魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)ボードレール「気前のいいギャンブラー(Le Joueur généreux)」

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モーリッツ・レッチュ「チェスを指すファウストとメフィストフェレス」ウィキメディア・コモンズより。

昨日、大通りの人混みの中を歩いていて、僕はふと、かねてよりお近づきになりたいと思っていたある謎の人物とすれ違ったことに気がついた。彼に会ったことはなかったが、彼であることはすぐにわかった。どうやら先方も同じ心持ちだったようで、彼は通りすがりに、僕に意味ありげな目配せをして、僕はただちにそれに従った。僕は彼の後にぴったりとついていった。階段を下りて間もなく、僕は目もくらむがごとき地下の空間へと通され、そこではパリのいかなるセレブの豪邸といえども比ではない、そんな豪華絢爛が光り輝いていた。僕はこの立派な隠れ家のかたわらを、実にしばしば通り過ぎていたのだが、一度も入口に気づかなかったのは奇妙だった。そこでは人生の退屈を一瞬にして忘れさせてくれるような、ある刺激の強い、とはいえ心地よい雰囲気が支配していた。そこでは人はある暗いよろこびを呼吸して、それは昔、あのロートスという名の樹木の実を食べた人たちが、感じたに違いないよろこびに似ていた。すなわち、ある魔法の島へと上陸して、ロートスの実を食べた船乗りたちが、永遠の午後の日ざしに照らされ、さらさらと流れ落ちる幾筋もの滝の、心癒されるひびきに耳傾けているうちに、自分たちは、もう二度と船出するまい――もう二度と、ふるさとを見ることも、妻子と再会することもあるまいと覚悟した際に、感じたに違いないよろこびに似ていた*1
そこに居合わせた男女の顔はみな風変わりで、著しく妖美だった。僕はそれらの顔を、はっきりとは思い出せないものの、いつかどこかの国で見たことがあるような気がした。それで通常、見知らぬ顔に対して覚える恐怖よりも、兄弟のような親しみを、僕は覚えた。彼らの目の奇妙な表情について、これを無理にでも言葉で言い表そうとするならば、退屈アンニュイへの嫌悪と、今まさに生きていることを実感したいという飽くなき欲望とに、あれほど烈しく燃えている目を、僕はそれまでについぞ見たことがなかった、とでも言おうか。
僕と僕を招き入れた人物とは、席に着くや、すでに旧知の間柄であった。僕らはたらふく食い、あらゆる格別なワインをがぶ飲みしたが、僕にとってさらに格別と思われたのは、数時間経っても、二人が同程度にしか酔っ払っていないことだった。その間、カード賭博が――このたまらない快楽が、二人のひっきりなしの乾杯の合間合間に、一定でない間隔インターバルを置いて割り込んだ。それで僕は、ある英雄的な軽率と無頓着とともに、自分の魂の一部を賭け、これをってしまったことを白状しなければならない。魂とは実につかみどころのないもので、しばしば無用の長物であり、また時としてきわめてわずらわしいものでもある。それで僕はこれを失っても、散歩中に名刺を落とした程度の動揺しか感じなかった。
二人は長い時間、何本もの葉巻をくゆらせて、その比類なき味と香りとは、魂に、未知なる国と幸福へのあこがれを与えるのだった。それでこのようなあらゆる快楽に酔い痴れた僕は、親愛の情の発作から、なみなみとがれた酒杯を引っつかみ、「老いたる『雄山羊』よ、君の永遠の健康を祝して乾杯!」などと叫んでしまったが、彼は別に気を悪くしてもいないようだった。

エリファス・レヴィの本に出てくる「バフォメット(サバトの雄山羊)」のイラスト。ウィキメディア・コモンズより。

二人はまた宇宙について、その起源と未来の破滅について語った。また今世紀の大いなる思想、すなわち人類の進歩とその向上可能性について、それから一般に、人間の自己陶酔のあらゆる形態について語った。この話題について、殿下は軽妙にして的確きわまりない諧謔を弄してやまず、また当代のいかなる座談の妙手にも見られないような、言葉づかいの優雅と、悠揚迫らぬユーモアとを披露した。彼は現代人の頭の中を占拠しているさまざまな馬鹿げた思想をあっさり論破し、加えてこの僕に対して、いくつかの基本原理をこっそり伝授してくれさえしたのだが、この原理の恩恵および所有権については、僕はこれを他人と共有するつもりなど毛頭ない。また彼は世界中でこうむっている悪評について、少しもこれを悲しまず、それどころか、彼自身ほど迷信の打破に強い関心を寄せている者はいないと言った。そうして彼自身の勢力について、いささか不安になったのは後にも先にもただ一度だけ、それはある日、ある抜群に鋭い説教師が、説教壇からこのように叫ぶのを聞いた時だけだと断言した。いわく「諸君、たとえ科学の進歩を讃える声を耳にするとも、決して次のことを忘れてはなりません。すなわち、悪魔によるもっとも大いなる罠とは、人々に悪魔など実在しないと信ぜしめることにあるのであります」
この名高い説教師の思い出から、僕らの話題は自然に学術界アカデミアへと移って、わが奇妙なる会食者は、常日頃から、大学教授たちの論文や、講義や、良心について、これに霊感を与えることを疎かにしてはおらず、事実、すべての学会において、彼は目には見えねど、ほとんどいつも、親しく出席しているのだと言った。
彼の好意に力を得て、僕は彼に「神」の近況についてたずね、「最近『神』と顔を合わせましたか」といてみた。すると彼は、いささか哀愁を帯びたさりげなさをもって答えた。「われわれは顔を合わせれば挨拶はする。ただそれは、持って生まれた礼儀正しさも、宿怨の名残りを完全には消してくれない、そんな二人の老紳士の挨拶だよ」
殿下が一介の凡人にかくも長時間の謁見をたまわるのはおそらく異例だった。それで僕は彼の好意に甘えすぎているような気がしてきた。とうとう窓辺に夜がしらじらと明けめるころ、多くの詩人たちによって歌われているこの人物、はたまた彼の栄光のため、それと知らずに骨を折っている、そんな多くの思想家たちによってかしずかれているこの高名隠れなき人物は、僕に告げた。「私は君に、私について、いい思い出を持ち続けてもらいたい。そうしてこの『私』は、世間ではさんざん悪く言われているけれども、実は時として、俗に言ういい悪党やつなのだということを、君に証明したい。私は、君がその魂にこうむった取り返しのつかない損失の埋め合わせとして、君が勝ったら手に入れていたであろう賞品を、君にあげよう。それは他でもない、人類のあらゆる狂気とその悲惨な進歩との元凶であるところのもの、すなわち退屈アンニュイという名の奇病について、君が余生を通じて、これをやわらげ、これを克服することができるかも知れない可能性だ。君が胸に抱いた欲望は、すべて成就するよう、私が力を貸そう。君は下等な同輩たちの上に君臨するだろう。君は追従ついしょうされ、崇拝さえされるだろう。金銭や、貴金属や、宝石類や、おとぎの国の宮殿は、君が汗水たらして働かずとも、向こうから君を探し求めてやってきて、『もらってやってください』と頭を下げることだろう。君は気まぐれに、気の向くままに、何度でも君の祖国を、君の郷土を変更するだろう。君は常夏の国に住み、女たちが花のごとくかおり立つ、そんな美しい国で、快楽に酔い痴れて飽くことを知らないだろう。それから、それから…」なおも付け加えながら、彼は立ち上がり、にっこり笑って僕を送り出した。
もし、かくも大勢の人前で恥をかくのが怖くなければ、僕はただちにこの気前のいいギャンブラーの足もとに身を投げ出して、その大盤振舞いに謝意を表していたことだろう。だが彼と別れるや否や、抜きがたい不信感が、少しずつ舞い戻ってきた。こんな途方もない幸運は、もはや信じることができなかった。それで僕は、とこに就くと、愚かしい習慣の名残りから、なかば眠りに落ちながら、何度も神に祈らずにはいられなかった、「主よ、願わくは、悪魔に約束を守らせたまえ」と。


*小散文詩集『パリの憂鬱』29。原文はこちら

*1:英詩人アルフレッド・テニスンの詩「ロータス・イーター(Lotus Eaters)」参照。