「今夜行きます…星が見たいの」私は急いでしたためた。青い洋ランの花々の房の垂れ下がっている向こう側に、こちらを冷やかに見つめているヴァリーの目があるような気がした。私はこの手紙に、彼女の大好きなこの冬の花の数輪添えた。それは風や日ざしの中での自由な開花を知らない、人工の、温室咲きの花である。
外へ出ると、霧雨の夜の途方もない悲しみに酔い痴れ、激しいメランコリーを胸に感じた。
「ヴァリー」私は霧の彼方へささやいた。「ヴァリー…」彼女の名はすすり泣きのように、繰り返し繰り返し私の唇の上を流れた。
初めて彼女と出会った遠い日のことが思い出され、私の目が彼女の生きた鋼鉄の目、彼女の刃のように鋭くて青い目とめぐり会った時に私の全身を駆け抜けた戦慄がまざまざとよみがえった。彼女こそ私を運命に従わせるためにやってきた女で、その顔は私の『未来』にとって恐ろしい顔となるであろうことを、私は漠然と予感していた。彼女のそばにいると、深淵から這い上がってきた者が光で目をやられるような思いをし、また底が知れないほど深い水が呼んでいる声を聴いた。危険な魅力が彼女から発散し、私を否応なしに惹き付けていた。
私は逃げようとはしなかった。死から逃げる方がよほどたやすかったろう。
私たちは共に冬の夜の『森』へ出かけた。私は雪の白さに目がくらんだ。その輝きは架空の結婚式のために開花したように見えた。それは私たちの周りに咲き乱れ、私たちの中には新婚夫婦の純潔と白い快楽とがあった。
私はとても低い声で彼女に話した。その声は初めての恋の心細さで途切れがちであった。
「あなたは私が夢みてきた『誰か』とは全く違う。にもかかわらず、私は自分の遠い記憶の中の欲望の化身を、あなたに見る。あなたは私の夢ほど美しくなく、私の夢よりももっと奇妙だ。私はあなたを愛している。そうしてあなたが決して私を愛してはくれないであろうことを知っている。あなたは幸福を唾棄すべきものに変えてしまう苦しみ。私は今日はじめてあなたと会ったばかりなのに、あなたの影の影と成り果ててしまった。
「その月長石は何と綺麗なのでしょう、あなたの胸に光の涙を落とすその月長石は。銀色の布地のひだを透かして、私はあなたの裸身の美しさをうかがう。あなたがその不思議な恩恵を沁み込ませたもののすべてが私を魅了する。私はあなたの神秘的な蒼白の髪が好きだ。
「あなたがこうしたいと思うものに私はなりたい。なぜならあなたは私の知らない宗教の素晴らしい女司祭なのだから」
「あなたの愛が好き」とヴァリーはささやいた。「私はあなたを理解するのが怖い、あなたを取り返しがつかないほど惑わしてしまったのではないかと思うと怖い。私の空想はあわれなピエロ、自分の涙を透かして自分の泣き顔を見ているの。あなたのように、私もあなたを愛したい。一人静かにあなたを思いたい、遂にはそのような時間が果てしのないものに変わるまで。私は嬉しい時に泣き、悲しい時に笑ってしまうのよ。あなたのように愛したい」彼女の蒼白の唇は繰り返した。
「私の愛は孤立無援でも大丈夫なほど偉大なの」と私は答えた。「あなたを愛している。私のよろこびと涙にとってはそれで充分。ヴァリー、あなたはきっと私を愛してはくれないでしょう。なぜならあなたは生きることと感じることへのとても激しい欲望を持っていて、どんな人間の愛にも満足させられないのだから」
私はヴァリーのかたわらで恐ろしいめまいの二週間を過ごした。私は聖香に酔い痴れている祭壇奉仕者の放心を知った。香煙と芳香とで一切がかすんで見えた。わけのわからない至福感に、私は戸惑うばかりだった。これが追憶と後悔との『忘れ難き日々』となるであろうことを、その時はまだ知らなかった。
私が勉強に疲れて横になると、私のロアリーは薔薇の花びらをゆっくりと、優しく私のまぶたの上に降らせてくれた。私が彼女の無言の拒絶に苦しんでいる時、彼女がもたらしてくれたのは、黒いアイリスと『パレスチナのアルム』、邪悪な大天使たちのまなざしのもとに開花した黒百合の花々だった。恵まれた苦悩のうちに、私はフィレンツェ派の微笑みを浮かべた彼女の唇を、凄惨な青さの彼女の目を打ち眺めた。とは言えそれよりも私が愛したのは彼女の茫漠たる髪から放たれる月の光だった。
彼女の家から出かける時、私は振り返って彼女がベランダに立っている姿を見るのが常で、そんな時の彼女は青い空と幻想的な距離感との後光を背にしてたたずんでいた。
訳者注:「ロアリー」=「ローレライ」=「魔女」の意。
「私は皆が泣いている時に笑い、皆が笑っている時に泣く」と彼女は言った。
このように、彼女の不可解な心はいつも逆説的な言葉の裏に隠れ、その半分も窺い知ることはできなかった。
彼女の心ない行いは決して出来心というようなものではなく、私は時として不平をもらしたり、彼女を責めるふりをしてみたりせざるを得なかった。すると彼女は氷のような視線を私に向けた。
「泣きたいのは私の方、妬ましいのはあなたの方よ。あなたは愛を、私が年久しく探し求めて得られなかった愛を知っている。教えてよ。私はあなたと同じようにあなたを愛したいの」彼女は私の唇に飽きた唇で、この痛ましいリフレインを繰り返した。
彼女は時として、彼女がいつの日か私だけのものになってくれるのではないかという淡い期待を、私に抱かせてくれることがあった。
「私があなたをよそに追い求めている快楽がどんなに空しいものか、あなたにもきっとわかる日が来るわ。この貪欲さのうちにあるものは、ただ快楽を見失うのではないかという不安だけ。それがあなたにもわかるはず」
私は彼女のために自分の強い独占欲を、自分の見苦しいまでに激しい嫉妬心を克服したかった。それなのにヴァリーはキリスト教的貞操観念を強要すると言って私を非難し、うら若き『女半獣神』である彼女はそのようなものに対して本能的に反発するのだった。その異教の快楽は無数の情事となって炸裂した。彼女にふさわしいシンボルは不安定な四月であり、虹でありオパールであり、要するにその時々の光に照らされて輝き、かつ変容するもののすべてであった。
「何かを与える者は、見返りを要求する権利があるわ」まだ彼女の離れてゆく心をつなぎとめておくことが出来ると信じていた頃、私は言った。「私はあなた一人をいつまでも愛する。だからあなたにも私一人を愛して下さいと言うのは無理なのかしら」
しかし私は自分が途方もなく馬鹿げたことを言っていることに、すぐに気が付いた…
「芸術と同じように」と彼女は答えた。「恋は複雑で、それを手に入れるためには長くて困難な道のりをたどらなければならないの。
「彫像を夢みる芸術家は、その聖なるヴィジョンをたった一人のモデルのうちに探したりはしない。彼は互いに似ていないモデルたちを通してその絶対的な美に出会う。それはそれぞれのモデルたちがより美しい点を持っているからよ。私はね、理想の恋人に出会うために、完成品の断片を寄せ集めて、私の夢から生まれた均整の取れた結合体に合体させなければならないの。私があなたの中で好きなのは人を愛する力。それは少し野性的で、少し原始的で、とても一途なの」
「ヴァリー、あなたはぞっとするほど正しいわ。あなたは『四月』ね。あなたが余すところなく言い表され、ぴたりと当てはまるのはスウィンバーンのこの詩だけ。
A mind of many colours, and a mouth
Of many tunes and kisses.
(多くの色彩を持つ精神
多くの歌と口づけを持つ唇)
「そうして私は苦しいほどあなたを愛している。すべての単純な人々と同じようにね」
「あなたは愛し方が下手なのよ」私の『セレネの花』は私をさえぎって言った。「あなたは下手くそよ。私を引き止めておくすべも、理解するすべも知りはしない」
「上手に愛せる人などいないわ、ヴァリー。上手に愛せるようになったら、それは恋が冷めた証拠よ」
彼女の目は私を優しくさげすんでいた。
「あなたはあの素晴らしい無私無欲の境地にまで自らを高めることはできないのかしら。恋愛とは崇拝する偶像の前で、自分自身を永遠のいけにえとすることではないわ。もし私が行きずりにとても優雅で魅力的な女の子と出会って夢中になったとしたら、『ああ、彼女はあんな束の間の夢まぼろしで有頂天になれてよかったなあ』と、あなたはむしろ喜ぶべきなのよ」
「ヴァリー、私がそんな無我の境地にまで到達できるとは思わないでね。究極の純愛へと続く道は、十字架への道のりよりも険しいものなのだから」
ヴァリーは蒼白の微笑を浮かべながら引用した。
- J'ai reve d'un Calvaire ou fleurissaient des roses,
(「夢に見たゴルゴダの丘には薔薇が咲いていた」)
「美しい詩句にこめられた美しい意味、というわけね。よろしい。とにかく私はどうしてこの『女たち』の無限の流動をあなたに禁じようなどという愚かな野望を抱くのか、自分でもわからない。ただ、明らかにあなたの下位に立つ私が、自分の夢と欲望との目指す相手を他の『美人』へと移し変えられない場合、それも私の落ち度ということになるのかしら。私の愛が抱擁できるのはたった一人の人間に限られているのに対して、あなたの愛は、神の愛に等しく、その手を万人の上に差し伸べているのね。あなたは得だわ。『結婚』という解消できない絆によって、愛する人と一対一で結ばれるところに人生のすべての喜びがある、そんな陰気なキリスト教思想に、私は毒されているのかも知れない。私の愛の概念は暗い遺伝から生まれたもので、あなたのものの方がより博く、より美しい」
そうして私たちは熱い唇を重ねたが、その口づけは既に将来の後悔で苦い味がした。(第1章終わり)