魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

葉室麟『冬姫』

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表題の作品につきまして、一天一笑さんから紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。

はじめに

葉室麟『冬姫』(集英社)を読了して。
戦国時代、覇王織田信長の2女として生まれ、長じてはキリシタン大名蒲生氏郷(洗礼名レオン)に正室として嫁ぎ、“織田家の女いくさ”(冬姫個人の場合は、蒲生家の行く末を見届ける事、信じて生き抜くこと。乳母によれば、武家の女は槍や刀ではなく、心の刃を研いでいくさをする、婚家が敵にならないように務める)に生涯を賭けた冬姫を描きます。
冬姫の生母は誰でしょう?名も無き地侍の娘か?或いは名のある武家の娘か?
実父、覇王織田信長は、多数の子供たちに酌、五徳、奇妙丸、茶筅丸等、側室には鍋など台所用品を連想させる変わった名前を付ける癖がありましたが、冬姫だけは冬生まれだから冬と名つけられました。そして、生母の形見の水晶の数珠をいつもかけています。容貌は美貌を謳われた叔母お市の方によく似ています。
時代は1567年~1634年、群雄割拠の戦国時代から関ヶ原合戦、またそこから約三十年後、ざっくり、同じく葉室麟の『津軽双花』や岩井三四二の『三成の不思議なる条々』『政宗の遺言』と内容、登場人物、時代等が重複します。

冬姫の輿入れ

1569年、12歳になった冬姫は、実父信長の決定により、14歳の立派な初陣を済ませた蒲生忠三郎と婚礼を行う。先年徳川信康(生母築山殿)に嫁いだ五徳姫(生母生駒氏)にも負けない華やかな花嫁行列を伴って、岐阜城から日野城へ輿入れをする。この輿入れ道中、甲賀忍者杉谷善住坊と出会い、“妹”のモズを供に加え、笛(芥子入り)を献上される。この杉谷善住坊は後年、千草峠付近で信長を狙撃するが失敗して、3年近く逃亡するも捕らえられ、地中深く埋められ、鋸引きの刑で刑死する甲賀忍者です。戦は既に仕掛けられていますね。モズはこの物語の中で重要な位置を占めます。

異母姉五徳姫を見舞う

婚家では、舅をはじめ織田家の姫として大切に扱われます(何と言っても比叡山焼き討ちを実行する信長は怖い)。里帰りした冬姫は、信長に命じられ、岡崎城の五徳姫の見舞いに行きます。何でも3ケ月間も原因不明で臥せっているらしい。実際は、夫・家康に見捨てられた形の築山殿が、それとは知らず武田家の忍びと組んで五徳姫を追い出そうと謀った。その背景には、築山殿の満たされない心(今川家出身の築山殿が三河松平氏の地元で居心地がいいわけはありません)に付け込んだ織田家、徳川家、今川家の三つ巴の謀略戦があります。
結局、織田信長の命令で、信康は二俣城で切腹、築山殿は斬殺されます。家康は後年これを悔いたとありますが、どうでしょう?家康には用済みの正室です。
余談ですが、東海地方出身の筆者は、以前、築山殿のお墓がある佐鳴湖畔の西来院に行ったことがありますが、何とも言えない物悲しさを感じました。

それぞれの「女いくさ」

武将の正室は、常在戦場です。例えば、織田信長の側室、お鍋の方(前夫・小倉右京亮うきょうのすけは蒲生家先代に討たれた恨みが消えない)に罠に嵌められて岐阜城を訪れ、窮地に陥った冬姫を助けてくれたのは、日頃のひっそりとした佇まいと打って変わって、威厳のある正室の姿を現した帰蝶でした。帰蝶は冬姫に向かって、穏やかに、天正改元に向けた父信長の思いと、実母の名前を語ります。斎藤道三が、死に臨んでしたためた“国譲り状”が空手形ではなかったことも。
そして、お市の方も兄・織田信長に前夫・浅井長政を討たれ、お茶々、お初、お江の三姉妹を連れて織田家に帰ります。葉室麟は、本能寺の変は、お市が髑髏本尊にした願かけが成就したために起こったとも言っています。武家の女性の場合、誰かに庇護されないと生きていけない戦国時代では、お市柴田勝家と再婚し、北ノ庄(福井)への道中、日野城(滋賀)に立ち寄り、不気味な三コウ(未来永劫のコウ)の出る碁を打ち、織田信長の血を引く女人同士、手を結ぼうとするのですが、どうも話ははかばかしく進みません。結局柴田勝家は、秀吉に討ち負けてお市の方も亡くなるのですが、お市の方が最後に、予てから申し聞かせた「そなたら3人にしか出来ない事」とは何でしょうか?浅井三姉妹にとっての「女いくさ」(特に茶々)でしょうけれど何やら恐ろしいですね。茶々こと淀殿は生涯3度の落城を経験し、最後は大坂城落城で亡くなっています。茶々が秀吉の側室になったのも決して落ちない城に住み、栄耀栄華を極めたいとの願望があったとか。そうであれば、人を信じて生き抜くことを考える冬姫とは、相容れないわけですね。

1593年、太閤秀吉は<禁中能>を舞い、朝鮮出兵をする。淀殿がお拾い(豊臣秀頼)を出産してからの秀吉は、箍が外れたように人変わりしてゆきます。以前モズが二人の秀吉がいるといった、悪い方の秀吉が常時出てくるようになる?当然淀殿も権勢を誇ります。
太閤秀吉は1594年、吉野で花見を行う。豊臣秀次徳川家康前田利家随行する。加藤清正宇喜多秀家細川幽斎等も供奉をします。氏郷と冬姫も出席します。秀吉の正室と側室が勢ぞろいして絵巻物の様ですね。吉野は天下人の愛でる桜。

蒲生氏郷、病没す

氏郷の健康は、目に見えて悪化してゆきます。吐血を繰り返して1595年2月7日、40歳にて病没します(毒殺の噂あり)。淀殿は蒲生家を取り潰そうと画策します(信長の姪の血筋を誇る淀殿は、信長により近い血を持つ冬姫を叩き潰さずにはいられないようです。何か筋違いな逆恨みと思いますが)。
1596年、冬姫は醍醐の花見に秀吉の命令で参加します。勢ぞろいした側室たちの中で、淀殿と松の丸殿が秀吉の盃を誰が先に受けるかで諍いを起こします。淀殿と松の丸殿は浅井長政を通じて従姉妹に当たるのですが、前田利家正室まつがその場を収めるのですが、淀殿は執拗に冬姫に言いつのります。「自分はお市の娘であることを誇りに生きている。故にそなたが信長の娘として大きな顔をしているのが目障りでならぬ」と。冬姫が淀殿に打たれたそうになった時に、モズが吹き矢で冬姫を守ります。権勢を誇る三成が「曲者を生きて捕らえろ、冬姫に聞きたいことがある」と詰め寄るのですが、興雲院(お鍋)やまつが冬姫を守ります。興雲院は、氏郷を失い、減封された蒲生家の状態を案じて、出家した五徳に遭わせるのでした。かつて信長に縁のあった女たちは、秀吉と淀殿が権勢を誇る世の中を、これからも生きていかなければなりません。秀吉の正室北政所と交流のある興雲院は、秀吉や前田利家が亡くなった後の淀殿石田三成の振る舞いを考えて、五徳姫に徳川家康への橋渡し役を頼もうと提案し、3人で久闊きゅうかつを叙しながら生き残る作戦会議をします。
流石の家康も自分が死なせた長男・信康の正室には弱いのです。五徳は、家康を味方にできるかどうかは、冬姫の器量次第と言いますが、これは「あなたなら大丈夫」の意味ですね。
家康は蒲生家の伏見屋敷を訪れて盟を結び「これからも助け合って参ろう」の言葉を得ます。

終わりに

この後、蒲生家の行く末はどうであろうとも、冬姫は家康を恨んだりはしないでしょう。
戦国時代に人を信じる事で、生き抜いた冬姫の物語です。
筆者は、些か冬姫が性善説を頭から信じ過ぎかなとも思うのですが。
伊達政宗が冬姫に恋心を抱いたり、秀吉からの尋問の際の2度のバサラな姿もでてきます。
石田三成は敵役で出てきます。秀吉に仕える千利休も出てきます。
忍者のモズによる「秀吉は二つの心を持っている」というところも、もう少し踏み込んで描いて欲しいように思いますが。

戦国時代全般に興味のある方、特に武家の女性の生き方や、葉室麟の作品のどれを読もうかと迷っている方、戦国時代のキリスト教布教に興味のある方などにお薦めします。
天一

冬姫 (集英社文庫)

冬姫 (集英社文庫)