一天一笑さんによる葉室麟の歴史小説『墨龍賦』の紹介記事、第七回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。
春日局は語る⑯安国寺恵瓊に引導を渡す
1600年9月15日、関ヶ原合戦の勝敗が僅か一日で決まると、追われる身の恵瓊は、近江佐和山から船で琵琶湖を渡り、坂本を逃れ、更に京都へと潜入し、月照寺へと逃亡します。徳川の追手の気配を感じると、縁の深い建仁寺へと舞い戻ります。
夕刻に、恵瓊は只の僧侶の身なりで山門に到着します。手燭を持った友松がいます。
「随分待ちましたよ。遅かったですね」
「徳川の目を誤魔化してここまで来たのに、昔馴染みに会うとは、私の運もこれまでか」
友松はゆっくりと頭を振って言いました。
「あなたの運のことはわかりません。只見ていただきたい絵があるので、待っていました」
恵瓊は怪訝な顔で尋ねます。「私を待っていたとは、どういうことか?」
「恵瓊殿。あなたは昔から才智を鼻にかけた、小生意気な僧侶でした」
「友松殿こそ、何時も還俗して武士に戻る事ばかりを願っている、頑固者でしたね」
恵瓊はからからと笑いながら言います。
「正にその通り。そんな二人がよくこの戦国の世を生き抜いてきたと真に思います」
「しかし私は最後の最後でしくじった」
淡々と言う恵瓊を、友松は塔頭のひとつ、禅居庵へと案内します。手燭の灯りに照らされて、襖十二面に「松竹梅図」が描かれていました。中国の伝説の鳥・叭々鳥二羽が松の大樹の枝に止まっている。優美さ、そして強さを内包している梅(恐らく馥郁たる馨がする)とともに。動と静とが友松の筆致で見事に表現されていました。恵瓊はじっくりと襖を見て言います。
「さしずめ松は友松殿、梅は私でしょう」
友松は微笑して頷きます。恵瓊は梅を凝視します。
やがて言います。「凛として気高い梅でござる、拙僧もかくありたいと思います」
友松はしみじみと言います。「左様に思って頂けるなら嬉しく存じます」
恵瓊は微笑んで穏やかに言います。「友松殿は拙僧に潔く散って、人としての芳香を残せとおっしゃりたいのでしょう」
友松は恵瓊と視線を合わせますが、何も言いません。
恵瓊は友松に尋ねます。「枝に止まる叭々鳥は、何を表しているのか?」
「はて、何でございましょうかな」
「拙僧には、明智光秀殿と斎藤内蔵助殿に見えます。もしこの松が友松殿であるならば、梅の友でありましょう」
「無論です」恵瓊は、満足気にお辞儀をして合掌をしました。
「有難く存じます。よもや友松殿に引導を渡されるとは思いませんでした」
「差し出がましい事を申しました。お許しください」
友松の言葉に 恵瓊はにこやかな顔で頭を振り、踵を返して禅居庵を退出していきました。
そして、思い出深い建仁寺に永遠の別れを告げます。
9月20日、六条に潜んでいた恵瓊は、初代京都所司代奥平信昌(徳川家康の娘婿)に捕縛され、石田三成・小西行長と共に、大阪・堺を引き回され、10月1日、六条河原で斬首されました。
清風拂明月
明月拂清風
と言い放ち、従容としてこの世を去っていきました。
春日局は語る⑰描き続ける晩年の友松と大坂の陣
関ヶ原合戦後、海北友松は、細川藤孝に古今伝授を受け、和歌をたしなむ八条宮智仁親王と風雅の交わりを結びます。一時秀吉の猶子となっていた八条宮ですが、やはり文人・墨客に囲まれた境遇の方が水に合うようです。八条宮は、桂離宮を造営し、友松に屏風絵の製作を依頼しました。
「浜松図屏風」「網干図屏風」「山水図屏風」等を精魂込めて描きました。いずれも傑作ですが、中でも「山水図屏風」は墨の濃淡の諧調を上手く使い、永徳でも描けなかった、立体感のある山水画を描く境地に達しました。このころ友松69歳。
一方、1603年、徳川家康は朝廷から征夷大将軍に任じられ、2年後、将軍位を秀忠に譲ります。関ヶ原合戦後、徳川家と豊臣家は、静かな睨み合いを続けて来た訳ですが、徳川家が実質的に天下を掌握している状況です。徳川家康は辛抱強く、豊臣家滅亡の計画を立案、実行の機をうかがっていたのです(岩井三四二『家康の遠き道』をご参照ください)。豊臣家は徳川配下の一大名として生き残るか、抗戦するかのどちらかを選択するしかない状況に追い詰められていました。
1614年、方広寺鍾銘事件が勃発します。家康が仕掛けたこの事件は、大坂夏の陣への導火線となり、再び戦乱の渦に巻き込まれる世の中となりました(この辺りの経緯は岡田秀文『大坂の陣』、葉室麟ほか『決戦!大坂城』をご参照いただければ幸いです)。
友松は、戦乱とは隔絶した京都三条邸で、山名禅高の求めに応じて「禅宗祖師図屏風」を描いていました。これは達磨大師等、禅宗の始祖たちが、悟りのきっかけを得る様子を描いた絵画です。山名禅高の狙いは、大坂城を陥落させ、豊臣家滅亡を画策する主君徳川家康に、天下取りの野望はもう終わらせてもいいのではないかと、絵を以って暗に上申することでした。(つづく)