魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

バイロン、デュマ、ルソー、時々ボードレール(『レスボスの女王』より)

「バーネイのサロンはパリの左岸の彼女の家で、60年以上にわたって催され、世界中の著作家たちや芸術家たちがそこに集まり、その中にはフランス文学の多くの指導者たちとともに、英米ロスト・ジェネレーションに属するモダニストたちも含まれていた。(http://en.wikipedia.org/wiki/Natalie_Clifford_Barney )」
セーヌ川の南岸、ナタリー・バーネイがのちのちまで語り草となる文学サロンを催すことになるジャコブ街20番地の屋敷。彼女がそこを手に入れたのは1909年のことでした。以下、例によってジャン・シャロン著『レスボスの女王』(小早川捷子訳)からの引用を中心に記述します。
この屋敷はもともと由緒ある屋敷だったようで、「それはサックス元帥がアドリエンヌ・ルクヴルールのために建てたもので、ラシーヌやシャンメレ嬢がさまよったという下草に彩られていた。中庭の奥にある四本の円柱から成る神殿は、恐怖政治の終焉を祝う人びとにとっては婚姻の神殿となり、ロマン主義者たちにとっては愛の神殿となり、そしてナタリーにとっては友愛の神殿となった。彼女はその巫女として、多くの人びとに取り囲まれることになる。(…)ナタリーはこの楽園を、すでに持主と契約を済ませていたさる骨董商から奪い取ったのであった」。ナタリー自身の言葉「私とジャコブ街20番地との情事は、やがて長続きのする結婚に変わった」。
とは言え、ナタリーが越してきた当初のこの住まいは、かなりひっそりとしたものであったようです。「彼女はこの1910年のはじめに、ジャコブ街20番地に引きこもった。ルネの死から二ヶ月経ったが、その間ずっとルネの思い出にひたったり、瞑想にふけったりして過ごした。彼女が門を開くのは、当時の親友である『アーモンド王妃』とカリフの『眼』、すなわちマルドリュス夫妻だけであった」。マルドリュス夫人ことリュシー・ドラリュ=マルドリュスについては先に少し触れました。この人はナタリーの大切な友人(情人?)のうちの一人で、この伝記の至る所に顔を出します。彼女のナタリー・バーネイ評「倒錯者、道徳破壊者、エゴイスト、悪人、頑固者、真の反逆者…本当はいい人」。
さて、このジャコブ街20番地の屋敷の中のナタリーの部屋は、以下のように描写されております。「ナタリーの部屋は天井からベッドにいたるまで、すべて青に統一された。部屋の中央に黒い大理石のテーブルが置かれ、その上には水晶の剣、翡翠の魚、蝶々といった珍しい品々が乱雑に載っている。大きな白熊の毛皮が、まるで中央アジアの平原のように広げられているが、寄木張りの床の素晴らしい模様は隠しきれない。(…)一方は中庭に、一方は下草に面した二つの窓の間に、引出しの沢山ついた書き物机が置かれる。それはすぐに手紙や写真で溢れることになる。窓に掛けられた白い寒冷紗のカーテンには、こう刺繍されていた。『閉じられたカーテンが、わたしたちを世間から引き離してくれますように』」
おわかりでしょうか?この最後の一行は、ボードレールの詩の中にある言葉です。拙訳をご参照下さい。
実際、ボードレールの人気というのは今も昔も大変なもので、この20世紀初頭のパリのレスビエンヌたちの間でも、彼の詩はよく暗誦されておりました。ルネ・ヴィヴィアンがボードレールの強い影響下に出発したことは、辰野博士もこちらの論文で触れておられる通りです。ナタリーのパリにおける最初のスキャンダルの相手となったリアーヌ・ド・プージイもまた然り。二人が付き合い始めて間もない頃の手紙の中で、リアーヌはこのように書いております。「ここでのわたしの友人は、崇拝するバイロン、愉快なデュマ、うんざりするルソー、それに時々ボードレールです」
次の引用は、二人の恋が真っ赤に燃えさかっていた頃、リアーヌからナタリーにあてた手紙。

…わたしはベッドの中で男を待つの、眠りもせず、気はたかぶり、夢も見ず、悲しく…一つの苦しい物体となって。でもわたしの中のクルチザンヌはきっと満足している。なぜって、彼はわたしの首に10万フランの首飾り、わたしの好きな白い真珠の首飾りをかけてくれたところだから。(…)いったいどこからやってくるの、わたしの悲しみ、わたしの反抗、わたしの悩み、わたしの痛みは?苦しい。わたしを連れに、わたしを救いに来て下さい。わたしはあなたと一緒に出発する。はるか遠くのだれもいないところへ。今いるところはわたしにふさわしくない。それに「通り過ぎる影にわれを忘れた者は、いつも場所を変えたいという罰を負う」のです。その通り!わたしの場所はあなたのなかにある、MOON BEAM、あなたの心のなかに。あなたの優しい金の糸、その柔らかい光のなかに…

「MOON BEAM」というのはナタリーの金髪を讃えて付けられたあだ名ですが、それはともかく、この「通り過ぎる影に」云々というのがまた『悪の華』の中の、「ふくろう」と題されたソネットからの引用です。今日は大手拓次の訳でご紹介します(読みやすいように、少し漢字のあて方を変えております)。

かれらをまもる、くろい水松いちゐの樹のしたに、
ふくろふたちはならんでとまつてゐる、
見しらない神さまのやうに、赤い眼をはなちながら、
かれらは沈思してゐる。

そのままうごかないでとまつてゐるだらう、
ななめになつた太陽をおひやりつつ、
暗黒があたりをこめてくる
憂鬱なときまでも。

彼等の様子はかしこき人に
この世のなかでは騒擾と動揺とを
恐れなければならぬことを示してゐる。

すぎてゆく影に酔うた人は
場所を変えようと欲したので
つねに懲罰こらしめをうけてゐる。

「デルフィーヌとイッポリート」は訳し終わりましたが、『悪の華』初版には同じく「呪われた女たち」と題された詩がもう一篇あって、こちらも内容的に関連しているので、訳しておいた方がよいかと思っております。が、今しばらくは休憩です。