知的レベルの同一化(identification)
警視総監が行ってしまうと、デュパンは種明かしを始めた。
「パリ警察は」と彼は言った。「とても有能なんだ。根気があるし、精緻だし、利口だし、それに彼らの仕事において、主に必要と思われる知識に通暁している。だから警視総監がD大臣宅の捜索の様子を事細かに説明してくれた時、僕は彼が捜査の手を尽くしたのだと信じることができた――彼の手が及ぶ範囲内では」
「彼の手が及ぶ範囲内では?」と私は言った。
「そう」とデュパンは言った。「採用された道具はその種のものでベストであるのみならず、完璧に使いこなされた。もし手紙が彼らの捜査範囲内に隠されていたのなら、必ずや見つかっていたはずだ」
私は笑ったが、彼は大真面目で言っているらしかった。
「彼らの道具は」と彼は続けた。「その種のものとしては最高で、しかも見事に駆使された。問題は、それがもっぱら対象となる人やケースに適合していなかった点にある。きわめて精妙な諸資源の一式は、警視総監にあってはプロクルステスのベッドのようなもので、彼はそこに無理やり自分の意図を当てはめる。だが彼は対象に対して深遠になりすぎるか、浅薄になりすぎるかして、常に誤る。多くの学童の方が、彼よりも立派に推理する。僕は八歳程度の少年を一人知っていたが、彼は『偶数か奇数か』というゲームが強いので知られていた。これは簡明なゲームで、ビー玉遊びなんだ。プレイヤーはビー玉を幾つか手に持って、その数が偶数か奇数かを相手に当てさせる。当たったら、ビー玉が一つもらえる。はずれたら、一つ取られる。この少年は学校中のビー玉をすべて勝ち取ってしまった。彼の推理には、無論、方針があった。そうしてそれは相手の知性の観察と吟味にあった。たとえば相手が大馬鹿者で、手にビー玉を持って、『偶数か奇数か』と問うとする。彼は『奇数』と答えて負ける。だが二度目の対戦では勝つ。なぜなら彼はこう独語するからだ。『このお馬鹿さんは、第一回目の対戦においては、偶数個のビー玉を保持していた。彼の悪知恵の総量は、第二回目の対戦においては、彼をして奇数個のビー玉を保持せしめるに、ちょうどいい量だろう。だから僕は奇数と答えよう』彼は『奇数』と答える、そして勝つ。次に、もう少し程度が上の馬鹿者と対戦する時、彼はこのように推理する。『このお馬鹿さんは、第一回目の対戦では、僕が奇数と答えるのを見た。そこで第二回目の対戦では、最初の衝動としては、先ほどの馬鹿と同様、偶数から奇数への簡明な変化を、自分自身に提案するだろう。だがそれはあまりにも簡明すぎる変化だと思い直して、結局のところ、第一回目と同様、偶数個を保持することに決めるだろう。だから僕は偶数と答えよう』彼は『偶数』と答える、そして勝つ。さて、彼の学友たちが『まぐれ』と呼ぶこの推理法は、究極の分析では、何と呼べるだろう」
「それはつまり」と私は言った。「彼我の知的レベルの同一化、かな」
「そうだ」とデュパンは言った。「それでその少年に『君の成功がそのうちに存するところのその完全なる同一化は、どのような手段によって成し遂げられたものなのか』と問うたところ、こんな回答を得た。いわく『相手の賢愚、あるいは相手の人の良し悪し、あるいは相手が今何を考えているのかを知りたい時には、私は自分の顔の表情を、相手の顔の表情に、できるだけ合わせます。その上で、これに一致、あるいは照応するような、どんな考えもしくは感情が浮かんでくるか、それがわかるまで待つのです』この少年の回答には、ラ・ロシュフーコーや、ラ・ブリュイエールや、マキャベリや、トマソ・カンパネッラといった人たちのものとされている、あの一見難解なあらゆる推理法の極意がある」
「で、もし私の勘違いでなければ」と私は言った。「その知的レベルの同一化がうまく行くかどうかは、もっぱらそのレベルの吟味の正確さ次第だね」
「実用的な価値は、そこにかかってくる」とデュパンは答えた。「そうして警視総監とその一味があれほどしばしば失敗するのは、第一に、この同一化を怠っているから。第二に、敵の知的レベルの吟味の仕方が甘いから、というよりもむしろ、全然吟味しないからなんだ。彼らはみずからの工夫の観念しか頭にない。何か探しものをする時には、彼らなら隠したであろう態様にしか気が回らない。その限りにおいては――すなわち彼らの工夫が、大多数の人々の工夫を如実に代表するものである限りにおいては、彼らは正しい。だが犯人の知性が彼らの知性と異次元のものである場合、彼らは当然しくじる。犯人の知性が高次元のものである場合には常に、低次元のものである場合にも通常、しくじる。彼らの捜査方針には多様性がない。そうして異常な緊急性、あるいは莫大な報酬に駆り立てられた場合には、彼らは方針には一指も触れず、せいぜい彼らの陳腐な実行の態様を、拡大もしくは強化するだけだ。たとえばこのD大臣のケースだが、捜査方針自体は少しも見直されない。穴を刳ったり、針を刺したり、音を立てたり、拡大鏡をのぞき込んだり、建築物のうわっつらを一インチ四方の登録された区画に分割したり――すべては一つの方針、もしくは幾つかの方針の適用を強化しただけのことで、それは警視総監が長年の職務経験を通して慣れ親しんだ人間性に関する見方に基づいている。彼はすべての人間が同じ隠し方をするものだと思っている。すなわち厳密には椅子の脚に刳り抜いた穴でなくても、人をして椅子の脚の内部に刳り抜いた穴の中へと手紙を隠匿せしめる考え方と、まったく同じ考え方から着想されるところの、人目につかない穴やら片隅やらに手紙を隠すのが当たり前だと信じて疑わない。そうしてそのような凝った隠し場所は、実はただ通常の機会にのみ適合するもので、並みのレベルの知性によってのみ採用されるに過ぎない。そうして隠しごとのあらゆるケースにおいて、物の隠し方――このように凝った物の隠し方――というものは、誰の頭にも第一感として浮かぶもので、それの発見が依存しているのは推理ではなく、もっぱら探求者の用心と、忍耐と、決心だけだ。そうして事態が重大である場合――あるいは、これは警察の目には同じことだが、報酬が莫大である場合――には、この用心と、忍耐と、決心という三つの資質は、必ず総動員される。君も今はわかってくれるだろう。盗まれた手紙がもし警視総監の捜査範囲内に隠されていれば――言い換えれば、手紙の隠匿方針が警視総監の捜査方針内で把握可能なものであったならば――必ずや手紙は発見されていただろう、ということを。だが総監は完全に目を眩まされてしまった。そうして彼の敗北の遠因は、大臣は大詩人だから馬鹿に違いない、と思い込んだ点にある。すべての馬鹿は詩人だナー、と警視総監は感じる。そこから彼は一足飛びに『すべての詩人は馬鹿である』との結論を導き出すという、三段論法上の過ちを犯したんだよ」
常識を疑え
「でも本当に詩人なのかい」と私は言った。「D氏は二人兄弟で、二人とも文名がある。大臣の方には確か微分学に関する大著があったはずだ。彼は数学者であって、詩人ではない」
「違う。僕は彼を個人的によく知っている。彼はその両方なんだ。彼は数学者にして詩人なのだ。だからこそ、当を得た推理ができるんだよ。もし彼が単なる数学者に過ぎなかったら、何の推理もできないまま、警視総監の軍門に降るしかなかったろう」
「君のその意見は」と私は言った。「世の通説を覆すものだ。君は何世紀にもわたって広く受容されてきた考え方を否定する気か。数学的推理こそ最高の推理だとの評価は、すでに定着している」
デュパンはシャンフォールを引用しながら答えた。「『社会通念とか一般常識とか呼ばれるものは、すべてデタラメだと思っておいた方がいい。それは多数派に好都合なものだからだ』数学者たちは、君が今言った一般的誤謬を普及させるために全力を尽くしてきたが、たとえそれが真理として普及しようと、誤謬であることに変わりはない。たとえば彼らは要らぬ技巧を弄して『分析』という言葉を代数演算に流用する慣例を作った。フランス人はこの著しい欺瞞の創始者だ。だがもし言葉が重要なものなら――もし言葉というものが適切な使用によって、何らかの価値を発揮できるものなら――『分析』が『代数』ではないことは、ラテン語の『職探し』が英語の『野心』ではなく、『儀式』が『宗教』ではなく、『政党員』が『名士たち』ではないのと同じことだ」
「君は今」と私は言った。「パリの代数学者たちに対して喧嘩を売っているんだね。だが続けたまえ」
「抽象論理以外の形式で培われた推理法の有用性を、そしてその価値を、僕は疑う。とりわけ数学的研究から導き出された推理には、疑念を抱く。数学は形態と数量の学問だ。数学的推理法は、形態と数量に関する考察にのみ適用される論理に過ぎない。いわゆる純粋代数学における真理ですら、これを抽象的真理、あるいは一般的真理と混同するのは大きな誤りだ。そうしてこの誤謬はあまりにも甚だしいものなので、その受容の広汎性に、僕は自分の正気を疑いたくなるほどだ。数学的公理は必ずしも一般的真理ではない。関係に関する正解――形態と数量とに関する正解は、これをたとえば心理に当てはめる場合、しばしばまったく不正解となる。心理を研究する学問においては、部分の総合計は全体と等しくならない方が普通だ。この公理は化学においても通用しない。動機について考える場合もそうだ。それぞれ一定の価値を持つ二つの動機が、一体化して持つ一つの価値は、個々の価値の合計と等しくはならない。関係性の範囲内でしか正しくない数学的真理は他に幾らでもある。だが数学者は習慣上、その有限真理を根拠として、世人の信じるごとく、これをあたかも絶対的に一般的な適用性を持つものであるかのように、論じる。ジェイコブ・ブライアントは名著『古代神話の新体系』の中で、類推から来る誤謬の源泉について語りながら、このように言う。『われわれは異教徒たちの神話など信じていないにもかかわらず、常にそれを忘れ、あたかも実話であるかのごとく、これを思考のよりどころとする』だが異教徒そのものである数学者たちは、『異教徒の神話』を固く信じており、これを思考のよりどころとしてはばからない彼らの蛮行は、健忘のみならず、説明困難な頭脳障害に起因している。とにかく、僕は単なる数学者で、等根以外のことで頼りになる人にも、x2+px は絶対的かつ無条件に q と等しいということを、秘密裏に信仰の一ヶ条としていない人にもお目にかかった覚えがない。もしよかったら、物は試しで、このような先生たちのうちの一人に『x2+px は必ずしも q に等しくはない』 と言ってやってごらん。そうして君の言いたいことを理解させたら、間髪を入れず、相手から距離を取ることだ。君に危害を加えないとも限らないからね」
「僕はわが物差しを彼にぴったりと合わせた」
「少し脱線してしまったが」と、私がまだ笑っているうちに、デュパンは続けた。「僕は、D大臣がただの数学者に過ぎなかったら、警視総監はこの小切手を切らずに済んだろう、という話をしていたのだった。だが彼が数学者にして詩人であることを知っていた僕は、彼を取り巻く諸事情に関して、わが物差しを彼の力量にぴったりと合わせた。また僕は彼が宮廷に仕える身でありながら、とんでもない野心家であることをも知っていた。そのような男が、警察の通常の活動様態に感づかないわけがない。大臣は追い剥ぎに襲われることを予期していた。それは事実によって証明されている。だから彼は秘密裏の家宅捜索をも予期していたに違いない。彼がしょっちゅう夜遊びに出かけて帰らないことを、警視総監は仕事がしやすいと言ってよろこんでいたが、実はそれは警察に徹底的な捜査の機会を提供することで、警視総監が事実、最終的に行き着いた確信――すなわち手紙はあの家には無いのだという確信を、より早く警官たちに植えつけるための作戦に過ぎないのだと、僕は気づいた。のみならず、これまで僕が骨を折ってくどくどと説明してきたような一連の考え――それは要するに、隠された物を探す際の、警察の活動方針に多様性がないという点についてだが――これら一連の考えはすべて、必然的に、大臣の頭をよぎったに違いないと、僕は考えた。それは彼をして否応なく、あらゆる通常の隠し場所を放棄させたはずだ。警視総監の眼光や、探針や、錐や、拡大鏡にとっては、もっとも入り組んだ、もっとも奥深い隠し場所といえども、もっともありふれたクローゼットと同様に丸裸だとわからないほど、彼は馬鹿ではあり得ない。だから熟慮はせずとも、当然の帰結として、彼は簡明性に行き着いたろうと、僕は結論を下した。最初の相談の際、『その謎はあまりにも簡明すぎて解けないのではないか』という僕の問いに、警視総監がどんなに抱腹絶倒したか、君は覚えているだろうか」
「覚えているよ」と私は言った。「よく笑っていたね。警視総監は引きつけを起こすのではないかと思った」
「隠さない」という隠し方
「物質界には」とデュパンは続けた。「精神界との類似点がたくさんある。直喩にしろ隠喩にしろ、およそ物の喩えというものが、単なる文飾ではなく、議論の根拠にもなり得るという修辞学の教えが真実味を帯びるのはそのためだ。たとえば物理の世界における慣性と厳密に同等なものが、心理の世界にも存在する。大きな物体を動かすことは、小さな物体を動かすことよりも困難だが、動き出したその物体の運動量は、この困難さに比例する。同様に、大きな力量に恵まれた知性は、いったん活動状態に入ると、強力で、不変で、重大な結果をもたらすものだが、動き出すまでが大変で、最初のとっかかりに通常の知性よりも困難を要する。さらなる一例として、君は路傍に立ちならぶ店の看板のうち、どんなものが一番人目を惹くか、考えたことがあるか」
「考えたことないね」と私は答えた。
「地図を使って遊ぶ判じ物のゲームがある」と彼は続けた。「一方のチームが相手チームに、ごちゃごちゃした、ややこしい地図の上から、与えられた言葉を探し出すよう求める。それはたとえば街の名や、川の名や、州の名や、国の名や――要するに、ありとあらゆる言葉だ。初心者は、敵を困らせようとして、もっとも小さな文字で書きこまれた名を選ぶ。だが上級者は、地図の両端にわたって巨大な文字で堂々と書き出されている言葉を選ぶ。そのような言葉は、あまりにも大きな文字で書かれた看板やポスターのように、かえって目立たない。この物理的な錯覚と厳密に相似的な現象が、心理の世界においても見られる。すなわち精神は、あまりにも自明で、当たり前で、わかりきった諸問題については、それらが気付かれずに通過することを黙認するのだ。だがこのような視点は、警視総監の知的レベルよりも少し上か、少し下のものであるらしい。D大臣は全世界の視線を躱そうとして、全世界の鼻の真下に手紙を置いたのだ、などとは、彼は少しも考えなかった。
「だが僕は、考えれば考えるほど確信を深めた。すなわちDの異次元の才覚や、手紙は常に彼の手もとになければならないという事実、さらには手紙が通常の捜索範囲内には隠されていないという警視総監が入手した決定的な証拠。これらを併せ考えれば考えるほど、僕は大臣が手紙をまったく隠さないことで隠すという大英断を下したに違いないとの思いを、いよいよ強くした」