魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

門井慶喜『なぜ秀吉は』

出版社による『なぜ秀吉は』の広告。

表題の歴史小説につきまして、一天一笑さんから紹介文をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


門井かどい慶喜よしのぶ『なぜ秀吉は』(毎日新聞出版)を読了して。
豊臣秀吉はなぜ文禄・慶長の役を強行しなければならなかったのかの謎に『家康、江戸を建てる』の著者・門井慶喜が多角的な視点から挑みます。秀吉はなぜ最晩年に「唐入からいり」に固執したのか。
戦国時代の末期から江戸時代初期の大坂、肥前名護屋城)が舞台です。
西暦1585年~1638年頃の物語でしょうか。

プロローグ

この物語は、秀吉の異父弟(実弟?)の大和郡山城主・羽柴秀長が、自分の居城から大坂城へと向かう道中、兄・秀吉とくつわを並べながら心中の煩悶を点検する場面から始まります。場所は、生駒越えの難所・暗峠くらがりとうげです。その暗峠で小休止し、茶を飲もうとした瞬間、石礫いしつぶてに茶碗が粉砕されます。秀吉は刺客に襲われました。犯人は陶工カラク(本名・鄭憲)です。
周囲はカラクの処刑を勧めるのですが、どうしたことか秀吉はカラクを解き放ちます(無罪放免)。事件などなかったかのように大坂城に入ります。

神谷宗湛

1587年(天正15年)正月、秀吉は、筑前・博多の豪商、六代目神谷善四郎(宗湛)を招きます(カラクの親代わり)。秀吉の茶頭を務める津田宗久を始めとするいわゆる堺衆と初めて顔を合わせます。秀吉からの“天下一のもてなしをしたい”とのことばを信じた訳ではないが、人を人とも思わぬ治部少輔じぶのしょう石田三成の態度や、朝鮮渡来の井戸茶碗を使用した千利休の手前に秀吉の「唐入り」の本気度を見る。そして同じく博多の豪商・島井宗室と協力関係を保ちながら、博多の経済復興を目指す計画が何故捗らないのかに思い当たる。
宗湛は、カラクの無心を受けて寄宿舎、轆轤ろくろかま付きの陶工の集合体(村)を作る。
これは、失業者対策や地域の治安維持の側面もあります。いずれ博多周辺に「唐入り」の前線基地がつくられる事を想定して、芸術品ではなく、日常使いの瀬戸物(百円ショップで扱うような)の大量生産、あるいは城や武家屋敷を築く際の瓦の大量生産が必要となる機会を見込んでの先行投資とも言えます。

他の登場人物

他にも登場人物は多士済々です。
宣教師オルガンティーノの上司ポルトガルガスパルコエリョ。傲岸不遜で空気を読まない彼はオルガンティーノを余り評価していない。宣教師ヴァリニャーノの地位はこのコエリョよりはるかに高い。ジュストの洗礼名を持つ高山右近。同じくキリスト教徒の小西隆佐りゅうさ・行長父子(「唐入り」反対)。鍋島直茂なおしげ黒田官兵衛加藤清正らの九州の大名の外に、徳川家康前田利家、豊臣秀保ひでやす(秀吉の甥、「殺生関白」と言われた秀次の弟)。清須会議でも活躍した堀秀治、木下延俊、古田織部、東北の雄・伊達政宗などが出てきます。
また、重要なポジションは任されることはないものの、佐竹義宣増田ました長盛なども出てきます。
彼らは皆等しく、筑紫・名護屋城の地面をならすところからの任務を負っています。
そして、自分たちの陣屋も建てなければなりません。武士階級として、他家に見劣りしない陣屋を建てる必要性に迫られます。このため、カラクの工場では昼夜を問わず、300人の陶工が不眠不休で生産活動に従事することになります。
何故そうまでして秀吉は「唐入り」にこだわるのか。それは誰にも判らないし、理解のしようもありません。
中でも徳川家康は、北条氏滅亡後の後釜として、関東移封を命じられたばかりでした。この時点では左遷とも思われるのですが、やがて江戸の町が出来上がります。
家康は、二回ほど良くも悪くも人前で、秀吉自身から「唐入り」の動機を聞き出そうとしますが、秀吉が機嫌よく喋ろうとすると、火急の報せが入ったりします。なので、家康にしては珍しくイライラします。
またカラクの慕う年上の武家の女(?)草千代。慕ってもどうなるものでもないと思いつつもその思いを止められない。果たしてカラクの取る行動とは?
最後の猿楽の舞台で、その謎が明かされます。

徳川家康の江戸の町造りに興味のある方は『家康、江戸を建てる』もお読みください。
僅か数年(六年程?)しか活用されなかった名護屋城建立の物語をお楽しみ下さい。
後年、朝廷から東照大権現の尊号を受け、神となった徳川家康は、なぜ一国一城令を徹底したのかが解き明かされます。
何が人々を戦に駆り立てるのかの心理描写もお楽しみください。
天一

吉川永青『憂き夜に花を』

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「2012年隅田川花火大会」。ウィキメディア・コモンズより。

表題の作品につきまして、一天一笑さんより紹介文を頂いておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


吉川永青『憂き夜に花を』(中央公論新社)を読了して。
花火見物の掛け声「かぎや~」「たまや~」の由来をひもとくと、花火屋の屋号「鍵屋」にたどり着きます。たまや(玉屋)は鍵屋から暖簾分けをした店ですが、1843年に大火事を起こし、店は闕所けっしょ。当主・玉屋市兵衛は江戸追放の処分を受けます。玉屋は一代限りとなってしまいました。
その鍵屋六代目・弥兵衛やへえの「花火は夜を照らす、人の心も世の中も照らす」との思いを胸に、隅田川花火大会に賭ける情熱と苦闘を描く吉川永青の力作です。隅田川花火大会は、毎年七月の最終土曜日に行われるのですが、本年もコロナ禍のため中止となっています。

時は1733年(享保十八年)前後。将軍は、米公方こめくぼうとも呼ばれた八代吉宗です。
時代は疫病の流行と大飢饉のダブルパンチの様相でした。
遅い梅雨明け、そして冷夏がやってきます。例年にない気候と蝗虫こうちゅう(イナゴ・ウンカ)の食害は全国的なコメの不作を招きます。コメの値段は天井知らずに跳ね上がり、町人・農民の暴動が起きそうな世情です。
主人公の六代目・鍵屋弥兵衛は、幕府の御用商人(狼煙方御用達)です。そのため、町人や浪人に、余裕のある暮らし向きであろうと誤解されたりします。
幕府の御用達であるが故に、何処で筋違いの恨みを買うかわかりません。
しかしながら、鍵屋の内情はそれほど豊かではありません。何せ夏に一年間の必要経費、職人の給料、自分たち家族の生活費等々を稼ぎ出さねばなりません。花火の季節は夏ですが、春・秋・冬も稼業を怠けているわけではなく、新商品の試し打ち等を行います。火薬も結構な値段がします。
鍵屋の主な得意先は、隅田川に屋形船を浮かべる武家ですが(町人は豪商でも屋形船に乗ることは禁止されている)、このところ物の値段の値上がりや、締まり屋で万事地味好みの吉宗の影響によって収益は捗々しくありません。試し打ちを削減しようかとの案も出ています。
また時折、江戸城三之丸の御殿に出向き、狼煙方の役人、旗本・平田左近と面会します。
平田左近は気さくな人柄ではあるものの、役人には変わりありません。平田配下の岡っ引きの甚五郎とも交流があります。
高間河岸たかまがしの打ち毀しの時に、弥兵衛と元太は、この甚五郎に助けられます。高間河岸打ち毀しとは、吉宗の命により、米を仕入れた分全部売り切るのではなく、小出しに売ることによって、米の価格を安定させた米問屋・高間伝兵衛の自宅兼店舗が、暴徒化した群衆によって襲われ、家財道具を毀され、川に投げ込まれたりした事件です。

鍵屋の店の前で行き倒れていた大工の新蔵は、大工の腕前はあるものの、気が弱く、長屋普請をタダ同然で引き受け、棟梁に暇を出されてしまった。弥兵衛と妻・佐代は、このまま放り出したら江戸っ子の名折れと、今は使い走りしかできそうもない新蔵を家に置くことを決める。
また「御用達ならさぞ儲けているだろう、この南部鉄瓶を買って当たり前だ」と強面の屑鉄売りの京次が強引に売りつけようとした南部鉄瓶(鋳物の鉄)。勢い余って土間に投げつけた瞬間、今迄見たことのない明るい火花を出すことに注目した弥兵衛は、京次も住み込みで雇うことにした。この南部鉄瓶を研ぎ上げて細かく粉状に砕いたら、新しい花火の原料になる可能性がある。
また、弥兵衛の財布を掏りとろうとした木彫り職人の銀次も鍵屋で雇うことを決める。
銀次は、親方が高間河岸の打ち毀しのリーダーと見做され遠島。店は闕所となったため、ひもじさに耐えられず、やけのやんぱちで弥兵衛の財布を狙った。
京次、新蔵、銀次。彼らは皆“腕”を持ちながら発揮できない、八方塞がりの状況に腐っている。自分をどうしようもない“クズ”だと思いながら、“クズ”のままでは終わりたくない気持ちも持ち合わせている。
「政治が悪い、お上が悪い。白米を腹一杯食べることができるのは上(武家)だけ。何をしても無駄どころか、裏目に出るだけ」。このような憂き目を庶民に一晩だけでも忘れてもらおうと、鍵屋弥兵衛は水神祭の夜に花火を打ち上げる事を考案し、日頃付き合いのある商売人達を廻り、協賛金を募る。儲けが見込めないと商人は動かない。花火大会の挙行と夜店の営業については、役所の許可が必要なので、平田左近を説得する必要があります。
イベントの性質上、火除地ひよけちを使うことになるため、幕府の許可がどうしても必要です。
かなり難易度の高いハードルを鍵屋は乗り越えることができるのか?その切り札とは?

梅雨明けの猛暑に悩む夜にお薦めします。
天一

岩井三四二『室町もののけ草紙』

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1994年のNHK大河ドラマ花の乱』で少女時代の日野富子を演じる松たか子。うしろは細川勝元役の野村萬斎https://aikru.comより。

表題の歴史短編小説集につきまして、一天一笑さんより作品紹介をいただいておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


岩井三四二『室町もののけ草紙』(集英社文庫)を読了して。
足利幕府八代将軍足利義政正室日野富子を中心として、応仁の乱(1467年~1477年)と明応の政変(1493年)を軸に、室町時代後期の京の様子を描いています。
日野家中納言の家格ながら、足利義満の頃から代々正室として輿入れする慣習があったため、足利義政日野富子の結婚も決して貴賤結婚というわけではありません。
当時、足利将軍家では、将軍位をめぐる相続争いを避けるために、嫡男と認められる者以外の男子は、皆出家させる慣例となっていた。
時代背景としては、室町時代後期から、守護大名の力が強くなり、幼い将軍の在位が短期間だったり、六代将軍足利義教よしのりが家臣の赤松満佑みつすけに謀殺されたりで、足利将軍家の権力が衰退し、畿内に及ばなくなる一方、各々の大名家の家督相続が一筋縄ではいかなくなり、家を二分する内紛の勃発が、同時に進行していました。
四人の側室と一人の正室日野富子)を持つ足利義政は、のちに銀閣寺を建立するほどの作庭好きな将軍でしたが、当時の将軍御所(烏丸第)から、広い敷地を持ち、かつては“花の御所”と呼ばれていた室町第への移転を決定する。
無人なので荒れ果て、もののけが住んでいるとの評判も気にすることなく、経費の掛からない移築をする。手を入れながら室町第に御所をつくることに気力を注いでいる。
噂では、もののけの正体は、野狐か、将軍家に恨みを持つ者の死霊などと云われている。もののけに憑かれた者は、髪や衣服を切り裂かれるぐらいならまだしも、ひどければ病気で寝つき、果ては狂い死にの憂き目に遭うと人々に恐れられていた。
そのような時代を背景に、母としてよりは、むしろ将軍家御台所みだいどころとして生きざるを得なかった日野富子をめぐる九つの短編が収められています。

翳りゆく世に

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狩野正信筆「周茂叔愛蓮図 (しゅうもしゅくあいれんず)」(部分)。ウィキメディア・コモンズより。

将軍義政のお気に入りの絵師・小栗宗湛の助手を務める若き日の狩野かのう正信まさのぶが、貧困故に妻を病死させたことから、絵の描き方を変え、義政の同朋衆の芸阿弥の知遇を得るまでの奮闘を描く。

美しかりし粧いの、今は

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一休寺(京都府京田辺市)総門。「音阿弥」こと観世三郎元重の墓がある。ウィキメディア・コモンズより。

年相応に隠居をしたくても、戦乱ゆえに興行らしい興行もできない状況の中、観世座の危機を救おうと、可能な限りの搦め手を駆使する音阿弥おんあみの活躍を描く。

天魔の所業、もっての外なり

1473年の正月、二年前に患った中気ちゅうきから小康状態に持ち直した西軍の総大将・山名宗全の苦悩とその最期を描く。
戦乱で御所以外全て焼け野原となった洛中洛外を、高櫓から見下ろして、どうしてこのように戦が広がったのか、長引いてしまったのかが解らない。疱瘡・赤痢などの疫病の爆発的な流行も加わり、厭戦の雰囲気は戦陣にも隠しようが無かった。まるで天魔に魅入られたようだ。懊悩の末、年老いた山名宗全が取った行動とは?

将軍、帰陣す

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足利義尚像(部分)。狩野正信筆。長享元年(1487年)の近江出陣の姿を描いたもの。ウィキメディア・コモンズより。

九代将軍足利義尚よしひさの人となりとその最期を描く。
銀の匙を咥えて生まれてきた義尚だが、必ずしも幸福とは言えない。常に堂々と振る舞い、金儲けも上手く、ある意味押しつけがまく、相手の気持ちを考慮しない自己満足の愛情を子供に注ぐ母・富子に、窒息させられそうになった義尚。一万の軍勢を率いて、赤地金襴に桐唐草模様を浮かせた鎧直垂に、籠手と脇盾、脛当をつけて、馬上の人となり、腰には吉光の太刀、左脇に重藤の弓をかいこんだ。華麗な軍装を整え、近江遠征に赴いた。
父・義政とは一人の女官を取り合う醜態を繰り広げる有様となってしまった。
元服と同時に酒を覚えたため、義尚の身体は加速度的に酒毒に侵される。看病に駆け付けた母・富子は、長い間頭を離れなかった質問をする。
「将軍の座が、そなたには荷が重すぎるのか?」
九歳で将軍になった自分に選択肢はなかった。母は何故今さらそんなことを尋ねるのか?
「確かに荷が重いが、坊主は嫌です。今から出家せよと?」
「誓ってそのようなつもりはないが・・・」
病床の義尚は、母はまだ何かを胸の底に隠していると思った。
その謎は義尚の死の直前に明らかになる。
「おのれ、死霊。祟るならわらわに祟れ。何故この子に祟るのじゃ」
義尚は合点がいった。母は自分が将軍であろうとなかろうと、自分のことを思ってくれていたのだと。義尚は安心して旅立つが、富子はこの時から、自分が無理に将軍位に就けたため、義尚を早死(享年二十五歳)させたと終生罪悪感に苛まれることとなる。
この短編では、足利家の御用絵師となった狩野大炊助おおいのすけ正信が、再婚して得た十三歳の息子の四郎二郎を連れて義尚に陣中見舞いにやって来て、義尚に父・義政の近況を伝える。ご家来衆にと、四郎二郎の描いた鷹の絵を持参してくる。義尚は狩野正信の嬉しそうな顔を見て、その親子関係をどう思ったろうか。

長い旅路の果てに

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女嫌いの魔法使い、細川政元像(部分)。ウィキメディア・コモンズより。

夫・義政の没後、落飾して従一位の位を授かり、「大御台」「一位の尼」と呼ばれるようになった日野富子。四年前に息子の義尚を、その一年後に夫の義政を亡くして以来、義政の乳母だった今参局いままいりのつぼねを祀る祠を建て、僧侶に読経を依頼し、供養を続けている。
富子は、ある日思い立って、夫と息子の墓がある相国寺へ微行で出かける。
亡夫の肖像画を見ると、息苦しくなるほどの怒りに襲われるので、義尚の肖像画と向かい合い、幼い息子を無理に将軍位に据えたことを、泣きながら詫びた。
こうした感情のジェットコースターが収まると、まるで憑き物が落ちたようにスッキリした顔で輿に乗る。威容を整え(御台所時代を思えば簡素だが)、いつもの日野富子に戻る。
そして、自分の強力なバックアップがあったからこそ、将軍位に登れた筈の義材よしき足利義政の弟・義視よしみの息子=義政の甥)の余りの仕打ちに堪忍袋の緒が切れ、将軍の首を義政の異母兄、足利政知の息子・清晃せいこうにすげかえようと企む。
権謀術数には相棒が不可欠だ。細川政元日野富子が仕掛けた明応の政変は成功する。しかし、足利義高と名を改めた十一代将軍は、さして日野富子に感謝することはなかった。
義高は、かつて義政は自分を将軍に推挙したが、富子の横槍で取り消されたと思い込んでいた。

1496年2月24日、富子は紫宸殿の前庭で行われた親王主催の蹴鞠会に招待され、参内した。
富子は如才なく公家たちの相手を務めた。蹴鞠会のお開き後、清涼殿に立ち寄った。内裏の女官たちは富子を心から歓迎した。戦乱で荒廃した内裏の再建資金の調達に、富子が活躍したからだ。清涼殿の茶の間である御湯殿上おゆどののうえで、共に戦乱の世を潜り抜けてきた主上や長橋局、東の御方・花山院兼子たちと話が弾んだ。
主上の「東山殿(義政)は、立派であった。そこにいるだけで重石おもしになった」との言葉に、寡婦の身の辛さを舐めた富子は涙した。

清涼殿から寒々しい自宅へ戻った富子は、寝酒を飲んだ後、部屋の隅に白い小袖を着たもののけを見る。もののけが言った。
「長い間、邪魔したな。もう終わりじゃ。供養してくれたゆえ、望みをかなえてやった」
もののけは富子に背を向けて歩き出した。
富子は瞬時に理解した。自分も逝く時が来たのだと。
富子の死後、足利家は統制を失い、戦国時代に突入する。
ちなみに狩野正信の息子・四郎二郎は、画業に精進し、信長に安土城の襖絵制作を任されるまでになりました。

お気に入りの短編を紹介しましたが、他の四篇の短編も楽しめます。
戦乱の世を逞しく生きた日野富子。足利家に生まれた故の苦しみを味わう義政、義視、義尚。
荒れ果てた世に、自分に与えられた力と知恵を振り絞って生きた人々の物語をお楽しみください。
天一

田中啓文『信長島の惨劇』

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千利休屋敷跡 (堺市堺区宿院町西1丁)。ウィキメディア・コモンズより。

天一笑さんから表題作の紹介文を頂いておりますので掲載します。


田中啓文『信長島の惨劇』(ハヤカワ時代ミステリー)を読了して。
多作の奇才、田中啓文の魅力が存分に発揮された傑作。巻頭の献辞に「アガサ・クリスティーに」とある通り、『そして誰もいなくなった』を下敷きに、奇想天外な時代劇ミステリーが展開されます。

天正十年六月十日、本能寺の変が起こる。六月十三日に平定。そこから六月二十七日に所謂「清須会議」が開かれた。この二週間の間に、「信長島」で衝撃的な出来事が起こったが、生き残った参加者たちは何も喋らなかった。皆申し合わせたように口をつぐんだ。
三河湾に点在する島々の中に「のけもの島」と呼ばれる無人島がある。この南側以外は断崖絶壁の孤島に、突然鐘楼のある、黒い土塀に囲まれた寺院が建てられた。無人の筈なのに鐘楼の鐘が鳴り響く。山門の額には只一言「信長」と書かれていた。浜から上陸し、建物を発見した漁師は、手間賃を通常の三倍支払うとの好条件に応募した大工たちが、誰一人として帰って来なかったという話を、最近三河の港で聞いたことを思い出した。その後、その島は“信長島”と呼ばれることとなった。
ちょうど其の頃、京で或るわらべ歌が流行り始めた。最初は子どもたちだけが口ずさんでいたが、やがて大人たちも口ずさむようになった。
“かごめかごめ、かごのなかのこまどりが言うことにゃ、人もかよわぬ山奥に六つの獣がござった”で始まる六番まである残酷なわらべ歌は、誰が流行らせたのか?

“信長島”に招待された人々のメンツ(到着順)。
彼らは皆、亡き信長に対して後ろめたい事情を抱えている。

  1. 中国大返し後、山崎の戦いを制し、ほぼ天下人間違いなしの羽柴秀吉
  2. 秀吉と密約をかわし、山崎の戦いをサボった柴田勝家
  3. 摂津・高槻城城主、四万石のキリシタン大名、ジュストこと高山右近千宗易の高弟。
  4. 堺から伊賀越えを果たし、山崎の戦いに出向こうとした徳川家康
  5. 遅参確定の謎の客。

饗応役のメンツ。

  1. “謀反人の娘”として丹後・三戸野の細川屋敷に幽閉されている筈の玉。
  2. 信長の小姓頭にして五万石大名、顔に刀傷と火傷の痕を持つ森蘭丸
  3. “上様の名代”を以て任ずる、黒頭巾と褐色の道服を着用の信長茶堂、千宗易
  4. 本能寺で行方不明になった筈の弥助。
  5. 新しく雇われた料理人二名と下男下女四名。

彼らを信長島に招待したのは本当に信長なのか?
六人は皆信長の真筆と思われる書状を携えてきた。
文面、筆跡、花押。どれをとっても真筆と判断せざるを得ない書状だ。
書状の内容は次のとおり。

余は存命である。本能寺の火災をからくも抜け出すことができた。
向後のことを相談したい。〇月〇日〇の刻、三河湾にある「のけもの島」に参れ。
供を連れず、かならず一人でこい。持参品は身の回りの品のみ許す。
着替えなどは当方にて支度しておく。二晩泊まってもらうから、そのつもりでおれ。
迎えの船は三日目の朝に来るように手配しておけ。
最後によきことを教えてやろう。
貴様は余が知らぬと思うておるやも知れぬが、余は知っているぞ。
信長

果たして誰が何の目的をもって「信長島」に六人を集めたのか?
惨劇の「ホラー」と法螺吹きの「ほら」を交互に織り交ぜ、生き生きとしたキャラクターを創り出す作者の世界をお楽しみ下さい。
また、大阪府出身の作者が各地方の方言(尾張弁、大阪弁東京弁)を自然に駆使するのも見事です。些か荒唐無稽の趣がありますが、思わず一気読みしてしまいます。
『信長島の惨劇』をお薦めします。
天一

クリスティナ・ロセッティ「世界(The World)」他二篇

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作者不詳『ホロフェルネスの首を持つユディット』。1540年~1550年頃。アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)蔵。ウィキメディア・コモンズより。

世界(The World)

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映画『バンパイア・ラヴァーズ』(1970年)のワンシーン。インターネット・ムービー・データベースより。

白昼 彼女は私に愛をささやく
 けれども夜間 月さながらに彼女は変わる
 そのただれた横顔は見るも無残で
その髪には毒蛇がひそんでいるのがわかる
白昼 彼女は私を外へ連れ出す
 そこには花と熟れた果実と欲求の充足がある
 だが夜間 彼女はけだものとなって私に笑いかける
愛も祈りも効かない正銘の化け物なのだ
白昼 彼女は嘘を示す 夜間 彼女は
 恐ろしい現実を その赤裸々なすがたで示す
そこには怒りと憎しみといさかいの他に何物もない
これが本当に私のお友だちで それで私は
 彼女にすべてを捧げ 果ては手に手をとって
ともにひづめのごとく裂けた足で 堕ちてゆくのでしょうか

ハートの女王(The Queen Of Hearts)

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フランス版デッキの「ハートの女王」、別名「ユディット(Judith)」。ウィキメディア・コモンズより。

ねえフローラ どうして私たちが
カードで遊ぶ時はいつも
あなたの手札の中に
ハートの女王がいるのかしら

あなたの秘術を見破ろうと決めて
目を皿にして見つめた
けれどいくら目を凝らしても
あなたの手口が見抜けないのよ

何回もシャッフルをして カットした
けれど何回シャッフルをして カットして
信じても 念じても無駄
彼女はあなたの手に落ちている

彼女をはずしたこともある けれどカードを
配り終えないうちに あなたは異変に気づき
「一枚足りない」と言って
テーブルの下を探した

いかさまをしたこともある 彼女の背中に
秘密の目印を付けて 虎視眈々とうかがっていた
ところが同じ後ろ姿に
私はあざむかれた

クラブの女王の背中に 何者かの手によって
そっくりな目印が付けられていて
このわからない罠にかかって
私は敗れた

フローラ 私は唖然呆然
それは技術スキル工作クラフト?それとも幸運ラック
それとも あなたと彼女とは生来
惹かれ合うものがあるのかしらね

エリナー(Eleanor)

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コルセットを着用する上流婦人。サン=エルム・ゴーチェ(Saint-Elme Gautier)によるイラスト。『時代を超えたコルセット(Le corset à travers les ages)』(1893年)所収。ウィキメディア・コモンズより。

さくらんぼのように紅い唇
朝の空のように青い瞳
貴婦人のように細い腰は
愛らしく丸みを帯びて
彼女が顔を輝かせると
誰もがうれしくなった
とはいえ笑顔よりも心地よかったのは
彼女の声のトーンでした

彼女が話す時も 歌う時も
その声は不思議な旋律を奏で
あたりの空気の中を
いつまでも漂うのでした
それはあたかも太陽に向かって
流れる風の音のように
ついには輝きと熱気と響きとが
ひとつに溶け合うまでに

気高い心を物語る
彼女の秀でた白いひたいの上には
金色の長い髪が
さらさらと流れていました
彼女の小さな手と足は
お友だちの訪れに
いつでも駆けつける用意が出来ていて
ドアから差し出すものは笑顔でした

とはいえ歌う時も 話す時も
その声は耳にこころよかった
それはあたかもはるかな岸辺へと
寄せては返す波の音のように
それはまた あたかも神に召された一人の天使
この地上を離れ
天国へと旅する道すがら
うたうよろこびの歌のように