「世界征服」はハッタリか?
BAND-MAIDをめぐる謎の一つは、メンバー側とマネージメント側との間に、何か温度差のようなものが感じられることです。
BAND-MAIDの今年(2023年)の第一次北米ツアーは5月14日(日本時間では5月15日)から開始されるとのことですが、今回は前回と打って変わってチケットの売れ行きが思わしくなく、アメリカのファンからはマネージメント側の営業努力が足りないとの批判が出ている。一方でヨーロッパのファンからは「BAND-MAIDはいつになったら帰ってくるのか?」との苦情が寄せられている。このようなことはすべてマネージメント側の不手際で、メンバーには何の責任もないように思うのですが。これはあくまで一傍観者の印象に過ぎませんが、マネージメントサイドはBAND-MAIDについて、世にも奇妙なコミックバンドといった認識しか持っておらず、これをその音楽的実力に見合ったもっと巨大なプロジェクトに育て上げようという気などさらさら無いように見受けられます。
公式ホームページには、BAND-MAIDが、
目標として掲げる世界征服へ向け、全世界規模での躍進を続けている。
と記されている。この「世界征服」なる文言について、これは所詮ハッタリであり、景気づけであり、いわゆる「受け」狙いのジョークに過ぎないとする説もある。確かにマネージメント側はそのように捉えているフシがあるが、メンバーは結構本気なのではないか、と私は思う。
Our way らしさを求め
Make sounds とどろかすんだ
世界つかむまで Never ending !
上はBAND-MAIDの「Manners」という曲の歌詞からの引用ですが、このセリフがハッタリとは、私にはどうしても思えない。最新曲「Memorable」の歌詞にも、
We don't surrender !
(われわれは降伏しない)
とあるのは、この野望に向けた決意をあらためて表明したものと見られます。
デジタルの世界は偽物の世界
先日「Spotifyが音楽AIによって生成された楽曲数万曲を削除した」という記事を読みました。「人工知能」の社会進出による脅威は、今のところ、日本においては「言葉の壁」によってある程度緩和されていて、日本政府はきわめて呑気に構えているように見えますが、そのうち社会秩序が根幹から脅かされるに及んで、もはやG7どころではない大騒ぎになるだろうと考えると、何となく愉快でないこともありません。
AIによってコピーライトが脅かされるというような話を時々聞くのですが、アーティストたちの心配ももっともではありますが、その前に再確認しておかなければならないのは、デジタルデータの世界では、そもそもコピーライトを主張する方がおかしい、という点です。
今さら過ぎて、あらためて書くのも恥ずかしいくらいですが、そもそも簡単にいくらでもコピーを作成できることがデジタルデータの最大の特徴です。デジタルの世界とはすべてが複製であり、「本物」のない世界なのです(当たり前ですよね)。このような世界において「コピーライトを守ってくれ」と要求するとすれば、要求自体が矛盾をはらんでいることは明らかです。
だからどうしてもコピーライトにこだわるのであれば、アナログの世界に戻るしかない。音楽の場合で言えば、レコーディングなどは一切行わず、もっぱらライブ活動に励むことです。もちろん、それでメシを食っていこうなどとは夢にも考えてはいけません。われわれの目には触れませんが、そうした道を選んだ「天才ミュージシャン」は、世界中に無数に存在するだろうと思います。
だがそれでは困るのが大企業です。音楽が「産業」として成り立たなくなれば、資本主義社会における歯車が一つ欠けることとなり、これは資本家たち(と資本家たちによって支持されている政治家たち)にとってはいささか面白くありません。だから彼らは音楽的才能に恵まれた人たちに対して「われわれはコピーライトを保護します」などと甘言を弄して曲を書かせ、録音し、コピーを無数に作成して、宣伝のために世界中にばらまくのです。
BAND-MAIDもまたこの「コピーばらまき作戦」によって成功を収めたバンドの一つです。もし「Thrill」(2014年)のミュージックビデオがYouTube上で公開されていなかったら、BAND-MAIDなるバンドはとっくの昔に消滅していたであらうと言われてゐる。
「Thrill」のミュージックビデオを見たことがない人がいるかも知れないので、リンクを貼っておきます。再生回数がようやく1,900万回を突破したそうです。
BAND-MAID入門に最適なEP『Unleash』
とにかく今の資本主義の世界においては、「経済を回す」ために、大量の商品が生産されて流通しており、音楽作品もまたそのうちの一つでしかない。それらの作品にはいろいろと真偽不明の「アーティスト名」のラベルが貼ってあるが、その「アーティスト名」とひも付けされているものは、すべて企業が収益を上げるために捏造した宣伝のための虚像に過ぎません。そうして現代の聴衆というか、音楽データの消費者たちは、このようなアーティスト像の虚実には本当は何の関心もない。スマートフォンから垂れ流される音楽をイヤホンを通してただ聞き流しているだけの人たちにとって重要なのは、束の間の快楽であり、かりそめの娯楽であり、憂き世のつらさから、生きる苦しみから、ほんのしばらくの間だけでも気をそらすことができればそれでいいからです。
ところがそうやって大量に生産され、配布され、消費される音楽データの中に、ふとわれわれの注意を引きつけるものがごく稀にある。それはアーティストというか、それらの楽曲を作った人たちが、表現しなければならないと切に感じているものと、表現するための手段、方法あるいは技術との間で、確かにもがき苦しんだ、その痕跡を(周到に隠蔽されているにもかかわらず)聴き手が見つけ出してしまう場合です。それが見つかるのは、見つけた人に何も特殊な能力があるからではない。意識するとしないとにかかわらず、人間は常に「人工知能」には残すことのできない人間の痕跡をいたるところで探し求めているものだからです。
以上のようなきわめて稀なケースが「from now on」をはじめとするBAND-MAIDの近年の楽曲に当てはまる。その魅力はわれわれが通常、憂さ晴らしのために消費する他の音楽データとはひと味違います。そこにはわれわれに対して注意するよう、察知するよう、理解するよう訴えかける何かがある。そうしてBAND-MAIDをしてこのような境地へと押し上げた、というか、追い詰めた最大の要因は、やはりコロナ禍であったと見てよいでしょう。少なくともBAND-MAIDの音楽的モチベーションに対しては、コロナ禍はむしろプラスに作用したと断定してよさそうです。BAND-MAIDの近作、特にEP盤『Unleash』(2022年)は、ファンのよろこびそうなコンテンツを取りそろえて「売れたらいいナー」などとほくそ笑むような余裕のある、迎合的なスタンスで作られたものではまったくなく、言わばいまわのきわにおいて「私たちはROCKが演りたいんだ!!」との本音を吐露したかのごとき快作で、BAND-MAID入門には打ってつけだと思います。
下はタイトルナンバー「Unleash!!!!!」のライブ映像。