魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙(The Purloined Letter)」(4/4)

フレデリック・リックス「ふたたび盗まれる手紙」ウィキメディア・コモンズより。

流血なき解決

「以上の考えを念頭に、僕は緑色の眼鏡を用意して、あるよく晴れた朝、アポ無しで、ぶらりとD大臣宅を訪れた。大臣は在宅で、例によって、あくびをしたり、ぶらぶらしたり、ぼんやりしたり、いかにも『退屈アンニュイの極み』といったふりをしていた。彼はおそらく、現代社会における、真にもっとも精力的な人物だ――だがそれは人目のない時に限るのだ。
「彼の向こうを張って、僕も近ごろ視力が落ちたとか、眼鏡をかけないと何も見えないとかぼやきながら、うわべは彼との会話に夢中なふりをして、眼鏡のかげからひそかに、注意深く、部屋全体を吟味した。
「僕はとりわけ、彼が腰を下ろしている近くの大机おおづくえに注意を払った。その上には乱雑に、いろんな手紙やその他の書類、一つか二つの楽器と二、三冊の本が載っていた。だが時間をかけて、丹念に吟味したにもかかわらず、僕の疑惑を掻き立てるようなものは何もなかった。
「室内を見廻しているうちに、僕の目はとうとう、厚紙でできた金ぴかのカードラックの上に落ちた。暖炉の飾り棚マントルピースの中ほどの位置の真鍮のノブから、薄汚い青いリボンでぶら下げられている。このカードラックには三つか四つの仕切りがあって、五、六枚の名刺のほかに、手紙が一通入っていた。手紙は染みだらけで、しわくちゃで、ほとんど真っ二つに裂かれていた。あたかもそれは、最初は破り捨てるつもりが、次の瞬間、気が変わったか、思いとどまった、とでもいう風に見えた。Dの組み合わせ文字サイファが、黒いインクで、でかでかと押印してあり、宛先はD自身で、宛名書きは細かい女文字でしたためられていた。それがラックの上の方の仕切りに突っ込んである様子は、ぞんざいであるばかりか、人を小馬鹿にしているようにさえ見えた。
「この手紙をひと目見た途端、これこそ僕が探し求めているものに違いないと思った。確かに、それはあらゆる点から見て、かつて警視総監が微に入り、細を穿うがった説明書きを読み上げてくれた本物とは極端にかけ離れた代物だった。こちらはDの組み合わせ文字サイファが、黒いインクで大きく押印されているが、本物はS公爵家の紋章が、赤いインクで小さく押印されているはずだ。またこちらはD大臣宛の宛名書きが、細かい女文字でごちゃごちゃと書かれているが、本物は王室のさるお方に宛てた表書きが、太字ではっきりと記されているはずだった。一致符合コレスポンデンスを形成しているのは寸法サイズだけだ。だがその相違の極端な点。その汚れ方のひどい点。その保存状態が本来は几帳面きちょうめんなDの性癖とはうらはらの、惨憺さんたんたるものである点。それに見る者を、この文書が無価値だとの思いへと誘導しようという魂胆が、何となくけて見える点。これらに加えてこの手紙の、あらゆる来客の目に飛び込んでくる、これ見よがしな見せびらかし方が、僕がかねてより到達していた結論と正確に一致している点。これらの点は、あらかじめ疑念をいだいて訪れた者の目には、これを強力に裏付けるものであった。
「僕はできる限り訪問を長引かせた。そうしてDが必ず気を引かれ、熱中するような話題を持ち出して、彼と活発な議論を続けながらも、ひそかに例の手紙から注意をらさずにいた。その間に、僕はその手紙の外観やラック内での配置を頭の中に叩き込んだ。そしてとうとう、どんな些細ささいな疑いをも払拭ふっしょくする、一つの発見へとたどり着いたのだ。その紙のふちを見ていると、不自然にすりむけた跡が認められた。それは損なわれた形状を呈していた。すなわちいったん折り畳まれ、フォルダーで折り目をつけられた一枚の厚紙が、同じ折り目から裏返しに折り返されて、元通りの形に折り直された際についたような傷がついていたのだ。この発見で充分だった。この手紙は手袋のように裏返され、ふたたび宛名を書かれ、押印されたものに間違いない*1。僕は大臣に『よい朝を過ごしたまえ』と言って、純金製の嗅ぎ煙草入れをテーブルの上にわざと置き忘れたまま、ただちに立ち去った。
「翌朝、僕は忘れ物を取りに戻ると、Dを相手に、前日の討議の続きを再開した。ところが、僕らが激論を戦わせている真っ最中に、その部屋の窓のすぐ下で銃声らしきものが鳴り響き、何人かの者の悲鳴と、多くの者が大騒ぎする声が後に続いた。Dは窓辺に駆け寄って、窓を開け放ち、外を見た。その間に、僕はカードラックに歩み寄り、例の手紙を抜き取ってポケットに納め、代わりに自宅で念入りに用意してきた複製ファクシミリ(外観だけはそっくりの)を入れた。Dの組み合わせ文字サイファは、パンで作ったハンコで、実にたやすく偽装できた。
「通りの騒ぎは、マスケット銃を持った男の人騒がせによって引き起こされたものだった。彼は女子供の群がる中で発砲したのだ。だが空砲だったことがわかったので、彼は狂人もしくは酔漢として放免された。男が行ってしまうと、Dは窓辺を離れたが、その頃には僕もまたお目当ての品を確保した上で、彼とともに窓辺にいたのだった。しばらくして、僕はDにいとまを告げた。狂人のふりをしていたのは、僕がお金を出して雇った男だった」

借りを返したデュパン

「それにしても」と私は言った。「何の目的でその手紙を複製ファクシミリとすり替えたんだい。最初の訪問の際に、堂々と取り返して、引き上げてくればよかったのに」
「Dという男は」とデュパンは答えた。「肝の据わった、危険な男だ。それに彼の屋敷には、主人の一大事とあらば、命を投げ出すことさえいとわない従僕アテンダントたちが大勢居る。もし君の言うような乱暴な振舞いをしていたら、僕はとても大臣の御前プレゼンスを生きて退出できなかったろう。僕は行方知れずとなって、パリの善良なる市民の皆さんは、僕に関する噂を二度と耳にすることはなかったろうよ。だがそれとは別に、僕にはある目的があった。知っての通り、僕はある政治的勢力を支持している。今回の事件においては、僕はくだんの貴婦人のパルチザンとして行動している。十八ヶ月間にわたって、Dは彼女を支配下に置いてきた。今度は彼女の番だ。なぜなら、手紙がもはや手もとに無いことを知らない彼は、これまで通り、ごり押しを続けるだろうからだ。かくして彼は間髪かんはつを入れず、不可避的に、政治的破滅をみずから招くことになる。彼の失墜は急速にして不様ぶざまだろう。『地獄にくだるはやすし』とはよく言ったものだが、実を言うと、アルフレード・カタラーニが歌唱について言ったように、上りは楽しいが、下りはつらいのだ。今回の件について言えば、僕はちてゆく奴に対して何の同情も、何の憐憫も感じない。彼こそは『恐るべき怪物モンストル』、邪悪な天才だ。とはいえ僕としては、警視総監のいわゆる『やんごとないお方』からの反撃に直面して、あのカードラックの手紙を開く羽目におちいった際、彼が何を思うか、その正確なところが知りたくてたまらないね」
「おや、何か特別なものでも入れておいたのかい」
「うん、まあ、中身をからにしておくのもどうかと思ったし、それでは礼を失するかなとも思ったんだ。僕はね、昔ウィーンで、Dからそれは殺生せっしょうな目に会わされたことがある。その時僕はさも愉快そうに言ってやった、『この借りは必ず返す』とね。それで今、彼は自分を出し抜いた人物の正体アイデンティティがいささか気になることだろうから、何の手がかりも残さないのは気の毒かなとも思ったのさ。彼は僕の筆跡をよく知っている。だから僕は白い紙の真ん中に、ただこの言葉だけを書き写しておいた。

『――このように恐ろしいはかりごとは
 アトレにはむごいとしても、ティエストにはいい気味だ』

これはクレビオンの『アトレ』の中にある言葉だよ」

*1:この手紙は封筒に入った封書ではなく、便箋をそのまま折り畳んで封をするタイプの封書だったので、「手袋のように」裏返すことが可能でした。トマス・マボット教授は「大臣のミスは自分自身の組み合わせ文字サイファを押印してしまった点にある」としています。