魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

吉川永青『毒牙・義昭と光秀』(其の五)

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現在の勝竜寺公園の模擬櫓と虎口跡。ウィキメディア・コモンズより。

天一笑さんによる吉川永青ながはる歴史小説『毒牙・義昭と光秀』の紹介記事、第五回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。

光秀、織田家専属となる。

京都奉行の輔弼ほひつの役目と高槻城主を兼ねる光秀は、義昭に召し出されます。比叡山焼き討ちから約一か月後です。光秀は未だに焼き討ちの地獄絵図が頭から離れません。
義昭は、ねんごろろに光秀を慰労します。
此度こたびはそなたにも何と言ってよいのやら。災難だったな」
御所に出仕する以上そんな素振りはみせませんが、心身共に疲弊し、絶えず胸が苦しい光秀には、義昭が聞き役になってくれる姿勢が身に沁みます。
「織田様は、比叡山で後始末をされておいですが、私のような悩みはお持ちでないようです。武士であるならば、織田様が正しいのか、悩む私がおかしいのでしょうか?」
義昭は、呍々うんうんと頷きながら話を聞き、時折悲し気な顔をして「すまぬ」と詫びます。
弾正忠だんじょうのちゅうはそなたを買っているから、必要だと思うから、焼き討ちを任せたのだ」
「しかし、織田家に従わなかった仕返しととられたら、上様の体面にも関わります」
この会話の時にも、光秀の心はチクリと痛みます。義昭は言います。
「余も織田家中も、叡山焼き討ちは、必要があってしたと理解するが、世人はそうは思わぬ。仕返しや自分の利益確保のために、弑逆するのも辞さずと思われては、諸国の大名を一層頑なにする。弾正忠に諫言せねば。其方に心やすく働いてもらうためでもある」
光秀はのけ反って言った。
「それは我が分を超えております。しかも弑逆をも辞さずとは」
「物の喩えだ。その方の切れる頭を巧く使え。」
「物の喩え云々ではなく、このような大事はやはり上様からではなくては」
声を震わせながら懇願する光秀を放りだして、義昭は不機嫌そうに退出してしまいました。

光秀はため息をつきながら、京都奉行、村井貞勝の屋敷へ向かいました。そこには、袴もつけない粗衣の姿の信長がいました。光秀は内心「どいつもこいつも一体何なのだ、勝手だ」と呟きます。
「殿は息抜きを終えられて、叡山にお戻りになられますか?」
「ああ、お前に会いにきた。足利に暇をもらい、織田家の臣になれ」
「は?今のままでは不都合でも?」
「些か面倒だ。幕臣のままでは、織田家からの恩賞は出せぬ。織田の家臣になるなら、坂本城はそのまま任せる。京都奉行にも任じる」
信長直々の悪くないスカウトですね。いつもは短気な信長がさらに続けます。
「上様の臣を引き抜くのは気が引けるが、その上様から、織田家所領から幕臣の宛てがいを頼むとは言ってこない。お前が織田家に仕えれば一国の国主となれる。そこから上様に御料所を献じればよい」めずらしく悩んだ声で言います。
「ならば、織田家として御料所を献じればよろしいのでは?」
「ならぬ。織田家の力を削ぐことはできぬ。上様は幕臣の宛てがいを頼めば、兵を出さねばならぬことを知っているからだ。真に世を憂えているなら、そこは諒解すべきなのだが」
「わたくしから御料所を差し上げるのは、何故構わないのですか?」
「何故でもない。献上は勝手だ。戦の折には石高に見合った兵を出すべし。献じた分を差し引いて俺に仕えるのは許さん。それだけだ。考えておけ」
何だかよくわからない論法ですが、合理主義者信長にとって論理破綻はしていないのです。
カンの良い光秀が、悩みながら頭を上げると、信長はとっくに退出していました。

暫くして光秀は、義昭に足利を離れる申し入れを行います。口上は熟考してあります。
「決して今までの御恩を忘れたわけではありません。只信長さまは、織田領から幕臣への宛てがいを求めないことは『違乱』と疑っている。このままでは上様自身にも何か要求してくるかもしれませぬ」
義昭も、寛大に優しい声音で答えます。
「余と幕府を思っての話ならば、許そう。只一つ承知していると思うが、今まで以上に織田弾正忠を信じて仕えねばならん」
「無論でございます」光秀は、少し躊躇いながら答えます。
「余も織田弾正忠を信じる。それ以上に其方、明智光秀という男を信じ続ける。そして織田と足利は一心同体であえる。名残惜しいが、京都奉行着任ならば、また其方と相まみえよう。ゆくがよい」
立ち去る光秀の、心なしか寂しげな背中を見送りながら、義昭は、光秀への言葉の毒の廻り具合に満足気な微笑を浮かべるのでした。

1572年1月、教養があり、信長に心酔する、些か思慮の浅い細川藤孝が、光秀の織田家専属を認めた事を発端に、幕臣の上野清信と激論する。激昂した上野清信は、御所中に聞こえる大声で喚くのでした。
「織田弾正忠は世を壊す。討ち果たさねば必ず後々に禍根を残そう」
「上様、痴れ者の妄言に惑わされてはなりません」
義昭は、呆れつつも、雷を落として二人を追い払いました。また義昭の胸に、この程度の人間ども(細川藤孝や上野清信)なら使い捨てにしても胸が痛まないという考えが浮かび、自分自身の機嫌を直すのでした。この諍い後、細川藤孝は、居城の勝竜寺城に勝手に謹慎してしまいます。(続く)

 

毒牙 義昭と光秀

毒牙 義昭と光秀

  • 作者:吉川永青
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/11/29
  • メディア: 単行本