魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十七

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明智藪」の石碑(京都府京都市伏見区小栗栖小阪町本経寺寺領内)の奥にある案内板。矢印が藪の奥を指している。2016年1月撮影。www.travel.co.jpより。

㊺六月十三日:山崎

緊張を孕んで夜が明けた。羽柴軍と明智軍は以前として睨み合ったままだった。
お互いに仕掛ける切っ掛けがつかめない状態だった。
両軍相手の目の色が見て取れる程の近距離に構えていた。
午後四時を過ぎたころ、羽柴軍が仕掛けた。中川清秀隊が吶喊とっかんの声をあげて、川を渡った。明智軍の並河隊がそれを迎え撃った。今までの膠着状態に業を煮やしていた各隊は、この競り合いに左右から援護・加勢した。各隊とも戦死者・負傷者が数多く出たが、並河隊が中川隊を押し返した。局地的には明智軍の勝利であるが、兵員数において絶対的に劣る明智軍には大きな痛手であった。兵員数の多寡が勝利のカギを握ることを熟知している秀吉は、中川隊を捨て駒にして高山隊・池田隊・加藤隊・木村隊を次々と投入し、寡兵の明智軍を壊滅させる肚づもりだった。秀吉にすれば元々明智傘下だった摂津衆は使い捨てにするのを躊躇うような存在ではなかった。中川隊は次の命令が発令されると同時に、自殺行為にも等しい突撃をしなければならない局面に来ていた。しかし、中川隊は次の瞬間、我が目を疑う光景を見た。
その時点では優勢だった明智軍が、法螺貝の音を合図に撤退を開始したのだ。中川隊には皆目訳が分からなかった。半信半疑で明智軍を追走するも、どういう奇策があるのか、明智光秀の真意が読めるものは誰一人として居なかった。ただ迂闊に手出しは出来ないと警戒するだけだった。
明智軍は勝竜寺城まで軍を引いた。勝竜寺城に引き上げてからの光秀の行動は、実に不可解であった。まだ緒戦の段階ではあったが、戦況は明智軍に有利だった。この状況で全面撤退しなかればならない理由はどこにもなかった。次に光秀がしたことは、ごく僅かの供廻りを連れて勝竜寺城から遁走したことである。では勝竜寺城を抜け出した光秀は何処に向かったのか?一説には再起を期して坂本城に向かったとも云われている。しかし再起云々と言うほど戦況が決定的に悪化していた訳でもない。ほぼ無傷に近い一万五千の主力部隊を放置してまで遂行しなければならない火急の用とは何だったのだろうか?

㊻伊東眞夏は推理する。光秀の策謀。

著者の伊東眞夏は推理する。主殺しの汚名を着た過酷な戦場で、光秀の精神・心理は極限状態に達し、混乱し、彼自身を支えきれず、譫妄状態に陥った。逆賊のレッテルは、想像以上に光秀の精神に重圧を与えたのだろう。
伊東眞夏は次に推理する。光秀が小栗栖おぐるすの竹藪で落ち武者狩りに会い、最期を遂げたことに疑問を投げかける。
本来、落ち武者狩りというのは、戦の勝敗が定まった後に、勝者側がしかるべき奉行を立て、終戦処理の一環として、近郷近在の百姓たちに触れを出して行うものである。
山崎の戦いの緒戦では、勝敗は決定していない。なので勝者も敗者もいない。その時点では、誰も落ち武者狩りの行政命令を出せるわけが無いのである。
しかも、山崎の戦場から小栗栖の竹藪までは、現在の距離で十六キロ離れている。
小栗栖の竹藪は人家もまばらで、夜ともなれば人通りは途絶える。月明りさえ差し込まない闇の中である。そのような中で、只の百姓が竹藪を抜ける小道の脇で、竹槍を持って待ち構えているものだろうか?たまたま光秀が通るタイミングで居合わせるものだろうか?
そのような偶然が重なるものだろうか?否、百姓は、光秀がそこを通ることを知っている刺客だったのだ。光秀は小栗栖の竹藪におびき寄せられ、謀殺されたのだ。
光秀の不可解な死は、謀殺以外に説明がつかないのである。
では、誰の陰謀によって光秀は謀殺されたのか。光秀に生きていられては都合の悪い人物とは誰なのか?光秀が本能寺の変の真相を語ろうと語るまいと、光秀の存在そのものを不都合に思うのは誰なのか?
それは、光秀謀殺が行われた小栗栖の竹藪という場所が雄弁に語るであろう。
小栗栖の竹藪は勧修寺かじゅうじの庭先と言っても過言ではなかった。
勧修寺にいるのは、勧修寺尹豊ただとよ。当時八十歳を超え、出家して紹可上人と称していたが、内裏に隠然たる影響力を持っていた(出家していると聞くと、余計に恐ろしいような気がしますね)。
光秀はその勧修寺を尋ね、勧修寺尹豊と会談して、結論が出次第、勝竜寺城に取って返すつもりではなかったのだろうか。

勝竜寺城の望楼で、秀吉軍の兵員数に圧倒され、衝撃を受けた光秀は、次の一手を考えた。
援軍要請をするしかない。何処に頼むか。光秀の頭には数日前まで秀吉軍と敵対関係にあった毛利家の存在が浮かんだ。上手く話を運べば助太刀してくれる可能性もないわけではない。しかし、光秀自身の要請で毛利家が動いてくれるのか。問題はそこだ。
光秀は毛利家に面識が無いのだ。内裏を通じての天皇からの勅命なら、毛利家も援軍を出すだろう。光秀はこれに賭ける気になった。光秀はすぐさま、近衛前久誠仁さねひと親王・勧修寺晴豊宛に手紙をしたためた。旗幟きしを鮮明にしていないとはいえ、彼等は親光秀派である。又内裏での発言力も大きい実力者揃いである。その三人の揃っての進言ならば、正親町帝も否とは言うまい。やがて三人からすぐにでも、天皇に光秀の意向を伝えようとの返書が来た。光秀は確信した。これで毛利家は動く。
いや、毛利が動くという噂が流れるだけで、俄か寄せ集めの秀吉軍は統率が取れなくなるだろう。秀吉軍から離れる将兵も出てくるやもしれぬ。
どの程度の脱落兵が出るかは予想できないが、正味の秀吉軍との一騎打ちならば勝機はあるはずだ。そうと決まれば(決めれば)緒戦で秀吉軍と衝突して無駄に兵員数を損なうことは無い。光秀は勝竜寺城に引き返して、長期戦の構えを取った。つまり、何が何でも毛利家の援軍到着まで時間を稼ぎ、羽柴秀吉本人をここに釘付けにしておく必要があるのだった。(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

 

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十六

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円明寺川(現小泉川)は桂川へと注ぎ込んでいる細い川で、上の写真でいうと、右手に明智勢、左手に羽柴勢が陣取って対峙した。4travel.jpより。

㊸六月十二日:対峙

結局のところ、明智軍が下鳥羽の陣を払い、山崎に向けて進軍を開始したのは正午過ぎだった。
指揮命令系統が混乱しているせいか、かなり手間取って、時間を浪費した。
途中桂川を渡った。普段の水量はせいぜい大人の膝丈くらいしかない桂川だが、この時は前夜の大雨の影響で増水していた。兵士たちは、場所によっては胸まで水に浸かって行軍しなければならなかった。しかも重い鎧兜を身に着けたままである。重労働どころか、溺死の可能性さえあった。明智軍は山崎の決戦を前に、無意味な戦力の消耗を伴う渡河をしなければならない状況に追い込まれていた。夕方近く、やっと勝竜寺城に入った。
ここから山崎は目と鼻の先である。光秀は勝竜寺城の望楼に上り、夕日方向に位置する羽柴軍を初めて見た。羽柴軍の溢れた兵は天王山山頂まで覆っていた。姫路に到着した時は、せいぜい一万二~三千だった羽柴軍は、街道を往くにしたがって増えていった。主人信長を失った家臣団が合流した結果、尼崎を経て富田に到着した時、羽柴軍はその数三万五千にまで膨れ上がっていた。光秀が見たものは所謂摂津衆(中川清秀池田恒興、加藤光康、木村隼人高山右近)の旗印だった。盟友であった筈の面々がそろって自分の敵に廻っている。光秀は頭を殴られたような気分になった。摂津衆の兵員数は、せいぜい五千程度であったが、光秀の心理に与えた影響は計り知れなかった。
「ここはひとまず兵を引いてはいかがでしょう」
側にいた斎藤内蔵助も、羽柴軍の兵員数に圧倒されながら、言葉を続けた。
「いったん坂本に兵を引いて、籠城戦に持ち込んでは」
返事がないので、斎藤内蔵助は、上目使いに光秀の顔を覗いた。
「殿?」
思考停止状態の光秀は振り向いた。
「兵をいったん坂本に引き上げてはいかがでしょう」
「うむ」
頷きかけた光秀が、我に返ったように大声で言い放った。
「いや、ならん、一歩たりとも引いてはならん。戦うのだ」
光秀は、下鳥羽を出発した時から、この戦いの勝敗を度外視していた。ここで帝(京都)を捨てたら、頭に血が昇った独り善がりの正義だったと、その大義名分の拠って立つところがなくなるのだ。光秀には畢竟戦うしか道が無い。光秀の覚悟は三万五千の大軍を眼前にして揺らいだ。頭ではわかっていても、実際に目にするのとでは違う。天王山の麓を覆う黒山のような人だかりを構成している全ての人々が、光秀に対する憎悪を抱いている。
足が竦むような、首筋に冷たい風が当たるような重い気持ちを振り切るように、光秀は、待機していた軍に命じ、勝竜寺城を後にして、最前線に出発した。

㊹六月十二日:並河隊の発砲

山と川に挟まれた平野を円明寺川が流れていた。円明寺川は、ほんの数歩で渡り終える小川である。羽柴軍は、それを境界と定めてその西側に陣を張っていた。明智軍もその川を目指した。羽柴軍の先鋒は、右翼を池田恒興、左翼を中川清秀、中央を高山右近が務めていた。
彼らは誰一人欠けることなく、羽柴軍に従軍し、光秀に言葉の石礫を投げつけた。弓の弦を鳴らして「裏切り者」「謀反人」「恥知らず」の大合唱を繰り広げた。その声はどよめきとなって明智軍の陣営に響いた。光秀の胸には堪えるものがあった。
「皆の者、敵の言うことに耳を貸すな」
光秀は床几を蹴って立ち上がり、声の届くかぎりの将兵に呼び掛けた。
「正義は我にあり。我らは道を外れてはいない。謀反人、裏切り者ではない。言いたい奴には言わせておけ。遠吠えだ。それよりも、兵卒一人一人に言って聞かせよ。お前たちの主を信じよと」
だが、光秀の言葉が終わらないうちに、数発の鉄砲音が北の方角から響いた。
両陣営の動きが慌ただしくなった。光秀も秀吉も何があったのか、偵察兵を走らせた。鉄砲を放ったのは、丹波衆並河掃部の隊だった。彼らは、天王山の入り口あたりで円明寺川を渡り、敵情視察をしていた。ちょうど羽柴軍の左翼、中川清秀の部隊が集まっている位置になった。日はすっかり傾いて、人員一人一人の判別がもはや付かなかった。
中川隊の誰かが、並河隊の偵察に気が付いたのだ。目を凝らすと熊笹の間で何かが動いている。隊は緊張して集結した。しかし、直ぐにそれ程の人数ではないと気が付いた中川隊は、口々に並河隊に「裏切り者」「謀反人」の言葉を浴びせ、手当たり次第に石を投げつけたりした。並河隊に言わせれば、裏切り者は中川清秀の方だった。今まで明智軍(我が殿)のもとで働いて、世話にもなっていたではないか。それをあっさり手のひらを返して、矢を向けている。恥ずかしくないのか。恥知らずは貴様らの方だ。
しかし、並河隊がいくら声を涸らして叫んでもそこは寡兵の悲しさで、明智軍への「謀反人」「恥知らず」の大合唱は、止むことが無かった。
其の為、並河隊の一人が堪えきれず、鉄砲の火蓋を切ってしまった。
まさかの発砲に中川隊も慌てたが、大至急鉄砲足軽を呼び、鉄砲を撃たせた。
並河隊、中川隊の双方で撃ち合ったが、犠牲者は出なかった。
並河隊はそのままその場を去り、本隊に合流した。
十二日の戦闘らしい戦闘は、この鉄砲隊の応酬だけだった。(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

 

「魔女狩り」他四篇

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イシュトヴァン・ソーク (Istvan Csok)「少女たちを責めさいなんで悦に入るエリザベート・バートリー」。www.hung-art.huより。

魔女狩り

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トーマス・サッターホワイト・ノーブル(Thomas Satterwhite Noble)「『魔女の丘』または『セイラムの殉教者』」ウィキメディア・コモンズより。

魔性のものを狩りましょう
 美少女たちを狩りましょう
 こんな気持ちはひさしぶり
灰になるまで愛したい
真っ白なのはからだだけ
 心の中は棘だらけ
 そんなあなたを狩りましょう
そんなあなたを見せしめに
昇天させてやりましょう
 火あぶりなんてひさしぶり
 見たいあなたの焼死体
灰になるまで愛したい

学校へ行こう

行こう 学校
 行けば結構
 優しい心
見つかるところ
あなたとわたし
 さびしい暮らし
うちでごろごろ 晴れない心
行こう 学校
 行けば結構
 出来る友だち
伝わる気持ち
若い先生
 優しい女性
クラスメイトも女の生徒
優しい心 見つかるところ
 それが学校
「それは結構」

行こう 学校
 行けば結構
 可愛い小鳥
よりどりみどり
あなたとわたし
 十四の天使
実は堕天使サタンに奉仕
行こう 学校
 行けば結構
 出来る勉強
はかどる布教
さえずるむすめ
 はばたくむすめ
飛んだむすめは身ごもるさだめ
可愛い小鳥 よりどりみどり
 それが学校
「それは結構」

行こう 学校
 行けば結構
 みんな十代
したい放題
荒れる学校 
 はびこる非行
処女が処女狩り 獲物を料理
あなたとわたし
 もとより戦士
 不良を倒し
名をとどろかし
美人姉妹が
 美食三昧
今日も処女狩り 獲物を料理
みんな十代 したい放題
 それが学校
「それは結構」

行こう 学校
 行けば結構
 風が冷たい
心が寒い
あなたとわたし
 最後の奉仕
今日は魔女狩り 火あぶり日和
行こう 学校
 行けば結構
 受かる天国
落ちない地獄
魔女の裁判
 聖女の出番
『君は極刑 あなたは死刑
墓は要るまい 魔性の姉妹』――
 行こう 学校
「いいえ 結構」

さよなら 風紀委員長

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ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ夜のカフェテラス」。ウィキメディア・コモンズより。

あなたとわたし 水入らず
 行き交う人は見ず知らず
 ささやきかわすカフェテラス
そこへA子が水をさす
「これは美人のB子さん
 それに詩人のC子さん
 美人と詩人 花と蝶
時にわたしは委員長
取り出だしたるこの写真
 肌もあらわにご乱心
 出来ているのは誰と誰
女子の情交 法に触れ
口止め料はまず二万
 あとは毎週二十万
 地獄の沙汰も金次第
やってられないこの時代」

風紀委員はパパラッチ
 あっちこっちで撮るエッチ
 卑劣きわまる隠し撮り
処女にとっては命取り
取り出だしたるこの写真
 A子さんこそご乱心
 B子C子とベッドイン
紙面に躍るその女陰
目をむいているこのむすめ
 その首筋に刺すとどめ
 白目をむいてしたたらす
ジュースも甘いカフェテラス
さよなら 風紀委員長
 いつか地獄で会いましょう
 これで二人は水入らず
行き交う人は見ず知らず

理科の先生

中年の男性教師
 人呼んで「変態教師」
 教え子によだれをたらし
ぞっとするあなたとわたし
うらはらに 女性の教師
 人呼んで「地上の天使」
 好き者のそろったクラス
教え子がよだれをたらす
 同性を惑わす女性
  そのひとは理科の先生
  稀に見る美貌と美声
 教壇の上の妖精

中年の男性教師
 人呼んで「変態教師」
 人前で恥部をむきだし
ぞっとするあなたとわたし
うらはらに 女性の教師
 人呼んで「地上の天使」
 人前で恥部を隠さず
少女らの思慕を拒まず
 同性を愛する女性
  美しい理科の先生
  ファンクラブ 遂に結成
 理科室に上がる歓声

中年の男性教師
 人呼んで「変態教師」
 血走ったまなこで凝視
ぞっとするあなたとわたし
うらはらに 女性の教師
 人呼んで「地上の天使」
 対象は女性と女性
秘めごとをつぶさに写生
 理科室は男子禁制
  こんこんと説いた先生
  男性が犯した不正
 同性が払った犠牲

中年の男性教師
 人呼んで「変態教師」
 校舎から飛び降り即死
ぞっとするあなたとわたし
うらはらに 女性の教師
 人呼んで「地上の天使」
 生徒らとともに輝き
生徒らの前で八つ裂き
 あらためて誓う忠誠
  よみがえる地下の先生
  男性はすべて有罪
 愛し合う女性ばんざい

エッセンス

今日もまたあなたと二人
 溜息をついてしょんぼり
「パパ嫌い ママ大嫌い
もう家に帰りたくない」
思いやるその胸のうち
 よくわかるあなたの気持ち
 幸せを知らないむすめ
鬼と化す前に抱きしめ

年ごろのあなたと同じ
 年ごろをよそおうわたし
 現役の学生と見え
その実は少し年上
このわたし 中世生まれ
 受け継いだ貴族のほまれ
 このからだ この美の宝庫
首筋に魔性の証拠

今はもうはるかな昔
 退屈なお城の暮らし
 罪深い遊びを探し
お忍びで出かけたわたし
ゆきずりに魅せた流し目
 恐らくは魔性のむすめ
 差し伸べた手に手をからめ
満月のもとに抱きしめ
もののけに憑かれた二人
 けだもののように交わり
 むさぼった無量の生き血
手に入れた無限のいのち

ほら 今もさまようわたし
 永遠のふるさと探し
 同じ血を分けた兄弟
同じ地に生まれた姉妹
人々の恐れるわれら
 人の血を吸うバンパネラ
 正体は そのかぐわしい
エッセンス 花のたましい

行きましょう 手に手をとって
 その前に十秒待って
 鬼と化す前に抱きしめ
変わらない愛を確かめ
ほとばしる無量の生き血
 流れ込む無限のいのち
 天国も地獄も嫌い
魔界こそ二人の世界

クリスティナ・ロセッティ『シング・ソング(Sing-Song)』より

泣いている 小さき者よ(Crying, my little one)

泣いている 小さき者よ 歩き疲れてしまったのか
お前を背負ってやろう 可愛い者よ だから安らかに眠るがいい
私はこの冬の夜をたった一人で歩き通さなければならず
雪は私の上にいよいよ冷やかに降りつのる

お前は私の子であり 私には他に子供がいない
眠れ 愛しき者よ 私の悩みの種 そして私の宝物
お前の母親の腕の中で安らかに眠るがよい
楽しいことを 美しいものを夢に見ながら

重いものは何?(What are heavy? )

重いものは何?海の砂と悲しみ
短いものは何?今日と明日
壊れやすいものは何?春咲く花と青春
深いものは何?海と真理

向こう岸まで("Ferry me across the water")

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ジョン・ロダム・スペンサー・スタンホープカロンとプシュケ」。ウィキメディア・コモンズより。


「私を向こう岸まで渡しておくれ
 船乗りよ そうしておくれ」
「あんたの財布の中に1ペニーあるなら
 俺は渡してやるよ」

「財布の中には1ペニーあるし ほら
 私の目は青いのよ
だから私を向こう岸まで渡しておくれ
 船乗りよ そうしておくれ」

「俺の渡し舟に乗り込んでくれ
 青い目だろうが黒い目だろうが
あんたの財布の中の1ペニーのために
 俺は渡してやるよ」

ネッド・ローレムが曲を付けた「向こう岸まで」。シンガポールテノール歌手、ルーベン・ライ(Reuben Lai)さんによる独唱。

Ned Rorem's "Ferry Me Across the Water" – Reuben & Christina

こちらはジェラルド・フィンジが曲を付けた「向こう岸まで」。アイルランドはナヴァンの聖ヨゼフ慈善中等学校(女子校)の生徒たちによる合唱。

Ferry Me Across the Water

こちらはアレックス・マルトフスキー(Alex Martovski)という人が曲を付けた、ポップソング風の「向こう岸まで」。ロシアはユーリエフ・ポリスキーの児童声楽隊「ザ・スマーティーズ(The Smarties)」によるパフォーマンス。

Ferry Me Across The Water


誰が風を見ただろう(Who has seen the wind?)

誰が風を見ただろう
見たことのないあなたと私
とはいえ木の葉をゆらすのは
風の行き来

誰が風を見ただろう
見たことのない私とあなた
とはいえ木々がお辞儀するのは
風の仕業だ

「風」詞 クリスティーナ・ロセッティ/ 訳 西条八十 / 曲 草川信 / 歌 なげのあやか / ピアノ 吉國美紀

風 / 歌:なげのあやか

「風をみたひと」作詩:クリスティナ・ロセッティ 訳詩:木島始 作曲:木下牧子 ソプラノ:小木曽鮎美 ピアノ:大貫有美子

風をみたひと:木下牧子 Song "THE WIND":KINOSHITA Makiko

すべての鐘が鳴っていた(All the bells were ringing)

すべての鐘が鳴っていた
すべての小鳥がさえずっていた
なのにモリーは座り込んで
人形が壊れたと言って泣いていた
ああ モリーのお馬鹿さん!
人形が壊れたと言って
溜息をつき 涙を流す
すべての鐘が鳴っているのに
すべての小鳥がさえずっているのに

さようなら 怖いけれど("Goodbye in fear")

「さようなら 怖いけれど さようなら 悲しいけれど
さようなら 何もかも無駄でした
もう二度とあなたにお会いすることはないでしょう」
「もう二度と離さないとも」

「さようなら 今日も さようなら 明日も
さようなら この世が終わる時まで
もう二度とあなたにお会いすることはないでしょう」
「もう二度と離さないとも」


木下牧子浪漫歌曲集』(1997年3月録音)
収録曲:全21曲
・歌曲集『六つの浪漫』より「風をみたひと」「夢」「草に寝て…」「重いのはなあに?」「風が風を」「ほのかにひとつ」
・歌曲集『愛する歌』より「誰かがちいさなベルをおす」「ロマンチストの豚」「雪の街」「ユレル」「さびしいカシの木」
・歌曲集『秋の瞳』より「おおぞらのこころ」「植木屋」「うつくしいもの」「一群のぶよ」「秋のかなしみ」「竜舌蘭」「黎明」「不思議をおもう」「空が凝視ている」
・歌曲「涅槃」
演奏:豊田喜代美(ソプラノ)渡辺健二(ピアノ)
収録時間 : 55 分

浪漫歌曲集

浪漫歌曲集

  • アーティスト:豊田喜代美
  • 発売日: 2010/12/21
  • メディア: CD
 

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十五

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「長篠合戦のぼりまつり」の様子。ウィキメディア・コモンズより。

㊵六月十一日:富田

一方、光秀がすばやく陣払いをした報せを聞いた秀吉は、軽い失望を覚えたものの、落胆はしなかった。勿論光秀が郡山城を攻めたならば、秀吉は一気に明智軍を打ち砕く算段を整えていた。秀吉は独り言を言った。
「光秀、まずは命拾いしたな。・・・それにしても、あの男(筒井順慶)の馬鹿さ加減はどうだ」
秀吉は思った。目先の安全を守る一面しか見ず、大手柄を逃した馬鹿者だ。わざと光秀を怒らせ、郡山城を攻めさせ、あと二日辛抱すれば、この秀吉が背後から光秀を仕留めたものを。さすれば筒井順慶は、この戦で一番の手柄を上げて、領地でも黄金でも望みのままに手に入れられたであろうものを。それどころか、わしが大返しをして富田へ来ていることまで、光秀に喋りおって(秀吉は筒井順慶の気持ちなど考慮していない)。
実のところ、秀吉軍は姫路を出発して以来、不思議な高揚感に包まれていた。例えば国を挙げての祭りに参加しているような雰囲気が、中国路を駆ける間に醸成されていた。総大将秀吉の“天下人に成り上がれる絶好のチャンス”の気分が反映されたからであろう。
秀吉は黒田官兵衛の描いた絵に従い、毛利との際どい和議を成立させると、岡山から姫路まで約八十キロの行程をひたすら走れと命じた。その行軍の様は、毛利に背後を襲われる恐怖を常に感じながらの遁走といったほうが正確であったろう(毛利家は元就三男・小早川隆景の厳命により追走を断念した)。この時秀吉自身は、身の安全を図り、船で姫路入りをした。
もはや背後を気にする必要が無くなってから、初めて目の前の敵、明智光秀に気を配る余裕ができた。秀吉はここに来て、自分が乾坤一擲の大博奕をしていることに気付かされた。
ならば、賭け金をケチってはいられない。姫路城に蓄えた軍資金、兵糧を全て兵士たちに分配し、空っぽになった金蔵と米蔵を披露した。大盤振る舞いをした。
兵士たちは一斉に町に繰り出し、思う存分飲食をし、遊び、軍を挙げての乱痴気騒ぎをした。
そして九日朝、全軍東に向かって移動を開始した。兵士たちは思った。仇討ちか何か知らないが、死ぬほど走った後、存分に遊んで、一文無しだ。何だかサッパリしたもんだ。よし、後は戦うだけだ。兵士たちの心は軽やかだった。
姫路城下は秀吉特需で潤った。秀吉は光秀と決着をつける意気込みを、自分自身も空穴からっけつになることで、兵士たちに示した。

㊶六月十二日:下鳥羽

洞ヶ峠から引き返した光秀は、下鳥羽の南殿寺に入った。湿気を含んだ生暖かい風の中の行軍は、明智全軍を疲労困憊させた。もう一歩も歩けないと泣き言まで出てくる有様だった。夕方には雨になった。低く垂れこめた雲が、遠く光ったかと思うと、肚の底に響くような雷が鳴った。
その驟雨を突いて、間者から秀吉軍が動き始めたと報告があった。
「ついに来ますかね?」
斉藤内蔵助が光秀の顔を覗き込んだ。
「うむ、おそらくは明日の朝。夜襲は無いだろうから、今のうちに皆休め」
光秀は自分に言い聞かせた。明日はかなり厳しい戦になるが、これで決着がつく。
当初の目論見とは多少ズレが発生しているが、まだ綻びてはいない。自分の望んだことはこういうことだったのだ。織田の残党を結集させて一気にカタをつける(筆者はここで旧織田軍が反秀吉で簡単に纏まると光秀が考えているのも不思議です。織田家からしたら、光秀はどのみち外様とざまの存在だと思うのですが)。
明日の戦いこそまさに正念場だ。
兵員数では、確かに劣勢だが、秀吉軍は即席の連合軍だ。結束の程度は強くないだろう。そこにわが軍の勝機がある。秀吉軍は、仇討ちを主眼とし、逸る気持ちで遮二無二攻めてくるに違いない。そこを、じっくりと腰を落ち着けて、迎え撃つことができる。云うまでもなく野戦では、敵を自軍の有利な場所におびき寄せた方が勝ちだ。光秀の頭脳には、勝敗の機微が計算されていた。
しかし、その計算には秀吉を過小評価した誤差が含まれていることを、心労のためか、光秀は気付かなかった。
光秀と秀吉は、云うならば織田兵軍学校で主席を争う頭脳の持ち主だった。
この時、二人の頭脳にあったのは、野戦の教科書ともいえる長篠の戦だ。長篠の戦といえば、馬防柵や鉄砲隊の三段撃ちが有名だが、何といってもそれ以前に用意された場所(馬防柵が設置可能な場所、銃を持った兵が隊列を組める場所)に敵をおびき寄せることができたことが、武田家に勝った最大の勝因である。二人とも戦闘の行われる場所には充分留意しただろう。ただ光秀は肝心なところを読み間違えた。即ち秀吉軍がどの様なモチベーションを持ち、戦いに挑むかを読み間違えた。そのことを光秀は、夜明けと同時に思い知らされる。

雨は夜明け前に止み、日が昇り、霞が立った。南殿寺の光秀のもとに、伝令が駆け込んだ。
この時点で、秀吉軍の姿がそろそろ見えてくる頃だろうと想定していた。
「秀吉はどこまで来ている」
「秀吉軍は、昨日富田を出て山崎に到着、そこに留まっています」
「山崎?山崎まで来て、そこから動いていないのか?」
「はい、山崎に陣を張っております」
「何?山崎に陣を張っただと?」
驚愕した光秀は、地図に目をやった。山崎。光秀の視線はその一点で動きを停めた。「やられた」声にならない声を出した。
光秀は秀吉の意図をすぐに理解した。秀吉軍は山陽道を駆け上がってきた。山陽道は、山崎で、西国街道と二股に分かれる。どちらの街道を通っても上洛できる。
ここで光秀は、初めて秀吉の戦略が自分より一枚上手だと気が付かざるを得なかった。
“信長の仇を討つ” を旗印に秀吉軍はひたすらに明智軍を目指しているものだと思い込んでいた。しかし、現実には秀吉は山崎に陣を張り、光秀にここまで来て戦えと手招きしている。光秀が山崎まで攻めに出なければ、秀吉は難なく西国街道を上り、上洛するだろう。秀吉に先に上洛されたら終わりだ。光秀は正真正銘の逆賊になってしまう。
秀吉の目的は天下を掌握することだったのだ。戦の場所を山崎とするのは、既に秀吉の術中にはめられているのだが、もはやそんなことに拘っている場合ではない。山崎への進軍を躊躇ためらっている場合ではない。もはや待ったは無い。
光秀は下知をした。
「陣を払い、出撃する。全軍に触れて廻れ」
明智軍は、慌ただしく陣を払い、山崎への行軍を開始した。

㊷六月十二日:山崎

山崎は淀川に面した、商人の町だった。淀川の水運を利用し、良質な京都の酒を、大坂に運ぶ中継地として栄えた。町の規模そのものはさして大きくないが、裕福な町屋が並んでいた。
鳥羽街道は、淀川に沿って走っている。大坂方面から京都に向けて鳥羽街道を進むと、左に摂津の峻厳な山並みが見える。見ようによっては淀川の流れが、山並みに強引に押し曲げられた形になっている。その山並みの端の一番高いところが、天王山と呼ばれている。
秀吉はその天王山の麓に主力軍を置いた。山と川に挟まれた隘路あいろを抜けると、目の前に平野が広がってくる。秀吉軍はその平野に、扇を広げたように陣を配置した。
更に、天王山山頂に軍師・黒田官兵衛義孝と羽柴秀長(秀吉異母弟)の陣を張らせた。
今しがた、一騎の伝令が秀吉の本陣に駆け込んできた。
「報告します。明智軍は今朝、下鳥羽の陣を払い、ここ山崎に向けて兵を発進させました」
「そうか、明智が動いたか」
秀吉は床几から立ち上がり、大きく頷いた。
来い、明智。お互い信長公のもとで勤め、手の内を知悉した間柄だ。(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

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