魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「ウィリアム・ウィルソン(William Wilson)」(中編)

オムニバス映画『世にも怪奇な物語』(1968年、仏伊合作)第二話「影を殺した男」より、アラン・ドロン(中央)。www.imdb.comより。

イートンでの再会

数ヶ月間、家でごろごろして過ごしたのち、僕はイートンへ進学した。束の間の休暇インターバルは、僕がブランズビー先生の学校で体験した出来事の印象を薄めるか、少なくとも僕がそれらを回想する際に持つ感情の性質に、実質的な変化をもたらすのに充分だった。悲劇は――衝撃の事実は――もう無かった。今は五感の証言エビデンスを疑うだけの余裕ができていた。そうしてたまに思い出すとしても、人間の騙されやすさに驚き、あるいは自分が遺伝的に受け継いだ思い込みの強さに微笑むばかりだった。それに僕がイートンで送った学生生活の性質は、この種の懐疑論にさらに拍車をかけた。僕が直ちに、見境なしに飛び込んだ乱痴気騒ぎの渦は、過去のあらゆる傷あとを洗い流し、あらゆる深刻な、重い思い出を、たちまちにして飲み込んでしまったので、あとには前世における軽いしくじり程度の記憶しか残らなかった。
とはいえ僕は学校の目を盗み、校則に背いて強行した僕の悪事の数々を、ここに追跡トレースしようとは思わない。愚行のうちに過ごした三年間は、僕の心に悪徳を根づかせ、僕の背丈をやや法外に伸ばした以外に、何らためになることがなかった。ある日、破廉恥三昧にまる一週間を費やしたのち、僕は数名の堕落学生どもを、わが下宿における秘密の宴会へと招待した。僕らは夜遅くに集まった――なぜなら夜通し騒ごうと決めていたからだ。酒は飲み放題。酒以外にも、もっと危険な誘惑にも事欠かなかった。東の空がしらじらと明けめるころ、うたげはたけなわで、酒とカードに狂った僕は、いつも以上に背徳的な乾杯を主張している最中だった。僕の注意は突如としてらされた。それは乱暴に、とはいえ部分的に、部屋の扉が開かれたからだった。外から召使いが焦った声で「急用らしい客が、玄関で話があると言っている」と告げた。
泥酔していた僕は、この邪魔をかえって面白いと思った。千鳥足で数歩歩くと、僕は玄関に出た。低い天井の狭い空間に、光源は皆無だった。ただ極めてかすかな朝の光が、半円形の窓から差し込んでいた。見れば僕とちょうど同じくらいの背格好の青年が、その時僕が着ていたものとそっくりの、奇抜な型に裁断された白いカシミヤの上着を羽織って立っていた。かすかな光で、それだけは見て取れた。だが顔はわからなかった。僕が来ると、彼はつかつかと歩み寄り、れた様子で僕の腕をつかんで「ウィリアム・ウィルソン!」と耳打ちをした。
僕の酔いは一瞬にして醒めてしまった。
この人物の態度と、彼がわが眼前の光の中で、一本の指を激しく振って見せた動作に、僕は愕然とした。だが僕を本当に打ちのめしたのはそれではなかった。それはこの低い、奇妙な、母音を噛み殺した発音のうちにこめられた強い戒めの響きであり、とりわけその短く、シンプルで、懐かしいささやき声の、性格キャラクターが、調子トーンが、音程キーが、数限りない思い出を呼びさまし、僕にガルバニ電池のショックを与えた。気がつくと、彼はもういなかった。

イートンからオックスフォードへ

この出来事は鮮烈な印象を残したが、鮮烈であるのと同程度に、一時的エヴァネセントだった。確かに何週間かは、僕は必死に自問自答を続け、病的な妄想の中にいた。このように僕のプライベートに倦まずたゆまず干渉し、こっそり助言することで僕に嫌がらせをする、あの奇妙な人物の正体アイデンティティを、僕は知らないふりをすることができなかった。しかしあのもう一人のウィルソン、彼は何者だ?どこから来た?何の目的で?何一つわからなかった。ただ僕自身がブランズビー先生の学校を抜け出したのと同じ日の午後、彼もまた、何か家族の突発的な事情で、学校を去ったのだということだけはわかった。
だが僕はしばらくするとこれを忘れ、次の進学計画のことで頭がいっぱいになった。僕はまもなくオックスフォードへと進学した。そうして僕の両親の邪気のない虚栄心は、僕に美服の一式と、年単位の学費と小遣いとを与えることで、僕をますます遊興にふけらせ、大英帝国におけるもっとも裕福な貴族階級の、もっとも尊大なドラ息子どもと、金遣いの荒さで張り合うことを可能にした。
こうして道を踏み外す用意が万端となったことで、僕の持って生まれた人格的欠陥にはますます磨きがかかり、わが悪習はもはや常識の一般的拘束をも一蹴するに至った。とはいえ、ここでわが乱行の詳細を述べるのに時を費やすなら、愚を犯すことになろう。今はただ僕が浪費家学生仲間でも外道中の外道だったこと、また僕が新たな愚行を次から次へと考え出して、当時のヨーロッパでもっとも堕落した大学において、すでに慣行となっていた悪事の長いカタログに、少なからぬ補遺アペンディクスを付け加えたことだけを述べておく。
だがこれだけではなかった。我ながら慚愧に耐えないところではあるが、このころ僕はすでに真人間としての一線を越えて、プロのギャンブラーが使う技芸アートに親しみ、このような卑劣な学術サイエンス達人アデプトとなるや、常習的にこれを実行して、同じ大学の学生の中でも低能な連中を食い物にして、自分の親からの潤沢な仕送りの上に、さらに私腹を肥やすよすがとしていた。これは紛れもない事実である。そうしてこのように大それた犯罪がまかり通ったのは、疑いもなく、これがあまりにも大それた犯罪だったからだ。事実、節穴の目を有するわが学友たちは、この僕がイカサマ師に見えるくらいなら、誰しも自分の正気を疑っていたことだろう。なぜならこの僕とはすなわち誰の目から見ても掛け値なしに、陽気で、裏表がなく、心の広いウィリアム・ウィルソンなのであって、間違いなく、当時のオックスフォードにおけるもっとも品性高貴にして無欲リベラルな一般学生だったからである。僕の奇行は若さと夢想癖の為せる業に過ぎず、僕の非行は僕ならではの気まぐれに過ぎず、僕のもっともけしからん破廉恥行為も、無邪気な、颯爽たる暴走に過ぎないと、僕の取り巻きパラサイトたちは口をそろえて言っていたのだ。

カモが来た

ヘロデス・アッティコスが建てたとされる、アテネに今なお残る野外音楽堂。ウィキメディア・コモンズより。

このようにして二年が何事もなく過ぎたころ、オックスフォードにグレンディングという名の成り上がりの貴族がやってきた。聞いた話では、こいつはヘロデス・アッティコスのごとき大金持ちで、しかもその富は棚ボタ式に得たものだということだった。この男をひと目で馬鹿だと見破った僕は、いいカモが来たと思った。僕は彼をたびたびゲームに誘い、ギャンブラー常用の手口に従って、彼に相当な金額を負けてやることで、彼をわなから逃げられなくした。機は熟したと見るや、僕は同じ大学の学生で、僕らの共通の友人、プレストン氏の下宿で(これを最後の決定的な面会とする気満々で)グレンディングと面会した。ちなみにプレストン氏の名誉のために言っておくと、彼は僕の意図をつゆほども疑ってはいなかった。計画を露見しにくくするために、僕はついでに何も知らない八名ないし十名の生徒を呼び集め、カードゲームがあたかも偶然のごとく持ち出されるよう、しかも僕がおとしいれようとしている人物自身がその言い出しっぺとなるよう、細心の注意を払って偽装した。早い話が、例によって例のごとく、あらゆる卑劣な仕掛けが張り巡らされていたのであって、今なおこれに引っかかる連中がいるのは不思議としか言いようがない。
会合は深夜まで続き、僕は遂にグレンディングとの一対一での勝負に持ち込んだ。ゲームは僕の得意の「エカルテ」だった。他の連中は、自分たちの遊びを止め、僕らの周りに立って、勝負を眺めていた。僕はくだんの成金に宵の口から、心して酒をあおらせていた。だがこの時、彼がカードを切り、配り、勝負をする際の、何か異常に緊張した様子には、どうも酒以外の何かがあるような気がしていた。彼の僕に対する借金は瞬く間にふくらんだ。すると彼はポートワインを長々と飲み干したあと、僕の読み通りの行動に出た。すなわち賭け金を倍にしようと言い出したのである。まずは気の進まない顔をして見せ、何度か拒否することで彼に暴言を吐かせると、それに対してムッとしたふりをしてから、僕はようやくこれに応じた。ここまで来れば敵は袋のネズミである。一時間もしないうちに、彼の借金は四倍になった。少し前から、彼はあたかも酔いが醒めたかのように、顔の色が赤みを失っていた。ところがこの時、僕は彼が真っ青な顔をしているのを見て驚いた。事実、僕は驚いたのだ。グレンディングは前々から僕の熱心な問いかけに対して、金はいくらでもあるとうそぶいていた。彼がった金は、それ自体としては莫大な金額だったが、それでも彼にとってははした金に過ぎないはずだった。彼はどうも悪酔いしたようだというのが真っ先に僕の頭に浮かんだ考えで、僕は紳士たる体面を保つため、あるいは同様の不純な動機から、ゲーム終了を宣言しようとした矢先だった。僕の周囲にいた学生たちが色めき立つと同時に、僕の対戦相手が身も世もあらず慟哭した。僕はグレンディングを破産させてしまったのだった。彼は皆の同情の的となり、悪魔といえども手出しできなくなった。