一天一笑さんによる吉川永青の歴史小説『毒牙・義昭と光秀』の紹介記事、第十四回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。
本能寺襲撃後
小早川隆景と義昭の面会に陪席していた真木嶋昭光は、“信長公自刃”の報せを聞いた時には、信じられず、ポカンと口を開けたままでしたが、隆景の態度を無礼に思い、やっと口を開きました。
「う、上様・・・」
このような無礼な態度を許していいのですか?と言いたい。
義昭は、大きな溜息をついた後に言った。
「致し方あるまい」
義昭の中で様々な思いが駆け巡ります。隆景は、9年前、義昭がわざと毛利家と織田家の交渉を毀した意味と目的を正確に見抜いていた(毛利家を自分の都合に合わせて織田家と戦わせるため)。それ故、余に辛辣な言葉を投げつけた。さすが毛利家の情報収集担当、知恵者小早川隆景だ。
隆景は言霊に依って直截に、わが心を挫いた。余が光秀に、言霊に依り、毒を植え付けたように。
困惑した真木嶋は、たまらず言った。
「あの、上様、一体何を仰せになっているのでしょう」
「何でもない。余の望みは今は潰えたように見えるが、どう運ぶかは未知数だ」
「隆景殿の思惑通りに事は運ばないと?」
「ああ、先ずは時代の流れを見極めることが肝要だ」
気を好くした義昭は真木嶋昭光に説明した。
つまり、信長を討った光秀が、そのまま天下の覇権を握る可能性。信長の弔い合戦を制し、見事光秀を討った織田家の武将が信長の後釜に収まる可能性。そして何れの場合もその勝者が、毛利家が中国戦線の秀吉軍の背後を襲わなかった事に対して恩義を感じるとは限らない。つまり何れが勝者になろうとも揺らがない“征夷大将軍”の権威を以て、帰洛させてくれる者に沿うのが将軍位を持つ余の責務である。
やっと得心した真木嶋は言った。
「左様ですな」
さらに機嫌を好くした義昭は、薄く微笑み、右手の扇を膝元に投げ捨てた。
光秀の敗死と義昭の慟哭
6月13日、真木嶋昭光が、悲壮な表情で御所に報告に上った。
「明智光秀殿、山崎で羽柴秀吉の軍勢と戦い、全滅された由」
義昭は、静かに瞑目し、詳しい報告を真木嶋に促した(常に机上の戦を展開する義昭ですが、それなりに、戦の勝因と敗因を分析出来るようになりました)。
先ず動員出来た兵の数が違う。中国大返しを成し遂げて意気軒高な羽柴勢約4万。対する四面楚歌(細川藤孝にさえ援軍を断られ賊軍確定?)の明智勢は1万3000前後。地の利が得られれば互角の戦いになったかもしれないが、摂津と山城の国境の山崎に陣を構えたのは羽柴勢の方が遥かに速かった。根本的に秀吉の京都帰還が予想外の速さだったのです。
光秀は、ほぼ、負けるべくして負けた。“山崎の戦”は、実は戦が始まる前に終わっていた。
真木嶋昭光も言います。
「然るに、光秀殿が味方を得られないとは、本能寺の一件は、念入りに仕度をした上の謀反ではなかったのでしょう」
「左様か」
「我らはこの先、如何いたしましょうか」
義昭は即答しなかった。否、出来ないのだ。力の無い声で言う。
「昭光、少し外してくれぬか」
「これはご無礼を。光秀殿が討たれたというのに、上様のお心をお察ししようともせず」
義昭は返事の代わりにニッコリと寂しげにほほ笑んだ。恐縮する真木嶋は、一礼すると、静かに下がっていった。
一人になった義昭は、改めて想う。
真木嶋の察した通りに、己は(手駒に作り替えた)光秀の死を非常に悲しんでいる。何故?この事実に義昭は狼狽えた。余は己の目的達成の為には、人を使い捨てにしなければならぬと、信長に学んだ。
そう信じて、名ばかりの将軍位を恃みに、今日まで生きてきた。大きな権限を持たせ過ぎた信長を除く為、自らが発する言霊の毒を用いて、光秀を作り変えた。“手駒光秀”は首尾よく信長を討ち果たした。我が望みは叶ったのではないか。悲しい訳などない筈だ。
信長が死んだときは、時を移さず毛利を遣って、織田軍の息の根を止めようと企んだ。
それが成功した暁には毛利をも潰そうと計画した。にも拘らず、信長を討った光秀とは手を携えようと思っていたのだ。何故か?余と光秀との関わりは、全て最初からウソ、虚構だったからだ。
線が細く人が好い・・・武士としては優し過ぎる、美し過ぎる心を持つ光秀ならば、毒に変えられると値踏みをした。折りに触れ、四方山話のように話した言葉に、わざと毒を含ませ、追い詰めていったのだ。光秀自身が、信長の本当の望みを知った時に、吹き込んだ言霊が発動し、光秀の美しい心を毀し、暴力的な荒んだ心になり、ベクトルが打倒信長に向くように。同時に、余自身も知らなかった光秀を慕う心も現れるように。
慕う心・・・このキーワ―ドに、義昭は目を見開き、身震いし、頭を軽く殴られた気がした。光秀だけは余に対して心根が違うのだった。抑々光秀は、余が越前朝倉義景の元に滞在していた折、幕臣の細川藤孝の推薦に因って召し抱えた男だった。光秀自身が、余に仕える気持ちをもって、臣下の礼を取ったのだ。そこが決定的に違うのだ。
義昭は旧幕臣たちの顔を想い浮かべた。細川藤孝、真木嶋昭光、上野清信、三淵藤英らの面子を。その対極にあるような第六天の魔王、古い秩序を破壊する織田信長の顔も。彼らに共通するのは、足利将軍家の正統を伝える立場にある自分を重んじ、用があった事実であった。
光秀のみが、足利の血筋に寄って来たのではなく、一人の人間としての足利義昭に仕えたのだった。本圀寺の変でも、十二分な働きをしても驕らなかった。鷹狩りの際、供に連れ歩き、思わず吐いた弱音にも嫌な顔をせず、受け止めてくれたではないか。何と清らかな心の持ち主であったことか。余は光秀の心を毀しながら、同時に自らは光秀を慕う心を育てていたのだ。光秀の死が非常に悲しくても当然なのだ。何の不思議もない。
義昭はそう思い至った途端、両眼から涙がポロポロ溢れ出た。泣ける事がこれ程嬉しいとは。
還俗の折、自らを汚しても天下の静謐を願い、世の中を変えようと志を持った。其の為には権力を持ち過ぎた信長、余に人は使い捨てだと教えた信長を、包囲網を作り、排除しようとした。バケモノに成りきれない、自らを汚しきれない、斯様に生半可な男に天下を統べられる道理などあるわけがないのだ!
挙句の果てには、本筋から離れた信長謀殺のみ望むようになってしまった。
”余は天下を統べる器ではなかったのだ!“
「余は只の人であった。・・・すまぬ、光秀。其方を、可惜犬死させてしまった」
余は只の人で良かった。これ程、後悔の涙を流せるのだから。(続く)