一天一笑さんによる葉室麟の歴史小説『墨龍賦』の紹介記事、第八回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。
春日局は語る⑱宮本武蔵弟子入り。友松死す。
「山水図屏風」を描き続ける友松に、客人が訪れます。弟子入り志願の播磨国牢人、宮本武蔵です。友松と武蔵は、南泉普願の故事、一匹の猫を巡って争う禅僧たちを戒める為に、猫を斬った話をして、お互い胸襟を開きます。友松は剣客として、血の臭いを隠さない武蔵に「己の心をつよくするために絵を描いてみるか」と言葉を掛けます。武蔵は友松の言葉に頷きます。
武蔵が友松のもとで下絵の稽古をしているうちに、1615年1月には、大坂城は堀を埋められ、裸城の状態にされてしまいます。2月に武蔵は、一羽の鵙が枯れ木に止まり、その木の中ほどに尺取虫が這っている絵を描きます。
友松がその意味を武蔵に尋ねると、武蔵は静かに答えます。「尺取虫を食って強いはずの鵙も、天地の間に存在しているのには違いない。何者たりとも、宿命からは逃れられない。生死は一如です」
「それがお主の悟りか」
「友松様の<南泉斬猫>の例えに教えていただきました」
「どうやらお主は自得の男らしいな。剣も絵もそうであろう」
「もはやお暇の時が参りました」
「やはり大坂城に入るのか?」
何やら少し哲学的な問答ですが、実は武蔵は、豊臣家と徳川家のどちらかが勝つのかを見定めるため、大坂方の牢人と京都所司代に疑われないために、友松に弟子入りしたのでした。
友松はそれを理解した上で、武蔵を受け入れていたのでした。武蔵の絵を今一度、改めて見た友松は遠慮なく尋ねます。
「この絵の鵙は、大御所様(徳川家康)であろう。ならば尺取虫は豊臣秀頼様でありましょう」
「さて、どうでしょう」
「どちらに味方するおつもりかな?」
「兵法者は、負ける側には付きません」武蔵はきっぱりと言い残しました。
友松には枯れ木にとまった孤独な鵙が武蔵自身とも思えました。
この時武蔵が描いた絵は「枯木鳴鵙図」と呼ばれ、のちに江戸時代の絵師、白井華陽の『画乗要略』において、海北友松の一弟子が武人の気迫を以って描いた水墨画として、評価されます。
4月18日、徳川家康は伏見城に入り、総勢15万4千の軍勢を率います。そして大坂城を砲撃します。大坂方は真田信繁らが奮戦しますが、5月8日、大坂城陥落。秀頼・淀殿母子は自刃して、豊臣家は滅亡します(岡田秀文『大坂の陣』、葉室麟ほか『決戦!大坂城』をご参照いただければ幸いです)。
友松は6月2日、83歳を一期とします。正しく戦国時代の終焉を見届けたかような最期でした。
春日局、友松の思い出を語り終わる。
忠左衛門は、春日局の話を呆然と聞いていました。改めて忠左衛門は思います。「自分は父のことを何も知らなかった。よくぞ教えてくださいました。父にとって昔のことは夢幻のごときものであったろうと察せられます」
春日局も「織田信長公を討った“謀反人の娘”が将軍家(家光)の乳母になるなどとは、昔は考えもしなかった」と、お互い各々の父に思いを馳せるのでした。
そこで、春日局は改めて忠左衛門に問います。
「友松様の話を聞いて、どの様に思ったか教えておくれ」(低姿勢ですね)
忠左衛門は春日局に言います。
「父は何か伝えるものがあって、懸命に絵師として生きたのだと思います。私も自分の胸中にあるそれを探して生きていきたいと存じます」
春日野局も微笑みながら言います。
「わが父斎藤内蔵助は、何ゆえ主君織田信長公を討ったのか?それを知りたいと思って私も生きている。それが戦乱の世を生き抜いた父を持つ子の務めである」
春日局の言葉を聞いた忠左衛門は両手をつき、深々と頭を下げました。
忠左衛門は春日局からの推挙によって家光に召し出され、江戸に屋敷を与えられました。
海北家を再興し、友雪の号を用いて、絵師として活躍します。
狩野探幽の教えを仰ぎ、明暦、寛文、延宝の内裏造営の際、障壁画の作成にも参加します。
又、後水尾上皇の御用も務めて、法橋にも叙せられました。そして大和絵の技法を学び、狩野派の影響を受けながらも、友松の画風を偲ばせる秀作を数多く遺しました。
妙心寺麟祥院客殿の<雲龍図><西湖図>の他、<一の谷合戦図屏風><花鳥図屏風>などです。
友松の画業は、斎藤内蔵助との奇縁によって、子供たちに余すところなく伝えられたのです。
武士の魂を持ち、戦国時代の終焉を見届けた、安土桃山時代最後の絵師、海北友松の物語をお楽しみください。
明智光秀・斎藤内蔵助主従、安国寺恵瓊、豊臣秀吉、徳川家康、織田信長等、戦国の世を懸命に生き、散っていった人たち、またその子供たちの人生に興味のある方にお勧めします。
勿論勝ち目のない大坂の陣に参加した武士たちに興味のある方にもお勧めします。
長い文章を最後までお読みくださった方々に感謝します。
一天一笑
一天一笑さん、長文お疲れ様でした。
ちなみにここであえて蛇足を付け加えておきますと、この葉室麟の『墨龍賦』によれば、本能寺の変を引き起こし、織田信長を弑逆した張本人は、信長の正室・帰蝶(=濃姫)だったということになります。
一天一笑さんが「『墨龍賦』其之弐」や「其之参」で紹介されているところに従いますと、斎藤道三が死に、彼が書き遺したとされる「国譲り状」なるものが偽物だと判明した時点で、帰蝶は信長にとって何の利用価値もなくなった。
信長の血も涙もない性格を知り尽くしている帰蝶が、次に殺されるのは自分だ、ならば殺される前に殺してしまおうと思い詰めたとしても、何の不思議もありません。そこで斎藤内蔵助を通じて明智光秀をそそのかし、謀反を決行させた。
背筋が寒くなるような話ですが、一つの仮説として、胸に刻んでおきたいと思います。