今回ご紹介するのは英詩人ウィリアム・モリス(William Morris, 1834 - 1896)の「海辺の庭園(A Garden by the Sea, 1870)」というタイトルの短い詩の、わが国の英文学者・島田謹二博士(1901 - 1993)による日本語訳詩です。原詩は、ここには引用しませんが、非常に有名なもので、確か『黄金詞華集(Golden Treasury)』の第五巻(ローレンス・ビニョン編)に選録されていたと記憶します。
ウィリアム・モリスは、今の日本では、詩人としてよりもデザイナーとしての方が認知度が高い。100円ショップに行くと、ウィリアム・モリスが考案した図柄による小物が販売されていたりしますね。下の「いちご泥棒(Strawberry Thief)」の図柄は、ケルムスコット・マナーの庭でツグミがイチゴをつまみ食いしているのを見て思いついたと言われている。
「海辺の庭園」の原詩はきちんと韻を踏んだ定型詩ですが、島田博士はこれを文語自由詩に訳された。そのきわめて甘美な調べは、思わず涙を誘われるものがあり、特筆に値すると思います。以下、例によってコピーライトを無視して全文引用しますが、これまた例によって今の若い読者にも読みやすいように、新字体を使用し、振り仮名を補うなど、多少手を加えております。
われは知る、百合と薔薇とを
植ゑ込みし小さき園生。
露しげき朝明けゆ露しげき夜半にかけ
願ふらく、一人の女と
その園生、そぞろ歩まん。
そが中に一鳥鳴かず、
真木柱、家のあらなく、
林檎樹に果実ぞ見えね、
花咲かね、みどりの小草
そと踏まむ女のみ足を
今もわが見なん願ひや。
渚より海鳴り聞こゆ。
はるかなる紫の丘ゆ流るる
美しき河ふたつ、園生をぬけて、
鳴りやまぬ海に注げり。
蜜蜂もゐぬ野花咲く山暗し。
船いまだ見しこともなき渚辺暗し。
そこにこそみどりなす大波さやぎ、
鳴りどよむ潮騒ひびく
あくがれのその園生まで……
そこにこそあくがれて
昼となく夜となくわれ叫ぶ。
そのために、われはいつか
ありとあるよろこびをまたく失ひ、
耳は聾ひ、眼はつぶれ、
得んこころ投げやりに、
見出さん術拙に、
疾く失ふよ、
――世の人の求むるものを。
さはれわが身ぬち衰へ、よろよろとよろぼひ歩め、
今もなほ残る息吹きに探ねなん、
その園にして、幸福へゆく道、
かの「死」の顎の中に――
大海の波さやぐほとり間近く
一度は見、一度はくちづけつ、
われゆ一度裂かれたる
忘れ得ぬ面影を求め求めて……
園生は「そのう」と読みます。また最後から二行目の「われゆ」が「われめ」となっている版がありますが、「われめ」では意味が取れません。この「ゆ」は万葉集の有名な歌に、
田子の浦ゆ打ち出でてみれば…
とある、あの「ゆ」で、「より」の古形とされる助詞です。
もう一つ、この抒情詩は叙景がよく効いていると思います。叙景といっても、「蜜蜂もゐぬ野花咲く山暗し」なんて、およそ飾り気のない、シンプルなものですが、寂しい情景が目に浮かび、胸を突かれます。