魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

D. G. ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)「音のない真昼時(Silent Noon)」

D. G. ロセッティ(Gabriel Charles Dante Rossetti, 1828 – 1882)のソネット連作『命の家(The House of Life)』の中に、「音のない真昼時(Silent Noon)」という作品があります(1881年版『命の家』第19番)。原文は以下の通り。


Your hands lie open in the long fresh grass, -
The finger-points look through like rosy blooms:
Your eyes smile peace. The pasture gleams and glooms
'Neath billowing skies that scatter and amass.
All round our nest, far as the eye can pass,
Are golden kingcup-fields with silver edge
Where the cow-parsley skirts the hawthorn-hedge.
'Tis visible silence, still as the hour-glass.

Deep in the sun-searched growths the dragon-fly
Hangs like a blue thread loosened from the sky: -
So this wing'd hour is dropt to us from above.
Oh! clasp we to our hearts, for deathless dower,
This close-companioned inarticulate hour
When twofold silence was the song of love.


これはたくさんの人によって日本語に訳されておりますが、今のところ決定的な名訳とされているのは蒲原かんばら有明ありあけの「静昼」と題された文語訳詩です。


緑の草の中にしもかひなを君がげやれば、
を指の尖のほの透すきてあからむ花とまがふかな、――
やは 微笑ほゝゑむ君が目見まみ、散りては更に寄せ来なる
雲の波だつ空のもとに照りてはかげまきの原。
二人巣籠すごもるこのほとり、眼路めぢの限りは押並べて
黄金こがねの花の毛莨きんぽうげ野末のずゑすぢ白銀しろがねに、
犬芹いぬぜりふる山楂子さんざしの垣根の端に連なりぬ、
げに静けさの眼にも見えて、漏刻ろうこくのごとしめやかに、

日影も忍ぶ草がくれ、蜻蛉あきつはひとりみ空より
解けにし藍の一條ひとすぢの糸かとばかり懸りたる。――
とき」のつばさもその如く二人が上に休らひぬ。
ああ、打寄せむ胸と胸、これや変らぬ珍宝みづたから
うまちぎりこまやかにたとしへもなきこのきざみ
二重に合へる静さぞ君と我との愛の歌。*1


第一行、「かひなを君がげやれば」とあるのはおそらく拍数を合わせるために採られた措辞でしょうが、苦しい訳です。原詩では「あなたは茂った草の中で手のひらを開いている」とあるだけで、腕を投げ出す動作は出てきません。
第二行、「を指」とあるのはここでは「小指」の意ではなく、単なる「指」の意です。
第三行、「寄せなる」は文法的に変です。ここでの「なる」は伝聞の意ではなく、断定あるいは強調の意の「なる」だと考えられるので、「寄せ来るなる」と活用するのが本当です。
第十二行、「みづたから」とは、今ググってみますと、日本語版ウィキペディアの「十種神宝」の記事によれば、

十種神宝とくさのかんだからは、『先代旧事本紀』「天孫本紀」(巻3)に天璽あまつしるし瑞宝みずたから十種とくさとして登場する10種類の宝物。記述によると饒速日命にぎはやひのみことが天降りする際に、天神御祖あまつかみみおやから授けられたとする。

などとありますから、「天から授けられた宝物」というほどの意味でしょうか。
第十三行、ここでの「きざみ」とは「時刻」の意です。
以下に拙訳を示します。


あなたの両手 草むらのかげに隠れてひらかれて
その指先が顔を出し 淡紅色の花と咲く
微笑んでいるあなたの目 風が流れる大空を
行き交う雲で 草原は 明と暗とが入れ替わる
わたくしたちが身をひそめ 息を殺している周囲
はるかかなたのさんざしの垣根に沿って咲いている
野良人参に囲まれて 見渡すかぎり金鳳花きんぽうげ
可視の沈黙 さらさらと流れるさまは砂時計

日ざしを浴びて 夏草の先にとまっている蜻蛉とんぼ
青い空から抜け落ちた ただひとすじの糸のよう
そんな時間がたった今 二人の上にも舞い降りた
抱きしめましょう 二人して 価値千金のこの時を
心が通じ合っている だから言葉は通じない
そんな二重の沈黙が ひとつの歌となる時を


おわかりかと思いますが、これは「青カン」の歌です。「青カン」の意味がわからない方は、お手数ですがググって下さい。前にもどこかに書いたと思いますが、当ブログでは原則的にアダルト・コンテンツは取り扱っておりませんので、「青カン」の意味を解説することができません。
「青カン」の相手ですが、このソネットが書かれた年代から見てジェーン・モリス(Jane Morris)に間違いないでしょう。ウィリアム・モリス(William Morris)夫妻とD. G. ロセッティとの三角関係は英国文学史上有名なスキャンダルです。
日本語版ウィキペディアの「ジェーン・モリス」の記事を見ますと、下の2枚の絵画作品が掲載されています。

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D.G.ロセッティ作「プロセルピナ」。1874年。

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イーヴリン・ド・モーガン作「ジェーン・モリス」。1904年。

上は若き日のジェーン・モリスですが、D. G. ロセッティの描く「美女」というのは私の目にはどれも同じ女に映る。下の年老いてからの肖像の方が対象の個性をよく捉えていると思います。
それはともかく、「青カン」と言ってしまえば身もフタもないが、われわれはこの十四行詩に詩人の純情を見なければなりません。『命の家』は情熱的な恋愛詩集で、D. G. ロセッティはその詩的天分のすべてを傾けて恋愛を讃美し、性欲を美化したのですが、時は性的抑圧が極めて厳しかったとされるヴィクトリア朝時代。『命の家』が初めて世に出たころには批評家は真っ正面から彼の詩の「官能性」を攻撃し、狼狽した詩人は幾つかの詩篇を削除したり、改変したりしなければなりませんでした。
ただ、これはあくまでも私個人の意見ですが、D. G. ロセッティの本領はこれらの恋愛詩にあるのではなく、むしろ過去の巨匠の名画を讃えた作品、あるいは自画に讃した数篇の十四行詩において表現されているところの詩と絵画とが交差する彼独自の境地にこそ、彼の芸術の真骨頂があるのだと思っています。また機会があればご紹介いたしましょう。

さて、上の蒲原有明の文語訳詩は、上田敏の不滅の名訳詩集『海潮音』に収録された『命の家』からの三篇の訳詩に追随したものです。その三篇の中に「春の捧げもの(Youth's Spring-Tribute)」(1881年版『命の家』第14番)というのがあります。原詩は以下の通り。


On this sweet bank your head thrice sweet and dear
I lay, and spread your hair on either side,
And see the newborn woodflowers bashful-eyed
Look through the golden tresses here and there.
On these debateable borders of the year
Spring's foot half falters; scarce she yet may know
The leafless blackthorn-blossom from the snow;
And through her bowers the wind's way still is clear.

But April's sun strikes down the glades to-day;
So shut your eyes upturned, and feel my kiss
Creep, as the Spring now thrills through every spray,
Up your warm throat to your warm lips: for this
Is even the hour of Love's sworn suitservice,
With whom cold hearts are counted castaway.


上田敏の訳詩は「はるみつぎ」と題されています。


草うるはしき岸のうへに、いとうるはしき君がおも
われはよこたへ、その髪を二つにわけてひろぐれば、
うら若草のはつ花も、はなじろみてや、黄金こがねなす
みぐしのひまのこゝかしこ、面映おもはゆげにものぞくらむ。
去年こぞとやいはむ今年とや年のさかひもみえわかぬ
けふのこの日や「春」の足、なかばたゆたひ、小李こすもも
葉もなき花の白妙しろたへは雪間がくれにまどはしく、
「春」住む庭の四阿屋あづまやに風の通路かよひぢひらけたり。

されど卯月うづきの日の光、けふぞ谷間に照りわたる。
仰ぎてまなこ閉ぢ給へ、いざくちづけむ君がおも
水枝みづえ小枝こえだにみちわたる「春」をまなびて、わが恋よ、
温かきのど、熱き口、ふれさせたまへ、けふこそは、
ちぎりもかたきみやづかへ、恋の日なれや。冷かに
つめたき人は永久とこしへのやらはれ人とおとし憎まむ。*2


実に優雅な訳詩で、一点非の打ち所がありません。特に八行目「風の通路かよひぢひらけたり」のあたりは絶妙を極めています。
以下に拙訳を示します。


川のほとりの草むらに この美しく 大切な
ひとを寝かせて その髪を 左右に分けてひろげる日
見ればあなたの金髪のかげに隠れて そこここに
うぶな目をして人を見る 咲いたばかりの白い花
こんな季節の変わり目の はっきりしない過渡期には
『春』の歩みも不安定 その足取りも知りがたい
どれがスピノサスモモやら 名残り雪やらわからない
それでも『春』の家からは 確かに『春』の風が来た

今は四月の太陽が 森の空き地を照らすだけ
目を閉じなさい わたくしは そのあたたかい首筋や
その柔らかい唇へ キスを這わせることでしょう
『春』の想いが もろもろの木々のこずえに伝わった
今日こそ『恋』に心して 奉仕するのが人でしょう
冷めた心の持ち主は 仲間はずれにされるだけ


申すまでもなく、これも「青カン」の歌です。

名詩名訳 (1951年) (創元選書〈第216〉)

名詩名訳 (1951年) (創元選書〈第216〉)

 

 

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

 

*1:日夏耿之介他三名鑑選『名詩名訳』(創元選書)に拠る。

*2:青空文庫版『海潮音』に拠る。