魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

「ヴァリー版」と「ロアリー版」(『レスボスの女王』より)

今この本(『レスボスの女王』ジャン・シャロン著、小早川捷子訳、国書刊行会)の94ページあたりを読んでいるわけです。ちなみに反対側の95ページには男装したルネの写真が載っております。
さて、これは昨日の記事の補足になりますが、この本の88ページから89ページにかけて、こんな文章があります。
「ポーリーヌはたいそう内気な女性で、『ソネットによる女性の肖像』に感動したことをナタリーに打ち明けられず、ナタリーの幼友達のヴァイオレットとメアリーにこの告白を託したのであった。ナタリー・バーネイとポーリーヌ・ターンの間にはたちまち恋が生れ、ポーリーヌをルネ・ヴィヴィアンに変えることになるのである」
このポーリーンを魅了したというナタリーの詩『ソネットによる女性の肖像』ですが、特にポーリーンが感動したと思われる一節が紹介されておりますので、引用します。

わたしの歌は歌われ、わたしたちの花は摘み採られた。
ただわたしの魂だけが目覚めたまま癒されず、
その澄んだすすり泣きを何にともなく投げかける。
すべてが腐敗する泥のなかで、わたしの美しい恋は色褪せてしまった。
おお、死よ!わたしを運び去っておくれ、
わたしの額にお前の大天使の長い手を置きに来ておくれ。

これを読んで目に付く点は二つ。
①ルネの「傷心」とテーマが重なっていること。
②この詩はどう見てもナタリー・バーネイには似合わないこと。
「死」への全く感傷的なあこがれが歌われているという点で、この詩は「傷心」と類似しております。したがって、ルネがこの詩に感動したというのは、ナタリーに感動したというよりもむしろ自分自身に感動していたのであろうと察せられます。またこの詩はどう考えてもあの生命力に満ちあふれたナタリー・バーネイにはふさわしくありません。ルネ・ヴィヴィアンのように自殺願望に取り憑かれた人も珍しいが、ナタリーのようにこれと無縁だった人も珍しいと思います。あるいはナタリーのような人でも娘時代のある時期にはこのような感傷に溺れることもあったということなのでしょうか。
この詩の紹介に続いて、この本ではいささか唐突にルネの自伝的小説『一人の女が私の前に現われた』の話が持ち出され、以下の引用があります。

「ロアリーはよみがえった信仰の異教の巫女、夫も恋人も持たない愛の巫女、俗界の人びとがサッフォーと呼ぶいにしえのプサファがそうであったように。彼女はあなたに女たちの不滅の愛を教えるだろう…ロアリーの目は冷たい水、髪の毛は月の光。あなたは彼女を愛し、その愛に苦しむだろう。だが決して彼女を愛したことを後悔しないだろう」

このブログでは『一人の女が私の前に現われた』の日本語訳を掲載しておりますが、前にもどこかに書いたように、この小説には二つの版がありまして、初版がまず1904年に出たあと、ほぼ全面的に書き直された第二版が1905年に出版されております。この二つの版の出版の間に例のレスボス島への逃避行が挟まっており、このアバンチュールがルネをしてセカンド・ヴァージョンを執筆せしめた最大の動機であることは疑う余地がありません。この二つの版の最大の相違点は、作者本人を表わしていると見られる「私」の想い人の名が、すべて「ヴァリー」から「ロアリー」へと改められている点です。そこでこのブログでは1904年版を「ヴァリー版」、1905年版を「ロアリー版」と呼びたいと思います。
ちなみにいずれの版もPDFファイルが(別々のサイト上に)公開されていて('Une femme m'apparut'でググってみて下さい)、フランス語が読めさえすれば、何もパリの古本屋を漁らなくとも居ながらにしてタダで読めます。ただ、私のようにフランス語が(英語もですが)ろくすっぽ読めない人には、なかなか大変なものがあります。
私が訳したのは「ヴァリー版」の方で、上記の一節はどこにも出てきません。上の一節が出てくるのは「ロアリー版」の第一章のサン・ジョヴァンニと呼ばれる登場人物(女性)の台詞の中です。以下、この「ロアリー版」の第一章の前半部分を出来るだけ忠実に訳しておきます。

迷ってばかりいたある夜、『予告者』が私のもとに現われた。
『予告者』の顔は、レオナルドが描いた聖ヨハネの顔のように、神秘的で、胸をどきどきさせるものがあった。
「あなたはかわいそう」と彼女は言った。「なぜならあなたはまだ苦しんだことがないのだから」
半分しか意味がわからなかった。私はまだ子どもだったのである。
「あなたの空っぽの心がかわいそう」彼女はふたたび言った。
私は静かに聴いていた。
「ロアリーのもとへ導いてあげるわ」
「ロアリーって誰」私は軽く好奇心をそそられて言った。
「ロアリーはある復活した異教の信仰の女司祭。夫も愛人も持たず、俗人どもが今日サッフォーと呼んでいるあのプサッファが、かつてそうであったような女司祭。彼女は女同士の不滅の愛を教えてくれるわ」
「美人なの」と私はたずねた。
「彼女ほど心なく美しい金髪は、ウンディーネ自身さえ持ち合わせてはいない。ロアリーは氷の目と月光の髪の持ち主。あなたは彼女に恋をして、その恋で苦しむでしょう。とは言え彼女を愛したことを決して後悔はしないでしょう」云々。