魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

「ゴシック・ローマン詩体」入門(日夏耿之介『黒衣聖母』より)

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Photo by Phong Bùi Nam from Pexels

以前、こちらの記事で、日夏耿之介ひなつ こうのすけのいわゆる「ゴシック・ローマン詩体」についてほんの少しだけお伝えしましたが、これについてもう少し詳しく知りたいと思われている方もいらっしゃるのではないかと常々考えておりました。私は別に日夏の詩の研究家というわけではありませんけれども、およそ戦後生まれの人間で、俺ほど日夏の詩を読み込んだ男はいないだろう、という程度の自負はあります。死んだ親父が、私が中学のころ、当時刊行が予告されたばかりだった河出書房新社版『日夏耿之介全集』を本屋に予約してくれて、真っ先に届いた第一巻『詩集』は、それこそぼろぼろになるまで読み返したものです。日夏の詩にはそれほど強烈な魅力があるのです。
ただお察しのとおり、現代の日本の言語環境において、日夏の詩の魅力の一端なりとも若い人々にお伝えすることは大変難しい。かと言って日夏の詩が日に日に忘れられてゆく有様を黙って見ているのも誠に淋しい限りである。というわけで、無理を承知で、ここに「ゴシック・ローマン詩体」のサンプルをもう二、三篇陳列し、好奇心旺盛な読者に対して誘惑を試みたいと考えます。

<CONTENTS>


まず代表的なものをひとつ挙げます。わずか六行の短唱です。

「愁夜戯楽第七番」


薔薇ばら きぬ
その罪 あかし矣
小夜さよゆく鐘に
夢みだれ
若きの間を
ああ今宵こ よひの月 熱を病む


もしあなたが上の小詩篇を「美しい」と感じるならば、あなたは既にこの「ゴシック・ローマン詩体」の毒にあたっている可能性があります。
なおこの詩の二行目の行末の「矣」の字は「置き字」と呼ばれるもので、発音しません。すなわち、

その罪 あかし矣

とは、

その罪、あかし!

と同義だとお考え下さい。

次に掲げるのは日夏耿之介の創作詩ではなくて訳詩です。『黒衣聖母』には収録されておりません。

「病める薔薇(The Sick Rose)」

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「ヴァンパイア(Vampire)」。 Anita-Lustさんがdeviantart.comに投稿した画像。元画像はこちら

あはれ薔薇さうびよ、おん身病めり矣。
咆哮はうかうの嵐のなかを
の闇をかけりてゆく
えざる蠕虫はむし

お身が耽楽たんらく臥蓐ふしどをこゝに
見出でたり。
の黒色極秘の愛の
お身がいのちをぞこぼつなる。


英詩原文は、英語版ウィキペディアによれば、以下の通り。

O Rose thou art sick.
The invisible worm,
That flies in the night
In the howling storm:

Has found out thy bed
Of crimson joy:
And his dark secret love
Does thy life destroy.

作者は神秘思想家で画家詩人のウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757 – 1827)。英文学史上、極めて特異な存在です。
なおこの詩は佐藤春夫が『田園の憂鬱』(1919年)という私小説の中で引用したことで、日本でも広く知られるようになりました。日夏の訳は原文に忠実ですが、それでいて「ゴシック・ローマン詩体」の魅力を存分に発揮しています。

最後に『黒衣聖母』からもう一篇ご紹介します。これまた短く、平明な作品です。

「安易」

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gahag.netより。

「心」は「時」にもたれてをる
「時」はかすかにうなづいて
その金髪をまさぐり
滄溟うみのやうなひとみをあげて
唄うたふ「心」をあしらふ

「心」は「時」のひざの上で
安らかに仮睡ゐ ねむつてをるのか



日夏耿之介の第一詩集『転身の頌』はほとんどすべて文語体の詩から成り立っておりますが、第二詩集『黒衣聖母』は上のような砕けた口語体の詩が主体となっております。

テキストについて

ここからが問題です。
上に日夏耿之介の「ゴシック・ローマン詩体」のサンプルを三篇ご紹介したわけですが、実はこれは原文そのままではなく、紹介者の私が少し手を加えております。まず縦書きのものを横書きにしておりますし(日夏の詩の場合、これだけで大変な「改悪」ということになります)、今の若い方々にも読みやすいよう、原則的に新字体を採用し、ところどころ振り仮名を増やしたりしているわけです。で、仮にこの記事を読んで日夏の詩に興味を持たれた方がいらっしゃったならば、より美しい原文の方にぜひ当たっていただきたいのですが、残念ながら、今のところ日夏耿之介の詩集はすべて絶版となっております。
というわけで、以下にご紹介する『日夏耿之介詩集』はすべて「古書」に属するもので、その中でも比較的入手が容易なものだけをピックアップしております。なお日夏の作品は没後70年目に当たる2041年著作権が消滅し、その時点で(志賀直哉らの作品とともに)青空文庫が公開される予定になっているそうで、そうなると日夏の詩の少なくとも一部は無料で閲覧できるようになりますので、本にお金を使うのがどうしても嫌だとおっしゃる方はそれまで待つというのもひとつの選択肢です。詳しくはこちらの記事をご参照ください。

河出書房新社版『詩集』

この記事の上の方で少し触れております『日夏耿之介全集』の第一巻です。活字が大きくて読みやすく、日夏の詩の工芸品的な美しさがよく伝わってきます。またこれまで未収録だった詩が収録されている他に、収集し得る限りの異文が収集され、列挙されておりまして、将来の日夏の詩の愛読者に対して大変な便宜を提供してくれています。日夏の詩集、特に第一詩集『転身の頌』を読み解くには、異文の研究が欠かせません。
というわけで、一度は手に取っていただきたい『日夏耿之介詩集』の決定版とも呼ぶべきヴァージョンではあるのですが、そう断言するのがためらわれるのは、編者の方針にいささか不審な点があるからです。というのはつまり、編者が恣意的に(と私には思われるのですが)日夏の詩を改変している部分があるのです。これについてはまた稿を改めて指摘しましょう。また比較的高価な上に、何分大きくて分厚い本ですので、通勤電車の中で読み飛ばすというわけにはまいらず、現代人のライフスタイルに合わないという欠点はあると思います。

日夏耿之介全集 第1巻 詩集

日夏耿之介全集 第1巻 詩集

 
新潮文庫版『日夏耿之介詩集』

現時点ではこれが一番おすすめのヴァージョンということになりましょうか。薄っぺらい小冊子で、活字も小さくて読みづらいですが、原文の姿を尊重して旧字旧仮名遣いを採用し、何よりも作者自選で、自ら序文も書いているという点が非常に大きな魅力です。
ここで日夏耿之介の詩人としての経歴を振り返っておきます。大雑把に言うと、彼は生前、四冊の詩集を公にしております。

  1. 『転身の頌』(1917年、作者27歳)
  2. 『黒衣聖母』(1921年、作者31歳)
  3. 黄眠帖こうみんちょう』(1927年、作者37歳)
  4. 咒文じゅもん』(1933年、作者43歳)

この第四詩集『咒文』までで詩筆を断ち、以後、批評へと転じております。
この新潮文庫版『日夏耿之介詩集』では、これらの詩集に収められた作品が発表年代と逆順に収録されています。すなわち巻頭にいきなり第四詩集『咒文』が来て、以下『黄眠帖』『黒衣聖母』『転身の頌』の順に配列されているのです。
これはおそらく作者としては最後の詩集『咒文』にもっとも自信があり、それ以前の作品は自身の詩技の未熟な時代の作品(彼のよく使う言葉によれば「若書き」)に過ぎぬ、と考えていたからではないかと察せられる。これはもちろん根拠のあることで、こと完成度という点では、この『咒文』に収められたわずか四篇の詩が他を圧倒していることも事実なのです。ただ私見では、この『咒文』および第三詩集『黄眠帖』は、第二詩集『黒衣聖母』において彼が創出したいわゆる「ゴシック・ローマン詩体」の延長線上にありながら、彼の初期の詩を特徴づけていた表現の華やかさを次第に失い、日本の伝統的ないわゆる「わび・さび・しをり」等の世界へと回帰して行こうとする傾向が見受けられる。これに対して日夏の詩の現在および未来における存在意義は、むしろ初期の『転身の頌』や『黒衣聖母』における伝統的な抒情からの「逸脱」もしくは「破壊」にこそあり得るのではないか、と私には思われるのです。したがって、もし今後もこのブログで日夏の詩をご紹介する機会があるとすれば、おそらく『転身の頌』や『黒衣聖母』からになることが多いであろうと、今は考えております。
この新潮文庫版ですが、残念なことに、誤植があります。『黄眠帖』に収められた「東方腐儒ふじゆの言葉」という風刺詩の最終行から数えて九行目、

はてしなくも かの徳川の御慈世の末期
俄露斯おろしあ国エカテリイナ女帝によていの寵遇を獲て帰朝かへりたる漂民らが
外情を普遍するゆゑをもて上陸禁止を命ぜられし其の折の孤愁を思ひうかべ…

とあるところ、「徳川」が「億川」と印字されています。
なお上の三行で日夏が言及しているのは申すまでもなく、大黒屋光太夫らの大冒険の物語です。井上靖が『おろしや国酔夢譚』を発表する四十年前に、日夏はすでにこのネタを詩に使用していたわけです。

日夏耿之介詩集 (新潮文庫)

日夏耿之介詩集 (新潮文庫)

 
思潮社現代詩文庫版『日夏耿之介詩集』

現在もっとも入手しやすいのがこの版ではないかと思います。しかし新字体に書き直されている上に、二段組のせいか、新潮文庫版より活字が小さく感じられ、要するに読んでいてさっぱり感興が湧かず、日夏の詩のファンである私でさえどこがいいのかわからなくなるような代物です。「近所の図書館にはこれしかなかった」などという場合は致し方ありませんが、もし初めて日夏の詩に触れられるのであれば、出来れば避けていただきたいヴァージョンです。

日夏耿之介詩集 (1976年) (現代詩文庫〈1011〉)

日夏耿之介詩集 (1976年) (現代詩文庫〈1011〉)

 

以上、皆さんが日夏の詩に親しまれるきっかけとなれば幸いです。