表題の作品につきまして、一天一笑さんから紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。
武内涼『駒姫: 三条河原異聞』(新潮社)を読了して。
この小説は、山形十九万石の太守最上義光(もがみ・よしあき)と正室大崎夫人「としよ」(共に名門足利家)との間に生まれた駒姫の、短いが気高い生涯を描いた歴史小説です。豊臣秀吉が天下の覇権を握っている時代に、関白秀次の側室に望まれ、武家の子女として生まれた使命を果たした女人の物語です。
家系図的には、駒姫と独眼竜政宗は母方の従兄妹に当たる。そして、政宗の実母義姫(保春院)とは叔母と姪の関係になります。この義姫は、1588年大崎合戦の際、両陣営の真ん中(国境)に約80日間居座り、実家最上家と婚家伊達家を和解させたという“伝説”の持ち主でもあります。「羽州の狐」最上義光も、独眼竜政宗も、義姫には頭が上がらなかったでしょうか。又最上義光と伊達政宗は、伯父と甥の間柄になるのですが、二人の間に信頼関係など築く余地は無かったと推察されます。
駒姫、北国街道を南下して聚楽第へ
1591年、九戸政実の反乱軍討伐の総大将を務めた豊臣秀次が、山形城に立ち寄った際に、東国一の美女との評判の駒姫を見初めたことから、最上義光の苦悩が始まる。
最上義光としては、秀次はさして怖くないが、後ろにいる豊臣秀吉が何より怖くて厄介である。家臣団や領民に責任のある最上家当主の立場を優先するのか、父として娘を匿うのか?
答えは自ら決まっています。義光夫妻は、心を込めて駒姫の嫁入り道具(化粧道具・貝桶・黒漆の三階棚)等を用意することになる。かくて家老氏家守棟(尾張の守)を警護責任者とした駒姫の行列は京都を目指して進みます。
軍師堀喜吽(ほり・きうん)、京都最上屋敷に凶報をもたらす
駒姫が聚楽第に入って3日後、堀喜吽が京都の最上屋敷に悪い知らせを持ってくる。伏見城(秀吉側)から、聚楽第に詰問使が訪れた。これは関白秀次の身の上によからぬ事の起きる前触れだと。
皮肉にも、堀喜吽が密書が奪われる事態を用心して飛脚を使わなかったために生じた3日の遅れが、駒姫のその後の運命を決定してしまいます。問題が起きた時の所謂初動ミスですね。さしもの最上義光も畿内には諜報網を張るまでには至らなかったということでしょうか。
秀吉は段階を踏んで、淀殿と実子「お拾い」(秀頼)の世を確実にする目的を持って、「謀反人」秀次の切腹を実行に移します。
駒姫の聚楽第入内から5日後、秀次の正室一の台(公家菊亭右大臣の娘・武田信玄の姪)により鶴の間に集められた秀次の側室たちは、絶望的な報せを聞かされる。秀次が謀反の疑いで、高野山に追放された報せです。
一の台は、戦時の武家の慣習法で、側室たちは出家する掟で、命まではとられないだろうとの見込みを語りますが、京都所司代前田玄以の態度を見るにつけて、既に謀反人の一味とされているのは確実です(秀吉は恩人池田恒興の娘以外誰も助命する肚はない)。
軍師堀喜吽&家臣鮭延主殿助(さけのべ・とものすけ)、駒姫の助命嘆願に奔走
京都の最上屋敷の義光は自分自身も謀反を疑われる身の上(蟄居)になったので、表向きは動けません。差し当たって尾張の守が、駒姫が秀次にお目見えしていないことを理由に、伏見屋敷に助命に行くのですが、どうもはかばかしくありません。
これは、かの石田治部三成が、聚楽第に入った時点で秀次の側室であるとの線引きを、頑なまでに守っているからです(勿論秀吉に対する忖度です)。
そして、堀喜吽は旧知の両替商を通じて、長束正家・浅野長吉・施薬院全宗などに駒姫の助命嘆願を計画するのですが、何分にも秀次追放のからくりを理解するところから始めないと敵味方の区別がつかず、十分な準備ができません。
其の頃には、秀次の側室・子供合わせて39人の身柄は、聚楽亭外郭の徳永寿昌の館に移されてしまいます。更にそこから丹波へ送られ、座敷牢に閉じ込められる次第です。
最上義光は自ら筆を執り、秀吉宛に駒姫助命の手紙を送るのですが返事はありません。
母は駒姫の無事をひたすらに仏に祈ります。
堀喜吽の起死回生の一手は間に合うか?
北の政所(秀吉の正室)にもいい返事を貰えなかった堀喜吽は、徳川家康の合力(忍者服部半蔵から淀殿へ繋ぎを取る)を得ます。又伊達家家臣片倉小十郎も難儀している時はお互い様と力を貸す。
淀殿は15歳で越前北ノ庄の落城により継父柴田勝家と実母お市の方を失っているので、15歳の駒姫を救おうという気持ちになるだろうとの喜吽の読みは的中するのですが、時間が足りません。駒姫たちの処刑の日時は既に決定されています。
やがて短冊と硯が39人に届けられます。辞世の句なり、手紙を書きなさいということですね。一の台が落ち着いて筆を執るのを合図に、読み書きができる側室たちは一斉に手紙をしたためます。果たして駒姫が父母に宛てた遺書にはなんと書き記されていたのでしょうか?恨み言等はなく父母や兄弟姉妹の身の上を案じています。心配をかけたことを詫びています。処刑場に引き出されてゆきます。
秀吉は最後には淀殿に負けて、駒姫と侍女の助命の早馬をだすのですが、果たして間に合うのでしょうか?
天下人ならではの孤独と老醜に懊悩する秀吉が、もう一人の主人公ともいえます。
お時間のある方、この時代の着物(打掛や腰巻の起源)や着物の染め・織りに興味のある方、秀吉の側室の京極龍子や淀殿の豪華な着物の着こなし等に興味のある方、最上義光や軍師堀喜吽に興味のある方にお薦めします。
一天一笑