冬の終わりごろ、私はこの素晴らしい街を去った。私がパリへと舞い戻ってきたのは、美しいヴァリーの姿をたとえ遠目にでもひと目見たいという、我ながら見下げ果てたさもしい期待からだった。
春の悲しみが私のうちにあった。次の死期と戦う若々しい草木の姿、生きんとする空しい努力、それらのものが病苦のごとく私の上にのしかかった。再生した者の心には、何と多くの悲しい記憶が刻み付けられていることか。
『湖』の周囲を散歩しながら、目を水面の樹木の影に漠然と遊ばせていると、いきなり澄み切った声で呼び止められてびくっとした。それはサン・ジョヴァンニの友だちのダグマーという少女詩人で、私はかつてその古いマイセン人形のような美しい服装の配色を讃えたことがあった。その短い縮れ毛は幼い美しさの後光となって彼女の顔の周りを取り巻いていた。そのあどけない青い瞳はぱっちりと見ひらいて、おとぎ話に興奮しているかのように輝いていた。彼女は溌剌たる『五月』の化身のように見えた。
「こんな陽気な日に、何て陰気な顔をしているの」彼女は明るい色の唇で笑った。
「ダグマー、私はエゴイストだから、幸せな人を見ると泣けてくるのよ」
彼女は驚きと同情のこもった目で、私をしげしげと見た。
「で、ヴァリーは?一年前、あなたは彼女の番犬をやっていたわね。こんな言い方をして失礼だけれど」
「あら、気を使わないで。理不尽な仕打ちならいつでも大歓迎よ。私はヴァリーを忘れられない。けれど彼女の方は私みたいに影の薄い存在の記憶など、きれいさっぱり失くしてしまったのよ」
「ずいぶん苦しんだのね。別人の顔をしているわ。白髪や皺があるわけではないけれど、めっきり老け込んでしまったみたい。一瞬人違いかと思ったほどだもの。私は甘ったれのガキみたいに能天気だけれど、こう見えても人情の機微には通じているのよ。あなたの悲しい話を聞かせて、たとえそれが尽きない話だとしても。癒えるには話すのが一番よ。心ゆくまで話せば人は解放される、人はどんな大事な悩みにでも飽きてしまうものだから」
「あなたの言う通りかも知れないわね、ダグマー。ただあなたは少し怖いわ。あなたはあまりにも『朝』に似ている」
「『朝』は優しいこともあるわ、悪夢の一夜が明けた時には」と彼女は言った。「『朝』を恐れることはない。『朝』が田園地帯をさまよって、紅薔薇が夜のうちに咲いたかどうか吟味しているところや、不眠に苦しんでいる煙草の花々をとても優しい仕草で癒してやって、それで花が一輪また一輪と眠りに落ちてゆくありさまを、私見たことがあるのよ」
「睡眠…」と私はつぶやいた。「そう言えばもう長いこと眠っていないような気がする。私は不眠を愛することを学んだの、なぜなら不眠は昼間の考えとは全く異なる夜の物思いを連れて来てくれて、『目に見えない人たち』の訪れをとてもはっきりと感知させてくれるから。真夜中の長いしじまのうちに、イオーネが帰ってくることがあるのよ。彼女のフィレンツェのドレス、彼女の暗赤色のビロードのワンピースは、闇に沈んだ夕陽の残照のように見える。彼女は白い両手を見つめている…彼女はとてもきれいで愛らしい手をしていて、それは妹の手、『慰めびと』の手なの。けれど彼女はいつも目を落としたまま、ひとことのつぶやきも洩らさないのよ」
「死んだ人のことを考えては駄目。『死者は死者をして葬らしめよ』(Let the dead bury their dead.)」
*訳者注:'Let the dead bury their dead.' 新約聖書マタイ伝8章22節、ルカ伝9章60節。
「それは私が生者よりも死者に近いからよ、ダグマー…北欧の少女を思わせるあなたの名はとても素敵ね。それは海風よりも力強く、あなたのように涼しげで楽しげな名だわ。
訳者注:ウィキペディアによれば、'Dagmar'は古北欧語で「日の乙女」を意味するとのこと。
「女性の名は時として奇妙に想像力を刺激する。マリーたちは萎れたすみれの花のように痛々しいまぶたをしている。シビルたちの瞳は妖しくも漠とした青い色をしていて、別の世界をさまよっている。エレオノールたちは音楽と芳香とで練り上げられている。彼女たちの髪は深く、その奥で曼荼羅華の花が死にかけている。エリザベートたちは奇妙に尊大だ。彼女たちは追憶のように執拗な視線を投げる。リュシーたちの微笑みは星のまたたきのように甘い。フォスティーヌたちを恐れなければならない。彼女たちは女魔術師のようによこしまで、ローマの女帝のように心ない。ブランシュたちの心は贖罪の白百合のように清らか。アデレードたちは運命の恋に落ちた者のように悲劇的な唇をしている。エレーヌたちは彫像のように美しい」
「それは私の気づかなかった事実だわ」彼女は少し間を置いた。
「私はファンタジーが大好き…小さな頃、私の木馬は空想の翼をひろげた使者となって、エルフたちが月明かりの中を舞っている遠い世界へと連れて行ってくれた。私は今でも冬の夜長に人が紡ぎ出す素晴らしいお話に我を忘れて聴き入る子供と変わらないの」
「あなたは可愛いわ、ダグマー。私は喜んであなたに会いに行くわ。あなたの燦きのひとときのためなら、私は『孤独』に背いてもいい。もし誰もが何かの動物に似ているというのが真理なら、あなたはハチドリに似ているわ」
「ヴァリーは何に似ているのかしら」小さな好奇心と輝くひとみがたずねた。
「野生の白鳥」そう答えた私は急に目の前が暗くなったような気がして、顔をこわばらせた。
「あなたって変な人ね」小さな女詩人はそう言って、私の気分を変えてくれた。「これまで何人のひとを好きになった?」
「私は友だちを好きになって、私の白い白い妹は死んでしまった。私は恋人を好きになって、私はそれは惨めに捨てられてしまった。それで今はね、ダグマー、私は『ひとりぼっち』が好きなの」
「あーなるほど。それで今度はその『ひとりぼっち』さんと別れて、私と付き合ってくれるわけね。あした家にいらっしゃいな。エヴァに会えるわよ。あなたは彼女のことをその金色がかった赤毛ゆえに『夕陽の女神』と呼んでいたわね」
「ええ、彼女のことはよく覚えているわ。私が心惹かれたのは、彼女が若さに輝きながらも、『秋』のあらゆる悲しみを体現しているからなの。その髪は蒼白い顔を取り巻く円光のよう。彼女は敢えて思い出さない思い出を、痛ましい愛をもって愛さなければならないのだわ」
「あー止めた。あなたをエヴァに会わせるわけには行かないわ。あなたは彼女のことを熱っぽく語りすぎる。あなたは私の信者なんだから、私以外の神様を拝んでは駄目」
このいかにも彼女らしい無邪気なわがままに、私はすっかり参ってしまった。
「小さな女神さま」と私は答えた。「あなたの言う通りにするわ」
明くる日、ダグマーの家を訪れた私は、あの晴れやかな笑顔を見ても前日ほど暗い気持ちにはならなかった。彼女は野蛮なまでに真赤なドレスを着ていた。彼女はあらゆる少女同様、華々しく、きらきらと、七色に光るもの――すなわち春や、虹や、オパールを好んだ。その首にかかった一連の巨大なトルコ玉は、未開の部族の娘が身につけるネックレスのようであった。
「見て」と彼女は水晶の声で叫んだ。「庭のライラックの花が咲いたばかりなの。年老いた亀がいるから、会いに行きましょう。その年季の入った叡智は草むらのかげで物思いにふけっているわ。彼女はとても無口で注意深く、まるで草木の伸びる音や、根が大地をつらぬく響きに聴き入っているかのよう。時として彼女はとてもハーモニアスな存在に思えるわ…」
「それは確かよ」と私は答えた。「ヘルメスは世界で最初の竪琴を、亀の甲羅から作ったのではなかったかしら。そうしてプサッファはこのように歌わなかったかしら。
来たれ 聖なる甲羅よ
しかしてわが指のもとに鳴り響け
私は亀をとても尊敬しているの」
*訳者注:上に引用されているサフォーの断章はH. T. Wharton訳『サッフォー詩集』断章45。
cygnus_odileさんの邦訳(英訳からの重訳)を御覧下さい。
Henry de Vere Stacpoole訳→http://blogs.yahoo.co.jp/rmnjr654/27149425.html
Walter Petersen訳→http://blogs.yahoo.co.jp/rmnjr654/30309449.html
彼女の短い巻き毛は日ざしにきらきらと輝いていた。彼女は私ににっこりと微笑みかけた。すると私の中で突然、この樹液と赤ワインとをたっぷり含んだからだに対するある制しがたい欲情が燃え上がった。私は夜明けの蒼い水を欲するごとく、彼女を欲した。
そうしてこの無防備な唇を噛んでやりたいとか、この薔薇色の肌に真赤なあざを付けてやりたいとか、そのような心ない願いが私の中でそれは凶暴なものとなったので、私は不意に暇乞いをした。
彼女は至極あっさりと答えた。「また明日」
その夜、私は自分に同意を与えてくれない厳格な良心に対して、このように話しかけた。
「快楽に間違いないもの、そうして恐らくは慰めに間違いないものを前にして、何を尻込みしているの。希望とは細長い一本の糸。私たちはそれだけを頼りに苦悩の迷宮を通り過ぎてゆく。それはとても細く、とてもはかなく、今にも切れそうな糸だけれど、それは恐らく救いへとつながっている…私はあの夜明けの蒼い水を飲むことができるだろう、あの野いばらの香りをかぐことができるだろう…すがすがしい気持ちで朝を迎え、夜はぐっすりと眠れるようになるのだわ…」
ヴァリーから一通の手紙を受け取ったのはそんな時だった。
「あなたの心は何と移ろいやすいことでしょう。私はあなたが遂に私を理解してくれて、それで私たちは安心と信頼のうちに手に手を取って同じ道を歩んでゆけるものと信じておりました。瞳を上げて、もっとよく見て、ありのままの私を見つめて下さい。このように悲しい無理解はありえない、あってはなりません。こんなの馬鹿げてると、私は涙ながらにあなたに繰り返します。
ああ、この涙、これが涸れてもいいのですか。私があなたのために涙を流すことさえ出来ない女と成り果ててしまってもいいのですか。事実、皆に悪人呼ばわりされていると、人は誰しも悪人と化してしまうものなのです。私はある日、あなたが思い描いている通りの醜い女と化してしまうかも知れない。あなたが私を理解してくれないせいで、私は本当に不可解な人間となってしまうかも知れない。あなたが薄情だと責めるせいで本当に薄情な人間となり、あなたが冷酷だとなじるせいで本当に血も涙もない女になってしまうかも知れない。人を苦しめてやまない考えというものがあります――そうしてあなたが私に対して抱いている考えは、あなたが想像もつかないほど私を苦しめ、私自身わけがわからないほど私を傷つけるのです。
こんな終わり方ってあるものでしょうか。私が思い描いていた『あなた』、その存在のすべてが愛であり誠意であった『あなた』はどこへ行ったのでしょう。
あなたはかつてはその全身全霊を捧げて愛した者への想いを遂に失って、今はただ月並みな恋を漁っているわけでしょうか。
あなたは恋をしているのではない、ただ浮気がしたいだけでしょう。私はと言えば、私はまだ一度も浮気をしたことはありません。人をさんざん貶めておいて、それであなたは偉くなったつもりでいるのですか。みずからの手で破壊した神々の像を足蹴にしながら、あなたは何を望んでいるのですか。粉砕された神々の恩恵は今なおあなたとともにあります。偽りの快楽は自己嫌悪をつのらせるだけでしょう。
ああ、あなたの浮気心、そのような凶器をあなたに与えてしまうとは。
なるほど、私は嘘つきの薄情者かも知れない。だからと言って、そんな私をお手本にして、どうして私に輪をかけた嘘つきの薄情者になるのですか。あなたの手紙は苦しみのあまりにひねくれて、何もわからなくなった『あなた』の繰り返しに過ぎません…
二人が離ればなれでいるのは間違っていると気づいて、そして帰って来て…」
私は外に出た。心は千々に乱れていた。とある店先で青いアイリスを見かけ、ダグマーのみずみずしい美しさを想い起こした。私はその花を彼女のもとへ届けさせた、こんな言葉を添えて。
ファンタジーよりも美しい花を
花とファンタジーとをこよなく愛する女の子へ
その夜は一睡もできなかった。ようやく訪れた朝は、救世主の降誕のように厳かで、醜かった。それは未知なる人生を前にして不安に恐れおののいているように見えた。
やりきれない朝。とは言え、それが何だろう。私は心に希望のともしびを見いだしたのではなかったか。
そのともしびが消えてしまうのを恐れて、私はこの新しい、淡い恋について思いめぐらすのを避けていたのだった。私はこのおよそ当てにならない幸せに舞い上がっている自分自身を認めたくなかった。それで私はずっと家に閉じこもっていて、ダグマーの家を訪れる勇気が出たのは日も傾いてからであった。
彼女はテラスにたたずんで、絢爛たる夕焼け空を見つめていた。
「あの雲を見て」彼女は声を張り上げた。「まるでとても強くて信心深い王さまたちが、大祭壇を飾るために、金の器や、宝石をちりばめた杯を運んでいるように見えるわ」
「あなたは妖精のお姫さまね」と私は言った。「オパールの首飾りをもてあそびながら歌うたうお姫さま。大好きなオパールは、その指と指とのあいだに輝く虹のかけら。彼女は未だ知らない王子さまを待ちながら、夜ごと彼女を取り巻く陽気な妹たち、妖精たちの、彼女の耳にしか聴こえないかすかな歌声を聴いて眠るの」
ダグマーはオパールの珠をつまぐりながら、その不確かな輝きを気まぐれに燃え立たせた。
「オパール…」彼女はつぶやいた。「ええ、そうよ、私はオパールが大好き。そうしてトルコ玉やサファイアも好き」
「ヘブライ人たちはサファイアを『この世で一番美しいもの』と呼んだ」と私は答えた。「彼らは素晴らしい芸術家よ…なぜなら『旧約聖書』の叙事詩をしのぐ詩はないのだから。『ヨブ記』はソフォクレスの芝居のように、唖然とするほど清冽な悲劇の息吹きに打ち震えている。私は全世界を故国とするすべを知っていたこの流浪の民の、あの痛ましくも美しい作品群に対してもっとも深甚なる称賛の念を捧げているの。
「とは言え、とりわけ私の心をとらえて離さないのは、サラや、レベッカや、ラケルや、バテシバや、タマルたちの、東洋風の美女たちのシルエットだわ。サラの高慢な美貌は、夫アブラハムが彼女のことを自分の妹で押し通したほどだった。彼はそれほどの美人妻をを一人占めしていることで妬みを買い、命を危うくすることを望まなかったのよ。レベッカが私たちに見せてくれるのは、伝説の井戸の水面に映っている永遠の面影。ラケルの均整の取れた美しさは、彼女が野の紅百合を踏みしだいてゆく姿をひと目見て以来、ヤコブが七年間も彼女を待ち続けたほどだった。バテシバはテラスの浴槽でその露わな肢体を洗い清めたために、ダビデの胸中に殺意を目覚めさせた。彼は彼女を妃の座につけようとして、邪魔な亭主を葬らせたのだった。可愛いダグマー、私がこのような異国の牧歌の数々を呼びさますのは、あなたが物語好きだと知ってるからよ」
彼女の顔に、背徳の美少女の微笑みが浮かんだ。
訳者注:上の「レベッカが…」から「ヤコブが七年間も彼女を待ち続けたほどだった。」までの行に、訳者が使用している仏語原文では欠落があり、意味が通らなくなっております。ジャネット・フォスターの英訳により補います。
「ねえダグマー、あなたは数え切れないほどの愛の告白を聞いたことがあるでしょう。それはたとえばこの夕暮れのように輝かしい夕暮れに、あるいはもう少し暗くなってから、あるいはすっかり日が落ちてから、その優しい心にささやきかけるような、耳打ちするような、それとも涙ながらに訴えるような、そんな告白の数々を」
「ええ」と彼女は答えた。「私はたくさんの男の人と恋をしたわ」
「そうしてたくさんの女の人たちともね」と私は言ってやった。「あなたがこんな歌を歌っているのを耳にしたことがあるのよ。
For I would dance to make you smile, and sing
Of those who with some sweet mad sin have played…
And how Love walks with delicate feet afraid
Twixt maid and maid…
なぜなら私は 甘美で狂おしい罪をもてあそんだ人たちのことを
歌って踊りたいから…
少女と少女とのあいだを 『恋』が忍び足で
歩くありさまを歌いたいから…
あなたはこの歌を、あるガールフレンドの燃えるような唇の上から摘み取ったに違いないわ…」
訳者注:上の英語の詩、と言うか戯れ歌は、英詩人オリーブ・カスタードがナタリー・バーネイに贈ったとされるものです。
当ブログ内の関連記事→https://www.eureka0313.com/entry/For_ever_wilt_thou_love%2C_and_she_be_fair%21
「私は男の人と付き合うのも、女の人と付き合うのも好き」彼女は白状した。「私は同性を愛するあまり、異性への愛をさげすんだり憎んだりするサン・ジョヴァンニや他のみんなのような過激な排他主義に染まってはいないの。でもどちらかと言えば、強引で乱暴な男の人より、綺麗で優しい女の人の方が好きかな」
私は彼女を見つめた。
「ダグマー、あなたに対する私の感謝の気持ちはとても言い尽くせない。通りすがりに出会ったあなたという磁器人形のおかげで、私は息を吹き返したのよ」
彼女は笑ったまま、答えなかった。私はその野いばらの色をした半びらきの唇に長いこと見とれていた。
「ねえ」と彼女は言った。「花火を見に行きましょうよ。私は派手な打ち上げ花火が大好き。流星の雨や、砕け散る虹が…」
「小さなお姫さま、私はあなたに媚びへつらう者の中でも最も心卑しい女。あなたのどんなに心ない仰せ付けでも、決しておろそかにはしないわ」
彼女は私の腕を取った。その繊細で華奢なからだは私を酔わせるのだった。元気が出たという自覚で、私は背丈が伸びたような気がした。彼女の年長者であり、保護者であることが誇らしく、嬉しかった。私はダグマーの無用心で無防備なところが好きだった。彼女の心の中のいる甘えっ子を愛していた。その幼い背徳性はさらなる魅力、人を惑わし、人の心をかき乱す魅力だった。
…目も眩むような彗星が夜空に向かって突き進んだ。それはプレアデス星団のあたりまで舞い上がるかに見えた。ダグマーは大きく見ひらいた目を輝かせ、それを追った…やがて炸裂音がして、水色の糸が降ってきた。
「ああ」ダグマーは溜息をついた。「蒼い星の雪が降ってるわ。見て、見て」
それは小学生が友だちに対してするような無遠慮な言葉使いだった。彼女はそのさまざまな色をした星の流れるありさまにすっかり魅せられて、自分がそんな口の利き方をしていることにさえ気がついていない様子だった。
訳者注:上の「それはプレアデス星団の…」から「それを追った」までの行、訳者が使用している仏語原文に疑義があり、ジャネット・フォスターの英訳に従います。
「きれい」と彼女はつぶやいた。「星降る前のあの閃光は、何てきれいなのかしら。ほら、空全体が天の川のように明るい…いま、空は戦う巨人たちの流す血でびしょ濡れ…ああ、今度は紫の旗やのぼりで飾られている…まるですみれ色の巨大な絨緞みたい…いいえ、その色は春の夕べの海の緑色よりも深い…ああ、きれい。私はとても幸せ」
彼女は目をしばたたいた。その魅せられた目は私の目を探し求め、そこに彼女のよろこびの反映を見出だすのだった。私は彼女のように笑い、彼女の笑いを笑った。確かに、私たちははしゃいでいる二人の子どもだった。
…けれど最後の花火が消えてしまうと、私の浮かれた気分も消えた。私たちは樹齢数百年の樫の大樹の立ちならぶ道を通って、家路についた。
「この並木、ほとんど恐怖ね」ダグマーは身を震わせた。「ゴシック・カテドラルの丸天井よりも背が高いもの。もしあなたがそばにいてくれなかったら、私は怖くて怖くて仕方なかったでしょうね…」
彼女は震えながら、愛らしい仕草で私にしがみついた。私は彼女をはるか彼方へ連れ去りたかった。病床のように心地よく、ゆりかごのように窮屈なベッドの上に彼女を横たえ、その華奢な素足に接吻を浴びせて火傷を負わせたかった。
私はただ言った。「ダグマー、疲れてはいないの」
その美貌を鼻にかけている小姓のような目で、彼女は私を見た。
「少しね」
その言葉とは裏腹に、彼女の瞳は明るく笑っていた。私たちは大理石のベンチに腰を下ろして、それは影と苔とにびっしりと覆われ、生暖かかった。
本能のように抗いがたく、このきれいなからだに触れたいという欲望が私をひしと捕えた。私は彼女に抱きついた。
「ああ、可愛い、可愛すぎる。あなたを愛することがどうしてこんなに苦しいのかしら」
彼女は驚かなかった。抵抗もしなかった。その清らかで白い片手は自由を奪われたままだった。
「私にはあなたがわからないわ…もっとも、これまでわかったためしもなかったけれど。ほんとに変で、ややこしい人…」
その瞬間、私はあるプリミティブな衝動を心に感じて、それは野性の鳩を打ちすえ、おびえさせてよろこぶ、とても人間とは思われぬほど心ない少年たちのものであった。私はこの薔薇色の頬から血の気を失わせたかった。抗いがたい激情に、この美少女の目が爛々と輝くところを見るという、心ないよろこびに酔い痴れたかった。この乙に澄ました娘の心を掻き乱すのだ。愛で?それとも恐怖で?それはどちらでもよい。この女がわなわなと身を震わせるところが見られるならば、たとえ怒らせても、嫌われてもかまわないではないか。
「もう一度、もっと優しく、愛していると言って」小さなお姫さまが仰せつけられた。
「もし私がどんなにゆがんだ劣情をもってあなたを愛しているかを打ち明けたならば、あなたはたぶん背筋が寒くなることでしょうね…憎しみは恐らく愛よりも強くて長持ちのする感情なのだわ。それは愛と同じように美しく、神聖なもの。人を憎むすべを知らない者は人を愛するすべも知らない。あらゆる詩人たちのうちで、その憎しみによって私をもっとも動かす者はダンテよ。彼の憎しみの力は愛の力の比ではなかった。もっとも心ない嫌われ者は、もっとも心ある恋人でもある。もしアリギエリがライバルたちをあれほど憎まなかったならば、彼はベアトリスをあれほど愛しもしなかったでしょう。ダグマー、私は積もり積もったうらみつらみのすべてをもって、あなたを愛しているわ」
「おっかない愛し方をすることね」
「おおダグマー、私がどんなに優しい感情であなたを包んでいるか、あなたにわかるかしら。それはあらゆる深遠なものと同じように単純なもの。恐らく詩よりも散文の方が、真実の愛をよりよく表現できる。私の愛はとても単純なものだけれど、私はこれをあなたの目にいつも新しいものと映るよう、無数の錯綜した言い回しに織り上げるでしょう。私はこれをあなたの大好きな虹やオパールの輝きのように、変幻自在なものにしたいの…」
彼女は私の肩の上に頭をもたせかけた。
「ダグマー、私はあなたを愛している。そうしてその愛はあまりに甘く猫可愛がりする愛なので、たとえあなたが他の女性ともっとも心ない背信行為にふけったとしても、私は少しも腹が立たないでしょう。けれどもしこの先、私を破滅させたあの女を愛したような愛で、あなたを愛するようになってしまったら…どうなるかしら」
突如としてよみがえった『過去』の真赤なまぼろしに私は目がくらんだ。私はこの恐ろしくも懐かしい回想に溺れてしまうのだった…(第16章終わり)