魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

ルネ・ヴィヴィアン作『一人の女が私の前に現れた』第18章

f:id:eureka0313:20181104110859j:plain
ルフレッド・ダグラス卿。英語版ウィキペディアより。

ダグマーはひさしく顔を見せなかった。私は人が少女時代を想うように、彼女を想っていた…
ある雨の日の午後、夕闇と紫煙とに蒼ざめた図書室にこもっていると、扉がそっとひらいて、ダグマーがためらいがちに近づいてきた。
「大事なお話があるの」彼女は少し息を切らしていた。「ただその前に暖を取らせて。濡れた服を乾かしたいの」
私は暖炉に火を入れた。彼女の澄み切ったひとみの中で、炎が揺れた。
「煙草を一本ちょうだい」
欲しがりの子どもの唇から、非現実的な薄青い煙が、阿片の夢よりも霊妙に立ちのぼった。
「たそがれを愛する私の気持ちは、恋しい女の人を想う気持ちに似ているの」彼女に見とれたまま、私はささやいた。
「たそがれ」彼女は答えた。「それは涙を流す女。彼女は沈黙の部屋で、白い花々が枯れてゆく部屋で、ひとりぼっちで涙を流している…花びらはひとひらまたひとひらと、音もなく舞い落ち、時間は打ち明けることの出来ない夢にふるえる…はるかかなたを、薄いチュニックをまとった『思い出』たちが通り過ぎる…その足のサンダルは星くずに飾られている…」
「あなたはまるでエランナのよう、プサッファに愛されながら十九歳で夭折したあの天才少女詩人のようだわ…それはそうと、あなたがさっき言いかけた大事なお話って何」
彼女はかすかに赤面して、目を細めた。
「あなたが前に言ってくれたとおり、私はテラスにたたずんで王子さまの訪れを待ち続けているお姫さまだったの。私の目は平坦な道の相も変わらぬ人通りの少なさにうんざりしながら、それでもいつかはこの道が地平線までひらけるのだと信じていた。私はテラスにたたずんだまま、幾月も幾月も待ち続けたの…」
彼女は言葉を切った。そうして唇をふるわせながら、次の言葉を吐き出した。
「私のもとへ、遂に王子さまがやってきたのよ」

訳者注:「彼女はかすかに赤面して…」の一行、私が使用している仏語原文には無く、ジャネット・フォスターの英訳により補います。

重苦しい沈黙があった。
ダグマーそっくりのザクセン人形の女羊飼いが、磁器の牧笛で音の無い音楽を奏でていた。私はそのあまりにも愛らしく、あまりにも脆い人形をこの手に取った。次の瞬間、それは粉々に砕け散った…
ダグマーはそのかすかにふるえる両手を差しのべた。
「私を恨まないで。私はその値打ちもない女なの」
「誰もあなたを恨んだりはしないわ、ダグマー」
「幸せ過ぎて怖いくらいよ」彼女は身ぶるいをした。「この世は一頭の猛り狂う竜、ファンタジーに出て来る心ない竜に似ている…ああ、誰が宇宙の悪意から私たちを守ってくれるだろう。私たち、私と彼とは、暗い森に迷い込んだ二人の子どもみたいよ」
雨が降っていた。その音は、静かな音楽よりも優しかった。雨はカーテンのように二人を隔離した。それで私たちは世間とその喧騒とから隔てられていた。雨は長い絹のドレスの裾のように、さらさらと音を立てていた。
「なぜかは知らないけれど」私はみずからの心の乱れを隠そうとして、空しい言葉を紡いだ。「雨のひびきを聴いていると、遠い岸辺に打ち寄せる波のようすが目に浮かぶの…」
「波…」彼女はつぶやいた。「そして小石…私には、海が私たちのために白銀や青緑色の花を手向けてくれているような気がするわ…」
「ダグマー」私は涙に声を詰まらせながら言った。「あなたはこんな形で私と別れるつもりなの」
「私たちは結局お友だち以上にはなれなかったわ」と彼女は答えた。
ゆっくりと、彼女は立ち上がった。
「私の生き方はあなたのとは違うのよ。私はきれいな垣根の内側で暮らしていて、世界の暗い面など見たことがない。私は人生について何も知らない。あなたのそのひねくれた、意地悪な目に現われるよろこびも悲しみも、私にはさっぱり理解できないものなのよ」
「確かに、ダグマー、あなたは世間知らずもいいところだわ。だから私はあなたを抱いてあげられなかったのよ」
彼女は顔をそむけた。
「さよなら」彼女はとても小さな声で言った。
「さよなら、ダグマー…」
立ち去りながら、彼女はそのケイト・グリーナウェイ風のドレスの裾で、粉々になった人形のかけらに触れた。(第18章終わり)