魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

明智光秀

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の三十一(最終回)

園城寺おんじょうじ(三井寺)の金堂(国宝)。ウィキメディア・コモンズより。 六月十四日~六月十五日:秀吉、光秀の首を探索する。 六月十五日:秀吉、園城寺に進駐する。 後記 六月十四日~六月十五日:秀吉、光秀の首を探索する。 十四日の朝、秀吉軍は…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の三十

伝説に基づき再現された鵺ぬえの像(兵庫県西脇市・長明寺)。ウィキメディア・コモンズより。 六月十三日:勧修寺尹豊と溝尾の会見 勧修寺尹豊の人物像 六月十三日:勧修寺尹豊と溝尾の会見 「お待ちください。すぐに主人に取り次ぎますので」廊下が急に騒…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十九

網代笠を被る托鉢僧。ウィキメディア・コモンズより。 六月十三日:小栗栖の光秀主従 光秀死す 六月十三日:小栗栖の光秀主従 光秀(前に一人、後ろに二人の供を連れている)は、雨の匂いのする重い風の中を駆けた。皆羽織袴を着用して、網代笠を被っていた…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十八

勝竜寺城の推定城郭部分。国土交通省の国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。ウィキメディア・コモンズより。 ㊼六月十三日:親王たちの変節 ㊽光秀は勧修寺尹豊を憎む。 ㊾六月十三日:勧修寺 ㊼六月十三日:親王たちの変節 しかし、内裏の事情は複雑…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十七

「明智藪」の石碑(京都府京都市伏見区小栗栖小阪町本経寺寺領内)の奥にある案内板。矢印が藪の奥を指している。2016年1月撮影。www.travel.co.jpより。 ㊺六月十三日:山崎 ㊻伊東眞夏は推理する。光秀の策謀。 ㊺六月十三日:山崎 緊張を孕んで夜が明けた…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十六

円明寺川(現小泉川)は桂川へと注ぎ込んでいる細い川で、上の写真でいうと、右手に明智勢、左手に羽柴勢が陣取って対峙した。4travel.jpより。 ㊸六月十二日:対峙 ㊹六月十二日:並河隊の発砲 ㊸六月十二日:対峙 結局のところ、明智軍が下鳥羽の陣を払い…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十五

「長篠合戦のぼりまつり」の様子。ウィキメディア・コモンズより。 ㊵六月十一日:富田 ㊶六月十二日:下鳥羽 ㊷六月十二日:山崎 ㊵六月十一日:富田 一方、光秀がすばやく陣払いをした報せを聞いた秀吉は、軽い失望を覚えたものの、落胆はしなかった。勿論…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十二

プラザデラオ比日友好公園(マニラ)の高山右近像と記念碑。ウィキメディア・コモンズより。 ㉞光秀、御所にて任命式を済ませる。 ㉟光秀、妙心寺に帰還する。 ㉞光秀、御所にて任命式を済ませる。 「殿・・・殿・・・」遠くで声がする。どうやら自分は仰向…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十一

平成天皇の即位の礼の際、皇后陛下が着席された御帳台。ウィキメディア・コモンズより。 ㉜六月九日:光秀のタイム・トリップ(1) ㉝六月九日:光秀のタイム・トリップ(2) ㉜六月九日:光秀のタイム・トリップ(1) 光秀が玄関に向かおうとすると、「…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十

国宝・曜変天目茶碗。藤田美術館蔵。ウィキメディア・コモンズより。 ㉚六月八日:坂本城 ㉛六月九日:京都 ㉚六月八日:坂本城 坂本城に帰還した光秀は、ここ2~3日の迷走状態を振り返った。どこで自分は釦ボタンを掛け違えたのだろうか。信長弑逆は世間…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十九

姫路城天守。ウィキメディア・コモンズより。 ㉘六月七日:秀吉軍、中国路を駆け抜ける。 ㉙六月七日:吉田兼和の来た夜に、信長の魂を感じる。 ㉘六月七日:秀吉軍、中国路を駆け抜ける。 羽柴秀吉麾下きか、軍の体ていを成していない兵士たちは、ひたすら…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十八

摠見寺(そうけんじ)(滋賀県近江八幡市安土町下豊浦の安土城跡に建っている)の三重塔あたりから見た「西(にし)の湖(こ)」。ウィキメディア・コモンズより。 ㉖六月五日:安土城 ㉗六月六日:安土城 ㉖六月五日:安土城 光秀は城に上がると、躊躇(た…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十七

清水宗治公首塚(岡山県岡山市)。ウィキメディア・コモンズより。 ㉔六月三日・四日:備中高松城 ㉕六月五日:安土城 ㉔六月三日・四日:備中高松城 人口湖の上に浮かぶ高松城では、城主・清水宗治を中心に、白熱した総員参加の軍議が開かれていた。廊下や…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十六

関ヶ原古戦場。ウィキメディア・コモンズより。 ㉓六月三日:坂本城 翌朝、目覚めた光秀は、ここは何処だろうと思った。更に、自分はどうしてここにいるのだろう、戦に行かなければならないのに、と嫌な胸騒ぎがした。寝起きの良い光秀にしては珍しいことだ…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十五

歌川国芳「赤松(高松)之城水責之図」。ウィキメディア・コモンズより。 ㉒六月三日 主人信長の命令で、中国戦線に投入された秀吉は、六月二日の時点で、何処で何をしていたのだろうか。天然の要害、高松城を攻めあぐんでいた。小高い山脈を背にして、城の…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十四

広重が描いた瀬田大橋。ウィキメディア・コモンズより。 ⑳六月二日:瀬田橋炎上 ㉑六月二日夕刻:安土城下 ⑳六月二日:瀬田橋炎上 ここで著者の伊藤眞夏は、史書の「風の吹くように」という文言に注目している。“烽火(のろし)”を使用したのではないかと推…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十三

落合芳幾画「平蜘蛛を割る松永久秀」。この姿は人間ではありませんね。ウィキメディア・コモンズより。 ⑲六月二日:妙心寺 妙心寺に到着した光秀は、静かに信長公遺体発見の知らせを待った。信長の遺体と首級が無ければ、光秀は反逆者と認定される。何が何で…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十二

現在の妙覚寺。ウィキメディア・コモンズより。 ⑲六月二日午前九時頃:中将信忠 本能寺と同じように、周りに堀をめぐらし、小さな城郭のような構えを持つ妙覚寺に宿泊していた信忠に、本能寺の変の報せが届いた。信忠は自ら先頭に立ち、父信長の救出を試みた…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十

今は京都市右京区の春光院に伝わる「南蛮寺の銅鐘」。イエズス会の紋章が彫られている。ウィキメディア・コモンズより。 ⑰六月二日:南蛮寺午前八時(佐与の回想) ⑰六月二日:南蛮寺午前八時(佐与の回想) 本能寺から約二百メートル離れているイエズス会の…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の九

桂川に架かる渡月橋。ウィキメディア・コモンズより。 ⑮六月二日未明:老ノ坂 ⑯六月二日払暁:京都 ⑮六月二日未明:老ノ坂 近衛邸を出た宇佐は、明智軍と行き会った。場所は明智軍が急な山を下り、やっと平地に出たあたりだった。全軍に休止の触れが出た。明…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の八

アドルフ・イヴォン作『ルビコン川を渡るシーザー』。ウィキメディア・コモンズより。 ⑭六月一日十九時頃:亀山城 ⑮六月一日深夜:京都 ⑭六月一日十九時頃:亀山城 山の日暮れは早い。暗い山中に位置する亀山城は、煌々と明るかった。数え切れない程の篝火(…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の七

『泰西王侯騎馬図』(サントリー美術館本、部分)。1610年ごろ。ウィキメディア・コモンズより。 ⑫六月一日昼、本能寺で茶会が開かれる。前久は敗北感を感じる。 ⑬前久、帰宅後直ぐ二条御所に参内する。 ⑫六月一日昼、本能寺で茶会が開かれる。前久は敗北感…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の六

犬夜叉が着ていた「火鼠の衣」も「水干」の一種であると言われている。MayMartinzさんがdeviantart.comに投稿した画像。元画像はこちら。 ⑩五月二十九日、信長入洛。 ⑪兼和、光秀に書簡をしたためる。 ⑫兼和、里村紹巴宅を訪問、その後ふたたび前久宅へ。 ⑩…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の五

「雪の京都-愛宕神社本殿」。ウィキメディア・コモンズより。 ⑧五月二十七日、愛宕神社に参詣 ⑨五月二十八日、愛宕百韻を開催 ⑧五月二十七日、愛宕神社に参詣 光秀の希望に反して、詔(みことのり)は出ないと決まった。光秀は翌日、長男光慶(みつよし)を…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の四

勧修寺宸殿。ウィキメディア・コモンズより。 ⑥光秀、坂本城に帰還する(五月二十四日) ⑦光秀、山科で近衛前久と勧修寺尹豊に会う(五月二十五日) ⑥光秀、坂本城に帰還する(五月二十四日) 朝廷の動向が気に掛かり、心落ち着かない光秀は、長男の光慶(み…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の参

吉田兼見(兼和)像。國學院大學図書館所蔵。ウィキメディア・コモンズより。 ④光秀、密かに吉田兼和の屋敷を訪問する ⑤兼和、光秀の依頼を受ける。 ④光秀、密かに吉田兼和の屋敷を訪問する 光秀は予定通り、吉田兼和(かねかず)の屋敷に到着します。家人に…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の弐

大英博物館に展示された江戸時代のからくり人形。「茶坊主」ってこんな姿をしていたんでしょうか。ウィキメディア・コモンズより。 ③光秀、饗応役を外される。 ④坂本への帰還 ③光秀、饗応役を外される。 茶坊主に取り次ぎを頼んだのは、光秀の賄(まかな)い…

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の壱

摠見寺(滋賀県近江八幡市安土町)の二王門。国の重要文化財に指定されている。ウィキメディア・コモンズより。 表題の作品につきまして、一天一笑さんから再度紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。なお前回…

吉川永青『毒牙・義昭と光秀』其の十六(最終回)

歌川豊宣(とよのぶ)画「羽柴筑前守秀吉と黒田勘兵衛尉孝高」。明治16年(1883年)出版。ウィキメディア・コモンズより。 一天一笑さんによる吉川永青(ながはる)の歴史小説『毒牙・義昭と光秀』の紹介記事、第十六回目となります。一天一笑さん、どうかよ…

吉川永青『毒牙・義昭と光秀』(其の十五)

耳川(宮崎県美郷町西郷区田代)。「耳川の戦い」(1578年)では、足利義昭の内書に大義名分を得た島津義久が、南下してきた大友宗麟軍を撃退し、九州統一のチャンスをつかみました。ウィキメディア・コモンズより。 一天一笑さんによる吉川永青(ながはる)…