(短い方の)ヘレンに
ヘレン あなたの美は わたくしにとって
いにしえのニケアの船のよう
それは波かおる海原を越えて 優しく
旅に疲れたさすらいびとを
ふるさとの岸辺へと運んだ
絶望の海を久しくさまよってきたわたくし
あなたのヒヤシンスの髪 クラシックな顔立ち
ナイヤードのごとき物腰は このわたくしに
在りし日のギリシャの栄光と
在りし日のローマの荘厳とを想起させた
ほら あちらの輝かしい窓辺の壁龕に
瑪瑙のランプを手にしたあなたが
彫像のごとくたたずんでいるのが見える
ああ プシュケー その生まれ故郷は
聖なる国か
(長い方の)ヘレンに
あなたを一度だけ見たことがあるのです
それは昔のことのようでそれほど昔でもない
それはある七月の深夜のことでした
満月があなたご自身の魂のように舞い上がって
大空を舞い上がるひとすじの道を探していて
そこから輝かしい絹のような光が織られて
しずかに ほのぼのと 夢路をさまよいながら
魔法がかかっていて風のない
風が忍び足でしか訪れない庭の中に所狭しと咲いている
薔薇のあおむいた顔の上に落ちていた
法悦のうちにこときれて
愛の光を浴びているうちにそのいい匂いのする命があくがれてゆく
薔薇のあおむいた顔の上に落ちていた
あなたとあなたが居合わせていることから生じる詩により
魔法がかかっているこの庭の中でそこでにこにこしながら死んでいる
薔薇のあおむいた顔の上に落ちていた
蒼ざめた土手の上の白い衣装に包まれた姿は
なかば横になっておられる様子でした
月光は薔薇のあおむいた顔の上に落ち
あなたのあおむいた悲しげなお顔の上にも落ちていた
「宿命」ではなかったか この七月の深夜に
私は「宿命」にみちびかれて(そのまたの名を「悲しみ」と言う)
この庭の入口に立ち止まったのではないだろうか
眠っている薔薇の香りを吸い込んだのではないだろうか
足音はなかった うるさい世間はすべて眠っていた
ただあなたと私だけが別でした(それにしても
この二つの語を結び付ける時に私の胸が何と高鳴ることだろう)
ただあなたと私だけが別でした そうして私が立ち止まると
すべてのものが一瞬にして消えてしまった
(この庭に魔法がかかっていたことを忘れてはならない)
明るい月の光は消えてしまった
苔むした土手もつづらおりの小道も
幸せな花々も悲しげな森の木立も
もう見えなかった 薔薇の香りさえ
恋する空気に両手で抱きしめられて息が絶えた
あなたを残してすべて消えた いいえ あなたも消えた
残ったのはあなたの目の神聖な輝き
あおむいた目の中に住んでいる魂だけでした
あなたの目は私にとっての世界でした
それで私は何時間もあなたの目だけを見つめていた
あなたの目だけを月が傾くまで見つめていた
何たる常軌を逸した心の履歴が
この美しい水晶玉の表面に記されているように見えたことでしょう
暗澹たる悲しみよ されど荘厳なる希望よ
さざなみひとつ立たない静かな誇りの海よ
敢然たる大志よ とは言え愛のためには
その深さのほどの測り知られぬ包容力よ
やがて月は西に傾き
雷雲のかげに隠れる時が来ました
それであなたも影のように薄暗い林の中へ
吸い込まれて行ってしまって ただあなたの目だけが残りました
あなたの目は消えない 今でも消えてはいない
その夜の私のさびしい家路を照らし続けて
それは私を見捨てなかった 希望が私を見捨てたように
それは私についてきて 私を年久しくみちびいている
それは私の家来 私はその奴隷なのです*1
その務めは光と火をもたらすこと
私の務めはその光で救われること
その電気の火でこの身の汚れを落とし
その極楽浄土の火で禊をすること
それは私の魂を「美」で満たす(それこそ「希望」)
それは夜空にあって 私が眠れない夜な夜な
跪座して祈りを捧げる星であります
しかも真昼の日盛りでも私の目には
見える 燦然と光り輝いている
双の金星 その星影は太陽も消すことができない*2*3