『レスボスの女王』(ジャン・シャロン著、小早川捷子訳、国書刊行会)から、ルネ・ヴィヴィアンに関する章(第6章「ルネ」)を再読してみます。まず最初の出会いです。
「1900年にルネは23歳、ナタリーは24歳である。はじめて出会ったのは劇場の桟敷席で、二人とも共通の友人であるヴァイオレットとメアリーに誘われたのであった」。しかしこの時のナタリーはリアーヌ・ド・プージイからのラブレターを読むのに夢中で、読み終わるとすぐに帰ってしまったので、ポーリーンもへちまもあったものではありませんでした。
ちなみにルネ・ヴィヴィアンは本名をポーリーン・ターンといいます。著者ジャン・シャロンによりますと、ナタリー・バーネイは晩年になっても、恋人としての彼女はポーリーン、詩人としての彼女はルネという風に、二つの名を厳密に使い分けていたそうで、誰しもこの二人について語る際、いささかの混乱は免れません。
二度目の出会い。「二度目の出会いはブローニュの森である。ヴァイオレットとメアリーにうながされて、ルネはのちに『エチュードとプレリュード』に収められる『倦怠』をナタリーに朗読した」。ここでこの「倦怠」('Lassitude' )という詩がルネの処女詩集『エチュードとプレリュード』に収められたとされているのは恐らく著者の記憶違いで、実際に収められているのは第二詩集の『灰と塵』です。これに続いてこの詩の後半二節が引用されており、小早川氏の訳で読めますが、私の記憶に間違いがなければ、この詩は確か『詩女神《ミューズ》の娘たち』(沓掛良彦編、2000年刊)という本の中に、中島淑恵先生の全訳が載っていたように思います。
ちなみに拙訳はこちら。この詩のタイトルですが、中島・小早川両氏とも「倦怠」と訳されていらっしゃいますが、日本語で「倦怠」というと「アンニュイ」な気分を思い浮かべますが、この詩の場合ちょっと違って、もう少し精神的にも肉体的にも消耗した気分なので、仮に「傷心」と訳してみましたが、「衰弱」とでもした方がよいかも知れない。詩全体はわりと単純な構造の、感傷的な詩ですが、表現に一種独特の力強さがあります。
ブーローニュの森でこの詩の朗読を聴いたナタリー・バーネイは感動し、率直にこれを賞めました。ポーリーンがどんなに喜んだかは想像に難くありません。
のちにこの詩が入った詩集を贈られた際、この詩の余白にナタリーは書き込みをした。
「やっとあの詩が発表された。わたしがずっと前から知っている詩、ブローニュの森での最初の夕べを思い出させる詩が。あの時あなたは甘く柔らかな声で、はじめてこの詩を口にした。わたしには今もその声が聞こえる。わたしはいつまでもその声を忘れない。そしてわたしはあなたに『最も美しい死』を眠らせたりはしなかった…」