
捜査範囲の拡大
「今は別の考察に没頭しなければならない。身元確認の問題は、むろん、ただちに解決されたか、されたはずだ。だが他にも確認すべき点がいくつあった。死体に盗難の被害の跡はなかったか。被害者は家を出る際、何か宝石類を身に着けてはいなかったか。身に着けていたなら、見つかった際にも、まだ身に着けていただろうか。これらは証言がまったく触れていない重要問題だ。同程度に重要で、しかも注意を払われていない問題が、他にもある。僕らは内々の調査で、これらを解決しなければならない。サン・トゥスターシュのケースは、洗い直さなければならない。僕は彼は犯人ではないと思う。だが方法にしたがって進もう。僕らは日曜日の彼の居場所について、宣誓供述書をとことん確認しよう。この種の供述書は、よく目眩ましに使われるからだ。だがもし何も怪しいところがなかったら、僕らはサン・トゥスターシュを捜査の対象から外そう。彼の自殺は、供述書に偽りが見つかれば、容疑の裏付けとなるけれども、何の偽りもなければ、別に不思議でも何でもなく、むしろ僕らを分析の本筋から脱線させる要因となる。
「僕らはここで、この事件の内面ばかり見るのを止めて、その周辺に注目しよう。直近の事実にのみ捜査を限定すること、そして一見何の関係もない、付随的な事実を無視すること、それは実によくある過ちだ。明白な関連性の圏内に、証言と議論とを閉じ込めるのは、法廷の悪習慣だ。だが経験が教えるところ、真の哲学が常に説くであろうところによれば、真理のより大きな部分は、一見まったく無関係なところから現れる。この原理の言葉通りではなくても、この原理の精神にのっとって、近代科学は予見できないものをも計算しよう、と心に期してきた。と言っても、これだけでは僕の言う意味がわからないよね。人知の歴史は、われわれが無数の価値ある発見について、主要でない、二次的な、偶然の出来事の世話になっている、という事実を、あまりにもしばしば示してきた。今や進歩のあらゆる将来的展望において、偶然によって生まれ、通常の期待の範囲をはるかに凌駕する、そんなもろもろの発明に対するもっとも広い容認が、必要とされるに到ったのだ。過去の事例を、あるべき姿の基礎とするのは、もはや理にかなっていない。偶発事は、基礎の一部として認められている。われわれは偶然を徹底的な計算の対象とする。われわれは意外なもの、想像のつかないものを、すべて学校数学の公式に従属させる。
「繰り返して言うが、すべての真理のより大きな部分は、無縁に見えるところから現れる。僕はもっぱらこの原理の精神にしたがって、これまでに踏査はしたものの、収穫のなかった捜査対象の土壌から、これを取り巻く同時期の諸状況へと、捜査範囲を拡大したい。君が宣誓供述書の有効性を確認している間に、僕は、君がこれまでに当たってくれたところよりも、もっと広範囲にわたって新聞記事を当たってみよう。これまで僕らは現に行なわれている捜査ばかりを追ってきた。だが僕がいま言ったような、公の報道の広範な調査を実施すれば、捜査の方向性を確立してくれそうな、何か小さな事実が見つかるかも知れない」
新聞の抜粋を収集
デュパンに言われた通り、私は供述書の件を慎重に調べた。その結果、供述に間違いはなく、サン・トゥスターシュは無実だとの確信が得られた。その間、デュパンはさまざまな新聞のファイルを、私には無目的に見えた綿密さで、吟味することに没頭していた。一週間後、彼は私の前に以下の抜粋をならべた。
「三年半ほど前*1、今回の騒動とまったく同じ騒動が起こった。すなわちこの同じマリー・ロジェが、パレ・ロワイアルにあるルブラン氏の香水店から姿を消したのである。だが一週間後、彼女はいつものカウンターにひょっこり姿を現した。顔色の少し悪いところが、必ずしも普段通りではなかったが、それ以外は以前と変わらなかった。ルブラン氏もマリーの母親も、マリーは田舎の友人を訪問していただけだ、と言った。それで騒ぎはたちまち収まった。われわれは今回の失踪も同様の気まぐれで、一週間後、あるいは一ヶ月後には、彼女は帰ってくると考えている」――『夕刊新聞』六月二十三日(月)。
「昨日の一夕刊紙が、ロジェ嬢のかつての不思議な失踪に触れている。ルブラン氏の香水店から行方をくらましていた一週間の間、彼女が好色で有名な、ある若い海軍士官とともにいたことは、よく知られている。幸い、仲違いして、彼女は帰ってきたのだと思われる。われわれは、目下パリに駐留しているこの女たらしの実名を知っているが、明白な理由から、公表を差し控える」――『ル・メルキューリ』紙、六月二十四日(火)朝。
「一昨日、この街の近くで、最も卑劣な性質の暴力行為があった。夫婦と娘一人の家族連れが、黄昏時、六人の若い男たちにお金を払って、彼らのボートでセーヌ川の対岸まで渡してもらった。この若者たちは川岸近くを、あちらへ漕いだり、こちらへ漕いだりして、暇をつぶしていたのだった。川を渡って、向こう岸に降り立った家族連れは、若者たちと別れて、ボートが見えなくなるところまで進んだ。その時、娘さんが、ボートの中にパラソルを忘れたことに気づいた。彼女は引き返して、この一味に捕まり、船に乗せられて水上に連れ出され、猿ぐつわを噛まされた上で暴行を加えられ、最終的に、彼女がはじめ両親とともにボートに乗り込んだ地点から、それほど離れていない岸辺へと連れて行かれた。その後、悪漢どもは逃亡した。だが警察が行方を追っており、そのうちの何人かはすぐに捕まるだろう」――『朝刊新聞』六月二十五日。
「われわれは最近の凶行について、これをムネ氏*2の犯行と決めつける内容の一、二の投書を受け取った。,だがムネ氏は取り調べの結果、潔白が証明されており、また投書の内容が思慮深いというよりは過激に思われるため、これを公表することは当を得ないと考える」――『朝刊新聞』六月二十八日。
「われわれは、明らかに様々な筋から、真剣に書かれた数通の投書を受け取った。その内容は、あのかわいそうなマリー・ロジェが、日曜日、パリの近辺にたむろしている数限りない悪党の一味のうちの一つの犠牲となったことに、もはや疑いの余地はないとするものである。われわれとしても、これに断然賛成である。われわれは今後努めて紙面を割いて、これらの議論を掲載したいと考えている」――『夕刊新聞』六月三十一日(火)。*3
「月曜日、税務署関係の船乗りの一人が、空のボートがセーヌ川を漂っているのを見つけた。帆は外されて、船底にあった。船乗りはこれを牽引して船舶事務所に運んだ。翌朝、このボートは、職員たちの知らないうちに無くなっていた。舵は事務所に残されたままだった」――『ル・ディリジャンス』紙、六月二十六日(木)。
以上のさまざまな抜粋を見ても、私にはそれがばらばらで、つながりがないように見えたばかりではなく、そのうちのどれを取っても、それが今の事件と何の関係があるのか、さっぱりわからなかった。私はデュパンの説明を待った。