魔性の血

拙訳『吸血鬼カーミラ』は公開を終了しました。

(日本語訳)アルフレッド・テニスン「姉妹(The Sisters)」

ジェームズ・コリンソン(James Collinson)「姉妹」。ウィキメディア・コモンズより。

私たちは姉妹だった
妹の方が美人だった
 林間の城館に風は戯れ
彼女は彼と付き合って堕落した
それで私は復讐をしなければならなくなった 
 その伯爵は美男子だった

妹は死んで地獄に落ちた
私たちの家名に泥を塗った
 林間の城館に風は吹きつけ
私は彼の歓心を得ようと
昼夜を問わず機会をうかがっていた
 その伯爵は美男子だった

パーティを開いて彼を招いた
彼の好意を得て自宅に連れ込んだ
 林間の城館に風は吹き荒れ
そうして軽い夕食のあと
私たちはベッドを共にした
 その伯爵は美男子だった

彼の眠そうなまぶたに口づけをした
その薔薇色の頬は私の胸の上にあった
 林間の城館に風吹きすさび
私は彼のことが大嫌いだったが
その美貌に心が動かないこともなかった
 その伯爵は美男子だった

深夜に目をさました私は
ダガーを念入りに研ぎ澄ました
 林間の城館に風が猛り狂い
そうして安らかな寝息を立てている彼の胸を
三度にわたって深々と刺した
 その伯爵は美男子だった

彼の乱れた髪を整えてやった
その死に顔はまことに美しかった
 林間の城館に風は戯れ
私は彼の亡骸をシーツに包み
彼の母親の足もとに横たえて差し上げた
 その伯爵は美男子だった

 

 

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「妖精の島(The Island of the Fay)」

ポーの「妖精の島」と同時に雑誌掲載されたジョン・サーテイン(John Sartain)によるエングレービング。「ジョン・マーティンのオリジナルによる」との但し書きがついている。ドイツ語版ウィキペディアによれば、ポーはこの絵から着想を得て「エレオノーラ」とこの「妖精の島」を書いた。eapoe.orgより。

ポーの宇宙観の一端がうかがわれるファンタジー。原文はこちら


「どこにもその土地の守護神がいる」マウルス・セルウィウス・ホノラトゥス


その書名が『教訓譚モラル・テイルズ』と、すべての英訳において誤訳されている『コント・モロー(Contes Moraux)』*1という書の中で、ジャン=フランソワ・マルモンテルは「自分一人で楽しめる才能は楽才だけで、他のものは他者を必要とする」と言っている。彼はここで楽音から得られる快感と、楽音を産出する能力とを混同している。音楽的才能の行使を余すところなく楽しむには他者の評価が必要で、これは他の才能も同様だ。一方、楽才がもたらす効果は一人でいる時こそ完全に楽しめる、これも他の才能と同様だ。この座談の妙手ラコントゥールが明確に抱懐し得なかったか、あるいは洒落たことを言いたいというフランス人特有の欲求から充分に表現し切れなかった観念とはすなわち、より高次元の音楽は、まったく一人きりの状態においてこそ、もっとも完全に楽しめるという動かしがたい認識である。このように言い表せば、音楽を音楽のために楽しむ人、音楽をその霊的な効果のために楽しむ人は、これを即座に承認して下さるだろう。だがこの下界の人間の手の届く範囲内に、おそらくもう一つだけ、孤独の感情センチメントを伴うことで音楽以上に恩恵をこうむる快楽がある。私は自然鑑賞から得られる快楽のことを言っているのである。地上における神の栄光を正しく鑑賞したいと願う者は、これを一人で鑑賞しなければならない。少なくとも私の目には、人間のみならず、植物以外のいかなる生物の姿プレゼンスも、風景の中の汚点、風景美の真髄ジーニアスに反する異物と映る。暗い谷、灰色の岩、静かに微笑む湖、寝苦しそうに溜息をつく森、そうして一切を眼光鋭く見下ろしている秀峰――私はこれらのものをそれ自身、生命と感性とを併せ持つ大いなる全体の、途轍もない構成員メンバーたちに過ぎぬと見なしたい。この全体の形(球形)はもっとも完璧で開放的インクルーシブな形である。その道は他の仲間の星たちの間にある。その従順な侍女は月である。その間接的な支配者は太陽だ。その寿命は永遠だ。その愉楽とは知識だ。その運命は厖大ぼうだい過ぎて不明である。そうしてこの全体なるものがわれわれについて持っている認識は、われわれが脳内に巣食っている微生物アニマキュールについて持っている認識と酷似しており、微生物アニマキュールがわれわれについて必ずや思っているであろうところとほぼ同様に、われわれはこれを純然たる無生命的イナニメイトな物質だと見なしているのである。
最近の望遠鏡や数学的研究によれば、無知な聖職者たちの駄弁にかかわらず、「神」が空間とその容量バルクとについて、非常に気を使っていることが方々ほうぼうで確認されている。星がその上を動いている円軌道サイクルは、可能な最大多数の天体の、衝突なき運行への進展エボリューションにとって、もっとも適したものとなっている。天体の形もまた、与えられた表面上に、可能な最大量の物質を包含するのに最適なものである。天体の表面自体もまた巧みに最適化ディスポーズされていて、同じ表面を別のやり方で整理整頓アレンジした場合よりも、物質を高密度で収容できる。空間が無限だからと言って、それが容量バルクについて「神」が何も気を使っていない論拠にはならない。なぜならそれは無限の物質によって満たされているかも知れないからだ。そうして物質への生命力ヴァイタリティの付与は、「神」の活動オペレーションにおける一つの原理であって――事実、われわれの考える限り、それが最重要の原理であることは自明なのだから、この原理はわれわれがこれを日々追跡トレースしている小なる物の世界のみならず、大なる物の世界にも及んでいると考えてもいいはずである。われわれが円軌道サイクルの中に際限なく円軌道サイクルを見つけて、それがすべて「神」を中心とする大きな円軌道サイクルに含まれるなら、われわれは類推によって同様に、命の中に命があり、小なる命は大なる命に含まれ、そうして一切は「聖霊」のうちに息づいていると考えてはならないのだろうか。要するに、人間が自分のことを、この宇宙において、その短い一生の間、またはその永い霊生の間、彼が耕しながら馬鹿にしているこの「谷間の土くれ」*2よりももっと重要な存在だと信じているのは、思い上がりから来るはなはだしい誤解である。人間は、浅はかにも、土くれが活動状態オペレーションにあるところが目に見えないからというだけで、土くれには魂がないなどと思い込んでいる。*3
以上のような、あるいはこれに類した空想は、山林の中を、または海や川のほとりをさまよう際の私の物思いに、俗人どもが必ずや「正気でないファンタスティック」と呼ぶであろう色合いを、常に添えるのだった。そのような境地シーンへの私の旅は、度重なる、人里を遠く離れた、大抵は孤独なものであった。そうして多くの深山幽谷をさまよい、多くの澄んだ湖水に映る空を見つめる面白さは、自分が今ここを一人でさまよい、これを一人で見つめているのだと考えることで倍増した。ヨハン・ゲオルク・ツィンメルマンの名著に触れて「孤独はよいものだ。だが『孤独はよいものだ』と告げる誰かが必要だ」などと言ったフランス人*4*5は、何と薄っぺらな男であったことか。このエピグラムは云い得て妙だが、そもそもそんな必要など存在しないのである。
ある日の一人旅で、山奥の寂しい川辺や湖畔をさまよっていて、私はたまたま小島のある川のほとりに出た。それは緑濃い六月のことで、私はその風景シーンを眺めながらひと眠りしようと思って、いい匂いのする名も知れぬ灌木のもと、芝生の上に身を投げ出した。この風景シーンはこのようにして眺めるしかなく、そのような幻想性ファンタズムをこの風景シーンは持っているのだ、と私は思った。
そこは夕陽の見える西側以外は緑の壁に囲まれていた。鋭角を成してカーブすることで急に見えなくなる小さな川は、東側の深い森へと吸い込まれる以外に、この牢獄からの出口がないように見受けられた。一方、西側の一角では(仰向きに長々と寝そべっている私にはそう見えたのだが)、夕陽の泉からこの谷間へと、見事な真紅の光の瀑布が、絶えず音もなく流れ落ちていた。
この狭い視界の中ほどを流れる川の中央に、植物を満載した円形の小島が浮かんでいた。

島影はその倒影と結ばれて
物ことごとく宙吊りに見え――*6

水は澄み切っていて、エメラルド色の芝生に覆われた斜面スロープのどこからが水没しているのか、判然としないほどだった。
私のいるところからは島の東西両端を見渡すことができ、私はこの両者の景観は異様に対照的だと思った。西端は風景美の一大ハーレムだった。夕陽を浴びて、花々とともに光り輝いていた。草は短く、ピンと伸びて、甘い香りを放ち、アスフォデルの花を点在させていた。樹木はしなやかに直立し、ほっそりとして優しく、その姿と葉ぶりとは東洋の風情を帯びていた。その樹皮はつやつやとして、なめらかで、多彩に着色されていた。一望して感じられるのは生きているよろこびだった。無風と言っていい気候条件にもかかわらず、羽根の生えたチューリップかと見紛う無数の蝶の乱舞*7とともに、一切が躍動していた。
島の東端は真っ黒な影に覆われていた。ここでは厳かな、とはいえ美しく安らかな闇がすべてを包み込んでいた。樹木の色は暗く、姿においても素振りにおいても悲しげで、怨念がこもっているかに見えるその身もだえは、生きるつらさや時ならぬ死といったものを連想させた。下草もまた糸杉の影の色を帯びて黒く、その細長い葉先は力なくうなだれていた。そうして草の間の至るところに醜い小山ヒロックがあり、小山ヒロックは高さも幅も奥行きもなく、墓ではないが墓のような外観を呈しており、ローズマリーヘンルーダとがその周囲から上部へと這い上がっていた。樹影は大量に水没し、水にみずからを葬ることで、この水という元素エレメントの深みに闇を生みつけているような気がした。私はこんな風に考えた。日が傾くにつれ、生まれた樹影は生んでくれた樹木から、絶えず黙々と身を投げて、流れる水のおもてに取り込まれる。一方、樹木からは絶えず次の樹影がなげうたれて、それがすでに葬られた先人たちに取って代わる。
この考えは、ひとたび私を捉えるや、とても興奮させた。私は空想に夢中になった。「もしも魔法の島があるとすれば」と私は自分に言った。「それはこの島だ。これは絶滅を免れた希少な妖精たちの棲み家なのだ。あの緑の墓は彼女たちの墓だろうか。だとすると、彼女たちもやはり死ぬのだろうか。樹木が樹影を次々と手放しながらその実質を消耗するように、妖精たちもまたその存在を少しずつ『神』に返還しながら死ぬのではないだろうか。老い朽ちる樹木が吸い込む水面に樹影を投げかけて、水は樹影を捕食することで更に黒ずむように、妖精たちも水に影を落とすことで、彼女たちを呑み込む死を養っているのではないだろうか」
なかば目を閉じながらこんなことを考えていると、日はさらに傾き、水の流れはすみやかに島を周回した。その上に浮かんでいるシカモアの樹皮の、大きくて、まばゆいばかりに真っ白な薄片フレークの数々は、思い思いの姿勢を取っていたゆえ、想像力の作用によって、どんなものへでも瞬時に変換コンバートされそうに思われたまさにその時――私がまさしく考えていた通りの「妖精」が一人あらわれ、島の西端の光の中から東端の暗がりへと、おもむろに突き進んでゆく様に思われた。彼女は妙にはかなげなカヌーの上に直立して、幻でしかない一本のオールを漕いでいた。夕陽の残照の影響下にあるうちは、彼女の姿は歓喜に輝いていた。だが東端の暗がりへと滑り込む際、悲しみで醜怪化した。彼女はゆっくりと移動し、島を一周すると、ふたたび光の世界に姿を現わした。「彼女が経た激変レボルーションは」と私は考えながら言った。「彼女の生涯における短い四季の一周期サイクルなのだ。彼女は夏を駆け、冬を抜けた。一つ年を取って、一年寿命を縮めた。なぜなら私は彼女が暗がりへと滑り込む際、彼女の落とした影が波に呑まれ、それで黒い水がもっと黒くなるのをこの目で見たからだ」
ボートに乗った「妖精」はふたたび現われた。だが彼女の姿からははじけるような歓喜が減って、不安と気苦労とが増えていた。彼女はふたたび光の中から(刻々と深まる)闇のうちへと移り、影は落ち、黒ずんだ水へと吸い込まれた。そうして彼女は何度も何度も島の周囲をめぐり(その間に日は急速に沈んでいった)、彼女の姿には、明るみに出るたびに、よりいっそう深い悲しみが感じられた。彼女はさらに衰え、活気を失い、輪郭も不明瞭になっていった。そうして暗がりを通過するたびに、彼女はもっと暗い影を落とし、波ももっと黒くなった。だが遂に日はとっぷりと暮れ、もはやかつての「妖精」の亡霊でしかなくなったこの「妖精」は、悲しみに打ちひしがれて、ボートに乗ったまま、暗黒の水域へと姿を消した。そうしてあたりは真っ暗になり、私は彼女の妖しい姿を永遠に見失ってしまったので、彼女がそこから再生できたかどうかは知る由もない。

上のエングレービングの原画とされるジョン・マーティンの「パンとシュリンクス」。gallerix.orgより。

 

 

*1:原注:ここでの“Moraux”は“mœurs”から来ていて、これは「今風の」、もっと厳密に言うと「生活習慣の」の意。

*2:訳者注:「彼はかれて墓に行き、塚の上で見張りされ、谷の土くれも彼には快く、すべての人はそのあとに従う。彼の前に行った者も数えきれない」云々。(『口語訳旧約聖書ヨブ記 21:32-33)

*3:原注:ポンポニウス・メラは潮の干満に触れて、その著『世界地理』に曰く「あるいは世界は大いなる動物やも知れぬ、云々」。

*4:原注:バルザック。大意であって、言葉は記憶しない。

*5:訳者注:オノレ・ド・バルザックではなく、ジャン=ルイ・ゲ・ド・バルザックの言葉だそうです。こちらのサイトに詳しい解説があります。

*6:訳者注:ポー自身の詩「海中の都市」第26-27行参照。

*7:原注:「(蝶は)液体の空を泳ぐ一輪の花のようだ」――ジャン・コミール神父。

再読・伊東潤『天下人の茶』

南宗寺(大阪府堺市)の実相庵。利休好みの茶室と言われる。ウィキメディア・コモンズより。

表題の歴史小説につきまして、一天一笑さんより再度紹介記事を頂いておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。前回の記事はこちら


はじめに

伊東潤『天下人の茶』(文藝春秋)を読了して。
慶長元年(1596年)五月、秀吉が三度目となる禁中能を舞うシーンから始まります。
当時、能は庶民の芸術扱いだったので、伝統と慣習を墨守する宮中を、天下人の権力をもって押し切って、開催に漕ぎつけたのだ。そうまでして、何故秀吉は“明智討”を舞わなければならなかったのか?みかどの高覧を心から願ったのか?
そもそも秀吉が、信長の家来衆から頭一つ抜きんでた存在になったのは、“本能寺の変”で、いち早く謀反人・明智光秀を討ち果たし、その余勢を駆って清須会議で信長の嫡流の孫(信忠の長男)の後見人となり、その地位を不動のものとしたからだ。
だがしかし、本能寺の変後の“中国大返し”を始め、山崎の戦いの勝利まで、秀吉一人で立案・実践できようか?秀吉には協力者がいて、絵を描き、踊らせたのではないだろうか?その人物は、豊臣家の滅亡をも見越していたのではないだろうか?
その人物とは誰なのか?因みに、秀吉は能に夢中になる以前は、茶道に精を出していた。

登場人物

登場人物は、豊臣秀吉を始め、千利休、牧村兵部ひょうぶ、瀬田掃部かもん古田織部細川忠興などです。
勿論、織田信長明智光秀も登場しますよ。利休の弟子の山上宗二も。
武将以外の彼らの共通点は何か?それは茶の湯織田信長はともかく、他の者には師弟関係が結ばれる。朝鮮半島へ出陣した武将もいるし、そうでない武将もいた。
彼らが各々に相応しい茶の道を見つけるのだが、それにはとても大きな代償を支払う。
さすがに、権力者となった秀吉に挑み、最期まで己の美意識を捨てなかった利休の弟子たちだった(勿論、利休七哲に、古田織部細川忠興も入っています)。

秀吉はなぜ利休を恐れたか?

天正四年(1576年)六月、安土城普請開始の折に、信長は茶会を開いた。目的は「茶の湯政道」を実現させるため、堺三人衆(今井宗久、津田宗及、千宗易)と織田家三人衆(明智光秀丹羽長秀羽柴秀吉)の顔合わせをしておこうというのだ。武将から名物茶器を召し上げ、手柄を挙げた他の武将に下賜する。やがて天下万民に茶の湯が行きわたれば(庶民をコントロールできれば)、茶の宗匠たちの権威は高まり、物流や交易が栄える。金に糸目を付けずに買い求める富裕層も出てくる可能性がある。信長は、大陸(厦門アモイ澳門マカオ香港ホンコン)の港を押さえ、南蛮貿易を振興し、利益を得ると、見果てぬ夢を六人に語った。
秀吉には、茶の湯の何が面白いのかは理解不能だが、茶の湯を許可制にして天下を治める必要は理解できた。この「茶の湯政道」の発案者が千宗易と聞き、油断のならない人物だと思った。自分より十五歳年上で、堺の裕福な商家の出身である。挙措動作は人より一拍以上遅いが、鈍い訳ではなく、この男のリズムらしい。声はしゃがれているが、心地よい声である。
この茶席では明智光秀が「『茶の湯政道』では明日の食い扶持が必要な自分の家臣たちを救えぬ」と正論を言って、信長の不興を買い、何も下賜されなかった。丹羽長秀玉澗ぎょくかんの「山市晴嵐さんしせいらんず」を、秀吉は「洞庭秋月図どうていしゅうげつず」を下賜された。
千宗易は秀吉に言った。「われら堺衆は、織田家の治世に大いに期待しております」

第二部

天正五年(1577年)、秀吉は西国を制した褒美として、信長から乙御前釜おとごぜがまを拝領し、更に「茶の湯張行ちょうぎょう」の許可を得た。とうとう自分で茶会を開ける立場になった。しかし、茶会の体裁を整えるのは大変である。大金を投じて牧谿もっけの軸に相応しい茶道具を手に入れた。天正六年(1578年)、三木城の籠城戦を戦いながら、津田宗及を招いて口切の茶会を開き、織田家重臣の列に連なる事ができた。天正八年(1580年)正月、姫路城を完成させ、尼子天目あまこてんもくを手に入れた秀吉は、この天目に初めて心を奪われた。信長の目論見通り、茶の湯に嵌まった。秀吉が茶会に招くのは妙にウマのあった津田宗及だけであり、千宗易は意識的に避けていた。
天正十年(1582年)、秀吉が姫路城で茶会を開いた折に、津田宗及は、千宗易の高弟で「唐名物の造詣については当代随一」との触れ込みの山上宗二を伴ってきた。宗二は信長から秀吉専属の茶頭さどうを務めるよう命じられたのだ(信長専属の茶頭を秀吉が横取りした形になった)。宗二は只不愛想に点前てまえを披露するだけで、秀吉とは必要最小限の会話しか交わさない。しかも突然「所用がある」と堺に帰ってしまった。秀吉は怒るが、秀吉自身多忙であり、宗二ごときにかかわってはおれない。この時期、宇喜多家の後継者問題で信長の指示を仰ぐ必要が出てきたので、安土城に出仕した。結局、宇喜多秀家家督相続が認められ、秀吉は自分の安土屋敷に帰った。帰宅した秀吉は、千宗易の訪問を受けた。
煩わしくもあったが、千宗易を通じて信長の機嫌を損じてはまずい。家人に言いつけた。
「せっかくだから茶をててもらおう。飯と茶会の仕度をしておくように」
黒の頭巾をかぶり、木蘭色もくらんいろの道服を着て、首からは金襴の絡子らくすを垂らした宗易が平服して言った。
「宗二のことで、ご迷惑をおかけしまた。既にキツク叱り、姫路に向かわせました」
「ご配慮かたじけない。この度は茶匠ちゃしょうにも様々あると学びました」
秀吉の皮肉である。
「時に宗易どの、せっかくなので飯の後に、薄茶うすちゃでも点てていただけないか」
略式ではあるが、式正しきしょうの一から三の膳までの食事が出た。食後、一客一亭いっていの茶席に移動した。
宗易の点前を見る秀吉は、名人や名工を超えていると思った。かつて宣教師ヴァリニャーノか誰かが、信長公に絵画を献上した時、名工の仕事と褒めたが、通訳は「いいえ、名人の仕事ではなく、芸術家の仕事です」と訂正した。宗易はまさにそうだ。津田宗及や今井宗久は「名人」ではあるが、宗易は違う。宗易の点てた茶は、濃すぎることもなく、薄すぎることもなく、程よく泡立ち、馥郁とした香りとともに、程よく秀吉の舌を刺激する。
宗易の流れるような動作は、細川忠興が言った以上の何かを持っている。
「尊師は頭の中に曲尺かねわりを持っている。常人には考えられない程、正確で寸分の狂いもなく、茶の湯室礼しつらいに活かされている」
「時に羽柴さま」
秀吉は我に還った。
「右府様は天下を制しても、大陸進出を諦めない限り、天下万民に静謐は訪れません」
「何を言いたい」
「羽柴さま、もしも右府さまがこの世からいなくなれば・・・」
「それ以上言うな!」
秀吉は両耳を塞ごうとしたが、宗易は言葉を続けた。
「右府様をたおし、羽柴さまが天下を取るおつもりがおありか?」
野心のくびきから逃れるには、野心を達成するしかない。まるで底なしの流砂に飲み込まれていくようだ。秀吉は肚を決めた。
秀吉の安土屋敷で、何が話し合われたのかは、二人以外誰も知らない。

その後、天正十二年(1584年)正月、秀吉は侘数寄の象徴として、大坂城内に山里丸を築き、数寄屋(茶室)の座敷開きを行った。これにより、表向きの天下人は秀吉だが、裏の天下人は宗易であることが誰の目にも明らかになった。美の世界を支配した。
天正十四年(1586年)正月。この頃から宗易改め利休と秀吉の関係は、誰の目にもわかるほど隙間風が吹いていた。利休は秀吉をコントロールできなくなった。
利休は苦肉の策として、大陸進出を認める以外なかった。

利休の狭い茶室に代表される「侘び」と、豪華絢爛たる黄金の茶室に代表される秀吉の「侘び」とは相反するようで、源流が同じであるのは、誰にも理解できなかった。
かくして利休は従容と切腹する。その脳裏には、豊臣家が程なくして滅亡するイメージを持ったまま。二人はある意味一心同体だったのだ。

長くなりましたが、利休がいなければ秀吉はいなかった、秀吉がいなければ利休もいなかった。二人とも只の茶人、只の武将に終わらない人生を存分に生きたのだった。
お楽しみください。
天一

 

 

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「倒錯の悪魔(The Imp of the Perverse)」

ジョン・リット・ペニマン「悪魔に誘惑されるキリスト」。ウィキメディア・コモンズより。

名作「黒猫」の姉妹編とも言うべき短編。併せて読まれることをお薦めします。原文はこちら


人心の原動力とも言うべき心の動きについて考える時、見逃すことのできないある根源的ラジカルで、原始的プリミティヴで、約分不可能イレデューシブルな感情が存在する。だが近代の似非脳科学フレノロジストたちは、従来の心理学者モラリストたちと同様、これを一つの心理傾向として認めていない。純然たる知的思い上がりから、われわれはこれをまったく看過してきたのだ。われわれがその存在を暗黙のうちに見過ごしてきたのは、もっぱら信仰心の欠如からであって、たとえば「黙示録」や「カバラ」の類を、われわれははなから信じないのである。われわれがこれを顧みなかったのは、ただ単にそれが大きなお世話スーパーエロゲーションに思われたからだ。われわれにはこの情動は要らなかった。その必要性がわからなかった。たとえこの原動力の概念が出しゃばることがあったとしても、これがその場かぎりにせよ、あるいは永続的にせよ、人間性に対してどのように寄与するものなのか、われわれにはさっぱりわからなかったのである。似非脳科学フレノロジーやすべての形而上学の大部分は、理論先行ア・プリオリによる産物である。よく物を見て理解する人ではなくて、頭でっかちで屁理屈好きの先生が、おそれ多くも「神」のみこころを拝察しようと試みたのだ。エホバの意図をこのように好き勝手に忖度したのち、この架空の神意をもとに、彼は無数の哲学体系を作り上げた。たとえば似非脳科学フレノロジーの体系においては、第一に、人間が食を摂るのは当然、神意とされる。それでわれわれは人間の脳の一部に「嗜食性」をつかさどる部位を割り当て、この部位は人間をして否が応でも食を摂らしめる「神」のしもとと化する。第二に、種属の維持は神意であるという前提のもとに、「好色性」の部位がただちに発見される。同様にして「好戦性」「審美性」「因果性」「構築性」――要するに、心理傾向や、感情や、純粋知性を代表するあらゆる部位が脳に発見される。このような人的行為の大原則プリンキピアを整理する上で、ヨハン・シュプルツハイムの一派は、正誤を問わず、部分的に、あるいは全体的に、原則として彼らの先人たちの旧説を踏襲した。そうして「神」の目的だの、人間の運命だのに関する先入観を土台として、その上に一切を演繹し、打ち建てている。

1895年のウェブスター教養辞典に掲載されたフレノロジーによる脳の地図。 ウィキメディア・コモンズより。

彼らは神意として認められたものを基礎として分類するよりも、人間が通常、あるいは折に触れて為すこと、もしくは人間が絶えず折に触れて為すことを基礎として(是非とも分類しなければならないものなら)分類した方がより賢明でもあり、無難でもあったろう。この世の事物に「神」を見出せない者に、これを現わし給うた「神」の想像を絶する真意がわかるわけがない。外在的な被造物を正しく理解することで、われわれは初めて創造の内在的な意向ムード位相フェーズうかがい知ることができるのである。
似非脳科学フレノロジーは、もし経験主義的ア・ポステリオリ帰納法に拠っていたならば、人的行為の先天的かつ根本的な原理プリンシプルとして、その特徴をよりよく示す言葉がないゆえに今は倒錯性と呼んでおくところの、ある逆説的な何物かを認めるに到っただろう。それは動因なき動力であり、無動機の動機である。それが作用している間、われわれは理解可能な目的なしに行動する。あるいは、この言い回しが意味を成さないと言うのなら、われわれはこの心理傾向が作用している間、してはいけないという理由からそれをするのだ、と言い換えてもよい。理屈の上では、これは理由になっていない。だが実際には、これほど強力な理由はない。ある条件下のある精神においては、これはまったく太刀打ちできないものとなる。いかなる行為においても、その不当性を確信することは、しばしばわれわれ自身を駆り立てて、その行為の強行へと向かわせるところの唯一にして打ち克ちがたい駆動力フォースと化し得るのである。また、悪のために悪を為そうとするこの圧倒的な心理傾向は、分析も、隠微アルテリアな要素への分解をも許さない。それは根源的ラジカルで、原始的プリミティヴで、元素的エレメンタリーな衝動である。なお、われわれがその行為に固執するべきではないからこそ固執するのなら、それは似非脳科学フレノロジーのいわゆる好戦性に端を発するものの一変形に過ぎぬ、と言われるかも知れない。俺は言下に否と言う。似非脳科学フレノロジーのいわゆる好戦性の本質にあるものは、自己防衛セルフ・ディフェンスの必要である。それは傷つかないための安全策セーフガードなのだ。その原理プリンシプルは無事であることへの顧慮に存する。そうして無事でありたいという欲求は、好戦性の展開と同時進行で掻き立てられる。すなわち、好戦性の一変形に過ぎないあらゆる原理原則プリンシプルは、無事でありたいという欲求の興奮を常に伴っている。ところが俺がいま倒錯と呼ぶこの症状ケースにおいては、無事でありたいという欲求は起こらないばかりか、無事であることを断固拒否する感情センチメントが湧き起こるのだ。
結局のところ、上のような反論に対しては、自分の胸に聞いてみろと答える他はない。自分自身と正面から向き合い、みずからを真摯に省みることのできる人は、くだんの心理傾向の完全なる原初性ラジカルネスを否定することなど出来ないはずだ。その傾向は難解どころか、むしろ歴然としている。たとえば人間誰しも、時として、話し相手を婉曲話法サーカムロキューションによって憤慨させてやりたいという強烈な欲求を抱いたことがあるだろう。語り手は聞き手の機嫌を損ねることを知っている。実は聞き手の気に入りたいと願っている。彼はいつもは簡潔、明快、正確なのだ。すっきりした言い回しが喉元まで出かかっている。それを我慢するのは苦痛でしかない。本当は聞き手を怒らせるのが恐ろしくて嫌なのである。ところが一定の煩雑化インボルーションもしくは語句挿入パーレンシスによって、聞き手をまさしく怒らせることができるかも知れないという考えが、ふと頭に浮かぶ。そのたった一つの考えだけで充分だ。衝動はいよいよ募り、やがては抑え切れない欲求となって、遂には(語り手にとってはまことに残念かつ無念なことに、あらゆる重大な結果を物ともせず)充足される。
スピーディに片付けなければならないある仕事タスクが目の前にあるとする。遅延は破滅を招く。もっとも切実な人生の危機が、緊急の活力エナジーと行動とを要求して、喇叭らっぱを吹く。われわれは着手したいという願望にこの身を焦がし、輝かしい結果を思い描いて心を燃やす。今日取りかからなければならない。それはわかっている。にもかかかわらず、われわれは明日に延ばしてしまう。何故か。答えは倒錯の心理という他にはないのであって、今は原理プリンシプルに関する理解を欠いたまま、この語を用いる。次の日が来て、仕事をしたいという更に切なる願望が来る。だがこの願望が募るにつれて訪れるのはある名付けがたい欲求、すなわち仕事を先に延ばしたいという、測り知れないがゆえに空恐ろしい欲求である。時が経つにつれ、この欲求はますます強まる。行動を起こすべき最後の時が近づく。われわれの心は内面の葛藤に揺れる。それは確かなものと不確かなものとの戦い、影と実体との戦いだ。だが戦闘コンテストがここまで来れば、勝つのは影であり、われわれの抵抗は空しい。時計の鐘が鳴る。それはわれわれの希望の弔鐘であると同時に、亡霊にとっては暁を告げる鶏鳴だ。亡霊は退散する。われわれは解放される。われわれは今こそ働こうとするが、時すでに遅いのである。
断崖絶壁にたたずんでいるとする。崖下をのぞき込んで、めまいに襲われる。われわれはまず後退あとじさりしようとする衝動を覚える。不可解なことに、われわれは踏みとどまる。われわれの不快感、めまい感、そうして恐怖感は、次第に名付けようのない感情の一つの雲を混成する。それはさらに認識不可能なほどゆっくりと、魔神が出て来る魔法のランプの煙のように、物の形を取る。だがこの瀬戸際におけるわれわれの雲の中から現われる触知可能な一つの姿シェイプとは、おとぎ話の魔神などよりもはるかに恐ろしいものだ。それは一つの考えに過ぎないのだが、それでいて恐ろしい考えであって、その恐怖ホラーのよろこびの烈しさによって、われわれを骨の髄まで凍らせるものである。それはただ単に、こんな高いところから真っ逆さまに落ちた時の気分センセーションは如何なるものであろうか、というものに過ぎない。そうしてこの墜落による急死は、それがわれわれに想像できる限りのもっとも悲惨な死に様を想像させるがゆえに、それゆえにこそ、われわれは鮮烈ヴィヴィッドにこれを求めるのである。そうして理性が強く阻止するからこそ、われわれはまっしぐらにぎりぎりのところへまで接近する。このように崖っぷちで身を震わせながら、飛び降りを企てている者の情熱ほど、魔性のごとく切羽詰まった性質のものはない。この場合、一瞬でも考えごとにふけることは、死に直結する。なぜなら思考は必ず回避を促すので、だからこそ回避できなくなるからだ。誰かそばにいる者が制止チェックしてくれない限り、またはただちに腰を抜かして、後ろ向きに倒れることができない限り、われわれは飛び降りて、死ぬしかない。

ミケル・カルボネル・セルバ「サッフォーの死」。ウィキメディア・コモンズより。

以上の例、または同様の例をかんがみれば、それがすべて「倒錯」の精のせるわざであることがわかるだろう。われわれはただただその過ちを犯してはならないからこそ、犯すのだ。これ以外に認識可能な原理プリンシプルなどありはしない。これは紛れもなくサタンの直接的ダイレクトそそのかしそのものだと見なし得るだろう――もしこの衝動が折に触れ、善行への促進として作用することがないとすれば。

以上に述べてきたところは、ある程度、あなたの疑問に対する回答、すなわち俺が今ここでこうしているわけの説明になっている。すなわち俺が今こうして鎖に繋がれ、独房で暮らしている理由について、少なくとも漠たる外観アスペクトを有する何物かを供与するものとなっているはずだ。上のように長々と書かなければ、あなたもまた俺を誤解するか、その他大勢の人々と同様、俺を単なる狂人と錯覚しただろう。今はあなたもこの俺が、あの「倒錯の悪魔」の知られざる数多くの犠牲者のうちの一人に過ぎないことを、容易に理解して下さるだろう。
それにしても我ながら用意周到な犯行だった。何週間も、何ヶ月もかけて、俺は計画を練った。無数の案を破棄した。なぜならそれは少しでも発覚の恐れがあったからだ。やがて、あるフランス人の回顧録メモワールを読んでいて、マダム・ピローなる人が、誤って毒物が混入されていた蝋燭の煙を吸って、重体に陥ったというくだりを見つけた。これだ、と俺は思った。俺が殺そうとしている男にはベッドで本を読む癖があった。また奴の部屋は狭くて風通しが悪かった。だが自慢めいた話をくどくどと書く必要はあるまい。ここではただ奴の寝室の蝋燭立てにあった蝋燭を、俺が細工した蝋燭とすり替えるのに、何の苦労も要らなかったとだけ書いておく。翌朝、奴はベッドで死んでいて、検死官による判定では「自然死」とのことだった。
奴の遺産を相続して、何年かは何事もなく過ぎた。発覚の恐れは露ほどもなかった。死の蝋燭の後始末は、みずからの手で用心して行なった。俺は殺しで捕まるどころか、俺に殺しの嫌疑がかかるような手がかりを一切残さなかった。俺自身の絶対的な安全性を顧みる時、俺が味わった安心感のこころよさは筆舌に尽くしがたい。長きにわたって、俺はこの安心感を常習的に楽しんだ。それは奴を殺したことで手に入れた単なる世俗的な利益アドバンテージのすべてよりも、もっとリアルな快楽を俺にもたらしてくれた。だがやがてある時期が来て、その頃からほとんど認識不可能なほど漸進的に、この愉快な感情が執拗で、苦痛なものへと変わって行った。執拗だからこそ苦痛なのである。たとえばあるありふれた歌のリフレインや、つまらないオペラの一節が、耳の中で、あるいは記憶の中で、執拗に鳴り響いて、苦痛に感じることはよくあることだ。たとえその歌がいい歌で、そのオペラの一節が美しいものであったとしても、苦痛であることに変わりはない。このように、俺はとうとう気がつくと、「安心だ」という決まり文句を、絶えず口の中でモゴモゴと呟いているようになった。
ある日、通りをぶらつきながら、俺は例によって「安心だ」となかば声に出して呟いている自分に気がついた。癇癪を起して、俺はこれをこのように改変リモデルした。「安心だ――心配ない――俺が率直な告白オープン・コンフェッションをするほどの馬鹿でない限りは」
このような呟きをもらすや否や、頭から血の気が引くのを感じた。俺は例の倒錯の発作(その性質については上にいささか駄弁を弄して説明した)の際に、何度かこの感覚を経験したことがあって、俺の記憶の限りでは、俺はこの衝動に抵抗できたためしがなかった。そうして今やこの何気ない自己暗示、すなわち俺は自分で自分の罪を暴露するほどの馬鹿かも知れないという自己暗示が、俺が殺してやった男の亡霊そのもののごとく、眼前に立ち現れ、手招きした。
初めのうち、この妄想を振り払うべく頑張った。俺は大手おおでを振って、大股で、元気よく歩いた。俺の歩調は速くなり、速くなり、いつしか俺は駆け出していた。大声を上げたい渇望を感じた。考えの波が、新たな恐怖テラーとともに、次から次へと押し寄せてきて、なぜならこの場合、考えることは身の破滅を意味したからである。俺は止まらなかった。混雑した大通りを、狂人のように、人を突き飛ばしながら走った。やがて大勢の人々が驚いて、後を追ってきた。もうお終いだ、と俺は思った。出来るなら、舌を引っこ抜いてしまいたかった――だがその時、俺の耳もとで乱暴な声がして、さらに乱暴な腕が俺の肩をつかんだ。俺は振り向いて――息をのんだ。一瞬、息ができなくなって、断末魔の苦しみを覚えた。目の前が急に暗くなると同時に、姿なき悪魔の大いなるたなごころが、俺の背中をドスンと叩いたような気がした。心の底に押し込めていた秘密が、口を衝いてほとばしり出た。
聞いた話では、俺は発音は明瞭ながら、非常に強い語調をもって、早口でまくし立て、その短いけれども聞き捨てならない自供の要点を、邪魔されずに、最後までしゃべり切ろうと、あたかも死に物狂いであるかのように見えたそうだ。
死刑になるために必要なことをすべて口走ると、俺は気を失って、うつぶせに倒れた。
もう言い残すことはない。今日、俺は鎖に繋がれてここにいる。明日、俺は鎖を解かれ、そしてどこにもいなくなる

 

 

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人事件(The Murders in the Rue Morgue)」(解決編)

アメリカ映画『推理作家ポー 最期の5日間』(2012年)のワンシーン。imdb.comより。

彼の目には壁しか映っていなかった。

既に述べた通り、デュパンという男には気紛れなところがあって、私はこれに善処したジュ・レ・メナジェ――と言うのはつまり、勝手にさせておいた。このフランス語に等価値イクイヴァレントなフレーズが、英語にはない。で、彼は今この事件に関するおしゃべりを一切したくない気分なのだった。明くる日の正午ごろになって、彼は藪から棒に「君はあの現場で何か特異なものを見なかったか」と言った。
この「特異な」という語を発音する時の彼の力の込め方には、私を故知ゆえしらず震撼させる何かがあった。
「いや、特には何も」と私は言った。「少なくとも、新聞に書いてあった以上のことは何も」
「『ガゼット』は」と彼は答えた。「この事件の前代未聞の恐怖ホラーにまだ気づいてはいないようだ。だが新聞の意見はしばらく。僕にはこの事件を難事件に見せかけているのは、実はこの事件の底の浅さそのものだという気がする。僕が言うのはつまり、この事件のもろもろの奇天烈ウトレな点だ。警察は外見的な動機の欠如に苦慮している。なぜ殺したかではなく、なぜこれほどむごい殺し方をしなければならなかったのかがわからない。同様に、階段を上がった一行によって言い争う声が聞かれた事実と、室内にはレスパネー嬢の遺体の他に何もなかったという事実、および一行に察知されない脱出エグレスの方法がないという事実とを整合リコンサイルさせることは不可能に見える。室内の荒らされ方。頭を下にして煙突に押し込まれていた死体。老婦人の遺体の惨憺さんたんたるありさま。以上の事実は、僕が既に触れたことや、ことさら触れるまでもないもろもろの事実とともに、自慢の千里眼に目つぶしを食らった警察のパワーを封じ込めるのに充分だった。彼らは普通でないものを奥の深いものと混同するというよくある過ちに陥ったのだ。だが日常茶飯事の平面性からのこのような逸脱デビエーションがあればこそ、知性は、もしその気があるのなら、真実を模索できる。このような捜査の場合、ただ単に『何が起こったか』を問うよりも、『これまでに起こったことのない何が起こったのか』を問うべきだ。事実、僕はこの謎を解くだろうし、もう解いてしまったと言ってもいいが、僕にとってのこれを解く容易さは、警察にとっての難解さと正比例している」
私は彼の顔をポカンと見つめていた。
「僕は待っている」われわれの部屋のドアに目をやりながら、彼は続けた。「僕は今ある人物を待っている。彼はおそらく真犯人ではないだろうけれども、この凶行にある程度の関わりを持っているに違いない。殺人については、彼はおそらく無実なのだろう。そうであってくれればいいと思う。僕はこの推定に、事件の全容解明に向けての一縷いちるの望みをかけている。僕はその男を、この部屋で、今か今かと待ち受けている。彼は来ないかも知れない。だが来る見込みはある。もし来たら、彼を逃がしてはいけない。ここにピストルがある。使うべき時と場合は心得ているね」
私はピストルを取ったが、自分でも何をしているのか理解できず、自分が耳にした言葉を信じることもできなかった。デュパンは依然として独語ソリロキーとしか思えない発言を続けている。こうした場合の彼の上の空アブストラクな態度については既に述べた。彼の話し相手は私だった。だが彼の声は、決して大声ではないにもかかわらず、遠く離れた誰かに向かって語りかけているようなイントネーションを持っていた。彼の虚ろな目には壁しか映っていなかった。

「それはまだ明かすまい」

「階段を上がった一行が聞いた言い争う声というのが」と彼は言った。「殺された二人の声ではないことは、証言によってしかと裏付けられている。この事実はお婆さんがまず娘を殺して、そののち自殺を図ったのではないかという疑いからわれわれを解放してくれる。僕がこの点に触れるのは主として方法メソッドのためだ。レスパネー夫人の筋力は、娘の死体をあのような形で煙突に押し込む仕事タスクにはまったく不適格だ。また夫人自身の肉体に負わされた外傷の性質は、自己抹殺セルフ・ディストラクションの観念を完全に排除する。犯行は第三者によって行われた。例の言い争う声とはこの第三者の声に違いない。僕はここで、この二つの声に関する全証言ではなく、証言中の特異な点について、君に注意を促したい。君はこれについて何か特異な点に気づかなかったか」
私はこの二つの声のうち、「どら声」については全員が口をそろえてフランス人の声だと証言しているが、もう一つの「金切り声」、もしくはある目撃者が「不快な声」と述べた声については、証言に多くの食い違いがある点を指摘した。
「それは証言そのものであって」とデュパンは言った。「証言の特異性ではない。それでは君は何にも気づかなかったのかしら。だが気づくべき何かがあったのだ。『どら声』については、君の言う通り、全証言が一致していて、異論がない。だが『金切り声』に関する証言の特異性とは、各証言が一致していないことではなくて、イタリア人も、イギリス人も、スペイン人も、オランダ人も、そうしてフランス人までもが、皆ことごとく外国人の声だと証言していることだ。全員がこれを同国人の声ではないと言う。全員がこれを自分にとっては未知の言語を操る人物の声になぞらえている。一人目のフランス人はこれをスペイン人の声だとし、『もしスペイン語がわかったら、少しは聞き取れたろう』と言う。これをフランス人の声だと言うオランダ人は『フランス語がわからないから通訳を介して証言した』。これをドイツ人の声だとするイギリス人は『ドイツ語がわからない』。これをイギリス人の声だと確信するスペイン人は『英語がわからない』からもっぱらイントネーションから判断した。これをロシア人の声だと信ずるイタリア人は『ロシア人と会話した経験がない』。あまつさえ、二人目のフランス人は一人目と違って、これをイタリア人の声に間違いないと言い、しかもイタリア語はわからないが、スペイン人同様、『イントネーションでわかる』などと言う。これほどまちまちな証言が導き出され得る声とは、何と奇妙な声だったことだろう。その調子トーンはヨーロッパの五大国のいずれの住民デニズンにとっても聞き馴染みのない声だったのだ。君はこれをアジア人、またはアフリカ人の声かも知れぬ、というだろうか。アジア人やアフリカ人はパリでは稀だ。だがその可能性インファレンスは否定しないとして、僕はここでは以下の三つの点に君の注意を喚起したい。第一に、ある者はこれを『金切り声というよりも不快な声』と言い、第二に、他の二人の者はこれを『早口で乱れた声』と言う。第三に、誰もが如何なる人語も――人語に類する如何なる声も耳にしてはいないという点だ」
「ここまでで」とデュパンは続けた。「どんな考えが君の頭に浮かんだかは知らない。ただ僕はためらわず言うが、証言のこの部分、すなわちこの『どら声』と『金切り声』という二つの声に関する部分からの正当な演繹だけでも、ある疑惑を生ぜしめるに充分であり、その疑惑は今回の捜査において、われわれを非常に遠くまで導いてくれる。僕は今『正当な演繹』と言ったけれども、僕が言いたいことはこの言葉では充分に言い尽くせていない。僕が言いたいのはこの演繹が唯一の正しいものであり、そこからくだんの疑惑が唯一の帰結として不可避的に生ずるということだ。その疑惑とは何か。それはまだ明かすまい。今はただこれが僕のあの部屋での捜査に対して、ある決定的なかたち、ある一定の方向を取るよう強いるのに充分だったということだけを、僕とともに覚えておいてくれ」

「二人は悪霊に殺されたわけではない」

「それでは心の中で、あの部屋の中へと移動してみよう。まず何を調べるか。それは犯人の脱出エグレスの方法だ。われわれは、言うまでもなく、超常現象など信じてはいない。二人は悪霊に殺されたわけではない。犯人は物質的マテリアルな存在であり、物質的マテリアルな手段を用いて逃走したのだ。幸い、この点に関する推理の様態モードは一つしかなく、この様態モード必ずやわれわれを決定的な断案へと導いてくれる。それは可能な脱出エグレスの方法を逐一調べることだ。一行が階段を上がっていた時、犯人はレスパネー嬢の遺体が見つかった部屋か、少なくともその続きの間にいたことは明らかだ。われわれが出口イシューを探さなければならないのはこの二つの部屋だけだ。警察はこの二室のゆかも、天井も、壁の造りも丸裸にして調べ尽くした。彼らの炯々たる眼光ビジランスを免れ得るところの如何なる秘密の出口イシューもあろう筈はない。だが彼らの目に頼らず、僕は自分の目で調べてみた。秘密の出口イシューはやはりなかった。二つの部屋の廊下へと通じるドアは、いずれも内側からしっかりと施錠されていた。煙突はどうか。暖炉前ハースから二、三メートル上までは通常の広さではあるものの、それから先はとても狭くて、大きめの猫だって通れやしない。以上のような脱出エグレスの方法は絶対にあり得ないから、われわれは遂に窓へと連れ戻される。玄関側の窓からでは、通りの群衆に気づかれずに逃れることは不可能だ。犯人は裏庭側の窓から逃げたに違いない。かくも理路整然たる道を通じてこの結論へとたどり着いたからには、推理をする者として、一見無理だからという理由でこれを排除するのはわれわれの本分パートではない。われわれに残された道は、この外見上の『不可能事』が、実は可能であることを示すことのみだ。

「部屋には窓が二つあった」

「部屋には窓が二つあった。一つは何もさえぎるものがなく、全形が見えていた。もう一つは馬鹿でかい寝台がぴったりと押しつけられて、下の部分が隠れていた。前者は内側から固く閉ざされていて、これを持ち上げようと頑張る者の最大限の労力にも抵抗した。窓枠フレームの左側に大きな錐穴きりあなが貫通していて、非常に丈夫な釘が、ほとんど頭まで打ち込まれていた。もう一つの窓を調べてみると、同じ釘が同じように打ち込まれていて、この窓枠サッシを持ち上げようとする精いっぱいの試みもまた水泡に帰した。警察はそれでこの方面からの脱出エグレスはないと確信した。従って、釘を抜いて窓を開けるのは大きなお世話スーパーエロゲーションだと考えられた。
「僕自身の捜査は、既に挙げた理由から――すなわちあらゆる外見的な不可能事が、実際には可能であることをここで証明しなければならないという理由から、もう少し微に入り細を穿うがったものとなった。
消去法的ア・ポステリオリに、僕はこう考えた。犯人はこの二つの窓のうち、どちらかから外に出た。従って、犯人には窓を今見られるような形で、内側から閉ざすことは不可能である。これが警察をしてこの角度からの捜査を断念させた自明な理由だ。だが窓は実際に閉まっていた。この窓にはみずからを閉ざす能力が備わっていなければならない。この結論に逃げ道はない。僕は全形が見える方の窓に近づいて、いささか難儀して釘を引き抜き、窓枠サッシを持ち上げようと試みた。だが予期した通り、窓は開かなかった。どこかにスプリングが隠れているのだと僕は思った。この考えの裏付けコラボレーションによって、釘に関する謎はまだ解けなかったものの、少なくとも僕の前提としているものが間違ってはいないという確信が持てた。丹念に探すと、隠れたスプリングがやがて明るみに出た。僕はスプリングを押してみた。そうして発見に満足して、窓枠サッシを持ち上げることは差し控えた。
「僕は釘をふたたび刺して熟視した。この窓が犯人によって閉ざされ、スプリングによって固定されたとしても、この釘がひとりでに刺さったとは考えにくい。このわかりきった結論が、僕の捜査の範囲をふたたび狭めてくれた。犯人はもう一つの窓から逃げたに違いない。各窓枠サッシに設置されているスプリングはおそらく同じだろうから、釘に相違点があるか、あるいは少なくとも、釘の固定の様態モードに相違点があるに違いない粗布サッククロスの上に乗って、僕は寝台のヘッドボードの上から第二の窓を綿密に見た。ヘッドボードの裏側に手を差し込むと、すぐにスプリングに触れたので、押してみた。予期した通り、それは第一の窓のものと寸分たがわぬ性質のものだった。僕は次に釘を見た。これまた丈夫そうな釘が、見たところ同じ様に、ほとんど頭部まで打ち込まれていた。

「僕の鎖の環には一つの欠落もない」

「君は僕が行き詰まったと思うかも知れない。だとすれば、君は帰納の本質を見誤っている。狩猟用語を用いるならば、僕の鼻は常に臭跡しゅうせきを嗅ぎ分けている。僕の嗅覚は一瞬たりとも獲物の匂いを見失ったことはない。僕のチェーンリンクには一つの欠落もない。僕は秘密を終点まで追い詰めた――その終点とはだ。釘は、もう一つの窓に打ち込まれているものと、あらゆる点で同じ外観を呈していた。だがこの事実は(いかに決定的なものと見えようとも)、ここでぷつりと切れる推理の糸と比較すれば何物でもない。『この釘が間違っているに違いない』と僕は言った。そうしてそれに指を触れてみた。すると釘の頭が、数ミリの胴部シャンクとともに、僕の手の中へポロリと落ちた。釘は折れていて、あとの胴部シャンク錐穴きりあなの中に残っていた。破断面が錆びていたから、かなり前から折れていたらしい。見たところ、ハンマーで打ち込んだ際に折れたもののようで、釘の頭部だけが、窓の下枠のてっぺんに、部分的にめ込まれていたのだった。僕はその釘の頭部を注意深く、もとの穴へとめ込んでみた。すると釘付けは完璧に見え、破断しているとはわからなかった。スプリングを押しながら、窓を少しだけそっと上げてみると、釘の頭だけが穴にしっかりと突き刺さったまま、窓枠サッシとともに持ち上がった。窓を下ろすと、やはり釘付けは完璧に見えた。
「ここまでの謎は解けた。賊は寝台側の窓から逃げたのだ。賊が逃げた際、窓は(意図的に閉ざしたか、もしくは)ひとりでに閉じたあと、スプリングで固定された状態となった。そうしてこのスプリングによる閉鎖を、警察は釘による閉鎖と勘違いして、それ以上の突っ込んだ捜査は不要と判断した。
「次の疑問は窓からの下降の様態モードだ。これについては、君と一緒に建物の周囲を歩いている間に確信を得た。くだんの窓から一メートルと数十センチほど離れた壁面を避雷針が走っている。この避雷針からは窓に手が届かず、いわんや窓を通して侵入することなど不可能だ。だが僕はこの四階の窓の鎧戸シャッターが、パリの大工たちの間でフェラードと呼ばれる特殊な構造のものであることに気がついた。これは現代では滅多に採用されないが、リヨンやボルドーの旧家ではしばしば見られるものだ。普通のドア(折りたたみ式ではなくて、一枚板シングルの)と同じ形をしていて、上半分はラティス、すなわち透かし彫りの格子オープン・トレリス細工が施されており、手でつかむのに大変都合がよい。今の例では、この鎧戸シャッターは幅が優に一メートル以上ある。われわれが建物の裏手にまわった時、鎧戸シャッターは半開きの状態だった。すなわち鎧戸シャッターと壁とは直角をなしていた。警察もわれわれ同様、建物の裏手にまわってはみただろう。だが彼らはこの鎧戸フェラードを側面から見た(に違いない)ので、その幅の大きさに気づかなかったか、いずれにせよ、それを正当に評価しなかった。実際、この方面からの脱出エグレスはあり得ないと一旦決めつけた彼らが、おざなりな捜査しかしなかったのは当然だろう。だが僕は、寝台の頭側の窓に付いているこの鎧戸シャッターは、全開の場合、その一端が避雷針からわずか数十センチの距離内に来ることに気がついた。従って避雷針から室内への侵入は、桁外れの運動能力アクティヴィティと度胸との持ち主によって、次のように成し遂げられたと考えられる。――(鎧戸シャッターがいっぱいに開いていたと仮定して)賊は避雷針から一メートル弱の距離に片手を伸ばし、鎧戸シャッター格子細工トレリスワークをしっかりとつかむ。避雷針からもう片方の手を離し、両足を壁に踏ん張って、大胆に跳躍したとすれば、賊は閉じようとする鎧戸シャッターにぶら下がることができる。もしもそのとき内窓が開いていたとすれば、その勢いで室内に飛び込むことができる。
「このような離れ業をやってのけるのに要求される運動能力アクティヴィティの非凡さを忘れないでくれ。まずこの離れ業は可能だと考えてほしい。そうして次に、こちらが主だが、このきわめて異常な――ほとんど超人的プリータナチュラな身軽さを、君の心に刻みつけておいてほしい」

「僕の究極の目的は真実だけだ」

「君は言うに違いない。法律用語でいうところの『自説を立証する』ためには、 僕はこの行為に要求される身軽さを完全に評価するよりも、むしろ低く見積もるべきなのだ、と。だが法廷での慣例はそうでも、知性の慣用はそうではない。僕の究極の目的は真実だけだ。さしあたっての目的は、この異常な身軽さと、あのきわめて特異な声、あの鋭い(あるいは不快な)乱れた声とを隣り合わせの位置ジャクスタポジションに置くよう君を導くことだ。その声が用いていた国語については一致した意見がなく、またその発音には音節分けシラビフィケーションがまるで成されていなかった」
デュパンの言わんとするところは、おぼろげながらも、私の脳裏にちらついた。私は何かを理解しかけていながら、理解する力に欠けている気がした。人は時として、今にも取り戻せそうな記憶を、遂に取り戻せないことがあるものだ。彼は続けた。
「気がついていると思うが」と彼は言った。「僕は問題を脱出エグレスから侵入イングレスへとシフトさせた。僕が言いたかったのは、入口と出口とは同じで、同じ結果をもたらしたということだ。それでは室内にもどり、もう一度あたりを見回そう。箪笥ビューローの引き出しは物色されていたというが、中には多くの衣類アパレルが残されていた。断定はできまいよ。物色されていたというのは単なる憶測で、それ以上のものではない。残されていた衣類は、もともと引き出しに入っていた衣類のすべてかも知れない。レスパネー母娘はひっそりと暮らしていた。来客もなく、ほとんど外出もしなかったので、着替えもそう多くは要らなかったはずだ。見つかった衣類は、少なくともあの貴婦人たちが持っていそうな如何なるものにも劣らず、上質のものばかりだった。もし泥棒が何かを盗んでいったなら、一番いいものを盗んだろう。あるいは全部を盗んだろう。何よりもまず、リネンの束を背負い込みながら、四千フランもの金貨をそのまま置いていくだろうか。金貨は手付かずだった。銀行家のミニョー氏が証言した金額のほとんどがバッグに入った形で、床に落ちていた。それゆえ金が届けられたという一部の証言によって警察の頭に浮かんだ動機に関する的外れな考えは、君の頭の中からは払拭ふっしょくしてもらいたい。この偶然の一致コインシデンス(金が届けられたという事実と、母娘がそれを受け取ってから三日目に殺されたという事実)よりもはるかに顕著な偶然の一致コインシデンスが、万人の人生に絶えず当たり前に起きている。偶然の一致コインシデンスは、確率論に関する教育をまったく受けたことのない人々にとっては大きなつまづきの石であるが、人類の最も輝かしい研究の成果は、そのもっとも輝かしい実例イラストレーションをこの確率論に負うているのだ。今の例では、もし金貨がなくなっていたのなら、これが三日前に届けられたという事実は偶然の一致コインシデンス以上の意味を持ったろう。金が動機だという説の裏付けコラボラティヴともなったろう。だが今の事案の実情のもとでは、もし金がこの凶行の動機だと仮定すれば、われわれは犯人が金も動機もまとめて失念するほどのうっかり者だと考えざるを得なくなる。
「奇妙な声。異常な身軽さ。そうしてかくも残虐な犯行にしてその動機の驚くべき欠如。こうした点を念頭に置いたまま、今度は殺害方法そのものを一瞥いちべつしよう。一人の女性が素手で絞殺され、煙突の下から上へと、さかさまに押し込まれている。普通の人殺しはこんな殺し方はしない。少なくとも、死体をこんな風に処理するだろうか。死体を煙突の下から押し込むというこのやり方には、何か度を過ぎて異常ウトレ――たとえ犯人がいかなる冷血漢だと仮定しても、何か人間の仕業という一般的観念と相容れないものがある。数人がかりでかろうじて引きずり下ろせるほど強引にあの狭い空間へと死体を押し上げるにはどんなに大きな力が必要か、それも考えてみてくれ。
「怪力が発揮された他の証拠インディケーションにも目を向けよう。暖炉前ハースには毛髪が――大量の毛髪が――落ちていて、それは人間の白髪だった。根もとからむしり取られていた。たとえ二、三十本の毛髪でも、それをあんな風にまとめて引っこ抜くには相当な力を要することは君にもわかるだろう。くだんの毛髪は、君も見たね。恐ろしいことに、根もとには頭皮スカルプの肉片が付着していた。一度に数十万本もの毛髪を根こそぎにするために行使された途方もない暴力の証拠だよ。老婦人ののどはただ単にかき切られていただけではない。首が胴体から完全に切断されていた。凶器はただの剃刀かみそりなのだ。僕は君にもまたこの犯行の獣的な残忍性に注目してほしい。僕が言っているのはレスパネー夫人の胴体の打撲傷のことではない。デュマ医師とその優秀な助手であるところのエチエンヌ医師とは、その傷が何らかの鈍器によってつけられたものだと証言していて、その限りにおいてはこの先生方はまったく正しい。鈍器とは明らかに庭の敷石で、夫人は寝台側の窓から落ちてそれに激突したのだ。この考えはいかに単純に見えようとも、警察はこれを見逃していて、それは鎧戸シャッターの幅を見逃したのと同じ理由からだ。すなわち例の釘の件が目隠しとなって、彼らは窓が開いていた可能性をまったく顧みなかったのだ」

「これは人間の毛ではない」

「以上に加えて、もし室内の奇妙な無秩序状態を適切に思い合わせるなら、われわれは遂にある超人的な筋力、獣的な残忍性、動機なき虐殺、まったく非人間的な猟奇性グロテスケリ、そうして多くの国の人々の耳に聞き馴染みのない調子トーンの、いかなる判然とした、認識可能な音節分けシラビフィケーションをも施されていない一つの声という諸観念を結合させるところまで来たことになる。ここからどんな結論が出てくるか。君の頭にはどんな考えが浮かぶだろうか」
デュパンからこのように尋ねられた私は背筋が寒くなった。「犯人は」と私は言った。「狂気の人物だ。近隣の精神病院メゾン・ド・サンテを脱走した錯乱状態の狂人だ」
「ある意味では」と彼は答えた。「君の考えは正鵠せいこくを射ている。ただ狂人の声の特徴は、もっとも狂暴な興奮状態パロキシズムのさなかに発されたものであっても、決して階段で聞かれたような奇声の特徴とは一致しない。狂人もどこかの国の生まれではあるので、彼らの言語は、その内容がいかに支離滅裂なものであっても、常に音節分けシラビフィケーションは出来ている。それに狂人の髪の毛は、いま僕が手にしているようなものではない。これは死んだレスパネー夫人がしっかりと握りしめていたこぶしの中から抜き取ってきたものだ。これについての君の考えを聞かせてくれ」
デュパン」私は愕然として言った。「この毛は変だ。これは人間の毛ではない」
「僕はこれが人毛だとはひと言も言っていない」と彼は言った。「だがこの点について結論を下す前に、僕がこの紙に描いたささやかなスケッチを見てほしい。これはレスパネー嬢の首筋についていた傷、すなわちある証言では『黒い圧迫痕と深い爪痕つめあと』、また(デュマとエチエンヌの両医師による)別の証言では『明らかに指で押したあとと見られる一連の青あざ』と描写されていたものの線描写生ファクシミリ・ドローイングなのだ」
「見ればわかると思うが」彼はわれわれの前のテーブルに紙を広げながら言った。「この図は驚異的な腕力を示している。見たところ、力を入れ直したあとがまったくない。すべての指が、最初に埋め込まれたその位置のまま、おそらくはレスパネー嬢がこと切れる瞬間まで、その恐るべき把握力を保ち続けている。それでは君の指をすべて、この図に示されているそれぞれの指の痕跡の位置に同時にあてがってごらん」
私はやってみたが、うまくいかなかった。
「これでは公正な審理フェア・トライアルとは言えないかも知れない」と彼は言った。「この紙は平面に広げられている。だが人間ののどは円筒形だ。ここに一本の棒切れがある。ちょうど人間ののどくらいの太さだ。その紙をこれに巻きつけて、もう一度やってみてくれ」
やってみたが、前回以上に困難なことは明らかだった。「これは人間の手形ではない」と私は言った。
「このキュヴィエの一節を読んでごらん」とデュパンは答えた。
それは東インド諸島産の大柄な黄褐色のオランウータンに関する、精緻な解剖学的知見ならびに一般的な特徴を記した記事であった。この哺乳類の巨大な身長、強い筋力と敏捷性、手に負えない獰猛性、人真似を好む性質等は充分に周知されているところである。私はこの恐ろしい事件の真相を瞬時に理解した。
「この手指の描写は」読み終えた私は言った。「この素描ドローイングとぴったり一致する。ここに言及されているような種類のオランウータン以外のいかなる動物も、君がトレースしたような手形をつけることはできない。この黄褐色の毛のひとふさもまた、キュヴィエの記事に出てくる動物の毛の特徴と一致する。だが私にはこの怪事件の幾つかの細かい点がやっぱり腑に落ちない。言い争う二つの声があって、そのうちの一つは間違いなくフランス人の声だったという話だが」
「その通り。そうして君も覚えている通り、その声は、証言によれば、満場一致で馬鹿モン・デューと言っていたという。これは当時の状況においては、目撃者の一人(洋菓子屋のモンターニ)が的確に表現していた通り、相手を制止している声であった。主としてこのひと声のおかげで、僕はこの事件の全容解明に向けた一縷いちるの望みをつなぐことができた。一部始終を見ていたフランス人がいるのだ。おそらく、いや、かなりの高確率で、彼はこの凶行に加わってはいないのだろう。オランウータンは彼のもとから逃げ出したのかも知れない。彼は猿のあとを追って現場まで来たのかも知れない。だがそのあとに続けて起こった大騒ぎのために、彼は猿を再捕獲できなかったのだ。猿は今なお逃走中なのだ。だが僕はこれ以上推測をたくましくするまい。今の僕にはこれを推測以上のものと呼ぶ権利はない。なぜならこの推測がって立つところの思想の影とも言うべきものは、僕自身の知性にとってもまだ充分な根拠を持っているとはとても言えず、また他者の知性に対しても、まだ充分に納得がいく説明を与えるふりをすることもできないからね。だからわれわれはこれを推測と呼び、あくまでも推測として話を続けよう。もしもくだんのフランス人が、僕の想像通り、本当に凶行については無実だとしたら、僕が昨夜の帰り、『ル・モンド』(海運業界の専門紙で、多く船乗りに読まれている)のオフィスに残しておいたこの広告を見て、われわれの住まいレジデンスを訪ねてきてくれるかも知れない」
彼から手渡された紙面にはこうあった。

○○日(事件のあった日)早朝、ブーローニュの森にて、黄褐色の巨大なオランウータン(ボルネオ種)を捕獲。所有者オーナーマルタ島船舶の乗組員である船乗りと確認された)は、所有権を充分に証明できるものを提示し、これの捕獲および保管にかかった些少の費用を支払うことで、これを受け取ることができる。フォブール・サン・ジェルマン○○街○○番地四階まで来られたし。

「いったいどうやって」と私は尋ねた。「その男が船乗りで、マルタ島船舶の乗組員だとわかったんだい」
「わかってはいないさ」とデュパンは言った。「確かなことは何もわからない。ただここに短いリボンの切れ端があって、この形状と、この脂っぽい外観から見て、これがあの船乗りたちの間で非常に好まれている髪型、すなわちあの長い弁髪キューを結ぶ際に用いられるものであることは明らかなのだ。あまつさえ、この結び方ノットは、船乗り以外にこれが出来る者は稀で、しかもマルタ島船舶の乗組員独特のものだ。僕はこのリボンを避雷針の下で拾ったので、殺されたいずれの女性のものでもあり得ない。さて、何よりもまず、たとえこのリボンによる僕の推理インダクションが的外れで、くだんのフランス人が船乗りでも、マルタ島船舶の乗組員でもなかったとして、それでもあの広告を出したこと自体は誰の迷惑にもならない。もし僕が間違っていたとしても、彼の方としてはただわざわざ問い合わせるまでもない何らかの事情で僕が間違えたのだと思うだけさ。だがもし当たっていれば、大変な得点ポイントを稼いだことになる。くだんのフランス人は、たとえ事件を起こしてはいなくても、事件を知っているので、広告に応じるのは当然躊躇するだろう。彼はこう考えるだろう。『俺は無実だ。そして貧乏だ。俺のオランウータンは大変な値打ち物で、俺のようなものにとってはそれ自体、ひと財産だ。要らぬ心配をして、あれを失うのはもったいない。あれは今なら簡単に取りもどせる。あれが見つかったというブーローニュの森は、事件の現場からは遠く離れている。そもそも動物が犯人だなどと誰が思うだろうか。捜査は難航している。警察はまだ何の手がかりもつかんではいない。仮に動物が犯人だとわかったとしても、俺が事件を知っているという証拠はなく、それで俺が罪に問われることもあり得ない。何よりもまず、俺は知られている。あの広告を出した人は俺をあの猿の所有者だと特定している。その人が俺のことをどこまで知っているのかはわからないが、俺の持ち物だと知られているのに、あれほどの価値がある所有物プロパティの権利を主張しないとなれば、少なくともあの猿について何らかの疑いを招く恐れがある。あの猿に対しても、俺自身に対しても、人々の注意を引くのは得策ポリシーではない。俺は広告に応じよう。そうしてオランウータンを取りもどして、ほとぼりが冷めるまで厳重にかくまっておくとしよう』」

階段を上がってくる足音がした。

この時、階段を上がってくる足音がした。
「ピストルを用意して」とデュパンが言った。「だが僕が合図をするまでは、使わずに、隠しておくんだ」
玄関のドアは開いていたので、客は呼び鈴を鳴らさずに入ってきて、階段を何歩か上がりかけた。ところが彼はそこでためらっていると見えて、次に階段を降りてゆく足音がした。デュパンはあわてて外に出ようとしたが、その時また階段を上がってくる足音がした。今度は引き返さず、決然たる足取りで上がってきて、部屋のドアを叩いた。
「どうぞ」デュパンは明るく朗らかな口調で言った。
一人の男が入ってきて、それは明らかに船乗りだった。高身長で、屈強な、堂々たる体格を持ち、眼光鋭く、なかなかの男振りだった。顔は真っ黒に日焼けして、半分以上がひげで隠れていた。巨大なオークの棍棒を手にしていたが、それ以外に武器は持っていない様子だった。彼はぎこちなくお辞儀をして「こんばんは」と言った。そのアクセントには多少ヌーシャテル訛りが混じってはいたけれども、パリ生まれのフランス人のものに違いなかった。
「おかけ下さい」とデュパンが言った。「オランウータンの件でいらっしゃったのですね。あれを所有されているとは、うらやましいな。素晴らしい代物で、きっと高い値が付く。あれは何歳くらいですか」
船乗りは大きな溜息をついた。耐え難い重荷からやっと解放されたといった様子で、落ち着き払った口調でこう答えた。
「さあ、せいぜい四、五歳くらいかな。ここに置いてあるんですか」
「いいえ、ここにはあれを置いておく便宜がないので、デュブール街の貸しうまやに預けてあります。すぐそこですよ。明日の朝、お返ししましょう。所有権を証明できるものはお持ちですね」
「ありますよ」
「あれを手放すのは残念ですな」とデュパンが言った。
「ただで受け取ろうとは思っていないさ」と男は言った。「有り難いことです。あれを見つけていただいたお礼はしますよ。大したことはできませんが」
「なるほど」とデュパンは答えた。「それでは遠慮なく。待てよ、そうだな。それでは謝礼として、あなたがご存じのことを何もかも話して下さいますか、あのモルグ街の殺人事件について」
デュパンはこの台詞の最後の方を、とても低い口調トーンで、とても静かに言った。同様に静かに、彼はドアに向かって歩いて行って、施錠すると、キーをポケットに入れた。そうして胸からピストルを取り出し、まったく取り乱すことなく、テーブルの上に置いた。
船乗りの顔が真っ赤になった。まるで呼吸困難に陥ったみたいだった。彼はにわかに立ち上がるや、棍棒をつかんだが、次の瞬間、真っ青な顔をして、ぶるぶる震えながら、ふたたび腰を下ろした。一言いちごんも発しなかった。それはまことに痛ましい光景だった。
デュパンは優しい口調トーンで語りかけた。「怖がらなくていい。何も怖がる必要はないのですよ。われわれはあなたを保護します。紳士として、フランス人として、私はあなたに危害を加えないと約束します。あなたはあのモルグ街の事件の真犯人ではありませんね。とはいえ、あなたがあの事件といささか関わりを持っていることは否定できない。これまでお話ししてきたところから、あなたは私がこの事件について幾つもの情報の入手方法を有していることがおわかりでしょう。それはあなたが思いも寄らないような入手方法です。真相はこうです。あなたはしてはならないことを――悪いことを何もしていない。あなたは罰せられることなく盗むこともできたのに、盗まなかった。あなたが隠さなければならないことは何もない。あなたは何も隠す理由がないのだ。他方、あなたは自分が知っていることをすべて打ち明けるべきあらゆる人道的義務を負っている。それはいま現に一人の無実の人間が拘束されていて、あなたが真犯人を指摘することができる犯罪の容疑をかけられているからです」
デュパンが話している間に、船乗りはかなり平静を取りもどしていたが、もとの強気な態度はもう見られなかった。
「わかりました」少し間を置いて、彼は言った。「何もかもお話ししますが、これからお話しすることの半分でも信じていただけると期待するほど、俺はおめでたい男ではありません。だが俺は本当にっていないので、たとえ死刑になろうとも、すべてをありのままにお話しします」

船乗りの供述

船乗りの供述はおおよそ以下の通り。彼は最近東インド諸島を旅した。彼の一行はボルネオに上陸し、暇つぶしに奥地へと分け入った。彼は仲間の一人とオランウータンを捕獲した。この仲間が亡くなったので、猿は彼一人のものとなった。帰路、この動物の獰猛さにすこぶる手こずりながらも、彼は何とかこれをパリにある彼の自宅へと運び込むことに成功し、近所の好奇の目を避けるため、これを厳重に隔離して、これが航海中、木片で足に負った傷が治るまで、ここにとどめ置くことにした。最終的には売り飛ばすつもりだった。
事件のあった夜、あるいは早朝、船乗り同士の飲み会から帰ってくると、猿は厳重に閉じ込めてあったはずのクローゼットから出て、彼自身の寝室を占領していた。見れば剃刀かみそりを手に、顔中泡だらけにして、鏡の前に座り、顔剃りシェービングの作業を試みているので、かねてよりクローゼットの鍵穴から主人のすることを見ていたものに違いなかった。かくも獰猛な動物がかくも危険な器具を手にした上に、これをたやすく使用し得るのを見て、彼はしばらくの間、途方に暮れた。とはいえこれまで猿がもっとも荒れた気分ムードの際にも、これに対して鞭をふるうことで大人しくさせてきた彼は、今回もこの手段に訴えようとした。ところがオランウータンは、鞭をひと目見るや、部屋を飛び出して階段を駆け下り、たまたま運悪く開放されていた一つの窓から戸外へと逃げ去ってしまった。
船乗りは死に物狂いで後を追った。猿はまだ剃刀かみそりを手にしたまま、時折立ち止まってはうしろを振り返り、船乗りに向かってゼスチャーをして、船乗りが追いつきそうになるとまた逃げるのだった。追跡はこのようにして長時間続いた。それは午前三時近く、通りは静まり返っていた。猿はモルグ街の裏通りを走りながら、レスパネー夫人の家の四階にある彼女の部屋の開いた窓から煌々こうこうたる光が漏れてくるのに気がついた。その建物へと駆け寄って、避雷針を認めた猿は、あれよあれよという間にこれをよじ登り、外へ向かっていっぱいに開け放たれていた鎧戸シャッターの端をつかむと、それにぶら下がって一直線ダイレクトに室内へと突入して、寝台のヘッドボードの上に降り立った。それは目にも止まらぬ早業だった。猿が飛び込む際に足で蹴り返したので、鎧戸シャッターはふたたび開いた。
それを見た船乗りはよろこび、また困惑した。猿はみずから罠にかかった形で、逃げ道は避雷針以外にほとんどなく、ふたたび降りてくるところを待ち伏せすればいいので、再捕獲したも同然だと彼は思った。その反面、屋内で何をしでかすか、心配でもあった。それで彼は追跡を続行した。避雷針をよじ登るのは、とりわけ船乗りには難しくなかった。だが彼の左手はるかかなたにある窓の高さまでよじ登ると、そこが限界だった。彼には伸びをして室内をちらりとのぞき込むのが精一杯だった。こうして室内の光景を目撃した途端、彼は危うく避雷針から落っこちそうになった。あの恐ろしい悲鳴が夜の闇を引き裂いたのはこの時で、それでモルグ街の住民たちの眠りは破られたのだった。寝間着姿のレスパネー母娘は、見たところ、先に触れた鉄製の金庫チェストの中の書類を整理アレンジするのに専念していたようで、そのキャスター付きの金庫チェストは部屋の中央まで引き出されていた。金庫チェストは開かれ、中の書類は床に散乱していた。彼女たちは窓を背にして座っていたに違いなく、猿の侵入から悲鳴までに経過した時間から考えて、すぐには気づかなかったかと思われる。鎧戸シャッターのバタバタいう音は、当然、風のせいだとされたのだろう。
船乗りがのぞき込むと、猿はレスパネー夫人の髪の毛をひっつかんで(彼女はちょうど髪をいていたので、髪はほどかれていた)、床屋の仕草を真似て、彼女の顔のあたりで剃刀かみそりを振り回していた。娘さんの方は床にうつ伏せに倒れて動かなかった。失神していたのである。夫人が悲鳴を上げて暴れたので(その間に彼女の髪は根こそぎ引き抜かれた)おそらく当初は穏やかなものだった猿の意図が、急に凶暴なものへと変わった。豪腕による決然たる剃刀かみそりのひと振りで、夫人の首は胴体からほとんど切り離された。血を見ると、猿の怒りは狂気となった。目を爛々と光らせ、歯ぎしりしながら、今度は娘さんに飛びかかって、娘さんがこと切れるまでしっかりと首を絞めた。この時、猿はその狂おしい視線を寝台の頭側へとさまよわせ、そこからちょうど見えたのが恐怖に凍りついた彼の主人の顔であった。主人の鞭の恐ろしさを思い出した猿の怒りはたちまち恐怖と化した。処罰に値することをしたという自覚があったので、猿は凶行の痕跡を隠したいと思ったらしく、あわてて部屋中を飛び回り、家具を投げて壊したり、寝台から寝具を引きずり下ろしたりした。その挙句、まず娘さんの死体をつかんで、のちに発見されたような形で煙突に押し込み、次に老婦人の死体を持って、窓から真っ逆さまに投げ捨てた。
猿が夫人の遺体を抱いて窓辺に近づいた時、すっかり肝をつぶした船乗りは首を引っ込め、避雷針から降下というより滑落して、大急ぎで家へと逃げ帰り――事の重大さを恐れるあまり、オランウータンの末路に関するあらゆる懸念を進んで放棄した。階段を上がってくる一行が聞いたのは猿の鳴き声と入り混じった船乗りの恐怖の叫び声だった。

「彼の知性には体力がない」

他に付け加えることはほとんどない。オランウータンはドアが破られる直前に避雷針を伝って逃げたのだろう。窓は猿が飛び出す際に閉まったに違いない。猿は間もなく所有者オーナー自身によって捕獲され、王立植物園ジャルダン・デ・プラントに高額で売却された。われわれが警視総監の庁舎ビューローを訪れて(デュパンのコメント入りで)事情を説明したところ、ル・ボンはただちに釈放された。警視総監はデュパンと懇意だったにもかかわらず、事の成り行きについて悔しさを隠しおおせず、「素人が余計なことに首を突っ込まなくてもいい」というような嫌味をひと言ふた言、言わずにはいられなかった。
「別に」と言い返す気のないデュパンが言った。「それで良心が休まるのなら、御託を並べていればいい。僕は彼の本丸で彼をへこませたことで満足だ。だが彼が今回の事件を解決できなかったのは、それがそれほど難事件だったからではない。警視総監殿は、実のところ、物事を突き詰めて考えるには要領がよすぎる。彼の知性には体力スタミナがない。女神ラヴェルナの絵のように、首から上だけで胴体がない。あるいはたらのように、せいぜい肩までしかない。とはいえ彼はいい人で、僕はとりわけ彼の専門用語カントによる曲芸マスター・ストロークが気に入っていて、彼はそれで切れ者の評判を取っている。僕に言わせれば、彼は『有るものを否定し、無いものを説き明かす*1のだ」

 

 

 

*1:原注:ルソー『新エロイーズ』。