わが友H.L.C.B.へ
『蛇使い』、それは蛇たちから闇の知識を学んで知っている者であるが、彼はエフェベに向かってこのように言った。
「幸福は絶望と同じように広大かつ高慢である。君の幸福は恐ろしいものに違いなく、それは絶望に似ている。
「唯一の真の幸福とは隠者の幸福であり、孤独者の幸福である。幸福は、絶望と同様、万人に対して無関心で、いかなる人間の言葉にも考えにも左右されないものでなければならない。
「私が挙げることの出来る例は一つしかなく、それはアーミンの毛皮を着た女の話である。彼女の毛皮の外套がゆるんで泥の中へ落ちた時、通りかかった者がそれを拾い上げて彼女に差し出した。しかし彼女は尊大な態度で顔を背けて行ってしまった。その肩は雨と風とにさらされていた。
「他の者が不節制を警戒するごとく、君は節制を警戒せよ。なぜならば英雄的行為と幸福とにとって、『思慮分別』こそ唯一の危険な敵対者だからだ。
「君がいま耳にしている助言も含めて、決して他人に助言してはならない。すべての人間は個人的な生を生き、高価な代償を払って何の意味もない経験を積む。
「唯一の手の施しようのない苦痛とは悩みが無いことで悩んでいる者の苦痛だ。
「友情は恋愛よりも危険である。それは友情が恋愛よりも根を強く深く張っているからだ。
「友情の痛みは恋愛の痛みより更につらい。
「恋愛を愛している者どもがいるように、友情を愛している者どももいる。他の者どもが恋に苦しむように、この者どもは友情に苦しむ。他の者どもが生涯にたった一度の恋しかしないように、この者どもは生涯にたった一人の友しか持たぬ。彼らが絶望するのは友を失った時だ。
「そうしてそれは彼らが幸福になる時なのだ。
「なぜならば幸福とは廃墟の壮観のごときものだからだ。
「ここに蛇たちの教訓がある。彼らは情交の相談係だ。
「愛の手ほどきを避けよ。それは略奪のごとく卑劣、強姦のごとく非道で、殺戮のごとく血なまぐさく、ただ酔いどれの粗野な兵士にのみふさわしい。
「もし君の愛する女が処女であるなら、その初花を散らす行為は他の誰かに任せておけ。愛は混じり気のない情欲だけで出来ていなければならない。情交における苦痛とは、楽音の世界における雑音のごときものである。
「君が眠っているかたわらで、花々が夜に薫っていても、何も恐れるに当たらない。
「それは目に見えない『客人』たちの気を鎮めているのだ。
「眠りを恐れよ。それは悪夢と恐怖とをもたらし、その恐怖は目覚めを、灰色の目覚めそのものをありがたく思わせる。
「とは言え『死』を恐れることはない。
「なぜならば死者たちは、菫の花の寝床に横たわって、生命が蘇らせてくれなかった夢を、すなわち失われた香りと音楽とにまつわる夢を、遂に取り戻すからだ。
「なぜならば死んだ者たちだけが、一度は失われた恋と友情とを、すべての悪しき思い出をすすぎ落としたもとどおりの形で、ふたたび見いだすことができるからである」
- サン・ジョヴァンニ
訳者注:「エフェベ」とは古代ギリシャ語で、成年に達し、兵士となる訓練を受けている青年。