表題の作品につきまして、一天一笑さんから紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。
葉室麟氏の紹介
葉室麟『津軽双花』(講談社)を読了して。
2005年に『乾山晩愁』でデビュー(当時50歳)、『実朝の首』『冬姫』等精力的な執筆活動を展開しながら、2017年12月23日に66歳で急逝した作家、葉室麟の作品から、表題作「津軽双花」他3編の短編を収録した短編集をご紹介します。僅か16年の作家活動で品質の高い、温かみのある沢山の作品を遺されました。又その作品『蜩ノ記』は役所広司の主演で、『散り椿』は岡田准一の主演でそれぞれ映画化され、いずれも好評でした。
表紙絵を飾る「双花」
さて表紙絵を見ると、青磁の地の色に市松模様と百合の花の打掛をまとったのが辰姫。そして、濃い茶色の地の色に、大振りな椿の花の模様、裏地には緋色の打掛をまとい、地の色と同じ色の扇を手に持っているのが、満天姫と思われます。各々の個性が演出されていますね。
関ヶ原の合戦後、1613年頃の津軽越中守信牧の最初の正室辰姫(石田三成の娘)と継室の満天姫(徳川家康養女、徳川家康の異父弟松平康元の娘)の物語です。云うなれば“津軽家の女人関ヶ原合戦”ですね。女人たちには武家の正室の自尊心を賭けた戦い、津軽家にとっては、関ヶ原合戦以後、徳川家康とどう渡り合うか、津軽家の生き残りを賭けた戦いです。
以前こちらでご紹介した吉川永青の『治部の礎』や岩井三四二の『三成の不思議なる条々』と時代も物語の内容も重複するところがあります。
「津軽双花」
物語は、満天姫が天海僧正と家康に呼び出された所から始まります。満天姫が嫁入り道具に所望した土佐派の絵師による八曲二双の<関ヶ原合戦図屏風>を家康が手放すので受け取りなさいとの事です。
実は満天姫は、津軽家に再嫁したくないので、かぐや姫ばりに家康が気に入って駿府城広間に飾っている<関ヶ原合戦図屏風>を下賜されたしと無理難題をいったのですが、さすがに家康が何枚も上手でした。この屏風には満天姫の前夫福島正之も描かれています。
満天姫にも事情があるのですが、津軽家にとっては徳川家に婚姻政策で風下に立たされるのには変わりありません。
徳川家康は、津軽信牧が、石田三成の遺児石田隼人正重成こと文武両道の杉山源吾を家臣として召し抱えていること、同じく石田三成の三女お辰を正室に迎えているのを承知です。
これは家康にとっては、癪と不安の種なので、お辰を正室から追放すべく、満天姫を“養女“とし、煌びやかな花嫁行列をもって徳川家の威容を示します。お辰は側室に格下げされて、大舘御前と呼ばれる位置付けになります。津軽家中を揺るがす相容れない関係になるのが、人間本来の姿かもしれませんが、そこは武家の宿命に生きる者のいさぎよさ、志の高さを発揮し、誇り高く生きてゆきます。お互い負けられない"女人関ヶ原”の決定的な勝者はいません。
津軽越中守信牧は、関ヶ原の道理と武家の意地を貫くため、津軽家の後継者を辰姫の生んだ平蔵に決めます。平蔵は名前を信義と改め、父信牧亡き後は、将軍家光に家督相続を認められ「満天姫は余にとっては叔母に当たる。そなたたちも身内のように思う」との言葉を得ます。
徳川家と石田家の稀なる良い融合の結果を生み出しました。
「鳳凰記 」
以前茶々の猶子(浅井三姉妹の三女お江の娘)となり、やがて公家の九条関白忠秀に嫁いだ完子(さだこ。父は羽柴秀勝)の視点から見た秀頼と茶々の物語です。
何故頑固に大坂城を退去しなかったのか?家康の孫娘の入内を止める目的をもって、方広寺大仏殿の鐘の銘文に家康の諱を刻んだ(従来の茶々の意固地な思い込みではなく、隠れた戦略的思考?)。朝廷を敬わぬ外戚関係を構築したい徳川家から、朝廷を守る意思をもって大坂城に籠る大野治長や真田信繁・加藤清正・福島正則等の武将たち、自分の調整力の無さに悩みながら徳川家と交渉する片桐且元などが登場します。母お市の方(織田信長実妹)から受け継いだ乱世を生きる女人戦を誇り高く受けて立つ茶々の姿は読みごたえがあります。
「虎狼なり」
敗軍の将となって、六条河原で処刑される予定の毛利家軍師安国寺恵瓊が、石田三成に聞かされる“関ヶ原で勝った者は誰もいない”の真相です。家康はきれいな勝ち方をしていない意味で負けています。三成は三国志の時代の「豹に虎をけしかけ、虎の穴が留守になったところを狼に襲わせる」の策を用いようとしました。つまり家康に上杉征伐をさせ、大坂城を留守にさせたうえで、三成に家康と戦うように焚き付け、その間に毛利家が大坂城を占拠する案です。安国寺恵瓊の策はどうして破れたのでしょうか?
語り終えた翌日、三成は、遊行上人の読経を断り、従容と死に向かいます。
「鷹、翔ける」
1582年6月1日、丹波亀山城を出発して、最初の軍議に加わった明智左馬之助、明智治左ヱ門、藤田伝五、溝尾庄兵衛そして斎藤内蔵助利三の物語です。斎藤内蔵助利三は、美濃の国主、土岐氏に仕えた守護代を祖先に持ちます。しかし応仁の乱以後続いた同族争いは、下剋上の結果“蝮の道三”の台頭を許すこととなります。主人の明智光秀も浪々の日々を長く過ごしました。その状況下で、どのような気持ちで土岐家の家紋“水色桔梗”を掲げ、本能寺への道を懊悩しながら駆け抜けたのか。里村紹巴を伴った愛宕山参詣の場面や織田信長(道三の娘婿)との難しい因縁と共にお楽しみください。この斎藤利三も生け捕りにされ、六条河原で刑死します。この斎藤利三の娘のおふくが後の春日局(徳川家光の乳母)となり、謀反人の娘から栄耀栄華の人生?を歩むことになります。又別の物語です。
長くなりましたが、葉室麟ならではの温かみのある爽やかな読後感が残ります。
戦国時代末期に興味のある方、浅井三姉妹と関ヶ原合戦に興味のある方、女性の着物・着こなしに興味のある方にお薦めします。
一天一笑