
テレビドラマ版『惡の華』の第七話を観ました。良かったです。まあ、「衝撃的」なシーンはもちろん、たくさんありましたが、個人的には、春日クンの家に警察が来たり、春日クンがご両親ともども学校に呼び出されたりするシーンが(ずっと忘れていた)私自身の十代のころと重なって、胸に来ましたね。今は親の気持ちも子どもの気持ちも、どちらも理解できるからです。
この『惡の華』というストーリーを把握する上で、重要な要素の一つに「時代」というものがあると思います。これが「昭和」の話なのか、「平成」の話なのか、ほんというと、私にはよくわからないのですが、とにかく「令和」の話でないことだけは確かでしょうね。今この二人(春日クンと仲村サン)のような騒ぎを起こせば、即「人生終了」となる可能性がありますから。あるいはこの『惡の華』全体が、「古き良き時代」の物語ということになるのかも知れません。
これは今、まさにこの令和の時代を、じたばたしながら必死に生きている若い人たちには解りようもないことですが、われわれくらいの年齢になると、時代の空気の変化というものが、肌でわかるのです。この辺をいちいちエビデンスを示しながら書くと長くなるのですが、おおざっぱに、わかりやすく言えば、人と人とのつながりが希薄になって、人情味が薄れてきているわけですね。そしてこの「人情」とはすなわち「ヒューマニズム」でありまして、かつては民衆間の暗黙の了解のうちに脈々と息づいていたこの「ヒューマニズム」が、「人権」だとか、「平等」だとか、いま流行りの「サステナビリティ」だとかいった言葉によって、制度化され、スローガン化され、建前化されることによって、生命力を失い、形骸化し、衰弱していく。特に注目に値するのが、インターネットの発達、とりわけSNSの普及によって、上に触れた「人と人とのつながり」というものが、ますます稀薄になっていくという逆説的現象です。確かに、今ほど「生きづらい」時代はない。そもそもこの「生きづらい」という表現自体が、私の若いころにはありませんでした。この言い回しは今の時代の雰囲気をよく表していると思います。結論として、自己を隠蔽し、この超管理社会に過剰適応しながら生きている、仲村サンのいわゆる「クソムシ」どもの天下はまだまだ続くでしょうし、「向こう側」にあこがれる純粋な魂たちにとって、時代環境はますます苛酷なものとなっていくでしょう。少子化で滅びる前に、日本は早晩「オワコン」化してしまうかも知れませんね。

