魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

吉川永青『毒牙・義昭と光秀』(其の四)

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「宇佐山城主・森可成公之墓(蘭丸の父)」。滋賀県大津市比叡辻、聖衆来迎寺内。ウィキメディア・コモンズより。

天一笑さんによる吉川永青ながはる歴史小説『毒牙・義昭と光秀』の紹介記事、第四回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。


和議の綸旨

摂津中島城で、義昭は苛立つ信長と対面していました(勿論義昭が上座)。
浅井朝倉連合軍(15,000人)が、琵琶湖西岸を京都に向かって進軍します。森可成よしなり(宇佐山城主、森蘭丸の実父)が奮戦しますが、敵は本願寺の軍勢が加わって、総勢30,000です。
弟信治を援軍に出すも、結局宇佐山城は捨て石になって、織田軍が野田・福島で三好三人衆本願寺顕如に睨みを効かせている間に、信長(織田本隊)を摂津から撤退させ、近江に駆け付ける時間を稼ぐ他はありませんでした(織田信治森可成、共に戦死)。
元亀元年(1570年)9月23日、中島城大手門で、義昭は、摂津衆の伝令を前に「良いか。弾正が近江を片付けるまで、睨み合いを旨とすべし、敵を進軍させてはならぬ」と檄を飛ばします。
信長は馬に乗って出発します。義昭は輿に乗って出発します。二人とも、中島城から淀川沿いに高槻城(城主和田惟政)、勝竜寺城(城主細川藤孝)を宿泊所として京都に到着します。
信長は城主森可成の戦死後も降伏をしなかった宇佐山城に入り、義昭は御所に戻りました。
義昭は書状をしたため、朝倉の透破(密偵)に託します。この書状の存在は、歴史の表面には出てきません。透破は時代劇のように天井の羽目板から出入りします。同じ頃、落剝した六角賢堅よしかた承禎じょうてい)が、義昭にそそのかされて信長の命綱である南近江の流通路を寸断します。
これにより、織田本隊8,000人の兵糧運びが不可能となります。苛立つ信長は、何と、比叡山に脅しをかけます。信長の常人と違うところですね。
信長の言い分は、天下の静謐を保ちたいならば、織田に味方すべし。僧門だから味方になれないというならば、中立を保ち、浅井・朝倉に味方してはならない、です。
比叡山延暦寺は、信長の言い分を冷笑し、取り合いませんでした。それどころか11月、伊勢長島の門徒衆に一向一揆を起こさせます。これによって、尾張の西端(津島湊)が脅かされます。この絶体絶命の状況を理解した信長は、御所へ参内し、義昭に“和議の綸旨”を願い出るのでした。この時の信長は、恥も体裁もかなぐり捨て、ひたすら平身低頭、畳に額を擦り付ける有様でした。
「申し上げます。どうか和議の綸旨を主上天皇)に奏上くだされませ。上様からお借りした光秀が、宇佐山城に詰めています。このままでは、持ちこたえてあと十日かと。時間が無いのです」
「あいわかった、早速禁裏に使いを立てよう、だがこうなった以上、余は三好三人衆や浅井・朝倉等、敵を全て許す。その方も、全て水に流すのだ。良いな?」
「何事も上様の仰せの通りにいたします」
信長の全面的な敗北ですね。海抜の低い清州城が居城の信長が、水に流せるわけがないのは容易に予想がつきますが。
演技派の義昭は、信長のやつれた様子と無念の涙を見ながら、二つの心の動きを抑えて、鷹揚に振る舞うのでした。一つは執念深い信長の和議はその場限りのものと用心する心、もう一つは自分が六角義堅を唆して南近江の流通路を寸断させたことが明るみ出ていないことで安堵する心です(落剝して甲賀衆の世話になっていた六角義堅が勝手に南近江を攻撃したことにする)。
不服を申し立てる比叡山延暦寺との和議はなかなか進展しませんが、12月13日に和議が整いました。信長が朝倉義景に差し出した起請文の文面に、“天下は朝倉殿持ち給え。我は二度と望みなし”の一文が加えられました。水に流して義昭の顔を立てた形です。
和議成立後、宇佐山城は廃城となり、光秀は新たに琵琶湖近くの坂本城の普請を任されました。完成後は城主になることは確定です。そのことを漏れ聞いた義昭は思います。それ程重用されているなら、祝いの書状も念入りにしたためよう(更に毒を加えよう)、と。

和田惟政の最期

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江戸時代の錦絵で、足利義昭を刺客の手から救出する和田惟政。惟政は義昭が将軍位に就く以前からの忠実な幕臣でした。ウィキメディア・コモンズより。

義昭は更に、自身が六角義堅を唆して、南近江を封鎖したことを知ってしまった和田惟政を始末しようと奸計をめぐらします。ちょっとしたことから、義昭のこの世にあってはならない書状を見てしまったのです。
義昭は和田惟政の実直な人柄を知っているのですが、信長を取り除く肚は誰にも知られてはならないので、苦渋の決断を下します。どのような方法を用いたかというと、松永弾正に和田惟政を攻撃させます。和田惟政は、高槻城と茨木城を預かっているので、兵力は分断されてしまいます。そのうえ朝倉の透破に和田側の作戦を知らせるので、和田軍はひとたまりもありません。和田惟政は義昭を疑うことなく、立派に戦死しました。
その最期は壮烈でした。鉄砲を撃ちかけられ、たまらず落馬したところへ、槍と刀を受け、意識朦朧となりながらも、組み合った端武者はむしゃ脾腹ひばらに小刀を突きたてたが、息が続かず討たれた。
これにより、高槻城城主は、援軍に駆け付けた(これも義昭と打ち合わせ済み)三淵籐英(細川藤孝の実兄)が就任しました。
義昭は自分が人間ではないバケモノになってしまった気がするのですが、そもそも織田信長に兵を動かす大権を与えた事自体が間違いなのだから、糺さなければならない。それには人(和田惟政)を使い捨てにするのもやむを得ない。仏門に居た時と同じように、掌を合わせるのでした。しかしもう後戻りはできないと強い意志を持ちます。天下を糺す為には自らを汚す事も厭わぬ、と。

比叡山焼き討ち

光秀はわが耳を疑いました。主君信長のことばが理解出来ない自分がおかしいのかとも思った。
「今何と仰せられました?」
「聞こえなかったのか。比叡山を焼けと言った」
「何故ですか?」
「僧門でありながら、奴らは朝倉に合力した。権勢に奢っている」
「されど、主上も院も、この千年、誰も手出しはしませんでした」
「それがいかんのだ。この国に主をも見下すものがあっては、秩序が守られぬ。われらは、上様の兵にて、日夜天下平穏の為に戦っているのに、奴らは自分たちが僧門であることも忘れ、我欲に溺れている」
光秀は目を大きく見開きながら言います。
「仕返しととられますぞ!」
「それで天下が鎮まるなら安いものだ」
どうやっても信長の決意は揺らがないようです。
光秀は合掌して、信長に尋ねます。
何故なにゆえそれがしにお命じさないますか?」
「右衛門(佐久間盛重)が嫌だと断った。あまつさえ、自分に命じるなら織田を離れるとまで言った。お前は俺の家臣ではないが、上様に俺の下知に従えと言われているはずだ」
「ならば、降伏を勧めればよろしいでしょう。戦で焼け出された民百姓もかくまっています」
信長の舌打ちが聞こえます。相当苛立っている様子です。
「俺の下知に従えぬということは、上様のご下命にも背くぞ。良いのか?」
逡巡した光秀は、義昭の『何を命じられようと、自らの心に負けてはならぬ』との言葉を思い出し、自分自身を押し殺して、比叡山焼き討ちも止む無し、と決心します。
「上様にも、殿にも背きません」
「ならばやれ。人・犬・猫に限らず、比叡山の動く物は、全て焼き尽くせ。天下に盾突く者がどうなるのかを示さねばならぬ」
「殿、その前にわたくしに比叡山の降伏を説得させてください」
「よし、できるものならやってみろ!」

殿は比叡山の何を知っておられるのだろう、と訝しく思いながらも、光秀は1,000人の軍勢を率いて、比叡山延暦寺の山門をくぐるのでした。
「織田弾正忠さまより、叡山に降伏を勧めに参上した」
叡山側は、これに冷笑や哄笑をもって応えるのみ。そして光秀が目にした光景とは、僧門にあるにも係わらず、白昼から酒池肉林、博奕ばくえきに興じる売僧まいす達の姿でした。
「何だ、これは」
呆然と立ち尽くす光秀の耳朶じだに信長の声が蘇ります。
「好き勝手にやっていられる者がどうなるか」
更に信長が目付として加えた赤母衣あかほろ衆の加藤弥三郎が、背後から進み出で、静かな面持ちのまま言います。
明智殿、兵たちにお指図を」
光秀は小さく頷きました。次の瞬間、
「よし、明智殿のお指図である。火矢を放て」
後は阿鼻叫喚の光景です。火を逃れても、切り殺されます。許しを乞うても槍の的にされます。
光秀は、ひたすら涙を流しながら、何がこうまで人を変えるのだろうと不思議に思うのみでした。(続く)

 

毒牙 義昭と光秀

毒牙 義昭と光秀

  • 作者:吉川永青
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/11/29
  • メディア: 単行本