魔性の血

拙訳『吸血鬼カーミラ』は公開を終了しました。

下村敦史『絶声』

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表題の作品につきまして、一天一笑さんから紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。

はじめに

2014年『闇に香る嘘』で江戸川乱歩賞を受賞して以後、幅広い執筆活動を続ける下村敦史が、人間誰しも避けて通れない“遺産相続”と、家族関係(異母姉兄)の軋轢とをメイン・テ-マとして取り組んだ最新作にして傑作ミステリーです。

父は法律的に死ぬのか

被相続人は、行方不明になっている彼ら3人の父親です。何しろ病院や施設で亡くなった訳ではないので、死亡届ではなく家庭裁判所の手続が必要となります。家庭裁判所に「失踪宣告」の申し立てをして、認められなければ遺産相続は開始されません。
彼ら3人、つまり法定相続人と目される者のうち、主人公はブラック企業非正規労働者の大崎正好(後妻の母と一緒に堂島家を追い出された立場で、17年ぶりに堂島家を訪れた)、異母姉の太平美智香(アンティーク家具店経営)と家庭裁判所への申立人の異母兄の太平貴彦(トレーダー)の3人です。他に美智香に個人的に雇われ、被相続人の身の回りの世話をしていた笹原愛子(料理学校講師)がいます。被相続人の父親は、膵臓がんを患う“昭和の大物相場師”堂島太平です。当然遺産の総額は億単位に上るらしいです。
異母姉兄は早くから水面下工作を仕掛けています。その目的は、何というか、遺産の総取りをしたいのですね。法定相続分を超えて、自分が一番沢山欲しいと思っている。筆者は世間から注目されるほどの遺産相続なら税務署(国税庁)も厳しいでしょうから、最初から専門家(税理士等)に財産目録の作成を依頼し、分配方法を相談すればいいのにと思いますが。どの道、家庭裁判所の審査を受けるのですから。家庭裁判所調査官、真壁勇作の視点(法律的な事と、法定相続人の人柄)も描かれています。真壁が相続人の一人一人から7年前の堂島太平の失踪の前後の様子や被相続人の人柄等を聞き取ったところで、事態が動きます。

父は生きている

異母兄が叫びます「父さんがいきている」。堂島貴彦が申請した故人ブログが更新されているのです。貴彦が父太平の闘病ブログを故人ブログへと移動させたわけです。
このブログの信憑性はともかく、更新されている間は裁判所の“失踪宣言”の手続きは凍結されます。3人ともあてにしていた遺産相続が暫くの間出来なくなります。実は3人が3人とも経済的に逼迫しており、多額のお金が必要な状況です(美智香と貴彦は事業資金を度々融通してもらっています。つまり、自分の失敗を親の金で尻拭いしてもらったわけです。これは特別受益に当たるか?)。美智香に至っては、女王と奴隷の人間関係のみを築く人格が出来上がっています。大崎正好の実母が堂島家を追われたのにも関わっています。動機は、後妻が妻として入籍している為、自分の遺産相続の取り分が減るのが嫌だからです。大崎正好は貧乏が身に染みていて、借金があり、チンピラの相葉と組んで、遺産の総取りを計画します(これまで常に異母姉兄との間に不公平感を感じて生きてきた)。貴彦は常に、自分を実際以上に見せようとしたり、行方不明の父親を捜す息子を演じてテレビ出演したりしていました。
笹原愛子も堂島太平の失踪について何か知っているようです。真島の聞き取り対して、
「旦那様は何か理由あって失踪されたと思います」という。雇用主の美智香は、パワーハラスメントなど当たり前の態度です。それでいて愛子は、何故か失踪後金廻りがよくなります。

故人ブログは何を語るのか

ブログは『悔恨』『絶望』『贖罪』『決断』『告白』『孤影悄然』と各々のタイトルを用いて一週間ごとに更新されています。内容は、金しか信じなかった自分が仕事を出来なくなった時に残されたものは何か?金のみを信じて、 仕事でも家庭でも常に傲岸不遜であった堂島太平。膵臓がんを患い、命の期限を現実として突き付けられた時に、取る行動は?遠い昔に一方的に捨てたままの妻子の事は少しでもブログに出てきたのでしょうか?
ブログによく出てくるA子とは誰の事でしょうか?
“私と彼女の関係を思えば遺産を渡すことがいかに不適切か。私は彼女に遺産を渡そうとした事を反省し考え直した”と度々出てくる彼女とは誰を指すのでしょうか?

父の遺書を探せ

ブログの更新により、家庭裁判所の”失踪宣言“は凍結されます。遺産相続・分割を行える方法は、父堂島太平作成による遺言書による遺産分割です。遺言書の有無は?それは何処にあるのか?3人は、堂島邸の書棚を必死に探しますが、見つかりませんでした。
それどころか、正好の相棒(頭脳)を自認する相葉が暗躍します(遺言書の偽造)。弁護士同席で遺言書の開封を行いますがそれにより、相続欠格になる人が炙りだされます。しかしながら、正好も無傷ではすみませんでした。とはいえ、正好は生まれて初めて異母姉兄に優越感を感じる事ができました。
相葉の調査によりもう一人、堂島太平の個人的な利害関係人の娘、松野瑞希が登場します。
松野は正好母子が、堂島家を追われた事に関係しています。いやはや、相葉の調査能力は恐るべきものですね。皮肉なことにそれにより、どんでん返しが起こります。では遺産は、国庫に入る以外に、誰にどの様な形で渡るのでしょうか?

家庭裁判所調査官、真壁勇作の見立て

昭和の大物相場師“堂島太平”の遺書が公開されてから一週間後、真壁勇作が堂島家を訪れます。真壁は些か職分を超えても失踪宣告を出せない根拠を示して行きます。それはブログの時系列解析です。
具体的にはブログ“堂島太平の至言”の投稿順が逆なのです。真壁はプリントアウトした堂島太平のブログに投稿逆順ナンバーを振って、A子と堂島太平の関係を解き明かして、誰が何の根拠に基づいて、相続以外の方法で、いくらの金額を受け取るのが被相続人堂島太平の最後の意志だったのかが明らかにされます。正好の相続分は確かに明記されていたのですが。

終わりに

”失踪宣言“の申請で始まった億単位の相続を巡るドタバタ劇の後に来るものは?
総てが終わった後で、正好はかつて憎しみの対象であった父に対する気持ちに変化が起こったでしょうか?恨みがましい気持ちを捨てることができたのでしょうか?
もしできたならば、目に見える金以外の遺産を受け取ったことになりますね(抽象的できれいごと過ぎますがね)。あと相葉の引き際も気持ちがいいですね。
何時どの様な形でやって来るか分からない遺産相続。お楽しみください。
天一

絶声

絶声