「クルチザンヌ」というのは、われわれ現代人にとっては、よくわからない存在です。今は滅びた種族ですから。もっとも、ひょっとすると今でもどこかで生きていて、ただわれわれの目に触れなくなっているだけかも知れませんが。
「高級娼婦」とか「高級売春婦」とか訳されますが、「売春」が「高級」な仕事のはずはありませんから、この日本語はおかしいと私は思います。ただここで「高級」という言葉をくっつけて普通の売春婦と区別したくなるわけは、この連中がいわゆる「日陰者」では全然なく、それどころかむしろセレブリティの部類に属し、大金持ちのパトロンたちの庇護のもと、貧困にあえぐ堅気の人たちを尻目に、王侯貴族のような暮らしをほしいままにしていたからです。
ボードレールの「レスボス」という詩に出てくるフリュネという女性は古代ギリシャの「クルチザンヌ」です。先に「サッフォーの最期」という記事でご紹介した『ザ・スペクテイター』紙の記事、あれは徹頭徹尾ジョゼフ・アディスンの作り話らしいですが、あそこでサッフォーの兄カリクサスが身代をつぶす原因となったとされるロドピという女性、あれも「クルチザンヌ」ですね。ピエール・ルイスの『ビリチスの歌』の女主人公ビリチスも、最後はこの「クルチザンヌ」と成り果てることとなっております。以下、『ビリチスの歌』の巻頭に掲げられた「ビリチスの生涯」という文章から少し引用します(Alvah C. Bessieの英訳による)。
この地においてビリチスの第三の人生が始まるが、その生き方は私としては認めがたいもので、古代民族間で性愛というものがいかに神聖視されていたかを再度想起せずにはいられなかった。アマトゥスのクルチザンヌたちは、現代のそれのように、あらゆる世間的付き合いから閉め出された、人生の落伍者たちでは全然なかった。彼女たちは町の最良の家庭に育った令嬢たちだった。アフロディテは彼女たちに美貌をプレゼントし、彼女たちはアフロディテ信仰への捧げものとして、自分たちの有難い美しさを差し出すことで、女神に恩返しをしたのである。キプロスの町々と同じように、その神殿に多くのクルチザンヌを抱えている都会はすべて、これらの女たちを重んじ、排斥するようなことはさらになかった。
これに続いてピエール・ルイスはフリュネに関する逸話を二つ紹介していますが、日本語版ウィキペディアに同じ話が出ていますのでそちらを見ていただくことにして、ここではこのウィキペディアの記事から、いかにも「クルチザンヌ」という感じのするエピソードを一つだけ引いておきます。
フリュネはその類いまれな美しさによって巨額の富を得た。どのくらい金持ちだったかというと、紀元前336年にアレクサンドロス3世 (アレキサンダー大王)によって破壊されたテーバイの城壁の再建をフリュネが買って出たほどである。ただし、「アレクサンドロスにより破壊され、娼婦フリュネにより修復された 」という言葉を壁に刻むのが条件だったので、テーバイ側はその申し出を断った。
このフリュネという女性が持っていたと考えられる、いかにも「クルチザンヌ」らしい、何というか、ある種の傲慢不遜さと「反骨精神」がうかがえるエピソードだと思います。ちなみにこれは余談ですが、このフリュネ(Phryne)という名前、とてもきれいな名前だと私は思うのですが、「ヒキガエル」の意の蔑称だと知って、ちょっとびっくり。
なおこの「クルチザンヌ」というのはいつの時代、どこの国でも存在していたという説もある。事実、佐藤春夫の『車塵集』という(漢詩の)訳詩集を見ますと、中国の「クルチザンヌ」とおぼしき人々の詩が採られている。
「クルチザンヌ」の本場は日本だと思っている人もいるようです。彼らはどうも「芸者」のことを言っているらしい。その他この「クルチザンヌ」については、日本語のサイトではここが詳しいみたいです。