魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

ルネ・ヴィヴィアン作『一人の女が私の前に現れた』第7章

数日後、イオーネは発った。彼女から太陽の恵みに満ちみちた花が届き、優しい手紙があとに続いた。幸福が希望のあとに続くように。
彼女のことが気になって仕方ない時もあったが、そのあとにはふたたび貪欲な恋情のとりことなった。
なぜならヴァリーは私から離れてゆくばかりだったからである。私はもはや稀で切ない寸暇にしか彼女と会えなかった。彼女は海鳥のように自由と空間に魅せられていて、私は青空のまっただなかを、彼女のつばさの影を追って、遠く翔けた。
ある夜、サン・ジョヴァンニから手紙が来た。薄く灰色がかった便箋の上のひねくれた筆跡は、いつもにもまして熱狂的に伸び広がり、飛び跳ねていた。

お願い、あなたのあらゆる影響力を駆使して、あの無鉄砲なヴァリーを守ってやって。とても残念なことに、『売春夫』が彼女からの手紙を持っていて、そこでは彼女は彼と正式に婚約したことになっているの。私はヴァリーが本気で彼と結婚するつもりだとは思わない。アメリカの女の子たちは、時として戯れに婚約を交わすので、それをゴルフやテニスの試合以上に深刻には考えていないものなのよ。でも『売春夫』の方は本気だわ。
お願い、ヴァリーに気を付けるよう言ってやって。

嫉妬の炎よりも嫌悪感から来るむかつきの方が強かった。卑劣な『男』に対するサン・ジョヴァンニの憎しみには、私も全く同感だった。
夜は更けた。私はもうあのあまりにものんきなお嬢さんのお宅まで出かけてゆく気にはなれなかった。明くる日になって、私はヴァリーの家を訪れた。その日の『森』のように霜でぎざぎざがついて、ムーアの大建築みたいなのはほとんど見たことがなかった。落ち着き払ったイギリス人の従僕が出てきて、いかにも偉そうなイギリス訛りのフランス語で私に「お嬢さまは外出中です」と告げた。しかしジェームズがどんなに真面目くさった顔をしていても、そうやすやすと信用するわけにはいかなかった。なぜなら男物の帽子と外套とが控えの間に掛かっているのが見えていたからである。嫉妬に燃える私の目に、『売春夫』の姿がまざまざと浮かび上がった。
「よろしい」使用人として、しんそこ迷惑がっているらしいジェームズに向かって、私は言ってやった。「お嬢さまのお帰りを待たせていただくわ」
そうして私が上流社会のしきたりを無視したことで硬直してしまったこの召使いの立派な図体を尻目に、私はヴァリーの勉強部屋に飛び込んで、そこに閉じこもってしまった。
時が流れた。それは嵐に先立つ時間よりも重苦しい時間だった。やがてドアが開くだろう。香水の香りとともに、ヴァリーが入ってくるだろう。彼女は月光を身にまとい、その首には背徳のオパールのネックレスを着けているだろう。ひらひらするドレスの袖からは、私の愛してやまない彼女の白い腕が、ちらりちらりと垣間見られることだろう。
彼女は入ってきて、私に嫣然とほほえみかけるだろう。私はこの愛ゆえの憎しみを言い表わすために、いかなる不埒な怒りの言葉を見つけ出せるだろうか。彼女が現われた時、私はどのように彼女を迎えればよいのだろう。
…『売春夫』などは取るに足りなかった。彼は出世の手づるを探しているのである。それが彼の存在理由であり、社会的機能なのだ。けれども彼女は、ヴァリーは、私の処女なる情婦、私の女司祭は?
私はわが身の不幸を思うより、彼女の道徳的堕落を思って涙した。私の信仰の生けるシンボルである彼女のこの落ちぶれように比べれば、私の報われぬ恋の苦しみなど、何ほどのものであったろうか。
彼女は婚約したのだ。あの浅ましい根性の持ち主と、あの唾棄するにも価しない凡夫と、一切を誓い合ったのだ。
彼女が現われた時、私はどのように彼女を迎えればよいのだろうか。
…私は何も言うまい。ただ彼女の前に進み出て、その目の中をのぞきこみ、あの心ない金髪女の魂をじっと見つめよう。私の無言と沈黙に、彼女はただならぬものを感じるだろう。そうして私は冷然と、決然と、彼女の首を絞めよう…
そうだ、絞め殺してやるのだ。それは確かに醜く、獣的で、野蛮な行為ではある。とは言えそれは束の間の悪夢に過ぎないだろう。そうしてこの殺人の秘儀に浮かれながら、私は苔むしたベンチのような緑色のソファの上に、彼女を寝かせるだろう。私は彼女の蒼白の髪を広げて、その顔をその後光で飾ってやろう。その手に贖罪の百合を持たせて、そのからだの上に彼女の大好きな薔薇の花びらを、少し緑色がかった白薔薇の花びらを散らしてやろう。彼女は眠るだろう、その寝顔はいつもよりほんの少しばかり血の気が無いことだろう。そうしてこの神々しいひとときに、私は万人が敢えて愛し得る以上の愛で、彼女を愛そう。それは熱狂と、恐怖と、来世とをともなった痴れ心地だ。
私は彼女のかたわらで夜が明けるまで寝ずの番をするだろう。大蝋燭の火のゆらめきを見つめるだろう。真夜中の群青は部屋の四隅を影で満たすことだろう…ヴァリーのまぶたは奇妙に青ざめているだろう。そうして私は酔漢のように大声で叫ぶだろう。
「殺してやったぞ!」と。
こうして彼女は永遠に私の処女司祭であり続けることだろう。彼女は私が夢に見た純浄の白色となるだろう。誰にも手が届かない、決して色褪せることの無いものとなるだろう。
こうして私はみずからを救うことで彼女をも救ってやるのだ。彼女を永遠に見つめるために彼女を奪うのだ。私は彼女の恐怖の叫び――あの嘘つきな唇から私が聴き取るであろう最初で最後の真実の声――と彼女の空しい命乞いの言葉とを、未来永劫にわたって大切にするだろう。彼女は色香の衰えも知らず、『歳月』が人の容貌の上に捺し付けるあの滑稽な刻印のことも知らないだろう。彼女は『死』が快く永遠化した『美』となるだろう。彼女はもう人のためにもみずからのためにも涙を流すことはない。そうして恐らく彼女は、殺してしまうほど彼女のことを気高く愛していた者の思いやりに対して、理解ある感謝の念に耐えないことだろう。
ドアがゆっくりと開いた…彼女が姿を現そうとしていた。私の夢は叶おうとしていた…私は進み出た。私の両手は絞首の態勢に入った…そうよ、すぐ終わるわ。そしたら…そしたら…

入ってきたのはサン・ジョヴァンニだった。彼女は私の目に宿っている狂気に気付かず、それは彼女自身の目が涙であふれていたからだった。
「探したのよ」彼女は口ごもりながら言った。「きっとヴァリーの家にいると思って。さっきこんな電報が来たの。イオーネが…」
私は彼女の手からありふれた紙切れをひったくった。そこには『運命』の厳粛な指示があった。二人の人間の生と死とを、簡潔に、愚劣に、そして悲劇的に要約した数語が並んでいた。

『イオーネ重体…至急…』

目を上げた時、私はアルケスティスのごとく、ラザロのごとく、ふたたび地上に帰ってきたような気がした…
「腸チフスにかかったのよ」サン・ジョヴァンニは続けた。「恐ろしい合併症もあって…」
「ニースへ発つわ」私は出し抜けに言った。「最小限の旅支度をしている時間しかないと思う。ヴァリーにさよならを伝えて」(第7章終わり)

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ヨハン・ハインリヒ・ティシュバイン作『アドメテスの愛妻アルケスティスを死の神タナトスから奪還したヘラクレス1780年ごろ。ベルリンのオークション・ハウスの提供による画像。英語版ウィキペディアより。