魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

浮気者の論理(『レスボスの女王』より)

ルネ・ヴィヴィアンの小説『一人の女が私の前に現われた』の中では、ナタリー・バーネイがモデルと思われる人物が、種々の詭弁を弄して自分の浮気癖を正当化しようとします。たとえば、

「あなたはあの素晴らしい無私無欲の境地にまで自らを高めることはできないのかしら。恋愛とは崇拝する偶像の前で、自分自身を永遠のいけにえとすることではないわ。もし私が行きずりに、とても優雅で魅力的な女の子と出会って夢中になったとしたら、『ああ、彼女はあんな束の間の夢まぼろしで有頂天になれてよかったなあ』と、あなたはむしろ喜ぶべきなのよ」(ヴァリー版第1章)

こんな御都合な言い分をおとなしく聞いている「私」(ルネ・ヴィヴィアン)もどうかしていると思います。ひとつ相手の横っ面に平手打ちでもお見舞いしてやればよさそうなものですが、優しい「私」にはそれもかなわず、内面にストレスを抱え込んでいるうちに、だんだん頭がおかしくなっていきます。

このナタリー・バーネイの恋愛観について、『一人の女が私の前に現われた』の英訳本の序文の中で、ゲイル・ルービン氏がまことに手際よくまとめられているので、ちょっと御紹介いたしましょう。


「恋愛関係において当事者たちがもっとも鋭く対立した論点、そうして他のすべての口論がその周囲に結晶した一論点とは、一婦一婦制的恋愛観であった。 私はここで性的役割とエロティックな関係に関するナタリーの錯綜したセオリーを審判するわけにはいかない。 ここでは彼女が性的役割への批判を発展させて、それがエロティックな感情の構造に対する批判をも含んでいたことだけを述べておこう。彼女は本来異性に対して割り当てられた役割分担が、恋する者の個人的特色の抑圧を命じる場合、恋人たちはどちらも傷つくのだと感じていた。彼女はまた各個人が自らに欠けているものの全体を他者のうちに求めるような場合、そこに起因するエロティックな人間関係は、両性のこの人為的分割からその構造を引き出していると考えた。ナタリーはまたこの性的支配構造に由来する嫉妬、所有欲、および排他性の感情が、女性の男性に対する従属的地位に原因を持つと感じていた。 恋愛関係は相互の依存よりも、むしろ相互の自立に基づくべきであり、愛は貞節によって決して抑制されるべきではないとナタリーは主張した。 貞節は、彼女の考えでは、愛と性欲の死を意味していた。
「ナタリーは生きてゆく上でそのような理想をできるだけ貫いた。 ナタリーが愛を捧げるとき、それは永遠の愛だった。 しかしそれは彼女が差し当たって他の女性にも愛を捧げるのを妨げるものではなかった。愛に関する考えがより旧式だったり、または感情的な構造がそれほど屈折していなかった恋人たちは、このような愛され方を必ずしも有難いとは思わなかった。ナタリーは自分自身は嫉妬に苦しんだことはなく、ただ他人の嫉妬心にいつも苦しめられたと主張した。 彼女のあらゆる恋人たちの中で、ロメーヌ・ブルックスだけがナタリーの見解を共有した。 ロメーヌとナタリーとは半世紀にわたって恋人同士だったが、彼女たちは別々に暮らしていた。彼女たちが南フランスに別荘を建てたとき、それは一セットの相部屋で接合された二軒の家から成り立っていた。 一般に、ナタリーの他の恋人たちは彼女の乱淫をあまり喜ばなかった。 理想とはかけ離れていたが、ナタリーはボス猿の持つあらゆる本能を持っていた。 シャロン(『レスボスの女王』の著者)は彼女のパターンを最もよく描き出しており、彼女のハーレムには通常『第一王妃』、一人か二人の『お気に入り』、およびそれほど愛されていないその他大勢で出来ていたことを特記している。
「ナタリーと違って、ルネ・ヴィヴィアンは、彼女自身のニーズを体系的な哲学として述べようとは試みなかった。 彼女は単にロマンチックなだけだった」云々。


上の文章ですが、「相互の自立に基づく恋愛関係」などと申しますと聞こえはよろしいが、ここにも何か詭弁の匂いを私は感じます。確かにナタリー・バーネイはロメーヌ・ブルックスと半世紀にわたって仲よく暮らしてきた。しかし最後にジゼルが現われた時にはさすがのロメーヌもぶち切れてしまいました。『レスボスの女王』には九十歳のナタリーがロメーヌに面罵されて泣き出してしまうシーンが描かれております。人生の最後の最後になって、このような不和に巻き込まれるのは悲しいことです。
また、「自分自身は嫉妬に苦しんだことはないが、他人の嫉妬心にはいつも苦しめられた」とはナタリーの有名な言葉ですが、ゲイル・ルービン氏はある女性の手紙を引いて、この言葉が真っ赤な嘘であり、ナタリーも相当な焼餅焼きであったことを立証しております。その話はまたの機会にいたしましょう。
それから最後の「ルネ・ヴィヴィアンは…単にロマンチックなだけだった」というくだりですが、これはルネ自身の言葉です。ルネ自身があるインタビューに答えて「私は単純なロマンチストに過ぎなかったのよ」とやや自嘲的に述べているわけです。