魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「死の中の生(Life In Death)」&「楕円形の肖像画(The Oval Portrait)」

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ウジェーヌ・ドラクロワ「アルジェの女たち」。中央にシーシャが描かれている。ウィキメディア・コモンズより。

シーシャに関する注意

エドガー・アラン・ポーの短編小説「楕円形の肖像画」(1845年)を、その初出形とおぼしき「死の中の生」(1842年)とセットで、拙訳にてお楽しみいただきたいと思います。ちなみにこの「死の中の生」と題された短編には、冒頭、シーシャ(=「フーカー」「水たばこ」)に関するかなり詳しい記述が出てきます。シーシャは現在、日本において流行の兆しを見せておりますが、一般的な紙巻きたばこ同様、健康に有害です。いわんやここでポーが描写しているような麻薬の成分を混合した喫煙の仕方は、今の日本においては完全に違法であり、処罰の対象となりますので、これを読まれた方はくれぐれも真似をしないようお願いします。なお、最後までお読みいただければおわかりのように、ポー自身はこれをのちに「楕円形の肖像画」と改題して『ブロードウェイ・ジャーナル』紙に再発表した際、シーシャとアヘンに関する記述をすべて削除しております。それではどうぞ。

「死の中の生(Life In Death)」*1

「彼は生きており、沈黙の掟を遵守しなければ、口を利くだろう」
(イタリアの画家による聖ブルーノの絵の下に添えられていた碑文)

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アンソニー・ヴァン・ダイク「聖ブルーノ」。ウィキメディア・コモンズより。

俺の高熱は続いていた。この荒涼たるアペニン地方において、可能な限りの治療法はすべて失敗に帰していた。この人里離れた城館シャトーにおける俺の従者にして唯一の同行者は、あまりにも小心ナーバスであると同時にあまりにも不器用で、瀉血しゃけつを敢行してもらうわけにもいかず、また実のところ、俺は先刻山賊どもとの小競り合いで大量に出血したばかりなのだった。また助けを求めるために、彼に俺を置いて行かせることも危険だった。俺はようやく、フーカー・ケースの中に、一包の生アヘンが煙草の葉と一緒に入っているのを思い出した。と言うのはコンスタンチノープルで、俺は煙草にアヘンを混ぜたものを常習していたからである。ペドロが俺にケースを手渡した。俺は麻薬を探し当てた。しかし、いざ生アヘンの一部を分割する段になって、俺は必然的にはたと思い迷った。これを煙にして吸引する場合、分量に注意する必要はない。俺は普通、細かく刻んだ煙草の葉とアヘン末とを、半々の割合でむらなく混ぜ合わせたもので、フーカーの燃焼皿ボウルの半分ほどを埋めていた。このブレンド法では、満喫しても何の効果もないこともあった。だが時には三分の二も吸わないうちに、すでにきざしていた精神錯乱の症状が、俺に思いとどまるよう警告することもあった。とは言え効果の進行はきわめて漸進的で、危険な耽溺に陥る心配は全くなかった。しかし今回は訳が違う。俺には生アヘンを経口で摂取した経験は無かった。アヘンチンキやモルヒネなら、折に触れて使用していたから、ためらう理由はなかった。しかし人が生アヘンを服用しているのは見たことがなかった。その適切な使用量について、ペドロが俺以上に詳しいわけもなかった。残念な緊急性から、俺はすべてを推測に頼るしかなかった。俺が少しずつ試すことにしたのは、その時はそれほど不快感に悩まされていなかったからである。俺はまず、ごく少量を摂ることにした。もしこれが効かなければ、さらにごく少量を摂る。こうして熱が下がるか、あるいはその時点で喫緊に必要だった睡眠が取れればよかったので、この睡眠不足がここ一週間以上にわたる俺のめまいやふらつきの原因だった。そうしてこのめまいやふらつき――俺をうから苦しめていたこのけだるい混迷状態こそが、俺に過ちを気づかせず、俺にあらかじめ定められた比較の基準なくして量の多少を判断することの愚かしさを失念させた本当の原因なのであった。その時の俺の頭には、生アヘンのきわめて小さなひとかけらと見えるものが、実は適量をはるかに超えた過剰なものかも知れない、などという考えは、ついぞ浮かばなかった。それどころか、俺はその時所持していた一塊の生アヘンの全体量に照らして、自信を持って判断を下したことを今でもよく覚えている。結局、俺が経口摂取した生アヘンは、俺がその時手にしていた塊のうちのごく小さな一部分で、俺はそれを何の心配もなしに口にしたのだった。

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シーシャ(=「フーカー」)の構造図。JTの公式ウェブサイトより。

俺の体調がはなはだ思わしくなかったので、戸外で一夜を明かすよりはと、ペドロが強引に押し入ったその城館シャトーは、ラドクリフ夫人のゴシック・ロマンスに登場する古城もかくやと思われるような、かのアペニン山脈中に何世紀も前から聳立しょうりつしている、荘厳にして陰鬱なる幻想的な大建築群のうちの一つであった。どう見ても、そこにはごく最近まで人が住んでいて、ただ一時的に留守になっているだけだった。来る日も来る日も俺たちはそこの住人一家が戻るのを待っていたが、俺のこのたびの災難は、彼らの帰宅の際、不法侵入の充分な言い訳となるはずであった。一方、この不法侵入であまり迷惑がかからないよう、俺たちはこの邸宅マンション中、最も小さく、最も家具の少ない部屋の一つを選んで、そこに腰を落ちつけた。それはこの城館シャトーの端に突き出している小塔タレットの中にあった。その部屋の装飾は豪華ではあったが、古びて傷んでいた。四方の壁はタペストリーで覆われ、紋章の入った多種多様な戦勝記念品トロフィーの他に、立派な金色こんじきアラベスク・パターンの額縁フレームに入った無数の生き生きとした近代絵画モダン・ペインティングで飾られていた。これらの絵は、単に壁の正面だけでなく、この城館シャトーの奇妙な建築の構造上、設けざるを得なかった奥まった箇所ヌックの数々にも掛かっていたが――これらの絵に、おそらく正気を失いかけていた俺の心は、強く惹き付けられた。そこで、上に書いたように、すでに生アヘンを経口摂取していた俺はペドロに命じて、まず(もう日が傾いていたので)部屋の重い雨戸シャッターを閉めさせ――次に俺の寝台の枕もとの丈の高い蠟燭立てに火をともさせ――最後に寝台を取り巻いている縁飾りのついた黒いビロードのカーテンを広く開放させた。これだけのことをやっておきたかったのは、たとえ眠れなくても、絵画鑑賞と、枕もとにあった小さな本の熟読とを代わる代わる行なうことで、今はよしとしようと思ったからだ。その本は絵の批評や解説を旨としたものだった。
長時間、本を読み、魅入られたように絵を見つめ続けた。その一方で、俺は麻薬による快感が俺の思考力をむしばむのを感じていた。額縁フレームの豪華絢爛と多種多様――キャンヴァスから放射されるこの世のものならぬ色彩――今読んでいる本の滅法な面白さ――俺はこれらのものがすべて魔術的な力によって増幅されているのを感じていた。しかしこの意識は、幻覚イリュージョンそのものは緩和しても、幻覚イリュージョンによる感興はむしろ強化するのだった。輝かしい時間は速やかに過ぎ、夜も更けた。蠟燭立ての位置が気に食わず、かと言ってペドロを起こすのも不憫だったので、俺は難儀して片手を伸ばし、光線がもっと十分に本に当たる位置へと蠟燭立てを移動した。
ところが、この動作が全く予期せぬ結果をもたらした。あまたの燭光(蠟燭立てに蠟燭がもともとたくさん付いていたから)が、これまで四本の寝台の柱ベッド・ポストのうちの一本のかげに隠れていた壁龕ニッチを照らし出した。こうしてそれまで全く気付かなかった一枚の絵が、燦然たる光のうちに現れた。それは今まさに開花せんとする年頃の少女の肖像画ポートレートだった。俺はその絵をちらりと見るや、慌てて目を閉じた。何でそんなことをしたのか、初めは自分でもわからなかった。とは言え、そうして目を閉じたまま、俺はそのわけを自問自答した。それは考える時間を稼ぐための――俺の錯覚でないことを確かめるための――はやる心を抑え、もっと冷めた目で、もっと確かな視線で対象を捉えるための、衝動的な動作だった。しばらくして、俺はふたたびその絵をしっかりと見据えた。
俺が今この絵を正視していることは確かだった。なぜならキャンヴァスに対する燭光の最初の一閃が、俺の五感に忍び寄っていた眠気を吹き飛ばし、あたかもガルバニ電池によるショックのごとく、俺を覚醒させたかに思われたからである。

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トマス・サリー「妻を描く画家の肖像」。ウィキメディア・コモンズより。

その肖像画ポートレートは、すでに言った通り、一人の少女を描いたものだった。描かれていたのは肩から上だけで、専門的にはヴィネットと呼ばれる手法に拠り、トマス・サリーが好んで描くものによく似ていた。腕と、胸と、長い金髪の先とは絵全体の背景バック・グラウンドを形成するぼんやりとした深い闇の中へ、わからないうちに溶け込んでいた。額縁フレームは楕円形で、絢爛たる、と言うより常軌を逸した金色きんいろで、精巧な細工が施されていた。芸術作品として、その絵ほど素晴らしいものはなかった。少女の顔の美しさは伝説の天女フーリーをも凌ぐほどだった。しかしこの俺をかくも突然、かくも激しく動かしたのは、その作品の出来栄えでも、その顔の不滅の美でもなかった。何よりもまず、なかば寝ぼけていた俺の目が、これを生きた人間の顔と見間違えたせいでもあり得なかった。その絵の趣向デザインや、周辺部のぼかしヴィネッティングや、額縁フレームなどの諸特徴が、そのような考えをただちに払拭し、そのような瞬間的な思い込みエンタテイメントを阻むに違いないことは、すぐにわかった。俺はその肖像画ポートレートを見つめたまま、なかば座り、なかば横になった姿勢で、おそらくは数時間の間、これらの点について熟考していたが、遂には謎が解けた気がして、寝台の上に仰向けになった。俺は自分をまずぎょっとさせ、果ては狼狽させ、屈服させ、唖然とさせたその絵の魔力が、その表現の完全無欠な生きているみたい感ライフ・ライクリネスにあることに、ようやく気づいたのだ。俺はそれ以上、彼女の半ば開いた唇に浮かぶ物悲しげで意味ありげな微笑みや、その爛々たる瞳のあまりにも生々しい輝きに耐えられなかった。深甚なる畏敬の念をもって、俺は蠟燭立てを元の位置に戻した。こうして自分の激しい興奮の由って来たるところのものが視界から消え去ると、俺は絵画とその履歴とを記した例の本を懸命に探した。そうして件の肖像画ポートレートに該当する番号のページをひらき、以下のような漠然とした、奇妙な文を読んだ。
「彼女は稀に見る美少女で、姿ばかりでなく心も美しかった。彼女が画家と出会い、画家に恋し、画家の花嫁となった時間こそ呪われた時間だった。画家は激しやすく、凝り性の頑固者で、すでに彼の『芸術アート』と結婚していた。彼女は稀に見る美少女で、姿ばかりでなく心も美しかった。すべてのものをいつくしんだ。ただ彼女の恋敵ライヴァルであるところの『芸術アート』だけが嫌いだった。パレットや絵筆など、彼をして彼女に対する関心を失わしめるもろもろの忌々いまいましい道具だけをたいそう憎んでいた。それゆえ夫から『君の肖像を描きたい』と言われた時、この姫君はぞっとした。しかし彼女は控え目で従順な女性であり、頭上から差し込むわずかな日ざしが白いキャンヴァスを照らしているだけの城の頂きに近い小塔タレットの中の暗い部屋で、長時間神妙に座っていた。ところが画家はすっかり気をよくして、その制作は何時間も、何日もかかるようになった。そうして彼は激しやすく、気難しい野人であり、夢想家でもあった。それで彼はその孤立した小塔タレットに差し込んでくる乏しい日ざしが彼の花嫁の健康を損ねているのを見ようともせず、彼以外の誰の目にも彼女の衰弱は明らかだった。しかし彼女は愚痴の一つもこぼさず、なおも微笑み続け、それは(高い評価を受けていた)その画家がその仕事に大変なやりがいを覚え、彼の愛を独占したいと願っていた彼女を美しく描き上げることに寝食を忘れて取り組んでいたからであったが、とは言え彼女は日に日にやつれていった。そして事実、この肖像画ポートレートを見た者は、あたかも大きな驚きに打たれたかのごとく『そっくりだ』と呟き、この絵は画家の力量のみならず、かくも見事に描かれた少女に対する彼の深い愛情のあかしでもあると語るのだった。しかしながら作品が完成に近づくにつれ、その小塔タレットには遂に何ぴとの立ち入りも許されなくなった。なぜなら画家は仕事に打ち込むあまり気が変になり、その顔をキャンヴァスに向けたまま、彼の新妻の顔色を気遣うこともしなくなったからである。そして彼は自分がキャンヴァスに塗り付けているその色が、実は自分のかたわらに腰かけている少女の頬から吸い取られたものであることに気付こうともしなかった。そうして日々は流れ、いよいよ画竜点睛、あとはただその唇の上に一筆と、瞳の上に一色を配するのみとなった時、この姫君の命の炎は、風前の灯のごとく、ふたたびめらめらと燃え上がった。そして一筆が加えられ、一色が配された。そして一瞬、画家は完成した作品を前に、恍惚とたたずんでいた。だがしばらくすると、目はなおも絵に釘付けのまま、がたがたと震え出し、真っ青な顔をして、『これこそ生命いのちそのものだ』と叫んだ。次の瞬間、愛する妻の方へと振り返ると彼女は死んでいたので、『ではなくて、実は死なのか?』と画家は付け加えた」

「楕円形の肖像画(The Oval Portrait)」*2

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アーサー・ラッカム「楕円形の肖像画」。ウィキメディア・コモンズより。

俺の体調がはなはだ思わしくなかったので、戸外で一夜を明かすよりはと、わが従僕が強引に押し入ったその城館シャトーは、ラドクリフ夫人のゴシック・ロマンスに登場する古城もかくやと思われるような、かのアペニン山脈中に何世紀も前から聳立しょうりつしている、荘厳にして陰鬱なる大建築群のうちの一つであった。どう見ても、そこにはごく最近まで人が住んでいて、ただ一時的に留守になっているだけだった。俺たちはこの邸宅マンション中、最も小さく、最も家具の少ない部屋の一つを選んで、そこに腰を落ちつけた。それはこの城館シャトーの端に突き出している小塔タレットの中にあった。その部屋の装飾は豪華ではあったが、古びて傷んでいた。四方の壁はタペストリーで覆われ、紋章の入った多種多様な戦勝記念品トロフィーの他に、立派な金色こんじきアラベスク・パターンの額縁フレームに入った無数の生き生きとした近代絵画モダン・ペインティングで飾られていた。これらの絵は、単に壁の正面だけでなく、この城館シャトーの奇妙な建築の構造上、設けざるを得なかった奥まった箇所ヌックの数々にも掛かっていたが――これらの絵に、おそらく正気を失いかけていた俺の心は、強く惹き付けられた。そこで俺はペドロに命じて、まず――すでに日が傾いていたので――部屋の重い雨戸シャッターを閉めさせ、次に俺の寝台の枕もとの丈の高い蠟燭立てに火をともさせ――最後に寝台を取り巻いている縁飾りのついた黒いビロードのカーテンを広く開放させた。これだけのことをやっておきたかったのは、たとえ眠れなくても、絵画鑑賞と、枕もとにあった小さな本の熟読とを代わる代わる行なうことで、今はよしとしようと思ったからだ。その本は絵の批評や解説を旨としたものだった。
長時間、本を読み、魅入られたように絵を見つめ続けた。輝かしい時間は速やかに過ぎ、夜も更けた。蠟燭立ての位置が気に食わず、かと言って従僕を起こすのも不憫だったので、俺は難儀して片手を伸ばし、光線がもっと十分に本に当たる位置へと蠟燭立てを移動した。
ところが、この動作が全く予期せぬ結果をもたらした。あまたの燭光(蠟燭立てに蠟燭がもともとたくさん付いていたから)が、これまで四本の寝台の柱ベッド・ポストのうちの一本のかげに隠れていた壁龕ニッチを照らし出した。こうしてそれまで全く気付かなかった一枚の絵が、燦然たる光のうちに現れた。それは今まさに開花せんとする年頃の少女の肖像画ポートレートだった。俺はその絵をちらりと見るや、慌てて目を閉じた。何でそんなことをしたのか、初めは自分でもわからなかった。とは言え、そうして目を閉じたまま、俺はそのわけを自問自答した。それは考える時間を稼ぐための――俺の錯覚でないことを確かめるための――はやる心を抑え、もっと冷めた目で、もっと確かな視線で対象を捉えるための、衝動的な動作だった。しばらくして、俺はふたたびその絵をしっかりと見据えた。
俺が今この絵を正視していることは確かだった。なぜならキャンヴァスに対する燭光の最初の一閃が、俺の五感に忍び寄っていた眠気を吹き飛ばし、俺を覚醒させたかに思われたからである。
その肖像画ポートレートは、すでに言った通り、一人の少女を描いたものだった。描かれていたのは肩から上だけで、専門的にはヴィネットと呼ばれる手法に拠り、トマス・サリーが好んで描くものによく似ていた。腕と、胸と、長い金髪の先とは絵全体の背景バック・グラウンドを形成するぼんやりとした深い闇の中へ、わからないうちに溶け込んでいた。額縁フレームは楕円形で、金色こんじきに輝き、モレスク・パターンの精巧な細工が施されていた。芸術作品として、その絵ほど素晴らしいものはなかった。とは言えこの俺をかくも突然、かくも激しく動かしたのは、その作品の出来栄えでも、その顔の不滅の美でもなかった。何よりもまず、なかば寝ぼけていた俺の目が、これを生きた人間の顔と見間違えたせいでもあり得なかった。その絵の趣向デザインや、周辺部のぼかしヴィネッティングや、額縁フレームなどの諸特徴が、そのような考えをただちに払拭し、そのような瞬間的な思い込みエンタテイメントを阻むに違いないことは、すぐにわかった。俺はその肖像画ポートレートを見つめたまま、なかば座り、なかば横になった姿勢で、おそらくは数時間の間、これらの点について熟考していたが、遂には謎が解けた気がして、寝台の上に仰向けになった。俺は自分をまずぎょっとさせ、果ては狼狽させ、屈服させ、唖然とさせたその絵の魔力が、その表現の完全無欠な生きているみたい感ライフ・ライクリネスにあることに、ようやく気づいたのだ。深甚なる畏敬の念をもって、俺は蠟燭立てを元の位置に戻した。こうして自分の激しい興奮の由って来たるところのものが視界から消え去ると、俺は絵画とその履歴とを記した例の本を懸命に探した。そうして件の肖像画ポートレートに該当する番号のページをひらき、以下のような漠然とした、奇妙な文を読んだ。
「彼女は稀に見る美少女で、姿ばかりでなく心も美しかった。彼女が画家と出会い、画家に恋し、画家の花嫁となった時間こそ呪われた時間だった。画家は激しやすく、凝り性の頑固者で、すでに彼の『芸術アート』と結婚していた。彼女は稀に見る美少女で、姿ばかりでなく心も美しかった。光と微笑みに満ち、子鹿のごとく戯れた。すべてのものをいつくしんだ。ただ彼女の恋敵ライヴァルであるところの『芸術アート』だけが嫌いだった。パレットや絵筆など、彼をして彼女に対する関心を失わしめるもろもろの忌々いまいましい道具だけをたいそう憎んでいた。それゆえ夫から『君の肖像を描きたい』と言われた時、この姫君はぞっとした。しかし彼女は控え目で従順な女性であり、頭上から差し込むわずかな日ざしが白いキャンヴァスを照らしているだけの城の頂きに近い小塔タレットの中の暗い部屋で、長時間神妙に座っていた。ところが画家はすっかり気をよくして、その制作は何時間も、何日もかかるようになった。そうして彼は激しやすく、気難しい野人であり、夢想家でもあった。それで彼はその孤立した小塔タレットに差し込んでくる乏しい日ざしが彼の花嫁の健康を損ねているのを見ようともせず、彼以外の誰の目にも彼女の衰弱は明らかだった。しかし彼女は愚痴の一つもこぼさず、なおも微笑み続け、それは(高い評価を受けていた)その画家がその仕事に大変なやりがいを覚え、彼の愛を独占したいと願っていた彼女を美しく描き上げることに寝食を忘れて取り組んでいたからであったが、とは言え彼女は日に日にやつれていった。そして事実、この肖像画ポートレートを見た者は、あたかも大きな驚きに打たれたかのごとく『そっくりだ』と呟き、この絵は画家の力量のみならず、かくも見事に描かれた少女に対する彼の深い愛情のあかしでもあると語るのだった。しかしながら作品が完成に近づくにつれ、その小塔タレットには遂に何ぴとの立ち入りも許されなくなった。なぜなら画家は仕事に打ち込むあまり気が変になり、その顔をキャンヴァスに向けたまま、彼の新妻の顔色を気遣うこともしなくなったからである。そして彼は自分がキャンヴァスに塗り付けているその色が、実は自分のかたわらに腰かけている少女の頬から吸い取られたものであることに気付こうともしなかった。そうして日々は流れ、いよいよ画竜点睛、あとはただその唇の上に一筆と、瞳の上に一色を配するのみとなった時、この姫君の命の炎は、風前の灯のごとく、ふたたびめらめらと燃え上がった。そして一筆が加えられ、一色が配された。そして一瞬、画家は完成した作品を前に、恍惚とたたずんでいた。だがしばらくすると、目はなおも絵に釘付けのまま、がたがたと震え出し、真っ青な顔をして、『生きているとしか思えない』と叫んだ。次の瞬間、愛する妻の方へと振り返ると彼女は死んでいた!

*1:『グラハムズ・マガジン』1842年4月号の載するところ。

*2:グリスウォルド編『エドガー・アラン・ポー後期作品集』第一巻(1850年)のヴァージョンに拠る。