魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

彼女もまた永遠に美しいことだろう(『レスボスの女王』より)

f:id:eureka0313:20210515172037j:plain

「ビリチスの歌」。ジョルジュ・バルビエによる挿画。ウィキメディア・コモンズより。

オウィディウスの「サッフォーからファオンへ」という長い詩を(英訳から)訳していた頃、こんな行に出会いました。

Cupid’s light darts my tender bosom move,
Still is there cause for Sapho still to love:

キューピッドの軽い矢がわたしの優しい胸に触れる限り
サッフォーが恋に落ちる理由は やはりあるのだ

「サッフォーという人はそれほど惚れっぽい人だったのかナー」などと初めは思っておりましたが、そのうちそういう意味ではないことに気が付いた。オウィディウスは詩人に特有の敏感さ、繊細さ、傷つきやすさのことを言っているのです。ポール・ヴァレリーの言葉に、

詩人は被造物中でもっとも傷つきやすい存在である。実際、彼は逆立ち歩きのような不安定な状態にある。

というのがあります。この「傷つきやすさ」が詩人の詩的活動力の源泉となっているのですね。
さて、「多くの詩人の例に洩れず、ルネ・ヴィヴィアンもつきあいやすい人物ではない」。実際、ルネは病的なほど傷つきやすい人で、ナタリー・バーネイをてこずらせます。何せ相手は本物の詩人ですからかないません。離れていると恋文と花がひっきりなしに届くし、会いに行けばなかなか帰らせてもらえない。ナタリーには(素行を怪しまれないために)家族と過ごす時間が必要だし、ブーローニュの森でガールハントを楽しむ余裕だって要るのです!ルネは処女詩集『エチュードとプレリュード』を出版したあと、仲直りのためにイギリス旅行を提案した。ナタリーはもともとイギリスがあまり好きではなかったが、ルネが案内したロンドンはナタリーが見たことのないロンドンでした。二人は美術館でラファエル前派の女性像を見て回り、古本屋でサッフォーに関する文献をあさった。また先にご紹介した英詩人オリーブ・カスタンスと知り合ったのもこの時でした。
この時ナタリーはルネにH. T. ウォートン編訳の『サッフォー詩集』をプレゼントしました。H. T. ウォートンによるサッフォーの逐語訳は、シグナスさんのサイトにもリンクがあります(http://www.geocities.jp/cygnus_odile/tategaki/sapphoinfo.html)。
オリーブ・カスタンスのサイトに、オリーブがナタリーに贈った詩というのがありますので、これもご紹介しておきましょう。

"For I would dance to make you smile and sing
Of those who with some sweet mad sin have played,
And how Love walks with delicate feet afraid
'Twixt maid and maid."

わたしは踊ろう あなたに笑顔で歌ってもらうために
甘くて狂った罪で遊び戯れたひとたちのことを
そうして少女と少女との間を「恋」が人目を避けながら
忍び足で歩く そのありさまを

イギリス旅行から帰ってきた二人は手に手を取って、大好きな『ビリチスの歌』の作者ピエール・ルイスを訪問します。まるで自作詩の世界から抜け出したような二人を見て、ピエール・ルイスがどんなに喜んだかは察するに難くありません。二人はそれぞれ『ビリチス』の豪華本をたずさえていて、彼はナタリーが持ってきた本に、

未来社会の若き娘、ナタリー・クリフォード・バーネイへ」

と書き、ルネが持ってきた本には

'For ever wilt thou love, and she be fair!'
(君はいつまでも恋をしていて、彼女もまた永遠に美しいことだろう)

と書きました。これはジョン・キーツの「ギリシア古瓶の賦」(Ode on a Grecian Urn)という、たいへん名高く、たいへん美しい詩の一行です。興味のある方は検索してみて下さい。