魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)ボードレール「シテールへの旅(Un Voyage à Cythère)」

アントワーヌ・ヴァトー「シテール島への巡礼」ウィキメディア ・コモンズより。

僕の心は浮き浮きと 小鳥のようにはばたいて
船の索具さくぐの周辺を 勝手気ままに飛び跳ねた
さんさんと注ぐ日ざしに酔い痴れた天使のごとく
雲一つない 真っ青な空の真下を 船は進んだ

何という名の島だろう あの黒い 悲しげな島
「あれこそはシテール島さ 俗謡シャンソンで名高い島だ
爺さんたちが若いころ 皆あこがれた桃源郷
見たまえ 何のことはない 単なる痩せた小島だよ」

――甘やかな秘密の島よ 歓楽のうたげの島よ
神話時代のヴィーナスの 世にも美麗な幻は
君を取り巻く海上に かおりのごとく漂って
愛とけだるい気分との 情趣を注ぎ込んでいる

永遠に 全世界から尊崇そんすうの念を集める
常緑のマートルの木と 咲く花に満ちみちた島
その地では 恋人たちの溜息に次ぐ溜息が
薔薇園の上を流れる薫風くんぷうのごとく流れて

さもなくば 森鳩もりばとたちの鳴き交わす声と流れる
――だが僕が見たシテール島は 波音がうるさいだけの
草も木もなく 花もない 岩石だらけの島だった
しかもその時 僕の目に ちらりと見えた妙なもの

それは季節にときめいて ひそかな恋に身を焦がす
けがれを知らぬ美少女が 神に仕える身にまとう
上着ローブを そっと吹く風に なびかせながら歩みゆく
そんな緑の影深き愛の神殿 などではなくて

船が間近を通過して 船のかかげた白い帆に
おびやかされた鳥たちが 色めき立ってざわめいた
そこに僕らが見たものは 三本足の絞首台
青空にくっきりと立ち 糸杉のように黒かった

 

「タイバーンの木」として知られたロンドンの絞首台。三本の支柱で支えられていた。ウィキメディア・コモンズより。

餌食の上に舞い降りて むさぼり食らう鳥により
損壊された受刑者の五体は すでに腐敗して
この鳥たちはことごとく 刃物のごときくちばし
血をしたたらす廃物を 完膚なきまで突き刺していた

両目はすでにり抜かれ 破れた腹の皮からは
はらわたが どっさりと 太ももに流れ出ていた
おぞましい歓喜でおなかいっぱいの処刑者たちは
くちばしで 彼の恥部をも ごっそりと切除していた

このしかばねの足もとに 飢えた四肢しし動物どうぶつの群れ
取り囲み 鼻をそばだて 円を描いてうろついていた
その真ん中で咆え立てる ひときわデカい一匹は
アシスタントを引き連れた死刑執行人のよう

青空の子よ シテール島の住人よ
この耐え難い苦しみに 君は黙って耐えていた
君が報いを受けていた 異教徒であることの罪
それは墓への埋葬も許されぬほどの罪だった

笑止きわまる受刑者よ 君の痛みはわが痛み
風に吹かれてゆれている君の手足を見た僕は
過去の苦痛の毒汁どくじゅうの 尽きることなき濁流が
嘔吐おうとのごとく 口もとへ こみ上げるのを自覚した

わが一生の思い出の悪魔よ 君を前にして
僕は感じた その昔 死体となったこの僕の
肉に食いつき 咀嚼そしゃくした しつこいからす黒豹くろひょうたちの
くちばしというくちばしや 両顎りょうあごという両顎りょうあご

――大空はうららかだった 海原うなばらは穏やかだった
僕にとっては一切が真っ暗闇で 血まみれで
心は まるで幾重いくえもの装束しょうぞくを着たかのように
意味深長な寓意画のうちに埋葬されていた

あなたの島に ヴィーナスよ 僕が発見したものは
わが分身が吊るされた象徴的な死刑台…
主よ 願わくはこの僕に 自分自身を前にして
目をそらさずに直視ができる心の強さをたまわんことを!


*『悪の華』初版88。原文はこちら

*萩原 學さんの「対訳」を参照させていただきました。謹んでお礼申し上げます。

 

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