魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙(The Purloined Letter)」(2/4)

1809年2月13日付のアメリカの小切手。支払人・受取人ともに「トーマス・ジェファーソン」と署名されている。ウィキメディア・コモンズより。

脱兎のごとく

約一ヶ月後、警視総監がふたたび現れた時、私とデュパンとはほとんど同じ状態で過ごしていた。彼はパイプと椅子を確保すると、雑談を始めた。遂に私が言った――
「ところで警視総監、例の盗まれた手紙の件はどうなりました。D大臣にはとても太刀打ちできないと悟って、観念なさったんでしょう」
「ええ、いまいましいが、その通りです。デュパン君のご提案に従って、再捜索を行ないましたが、思った通り、何も出なかった」
「報酬は幾らでしたっけ」とデュパンがたずねた。
「莫大です。大変な額ですよ。正確な金額は申し上げられないが――ただ一つ言えることは、俺に代わってこの手紙を手に入れてくれた人に対しては、俺は謝礼として、五万フランの私財を投ずることさえいとわない、ということです。実を言うと、あの手紙の重要性は日に日に増しており、報酬は最近二倍になったのです。にもかかわらず、たとえ三倍になったところで、俺にはもう打つ手がない」
「あのねえ、警視総監」デュパンは海泡石のパイプを吹かしながら、ゆっくりと言った。「あなたはこの件について、まだ本気を出していないのではないかな。もう少しだけ頑張って下さいよ、ね」
「何を? どうやって?」
「あのね――えへん、えへん――あなたは人様から知恵を借りるのに――えへん、えへん――少しお金をかけてみようとは思わないのかな――えへん、えへん、えへん。ジョン・アバーネシーという名医の話はご存じですか」
「知らんね。くだらんことを」

ジョン・アバーネシー(1764 – 1831)はイギリスの外科医。トーマス・ローレンス作の肖像画によるエッチングウィキメディア・コモンズより。

「いやほんと、くだらない話をして、申し訳ない。ただね、ある時、ある大金持ちの守銭奴が、このアバーネシーにタダでてもらおうとしたんですよ。そのような下心のもとに、彼はある私的な会合で、この名医と世間話を始め、これに織り交ぜる形で、ある架空の患者の症例として、自分自身の症例の話をしたのです。
『この患者の症状はかくかくしかじかでした』と守銭奴は言った。『さて、先生ならこの患者にどのような指示を出されますか』
『無論』とアバーネシーは答えた。『医者にかかるよう、指示しますよ』」
デュパン君」と少しムッとした様子の警視総監が言った。「俺は専門家のアドバイスよろこんで聞くし、謝礼もする。この件に関して力を貸してくれた人には誰にでも、五万フランを進呈したいと、俺は本気で言っているのだ」
「そういうことであれば」とデュパンは答えると、抽斗ひきだしを開けて、小切手帳を取り出した。「今おっしゃった金額の小切手を切って下さいますか。サインをしてくれたら、手紙を渡すから」
私は驚いた。警視総監はまさに驚愕のていであった。しばらくの間、彼はデュパンの顔を、物も言わず、身じろぎもせず、口をあんぐりと開けたまま、とても信じられないといった様子で見つめていたが、彼の眼球は眼窩から今にも脱出せんとしているかに見えた。それから、幾分落ち着いたかのようなふりをして、ペンを取ると、何度も手を止め、ぼんやりと虚空を見つめたりしながら、とうとう五万フランの小切手を切り終えてサインをし、それをテーブル越しにデュパンに手渡した。デュパンはそれを用心深くあらためてから札入れに入れると、ある書き物机エスクリトワールの鍵を開けて一通の手紙を取り出し、警視総監に差し出した。感極まった様子の警視総監はそれを鷲づかみにし、震える手でそれを開いて、中身にすばやく一瞥いちべつを投げると、ドアへ向かって四苦八苦ストラッグルしながら緊急発進スクランブル、感謝の言葉もお別れの挨拶もないまま、その部屋から、果てはその家から、脱兎だっとのごとく飛び出して行ってしまった。デュパンに小切手を求められてからというもの、ひとことも口を利かないのだった。