魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(抄訳)エドガー・アラン・ポー「マリー・ロジェの謎(The Mystery of Marie Roget)」(その七)

アシル・ドゥヴェリア『グリゼットの起床』ウィキメディア・コモンズより。

『ル・コンメルシェル』紙の意見

「それでは」と私は尋ねた。「『ル・コンメルシェル』紙の意見はどう思うか」
「『ル・コンメルシェル』紙の意見は、大体において、これまで発表されたどの意見よりも注目に値すると思う。その演繹には哲学的で鋭いものがある。ただその演繹の前提は、少なくとも二つの例で、誤った見方に基づいている。『ル・コンメルシェル』は、マリーが母親の家の近くで、一味ギャングに拉致された、と想定しているようだ。いわく『この少女ほどの超有名人が、誰の目にも触れることなく、三つの区画ブロックを通過するなどということはあり得ない』これはパリに長く住んでいる公人で、おおむね官公庁の近辺ばかりを日々歩き回っている人の意見だ。彼は彼自身庁舎ビューローから、半径十二区画ブロックの範囲内を、誰にも見られたり、声をかけられたりすることなしに通過することは、滅多にない。どの程度の数の人々と相識であるかを知っている彼は、その知名度をくだんの香水店の売り子のものと比較して、大差はないと考え、それで彼女もまた、外を歩けば必ず誰かの目に留まるはずだという結論に、ただちにたどり着いた。この結論が成り立つのは、彼女の歩行が一定かつ計画的メソドリカルな性質の歩行で、彼自身の歩行と同様、同じ種類の限定された地域内のものである場合のみだ。彼は狭い世間の中を、一定の間隔インターバルをおいて、行ったり来たりするので、そこには彼の職業と切っても切れない性質の関心を通して、彼の姿パーソンを認める人々が満ちあふれている。だがマリーの歩行は、おおむね無計画なものだったと考えられる。この特異な例においては、もっともありそうなこととして、彼女はいつもの通い慣れた道をはずれて、平均的な差異性ダイバーシティ以上に異なった道をたどったのではないだろうか。『ル・コンメルシェル』紙の胸中に存在する共通性パラレルは、パリ全市を横断する二人の個人の場合においてのみ支持される。そのような場合においては、知人の数が同じだと仮定すると、同数の遭遇が発生する機会チャンスもまた同数となる。だがわたくし思うに、可能なことというよりも多分にありそうなこととして、マリーは彼女の家と彼女の叔母の家との間の道のりを、一定期間、彼女が知っている人にも、彼女を知っている人にも、誰にも出会うことなく進んでいったのではないだろうか。この問題を充分に考えて、適切な判断を下すために、われわれが忘れてはならないことは、パリでもっとも有名な人の知人の数といえども、パリ全体の人口に比べれば、微々たるものだという事実だ。
「だが『ル・コンメルシェル』紙の説に残っているかに見える説得力がいかほどのものであろうと、少女が外出した時刻の問題に思い及ぶなら、それは大幅に減少する。『彼女が家を出た時、街は人でいっぱいだった』と『ル・コンメルシェル』は言う。が、そうではない。それは朝の九時だった。朝の九時といえば、日曜日以外は、確かに街は人でごった返している。だが日曜日の朝九時には、人々は主として屋内で、教会に行く支度をしている。安息日の朝八時から十時にかけて、街が常になく閑散としている様子に気づかない者はない。街が混雑するのは十時から十一時にかけてで、いま問題になっているような早い時間帯ではないのだ。
「『ル・コンメルシェル』紙の観察不足と思われる点がもう一つある。いわく『彼女のペチコートの一部は、幅一フィート、長さ二フィートにわたって引き裂かれ、彼女のあごの下から後頭部にかけて巻きつけられていたが、おそらく発声を妨げる目的だろう。これはハンカチを持たない連中の仕業である』この説の真偽は後日検討しよう。ただ『ル・コンメルシェル』紙の編集者は、『ハンカチを持たない連中』という言葉を、最下等の悪漢たちの意味で使っている。だが実を言うと、こういう連中ほど、たとえシャツを着ていなくても、ハンカチは常に身に着けている。近ごろ、乱暴者どもにとって、ハンカチがいかに必需品と化したかは、君にも観察する機会があったに違いない」

『ル・ソレイユ』紙の記事

「それでは」と私は言った。「『ル・ソレイユ』紙の記事についてはどう考えるべきだろう」
「あれの書き手が鸚鵡おうむに生まれなかったのは残念だった。鸚鵡おうむに生まれていれば、彼は当代随一の鸚鵡おうむとして、名声を轟かせていたことだろう。彼はすでに他紙が発表した個々の言説を復唱しているだけだ。あっちの新聞からはアレを、こっちの新聞からはコレを、と骨身を惜しまずかき集め、その労力は賞賛に値する。『ル・ソレイユ』は言う。『これらの遺品は、明らかに、少なくとも三、四週間はそこにあった』『殺害現場が発見されたことは、これで疑いを容れない』だがこのように『ル・ソレイユ』によって再断言された諸事実は、僕の疑惑を払拭してくれるにはほど遠い。これは後日、この事件の他の部分との関連で吟味しよう」