をもてなす。

徳川家康穴山梅雪(武田家親類衆筆頭、正室武田信玄の次女)は、各々の所領(家康は駿河遠江)を安堵された御礼言上のため、安土までのぼって来ていた。後に二人とも本能寺の変勃発により過酷な伊賀越えをし、家康だけが生還する。詳しくは伊東潤峠越え』をお読み下されば幸いです。
二人に礼儀正しく挨拶した光秀は、梅雪を典型的な田舎武将とみて余り本気で相手にしません。何事にも心利く家康は梅雪に「織田家随一の家臣、明智殿だ」と紹介します。光秀は、主・信長に“私をもてなすと同じ心得で家康殿をおもてなし申せ”と命じられているから、当然メイン・ゲストは家康と想定しています。
二人くつわを並べながら、安土城の大手門をくぐり、緩やかな石段の大手道へ入りました。
梅雪は、安土城の壮麗さに夢中になっています。
家康と光秀の話題は、自然と織田家菩提寺摠見寺そうけんじの事になりました。
「信長公の誕生の祝いは盛大なものだったと聞いています」
光秀は苦笑しながら言いました。
「参道は数千人の人で埋まり、彼らは押し合いへしあいしながら、寺を参拝しました。参拝後、更に坂を上って、天主から二の丸を見てまわるのですが、その途中に床几を出して坐っているのが信長公その人であったのです。人々は信長公を拝んで通過してゆきました」
「ほお!」
「殿は、自分を拝ませるのに、庶民から銭を取りました」
家康はオウム返しに言った。「え・・・銭を・・・」
「はい。十文・二十文の小銭ですが、殿は民百姓から銭を取って自分の姿を拝ませたのです」
「それは・・・」
さすがの家康も呆れて、声を上げて楽しそうに笑いました。
光秀は宿泊所の大宝坊(信長が家康のために新築させた、青畳の香りのする屋敷)に、家康を案内がてら言いました。
「明日は、夕方から信長公ご臨席で宴席がありますが、それまで数刻、時間がございますので、安土の町をご案内申し上げようと存じますが・・」
「それは何よりです。有難く」
「不調法で何かといたらないと思いますが、安土にはいろいろと珍しいものもあるかと」
光秀は丁寧に頭を下げて、静かに家康の前から出ていきました。

②5月16日、光秀、家康らの観光ガイドをする(安土城下)

光秀は、先ず家康と梅雪をセミナリオ(信長の肝いりで作られた神学校)の門をくぐります。

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1596年刊の『教皇グレゴリオ13世伝』に掲載された安土セミナリオの全景。三階建て瓦葺き。滋賀報知新聞のホームページより。

オルガンが設置され、日本人宣教師・三浦パウロや洋装の少年の聖歌隊も居る広大な敷地を持った本格的な神学校です。
田舎者梅雪は、昨日から目にする光景に驚きやら、感激の連続です。特にオルガンの響きに、圧倒されます。
三浦パウロに堂内を案内された武将・家康は、マリア像は兎も角、脇にある十字架上のイエス像を見て、「あの磔の男が・・・」と言い、不満足な表情を浮かべました。
そして、自らも戦の過程で敵方の将兵を磔にした家康は、彼らが神でない事を熟知している。又南蛮の技術(鉄砲)が日本の戦の仕方を変えてしまった事実から、家康は南蛮の技術が日本を変えていく恐ろしさに身震いをしました。
この経験が後年家康をして、鎖国キリスト教布教禁止の方針を決定させたのかも知れません。

安土城下で、家康が最も興味を示したのは、商いをする際に上納金を治めなくて済む、楽市楽座の仕組みでした。『家康の遠き道』の商売上手な家康を予感させます。
勿論光秀は、摠見寺(本堂には盆山ぼんさんと呼ばれる信長自身を象徴する石が祀られている)も、嶮しい山頂にある安土城城内をも、信長の許可を得て案内しようとします。
セミナリオで勧められた葡萄酒で気持ちよく酔っぱらった穴山梅雪は、とても急峻な坂道を上る気はなくなっていて、宿泊所へ引き返します。
安土城は、外観は五層、内部は七層からなっている。
築城の名人でもある光秀は、三層から始まる住居を六層まで丁寧に案内します。
安土城内の各部屋の襖は、狩野永徳が精魂込めて描いた、金箔と群青をふんだんに使った壮麗な絵が描かれていました。
六層は、正八角形のお堂の形(法隆寺夢殿風)で、まわりに華灯窓かとうまどが並び、壁面は金箔を地に使い、緑の昇り龍と赤の下り龍が配されていました。

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龍泰寺位牌堂2階の花頭窓(=華灯窓)。佐賀県佐賀市赤松町。ウィキメディア・コモンズより。

光秀は、最上階の黄金の間まで案内する予定でしたが、家康は遠慮しました。
安土城からは、北に琵琶湖、南に安土城下、そして東西には中山道が京都まで通じている様子が眺望できます。
光秀と家康との話題は、織田家中の近況、越前の戦況、秀吉の中国攻めの様子に移ります。二人とも肉親を信長の指図によってうしなっているので、家族の話題は気まずいのです。
家康は光秀こそ織田家中筆頭の出世頭と言いますが、光秀は「私より羽柴秀吉殿が第一だ」と言います。
いつも慎重な家康が呟きます。
羽柴秀吉殿・・・私はどうもあの御仁が苦手です」
光秀は驚いて家康の顔を見ました。
「たしかに才気と胆力がある。しかしいくら食べても飢えを癒すことのできない餓鬼地獄を見るようで・・・」
家康は相好を崩して言った。
「や!これは失言でした。どうも光秀殿の前だと気が緩んでしまいます」
家康の笑顔につられて、いつしか光秀も一緒に笑っていました。
光秀は、家康を本丸に案内しながらも、秀吉との14年前の初対面の際の、あの遠慮のない物言い、バッサリと袈裟懸けに斬られたようないや~な感覚が甦り、しばしの間、注意力が散漫になりました。どうしても秀吉のことで頭が一杯になってしまうのです。
家康の「けっこうなお庭ですな」の言葉で現実に戻りました。
光秀が茶を淹れさせようと茶坊主を呼ぶと、茶坊主が光秀に耳打ちをしました。
光秀は「しばし失礼させていただきます」と慌ただしく席を立ちます。いったい何が起こったのでしょうか?(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

 

眠り姫

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エドヴァルド・ムンク作『愛と痛み』 。ウィキメディア・コモンズより。

これはあるOLさんから聞いた話です。仮にA子さんとしておきます。
A子さんには昔、B子さんという悪友がいた。悪友と言うわけは、友だちとして付き合っていた十代後半から二十代初めまでの数年間を通じて、このB子さんという人は、少なくともA子さんの記憶に残る限りでは、悪い友だちとしか言いようのない人だったからであります。知り合ったのは高校二年のころ、同じクラスで、初めのうちこそ意気投合していましたが、次第にB子さんの奔放な行動様式にはついていけないと感じるようになった。極めつけは高三の冬、B子さんが首謀者ではないにしろ、一枚噛んでいると見られたある悪事について、A子さんは何の証拠もないにもかかわらず、ただB子さんと親しいというだけで共犯と見なされ、一朝にして多くの友だちを失った。卒業間際になって疑いは晴れましたが、一度失ったものが帰ってくることはありませんでした。
当然のことながら、A子さんはB子さんのことを疎ましく思うようになり、卒業で縁が切れるのが内心うれしくてたまらなかった。ところがその年の春、自宅から遠く離れた大学に通うようになってから間もなく、語学のクラスでA子さんはB子さんとばったり出くわした。A子さんは天国から地獄へ突き落とされた気分だったが、先方は飛び上がって喜び、この再会を「運命」と呼んだそうです。今にして思えば、B子さんは自分に輪をかけて人望を失っていたわけだから、その分よけいに淋しかったのかも知れない、とはA子さんの述懐の言葉です。
もともと金使いの荒かったB子さん、大学生になってからはますます磨きがかかった感じで、やがてA子さんは食事をおごってもらったり、服を買ってもらったりするようになり、かつての腐れ縁がなしくずしに復活してしまった。何でもB子さんはご両親にたいそう憎まれており、学費+生活費+豪華マンション+莫大な額のお小遣いをくれてやるから二度と実家に近づくなと言われたとのこと。こんな話も、B子さんはまるで自慢話をするかのようにするのでした。
ある夜、何かの飲み会の帰り、B子さんはその豪華マンションへとA子さんを誘った。「ええもん見せたげるわ」
仕方なくついていくと、すぐにB子さんの寝室に通され、いつもはB子さんが使っているベッドに、今は見知らぬ少女が眠っている様子を見せられても、A子さんは少しも動揺しなかった。B子ならやりかねん、と思ったからです。そうか、この淫乱娘、とうとう同性にまで手を出すようになったか。
「コトが済んだら、はようちに帰したりや。親御さんが心配しはるやろ」
「えー?何でー?何で手放さなあかんの?こんなに可愛いのに」
B子さんは大きな黒いひとみをぱっちりと見ひらいて、A子さんを見た。
B子さんが言うには、この少女(仮にC子さんとしておく)は、もう一週間もの間このベッドで眠り続けているのである。ある夜、これまた遅くまで飲んだ帰り道、このマンションの前に倒れているC子さんを見つけた。自分が酔っていたものだから、この子も酔いつぶれているものと思い込んでしまった。初めのうちこそB子さんが「大丈夫?歩ける?」などと声をかけると「はい…」と蚊の鳴くような声で返事をし、B子さんの腕にすがりながらも何とか自分の足でこの部屋まで歩いてきたように記憶するが、このベッドに横たえた途端、水を得た魚ではなくて、棺桶を得た死体みたいに動かなくなってしまった。とは言え心臓は動いているし、呼吸はしているし、口の中に水を流し込めばひとりでに飲んでいるから、命に別状はないのであろう。身の回りの世話はすべて自分が責任を持ってやっているから問題はない。からだは毎日拭いてやっているし、食事は毎日口移しで与えているし、しもの世話も抜かりなくやっている。「ほら」と言って、ここでB子さんはC子さんが着ている(と言うか、着せられている)ガウンの前を開いて、成人用の紙おむつを指さしました。
「あんた、アホちゃう?自分が何やってるか、わかってんの?はよ警察呼んで保護してもらうか、せめてお医者さんにでも診せたげなさい」
「何でー?こんなに可愛いのに」
確かに可愛い子ではあった。と言うか、きれいな子だった。年は恐らく(当時の)自分たちより二つ三つ下、女子高生と見てまず間違いはあるまい。小柄で、ほっそりした体つきで、色白で、ゆるやかにウェーブのかかった長い髪をして…しかしこのように語りながら、A子さんは胸に一抹の疑念がきざすのを禁じ得ないのでした。C子さんは果して本当に生きた人間だったのであろうか。A子さんがC子さんの「実物」を見たのは後にも先にもその晩かぎりでしたし、その晩はA子さんも、B子さんと同様かなり酔っておりましたし、今あらためてあれは等身大の人形ではなかったのかと自らに問うてみても、確信を持って言えることは何一つなかったたのであります。しかしその晩は、A子さんにとってはC子さんのことよりも、むしろB子さんの様子の方が気がかりというか、不気味だった。酔眼をぎらぎらと光らせながら、「可愛い、可愛い」を連発するB子さんの濡れた唇は、今にもよだれを垂らさんばかりに見えた。こらアカン。こいつは完全に正気失うとる。下手すると、急にあばれ出して、人に危害加えんとも限らん。あんまり刺激せん方が身のためや。そう判断したA子さんは、その場は早々に退散いたしました。

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シャルル・ネグレ作「レダと白鳥」。ウィキメディア・コモンズより。

それ以来、B子さんは、キャンパスでA子さんを見かけるたびに、呼ばれもしないのにすりすりとすり寄ってきて、訊かれもしないのにC子さんの話を得々とするようになった。A子さんとしては、B子さんの話がすべて作り話であってくれればいい、と思っていた。「ああ、あの子?あれは親戚の子が一晩泊まりに来てただけや」などと軽く流してくれればいい、と思っていた。ところがB子さんの話はそんなA子さんの願いとはうらはらに、ますます薄気味悪く、おぞましいものとなってゆくのでした。まとめると以下のようになります。
あの夜、C子さんをマンションの前で拾ってベッドに寝かせたまでは嘘はないが、その後の出来事で、まだA子さんには話していなかったことがある。実はC子さんが眠り込んでしまったのを見て、寝苦しくないようにと、上着を脱がせ、ブラウスのボタンをはずしているうちに、まったくの出来心から(B子さんはこの点を強調した)、彼女のブラウスの下へと手を忍び込ませてしまった。怪しい気分の高揚があった。気がつくと、B子さんはC子さんを裸にして、全身を撫で回していた。至福の時が流れた。B子さんはいつしか眠りに落ちてしまいました。
翌朝、明るい日ざしの中で目を覚ましたB子さんは、C子さんが昨夜のままの姿で眠っているのを見て、ひとまず安心した。とは言えB子さんの心は必ずしも晴れ晴れとしたものではなかった。その原因の一つは頭痛であり、また身体中の骨を抜き取られたような脱力感であって、それは恐らく昨夜の深酒が祟ったものだったのでしょう。しかしそれ以上にB子さんの心を暗くしていたのは、大変なことをしてしまった、人間として、してはいけないことをしてしまった、という罪悪感で、この「罪悪感」という言葉自体はB子さんは使いませんでしたが、その代わり「ものすごくうしろめたく、後味が悪かった」と語ったということです。しかしそれにもましてB子さんにとって恐ろしかったのは、昨夜B子さんがC子さんに対して為した行ないを、眠っていたはずのC子さんが何らかの形で記憶していて、それを他人に暴露することでした。確かにB子さんは「前科者」であった。と言っても、別にB子さん自身が警察のご厄介になったわけではないのですが、B子さんの悪評は地元では知れ渡っており、帰省すれば必ず後ろ指をさす人間がいるのである。だから今さら罪名が一つ二つ増えたところでどうということはない。B子さんは常々そのように自分自身に言い聞かせてはいたのですが、まさか年下の同性(それも無抵抗の)にいたずらをしたというような汚名を背負って生きていく勇気は、少なくともその時点では、B子さんにはなかった。C子さんがそのうち目を覚ましたとして、もし彼女が昨夜のことを覚えていた場合、どうするか。最悪の場合、口止め料としていくら必要か。そのお金はどうやって工面すればよいか。そのような打算が、B子さんの頭の中を駆けめぐりました。B子さんは見栄っ張りで、人前ではいつも大金持ちのように振舞っていましたが、お金はあればあるだけ使い切ってしまうタイプだったので、親御さんから莫大な額の仕送りを受けていたにもかかわらず、懐の中はたいてい素寒貧すかんぴんなのでした。
お昼になりました。午後からはどうしても出なければならない講義があったので、B子さんは置き手紙を書いた。「おはよう。私は○○大学二年生のB子というものです。決して怪しいものではありませんから、安心してね。昨夜あなたがこのマンションの前に倒れていたので、私の部屋で休んでもらいました。あなたが着ていた服は、この部屋を出た左手の部屋のクローゼットの中に吊るしてあります。お腹が空いたら、廊下の突き当たりのキッチンに冷蔵庫があるから、好きなものを出して…」というようなことをこまごまと書いた最後に、自分は何時までに必ずここへ帰ってくるから、そうしてあなたのことは責任を持って自宅まで送り届けてあげるから、決して勝手に外へ出て行かないように(生体認証式のオートロックですから、出たくても出られないはずなのですが)、また外部への連絡もなるべく差し控えるように、それだけのことはきちんと書いて、それでも不安に苛まれながら、B子さんはキャンパスへと向かいました。
日が傾いてから帰ってくると、C子さんは出かけた時と同じ状態で眠っていて、置き手紙を読んだ形跡もなかった。B子さんはほっとすると同時に、心の中のどこかでこうなることを知っていた、という気がした。C子さんは恐らくもう二度と目を覚まさないだろう。そうしてC子さんが目を覚まさない場合、自分がどういう行動を取るかもわかっていた。B子さんの家には複数の寝具があり、部屋も余っていましたから、B子さんだけ別の部屋に布団を敷いて一人で眠る、ということも出来ないではなかったが、C子さんにはそんなことをする気はさらさらありませんでした。
次の日の晩も、その次の日の晩も、B子さんはC子さんと同じベッドで眠り、やがてそれは日課と化してしまいまして、たとえば誘われて夜遅くまで飲んでいる時など、どうでもいいから早く帰ってC子と寝たい、などと強く思うようになった。それで朝まで飲み歩く、というようなことがなくなったのはよかったが、このB子さんとC子さんとの奇妙な同棲生活は、必ずしもよいこと尽くしではなかった。何よりも朝がつらい。夢も見ないほど熟睡したはずなのに、激しい脱力感と疲労感で布団から出られない。何とか力を振り絞って起き上がってみても、まるで食欲がなく、したがって体を動かす元気も湧いてこない。B子さんは自然と午前の講義に出てこなくなり、また人付き合いもだんだんと悪くなりまして、A子さんがキャンパスでB子さんを見かける機会も少なくなりました。またA子さんはB子さんの頬の肉が落ち、顎がやたらととんがってきていることにも気がついていた。とは言えB子さんは高校時代から無茶なダイエットを繰り返していましたし、A子さんとしては、とにかく以前ひどい目に会わされた苦い経験があるものですから、要らぬ忠告などして深入りするのもかなわぬ、という気持ちでした。
そんなA子さんの陰ながらの心配を知ってか知らずにか、B子さんはA子さんを見かけると、相変わらず上機嫌で近づいてきて、のろけ話(?)を繰り広げるのでした。それはたとえば夜、いつものようにC子さんとくっついて眠っていると、時として眠っているはずのC子さんの両手がB子さんの背中にすうっと伸びてきて、B子さんを優しく抱きしめるような仕草をすることがある。そんな時、自分たちは「一心同体」とまでは行かなくても、少なくとも「相思相愛」なんだ、という感じが強くして、天にも昇るような喜びを感じ、もう死んでもいいと思うくらい気持ちが高ぶる、というような話です。しかしこのような「与太話」(A子さんの表現)をしている時のB子さんの表情にはどこか不自然なところがあり、結局B子さんはA子さんが目をむいたり、不快感に顔をしかめたりするところが見たかっただけではないのか。早い話が自分はからかわれていただけではないのか。そんな風に思われてならない、とA子さんは言うのでした。ここであえて私見を差し挟むなら、B子さんはA子さんの人格に対して非常に篤い信頼を寄せていたので、第三者が聞いたら唖然とするような話でも、この人ならばと見込んで打ち明けることが出来たのではないか、と推察します。

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杉村治兵衛じへえ作『観察された恋人たち』。ウィキメディア・コモンズより。

ある土曜日の午後、補講を受けなければならなかったA子さんが、人気のないキャンパスを歩いていると、突然B子さんに呼び止められた。B子さんはさらに人気のない場所へとA子さんを引っ張ってゆき、高価そうなハンドバッグを開いて、中から一枚の写真を取り出した。写真と言うか、A4用紙にカラーで印刷された、一枚のデジタル画像です。
A子さんはその写真を見せられた時、A子さん自身の言葉によれば、「いきなり後頭部を鈍器でどつかれた」ような気がした。
それはC子さんが男性に汚されている図でした。
そうしてA子さんはその男性の顔に見覚えがあった。A子さんやB子さんと同じゼミを取っている男子大学生です。仮にD君としておきましょう。
D君は真面目で大人しく、心優しい青年であった。またD君がB子さんに気があるらしいことも、A子さんは知っていた。
顔を真っ赤にして固まっているA子さんのかたわらで、B子さんは例によって得々と語り始めた。自分はDのことなど別に何とも思っていないが、彼が女に飢えていることは知っていた。そこで先日、非常にお金に困っていた日に、「ウン十万円、現金でくれたら、めっちゃ可愛い女子高生とやらせたるで」とひそかに持ちかけたところ、何とD君はその日のうちに銀行からお金を下ろして、B子さんのマンションまでのこのこいてきた。望外の成果に気をよくしたB子さんは、兼ねてからの計画を実行に移すこととし、D君がC子さんを辱めている様子をデジタルビデオカメラに収めるとともに、折に触れD君に指図して、ことさら淫らなポーズを取ったところをデジタルカメラで撮影した。言うまでもなく、インターネットを通じて違法に売りさばくためです。B子さんは腹を抱えて笑いながら、こんな言葉を口走った。
「ああ可笑おかし。あの子とやりながら気イ失うてしまうのん、うちだけや無かったんやわ」
実はD君は行為の真っ最中に、白目をむいてぶっ倒れてしまったのだそうで、そのあまりにもみっともない姿をまじまじと眺めながら、B子さんは「自分も夜な夜なこのような醜態をさらしているのか」と我ながら浅ましく感じると同時に、D君のことを少し哀れに思ったそうです。とは言えいつまでもC子さんのかたわらを占領されているのは「むかつく」ので、力ずくでD君をベッドから引きずり下ろして床に転がし、入れ替わりに自分が布団の中に潜り込んで、いつものようにC子さんのからだを抱きしめて眠った。ところが翌朝、B子さんが目を覚ましても、D君はまだ眠っていた(と言うか、伸びていた)ので、足蹴にするなどして叩き起こし、インスタントコーヒーを一杯ご馳走してやったところ、D君はいまだ夢うつつのていながら、平身低頭してB子さんに感謝の意をあらわし、約束の金額を耳をそろえて支払った上、昨夜のことは決して口外しない由、彼が信仰している宗教の神様の名にかけて誓った。それから全然恥じる様子も悔いる様子もなく、それどころかすっかり満足した様子で、ふらふらとマンションを去っていったということです。
D君の後ろ姿が街並みに消え去るのを見届けてから、B子さんはふたたびデジカメを手にして寝室へ戻り、全裸のまま眠っているC子さんに様々なポーズを取らせ、わいせつな写真を撮りまくった。「そうしてこれでもか、これでもかとシャッターを切りながら、うちは心の中で叫んでてん。『この子はうちのもんや。誰にも渡さん。この子はうちの最後の切り札なんや』って。……なあA子、うちの顔、よう見てみ。皺だらけやろ。うち、まだ二十歳になったばっかりやのに、おばはん通り越して、お婆さんや。この顔、もうどないしても元に戻れへんねん。……思えばこれまで悪いことばっかりしてきて、あんたにもえらい迷惑かけたさかい、バチが当たってんなあ。……あの子はちゃうで。あの子は日に日にきれいになってくる。うちにはハナからわかっとったんや。あの子は不老不死や。年を取る、言うことが無いんや。何でやて?何でや言うたら、あの子はほんまもんの『眠り姫』やからや。遠い遠い昔に、誰かがかけた魔法が解けるまで、あの美しい姿のまま、いつまでも、いつまでも眠り続けるんや。……あんなきれいな子、ひと目見たら、男でも女でも誰でも目エくらむ。誰がお金に糸目なんか付けるかいな。そやから、うちが自分で自分のからだ売るよりも、あの子のからだ売った方がはるかに儲かるんや。うち、一生遊んで暮らせるかも知れへんで」
「こんなあこぎな真似して」A子さんは写真を返しながら言った。「もし『眠り姫』が目エさましたら、あんた、ただでは済めへんで。殺されるで」
するとB子さんは、見る影もなく落ちくぼんだ目で、天を仰ぎながら言った。「百も承知や」

夏休みが来て、A子さんは帰省しました。
秋が来て大学に戻ってしばらくして、A子さんはB子さんが亡くなったことを知りました。
B子さんはマンションの自室で、一人で死んでいた。「変死」ということで、警察の取り調べがあり、A子さんも幾つかの質問に答えなければなりませんでした。
A子さんに言わせれば、B子さんの周囲の人間は、自分以外はすべて怪しい人たちばかりだったそうです。しかしB子さんが亡くなった日の前後(八月下旬ごろと推定された)に不審な行動を取っていた人物はいませんでした。ただ一人、D君だけが、B子さんの部屋に泊まったとされる日の翌日から行方がわからなくなっているとのことでした。
司法解剖の結果も、事件性を証するに足るものではありませんでした。結局B子さんの死は、「神経性無食欲症」(別名「拒食症」)による餓死ということで落着しました。そうして最後に、これは申すまでもないことながら、B子さんがA子さんに見せたというわいせつ画像も、ネットを通じてばらまくとうそぶいていた動画データも静止画データも、それどころか『眠り姫』の実在を示す証拠となるようないかなる物的痕跡も、B子さんの部屋からは見つからなかったということです。

 

短編映画「アップロード被害者」(セカンド・ヴァージョン)。Supisara Panichkasem監督。2015年公開。
Uploading Victims - Revised (vampire short film)

吉川永青『毒牙・義昭と光秀』其の十六(最終回)

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歌川豊宣とよのぶ画「羽柴筑前守秀吉と黒田勘兵衛尉孝高」。明治16年(1883年)出版。ウィキメディア・コモンズより。


天一笑さんによる吉川永青ながはる歴史小説『毒牙・義昭と光秀』の紹介記事、第十六回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。


幽斎玄旨、御所に挨拶に来る。

時は1587年7月中旬、「お懐かしゅうございます」と御所に一人の訪問客がありました。
得度とくどして幽歳ゆうさい玄旨げんしとなった細川藤孝ふじたかが、一人でやって来ました。
島津義久から、幽斎が降伏を勧めた事を聴いた秀吉は、いたく喜んで、自ら帰洛を勧めてきました。義昭も快諾し、帰洛の際には、征夷大将軍位を返上すると申し出ていました。
細川藤孝は、その交渉役・秀吉側の代理人です。京都での住居・俸禄・日取り等、詰めるべき要件は山ほどあります(秀吉から、義昭との如何なる小さなわだかまりも解いておけとの下命を受けている)。朝廷への征夷大将軍位の返還に見合うだけの、秀吉と義昭の条件闘争の側面も見受けられます。
もう一つ、細川藤孝には、義昭の兄義輝よしてる従五位じゅごい兵部ひょうぶを授けた関係で、藤孝を兵部と呼んでいた足利義昭に、個人的に詫びて“過去の心の荷物・負債”を整理したい気持ちもありました。幽斎は平伏したまま、真摯な声で言いました。
「上様を裏切り、織田にはしりました事、どうかご堪忍賜りますよう・・」
義昭は思う。信長に敗れた宇治真木嶋まきしまの戦の折、余に蔑みの眼差しを向けたのもこの男にとっては昔のことだ。余とて同じく、全ては終わった事なのだ。今更、互いに恨み辛みに思うことはないのだ。心から安堵し、昔の一乗院覚慶かくけいに戻ったかのような清らかな心で、義昭は幽斎に応じました。
「兵部・・・いや幽斎殿。お手をあげられよ」
義昭は越し方を語った。信長が自分の有利に働いてくれるように、わざと藤孝を伝手に内情を筒抜けにした。改めて幽斎を利用したことを恥じた。そして、光秀を道具として使い捨てにしたことも。
「貴殿の生き様も同じだ。余と関わって歪んでしまった」
義昭は、すっくと主座を降り、幽斎の正面に位置し、畳に額を擦り付けて言った。
「詫びるのは余だ。貴殿ではない。貴殿にとがは一切無いのだ。余も許されるとは思っていない。只貴殿に信長と関わってからの年月を、こうして全て話したかったのだ」
貴殿に憎まれても良い、蛇蝎だかつの如くいとわれても良い。それで貴殿の気が済むなら満足である。
「・・・全ては過ぎた事にございます。義昭さまこそ、どうぞ手をお上げなされ」
驚くべき一言に思わず、義昭は顔をあげました。
「今の義昭さまは、全てを悔いておられます。幽斎は嬉しゅうございます。ようやく、一乗院から救い出した頃の義昭さまに戻ってくだされた」
幽斎は、自然に愛情に満ちた微笑をした。
「左様に申してくれるか」
義昭は、自然に柔らかく微笑み返し、礼にのっとり、もう一度頭を下げた。 

義昭の帰洛

天正16年(1588年)1月、義昭は、再び得度し、“昌山”と名乗った。
そして数日後、秀吉と共に、後陽成天皇のいる禁裏きんりにあがりました。
かたじけなき思し召しを賜りましたこと、恐悦至極に存じます。准后の立場を汚さぬよう、この昌山、襟を正し、世の中のために尽くさんことをお約束奉り申し上げます」
御簾みすの向こうに朧気おぼろげに姿を現している後陽成天皇は、か細い高い声でただ一言ひとこといった。
はげめ」
すぐさまいなくなった。
昌山は、関白秀吉から一万石の所領を受けた。また内裏だいり・朝廷からは、将軍位の返上に伴う待遇として、准后じゅこう天皇の祖母にあたる太皇太后たいこうたいごう・母になる皇太后・そして配偶者の皇后の“三后”に准じる“三后じゅさんこう”)の立場となった。
これは、天下人は秀吉であるのは揺るがないが、位としては准后の方が上回る立場となった。
これも、全て秀吉が計らい、内裏に奏上した結果である。さすが秀吉ですね。
謁見の間から退出し、秀吉と肩を並べて歩いていた義昭は丁寧に礼を述べた。
此度このたびのこと、全て関白殿下のお計らいと存じます。一方ひとかたならぬお骨折りの段、深く御礼申し上げます」
そこには嘗て秀吉を自分の陪臣と見下していた義昭はいませんでした。
「いやいや、将軍位を返上される旨を知り、世の静謐を思うその御心に御報い申しあげねばと思うたまでにござる」
関白となった秀吉は、武家言葉で昌山と会話をしました。以前木下藤吉郎だった頃の尾張弁丸出しの田舎武将ではありません。「立場が人を作る」の良い意味での典型ですね。
昌山は続けて、秀吉に話しかけます。
「以前、毛利にいた頃、貴殿こそ私が求めた静謐を実現されるかと思いました。世が定まるのは喜ばしき話にござる」
「関東の北条・奥羽の伊達などを従えれば、世に平穏が訪れましょう。しばしお待ちあれ」
「それは、頼もしきかな。されど・・・」
秀吉は「されど」の言葉に反応し、眉をピクリとあげた(不愉快な仕草)。
「されど、ご存念がございましょうか?」
「いや、さにあらず。一つだけ申しておきたい儀がござります。老婆心ながら、世の頂点に立った時こそ、ぶつかる壁についての話でござる」
秀吉の仕草から、不愉快が失せた。
「それは、ありがたきお話にて、如何なるお知恵かな?」
「いや何、大した話では。天下を握る前より、握った後が大事という程度の事です。抑々そもそも、足利の幕府は何故力を失くしたのか。それは、累代幕府を踏み台に遣おうとする輩を撥ね退ける力が無かったからである。父祖の治世に於いて下の者が力(武力)をもつ流れが定まっていたのがすべてであった。最早世を従える力はなくなっていった。ひるがえって、貴殿は多くの領国と兵をお持ちだ。同じてつを踏む懸念は無いと思し召しであろう」
秀吉は興味深げにうんうんと頷いた。
「実はそうでもないと?」
「貴殿が天下人となる道程の関東や、奥羽の平定は必ずなされるだろうが、新しく豊臣家中となる者の内心はどうであろうか?押さえつけらえたとの思いを払拭しない限り、面従腹背をする者も出てくるだろう」
秀吉は、真剣そのものといった目で、聞き入った。長年、信長の下で沢山の裏切りを見てきて、いろいろ覚えがあるのだろう。
「なるほど、充分に用心することに致します」
「それに越したことはございませんな。もっとも、その様な者の力は小さきものにて、恐るるに足らず」
「ほう、それでは如何なる者に用心が要ると思われます?」
昌山は右を向き、頭二つ小さな秀吉を見下ろす格好になって、ニヤリと笑いながら言った。
「天下を平らげる戦にて、功を挙げたその者たちだ」
「それはまた、どの様な思し召しにて?」
昌山と秀吉は、思わずお互いに顔を真っすぐ見交わす形となった。昌山は躊躇ためらわず言った。
「貴殿は優れた御仁ごじんなれど、ご家中には貴殿をしのぐ才子とておられるかと」
「勿論おります。その様な者にはそむく気が起きないほど、恩を施せばよろしいかと」
秀吉は少し嫌そうな顔をしながら、これまた躊躇わず言った。
昌山も秀吉に負けず劣らず真剣に、丹田たんでんに気を込めて言った。
「それが、間違いの元」
昌山には、手柄をたてた者を厚遇したいのは人の常だが、人の上に立つ者にはそれが甘さとなることがある、脇が緩くなるとの思いもあった。
さすがの秀吉も、ウンザリした視線を昌山に向けたが、それでも昌山は口をつぐまなかった。
「たとえ、貴殿のために命懸けで働き、軍功を挙げた者でも、優れた者は早目に取り除くが肝要なり」
「いやはや、左様に無体な差配があるものか。それでは天下が治まりますまい」
秀吉は次第に渋面になり、些か失笑し、だからお主は幕府を潰してしまったのではないかと言いたげな口ぶりだった。
昌山は思った。確かに己は愚物である。秀吉のように、天下に号令を掛けられる器には、到底及ばぬ。しかし、だからこそわかることがある。
「果たしてそうであるかな。愚物を哄笑し、自らの高尚に安堵する人の常にこそ落とし穴にございます」
そして自らの右手の食指しょくしを立て、自分自身に向けた。
「この私と同じになる。人は愚かなもので、自分の愚物ぶりに気が付いた時には取り返しがつかない、とわかる。遅すぎる」
昌山は、秀吉から眼差しを外して、枯山水かれさんすいの庭に向けた。そして言葉を続けた。
「人の世の流れは止められぬ。足利の天下が乱れたのは父祖の代なれど、幕府を決定的に立ち行かなくしたのは私だ。それを認められずに、随分と無様な姿を晒し続けた末、己の器量を思い知ったのだ」
昌山の心からの忠言であったが、秀吉は、粘りつくような怒りを持って応じた。
赤ら顔の猿面さるめんが朱色に染まる。しかし、何か気になるのか、頭ごなしに一蹴はしない。
即ち秀吉は、ほぼ治天の君となった現在でも、自分のあり様を疑っている。ならば、早々に自ら見いだせよう、この蒟蒻こんにゃく問答の答えを。
“天下を治めるものは人であってはならない”
「貴殿は、この秀吉も同じと仰せなのか。些か無礼が過ぎますぞ」
秀吉の憤激した面持ちにも構わず、昌山は言葉を続けた。
「私が踏んだ轍などそこら辺に転がっています。ゆえに申すのです。世を正しく保つためには、天下の主はどうあるべきか・・・手始めに力ある者や功ある者を早めに取り除くことなのですわい。これを成せば、貴殿の前には自ずと次の道が示されましょう」
秀吉は奥歯を噛み、釈然としない顔になった。
義昭は思う。今はそれで良いが、不肖の将軍であった私の言葉を正しく受け取る時が来るだろう。その時こそ、人を捨て、この世に確かな秩序を作りだすだろう。愚物な私には過ぎた役目であったが、この男なら成し遂げるであろう。私の最後の言葉を受け取るに相応ふさわしい器だ。
「我が忠言はこれまでにてござる。らば、お先に」
昌山は、立ち尽くす秀吉に会釈して、一人静かに自然なすそさばきで歩いていった。

豊臣の世を生きる昌山は、文禄・慶長の役(1592年~1597年)に際し、200の兵を率いて准后として、本陣の肥前国名護屋まで出陣している。
1597年、病により大坂まで陣を引き揚げ、大坂に戻って間もなく病没した。享年61歳。葬式は、細川幽斎が責任を以て執り行いました。
あの世の昌山は、一年後の秀吉病没ののちに、ゆっくりと豊臣家が政権の座から転落してゆくのを如何どう思ったろうか。

筆者は、秀吉は昌山の言葉を正確に受け取ったと思います。それは、秀吉の晩年に行った人事が示しています。最古参の家臣・前野将右衛門(土木工事の名人)に対する苛烈な処遇。秀吉の武将人生後半の軍師・黒田官兵衛義高への領地を地政学的に微妙な九州・筑前国黒田藩に据えた事(薩摩の島津に睨みを効かせるため?使い捨て?)。
わけても、黒田官兵衛義孝の出家の経緯。それは官兵衛義孝の文禄・慶長の役の従軍の態度・功績を鑑みて、無理筋にも軍令規律違反を侵したと、ほぼ因縁をつけて出家させた事ですね。
まあ黒田官兵衛は、キリスト教徒(洗礼名シメオン)でしたから、いずれは何かの始末をつけたかったかもしれませんね。かくして、黒田官兵衛は、法体ほったいとなり“如水軒じょすいけん円清えんせい”となります。
それらの決意をした瞬間に、“天下を治める者は、人であってはならぬ”の昌山の言葉は、秀吉の脳裏に蘇っただろうか。(了)

後書き

思いもかけぬ長編になってしまいました。
お付き合い頂いた読者の皆様に心より感謝申し上げます。
純粋で線の細い明智光秀の苦悩、滅びゆく血統に生を受け、世の流れを変えようとバケモノになってまで試みて失敗した後、人間に立ち返って新たな使命を果たした足利義昭の人生をお楽しみいただければ幸甚です。
あらためて、吉川永青著『毒牙・義昭と光秀』をお勧めします。


天一笑さん、長期にわたる連載、まことにお疲れ様でした。

毒牙 義昭と光秀

毒牙 義昭と光秀

  • 作者:吉川永青
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/11/29
  • メディア: 単行本