魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

岩井三四二『政宗の遺言』其の弐

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表題の時代小説につきまして、一天一笑さんからあらためて紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


岩井三四二政宗の遺言』(エイチアンドアイ)を読了して。
歴史小説の名手岩井三四二が、眉目秀麗の江戸育ちの新参小姓、瀬尾鉄五郎の視点から、人生の最後まで戦国時代末期のトリックスターであろうとした独眼竜政宗の姿を描きます。

政宗、辞世の句を詠む

1636年1月、伊達政宗は総勢5000人の供を従え、桃生郡に鹿狩りを行う。この時の政宗の服装は頭には政宗笠、膝切りにした鷹野小袖、道服袴と藁の雪靴です。仙台青葉城址公園の騎馬像とは又イメ-ジが違いますね。

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仙台青葉城址の伊達政宗騎馬像。www.travel.co.jpより。

もうじき70歳になる政宗は衰えを隠せず、家臣たちの間でXデー(政宗の命日)は何時かとあちこちで囁かれるような状況下、“くもりなき心の月をさきだてて浮世のやみをはれてこそゆけ”の辞世の句を詠みます。かたや鉄五郎は実父から代々の黒脛巾組(間諜・情報工作)の務めを任されます。

政宗、江戸へ暇乞いに赴く

亡母お東の方(最上義光実妹)13回忌法要と、菩提寺保春院落成式と参詣を済ませた政宗は自分の墓所も指定し、領国に思い残すことなしとばかりに、籠で江戸に出立します。
日光街道を南下します。起点は仙台で福島・白河・宇都宮・千住を通過し、終点は江戸です。
長旅です。一日10里程進むのですから、病身の政宗にとっては、なかなかの強行軍ですね。
政宗は周囲の家臣たちが止めるのも聞かずに将軍家光に最後の暇乞いをすることに執念を燃やします。何でも家光は幼少期に、政宗を『仙台のじい』と呼んでいた間柄とか。何故病身に鞭打ってまで、江戸へ行くのでしょうか?しかも幕府側の対応は苛烈であることが予想されるのに。
小姓瀬尾瀬尾鉄五郎は、伊達家の生き字引とも言える伊左衛門と懇意になり、仕事の合間に伊達家14代当主伊達稙宗の頃からの、お家騒動や東北地方の複雑な婚姻関係の昔話を聞きます(年寄が人を捕まえて昔話をするのは何処も同じですね)。政宗の人となりや今までの戦、人質となった父輝宗を鉄砲で打つ下知をしたこと、1585年小手森城の「撫で切り」(城中の生き物全て、非戦闘員も軍馬も皆殺し)、人取り橋の合戦、1590年小田原での秀吉の奥州仕置きの時の対応(髪形も水引で整えた白小袖の死に装束で秀吉と対面します)。
この時政宗は秀吉と共に、利休の点前を喫します。結果、会津以外の所領安堵。
又大崎の一揆を企てたとして、謀反の疑いを秀吉に掛けられた時には、米沢からの道中、金箔の磔柱を先頭に押し立てて30余騎の行列をもって上洛します。死に装束は2度目ですから、より印象を強くしなければなりません。伊達男の演出も大変です(書状は偽物で嫌疑は晴れます)。秀吉との政宗の芝居説もあり、所領確定のためには何でもします状態の政宗です。如何なる犠牲を払っても、最悪の結果の伊達家改易、当主切腹だけは避けなければなりません。
伊左衛門の話が佳境に入る頃、政宗主従は、日光東照宮に参詣します。祖父家康を尊敬する(?)家光は、改修工事が終わった日光東照宮を、隅から隅まで案内するように、伊丹播磨守に命令します。伊丹播磨守は職務に忠実なのか、何か含むところがあるのか、政宗をいたぶるように、楽しむように案内をします。

政宗、江戸に到着

ようやく、政宗主従は江戸屋敷に到着します。作法に則り、先触れを走らせておいたのですが、まあこれからが大変。もはや死病と闘っているのが誰の目にも解る腹水の溜まっている状態の政宗に、挨拶だの見舞いの使者など沢山の人が出入りします。黒脛巾組の仕事として、出入りする人のチェックがあるのですが、その数が膨大広範囲であるため、とても鉄五郎の手には負えません。しかも将軍家光は、自分自身の医者や薬師やなんと加持祈禱の者まで、伊達家江戸屋敷に差し向けます。子供の頃、『仙台のじい』と呼んだ政宗に出来るだけ手立てを尽くしたい気持ちかもしれませんが。力関係上、有難迷惑とは言えず、迎える伊達家にとっては大きな負担になりますが、生まれついての天下人には理解する必要もないようです。同時に、江戸屋敷に曲者が繰り返し忍び込みます。何かを探しいているようですが、狙いは何でしょうか?政宗に揺さぶりをかけている?

家光、自ら見舞いに来る

病状悪化した政宗は、小姓に2種類の文箱を持ってこさせます。普段は鍵がかけられています。几帳面な政宗は文書管理もできています。廃棄しなければいけない(発見されると面倒な)文書と嫡子忠信に引き継ぐべき文書をより分けるのです。この時侍女のなかが暗躍します(黒脛巾組?)。なかの言い分は、殿様は自分の親兄弟ばかり優遇して、それ以外の者はどうでもよいとの情の無い人だ。この頃には、家臣たちとも作法に則り別れの宴を開催します。家臣有志による「殉死願い」が鉄五郎のところにも届きました。政宗正室(田村氏、曾祖父が同じ伊達稙宗)からも見舞いに来たい旨が数回きますが、全部断ります。ただ将軍家光は直に見舞いに来て、人払いをして一時間ほど話し込んで帰ってゆきます。余り愉快な話ではなさそうですが、何の話をしているのでしょうか?やたらに書状という言葉が聞こえてきます。では、何の書状でしょうか?支倉常長を団長とする慶長遺欧使節ローマ法王に派遣した政宗ですから、書状の量は膨大でしょう。ついでに言うと、『家康の遠き道』に出ていたスペイン使節ビスカイノの書状もありました(祖国に帰還できるよう政宗が援助をした)。当時スペインはフェリペ2世をいただくカトリック大国です。時勢の変わった現在、公にされては拙い書状でもあるのでしょうか。家光は母親が弟を溺愛し、そのことが原因で弟を殺さなければならなかった者同士、親近感でもあるのでしょうか(家光生母は浅井三姉妹の三女お江、実弟駿河大納言忠長を切腹させる)。ともかく、家光自身は伊達家を改易したくないようです。幕閣連中は政宗がいる間は手が出せなかったが、いなくなれば、チャンス到来で、目障りな伊達家を改易したいようです。

政宗死す

その改易のカギを握っているのが、侍女のなかから、文書を父親に渡すように頼まれた鉄五郎です。スタイリスト伊達政宗。20年早く生まれたら、家康秀吉に伍して、天下に覇を唱えられた荒ぶる大名の仮面が剥がれ落ちた。今わの際の言葉は何か?たった一人その言葉を聞いた鉄五郎のとる道は2択です。伊達家存続を取るか、父に同意して内通者となるか?
伊左衛門の回想シーンと前後して物語は進みます。お楽しみください。

長い文章をお読みいただきありがとうございました。
仙台伊達家60万石に興味のある方、秀吉の奥州仕置き、派手好みの政宗のバサラぶりに興味のある方、家光と政宗の不思議で複雑な関係など、ちょっとした歴史ミステリーを読んでみたい方等にお薦めします。
天一

政宗の遺言

政宗の遺言