
殺害現場はルール関門か?
われわれが新聞から収集することができた限りでは、マリーは暴漢たちの一味の犠牲となったというのが一般的な見方だった。すなわち、彼女は複数の犯人によって向こう岸へと拉致され、暴行を受けたのち、殺害されたというのである。だが莫大な発行部数を誇る『ル・コンメルシェル』紙は、このポピュラーな説を真っ向から否定した。そのコラムから一、二の節を引用する。
「ルール関門にこだわり過ぎて、われわれの狩りは偽りの匂いにミスリードされてきた。この少女ほどの超有名人が、誰の目にも触れることなく、三つの区画を通過するなどということはあり得ない。そうして彼女を見た者はそれを覚えているはずで、なぜなら彼女を知る者はすべて彼女に興味を持っていたからである。彼女が家を出た時、街は人でいっぱいだった。(中略)彼女がルール関門へ行ったにせよ、デ・ドローム街へ行ったにせよ、それは誰かが必ず見ていたはずだ。彼女のガウンの一部は引き裂かれ、彼女のからだに巻きついて、結ばれていた。彼女は荷造りされて、運ばれたのである。もしルール関門が殺害現場なら、このような処置は必要なかったはずだ。死体が関門付近に浮かんでいたという事実は、これが水中に投ぜられた場所の証明にはならない。(中略)彼女のペチコートの一部は、幅一フィート、長さ二フィートにわたって引き裂かれ、彼女のあごの下から後頭部にかけて巻きつけられていたが、おそらく発声を妨げる目的だろう。これはハンカチを持たない連中の仕業である」
新しい証拠と証言
だが警視総監がわれわれのもとを訪れる一日か二日前、ある重要な情報が警察にもたらされて、それは『ル・コンメルシェル』紙の説の主要な部分を覆すものに見えた。ドリュック夫人という人の幼い息子たち二人が、ルール関門近くの森で遊んでいて、たまたま深い茂みの中に入った。そこには三つか四つの巨石があって、それがあたかも座席と、背もたれと、足置き台のように並んでいた。上の石に白いペチコート、次の石にシルクのスカーフが乗っており、ハンカチもそこで見つかった。ハンカチには「マリー・ロジェ」との記名があった。周囲の茨に衣裳の切れ端が引っかかっていた。土は踏み荒らされ、藪はなぎ倒され、格闘のあらゆる痕跡が見られた。その茂みから川にかけて、いくつかの柵が破られ、地上には何か重いものを引きずった跡があった。
『ル・ソレイユ』という週刊新聞は、この発見について以下のようなコメントを掲載したが、これはパリじゅうの全新聞の見解をまとめたものに過ぎなかった。
「これらの遺品は、明らかに、少なくとも三、四週間はそこにあった。雨水の作用で白カビだらけで、白カビで固着していた。遺品の周囲には草が茂り、遺品の上にもまた草が生えていた。パラソルは丈夫な絹張りだったが、閉じた内部で、絹糸が合体していた。折りたたまれた手もとは白カビで朽ち果て、ひらくと裂けた。(中略)藪によって引き裂かれたフロックの何片かは、幅が約三インチ、長さが約六インチだった。一片はフロックの裾の部分で、繕ってあった。他の一片はスカートの一部で、裾ではなかった。これらは破り取られた切れ端のように見え、地表から一フィートほどの高さの、茨の刺の先に引っかかっていた。(中略)殺害現場が発見されたことは、これで疑いを容れない」
この発見に続いて、新しい証言が明らかになった。ドリュック夫人は、みずからの証言によれば、ルール関門の対岸付近で、とある休憩施設を経営している。周囲に人家は少ない。その店はろくでもない連中の休日の溜まり場で、彼らは街から、ボートで川を渡ってやってくる。問題の日曜日の午後三時ごろ、一人の少女が、浅黒い顔の青年とともに、店を訪れた。二人はしばらく滞在していて、店を出ると、近隣の深い森へと続く道をたどった。ドリュック夫人は少女の服装を記憶していた。それは亡くなった親族の服装に似ていたからである。特にスカーフは記憶に焼きついた。二人が去ってすぐ、柄の悪い男たちの集団が現れて、わいわい騒ぎながら無銭飲食をはたらき、二人が取った道と同じ道を取ったが、黄昏時に戻ってきて、大変な急ぎ方で、川を渡って帰っていった。
同じ日の夜、日が暮れてすぐ、ドリュック夫人と彼女の長男は、店の近くで女性の悲鳴を聞いた。大きな悲鳴だったが、束の間だった。ドリュック夫人は茂みで見つかったスカーフのみならず、マリーの遺体が身に着けていた衣裳も見覚えていた。さらに乗合馬車の馭者で、ヴァレンスという男もまた、問題の日曜日、マリー・ロジェが、浅黒い顔の青年とともに、セーヌ川を船で渡るのを見たと証言した。このヴァレンスなる者はマリーを見知っていたので、同一人物性に疑いの余地はなかった。茂みで見つかった遺品はすべてマリーの親族たちによって一致確認された。
婚約者の自殺
私がデュパンに言われて新聞から集めた証拠や情報には、以上の他に、あと一つだけ、非常に重要そうなものがあった。上記の遺品が発見されて間もなく、犯行現場と推定されたその場所の近くに、サン・トゥスターシュが虫の息で倒れているのが見つかった。「アヘンチンキ」のラベルの付いた空の薬瓶が、彼のかたわらにころがっていた。彼の呼気は毒をあおった証拠を示していた。彼は無言のまま、息を引き取ったが、彼が身に着けていた遺書にはマリーへの慕情と、自己抹殺の意図とが簡潔に記されていた。