
ヴァーチャルな現場検証
「この茂みは変な茂みだ。とても深い茂みで、それが天然の緑の壁を作って、その奥に三つの巨石がならび、それぞれ座席と、背もたれと、足置き台の形をしている。この自然の芸術に満ちみちた茂みは、ドリュック夫人の家のすぐ近く、二、三ロッドの距離にある。ドリュック夫人の息子たちには、そのあたりの低木を綿密に探って、ササフラスの樹皮を探す習慣があった。この少年たちが、この緑蔭の館の秘密――この天然の玉座に就いた遺品のうちの、最低一つだって、見ない日など一日たりとてなかった、とするのは、果たして勝率が千分の一ほどの、無謀な賭けに過ぎないのだろうか。このような賭けにためらう人は、少年時代のなかった人か、少年時代をすっかり忘れた人だ。繰り返すが、これらの遺品が、一日や二日以上の長い期間、この茂みの中に未発見のまま残されていたなどということは、考えられない。だから『ル・ソレイユ』紙の独断的無知にもかかわらず、これらの遺品が、比較的遅い日付に、見つかった場所にことさら置かれたのではないかと疑う根拠は、充分にある。
「これらの遺品がこのように、ことさら配置されたのだと信ずべき理由は、まだ他にもある。しかも僕がこれまで述べてきた以上に、強力な理由がある。ここで僕は君に、これらの遺品の、きわめて人為的な配置に注意を促したい。上の石には白いペチコートが、次の石にはシルクのスカーフが乗っていた。パラソルと、手袋と、『マリー・ロジェ』の名前入りのハンカチも、あたりに散らばっていた。これは頭の悪い人間が、遺品を自然に配置しようとした際に、自然に思いつきそうな配置だ。だがこれほど不自然な配置はない。むしろすべてが地に落ちて、足で踏みにじられている方が自然だ。スカーフやペチコートが、この限られた狭い空間の中で、数人がかりの格闘の衝撃にさらされながら、石の上の位置を維持していたとは考えにくい。『格闘の痕跡は明らかだった』と記事は言う。『土は踏み荒らされ、藪はなぎ倒されていた』――だがスカーフとペチコートは、棚に収まるごとく安置されていた。『藪によって引き裂かれたフロックの何片かは、幅が約三インチ、長さが約六インチだった。一片はフロックの裾の部分で、繕ってあった。これらは破り取られた切れ端のように見えた』『ル・ソレイユ』紙は、ここで不用意にも、実に疑わしい物言いをしている。描写されている数片は、確かに『破り取られた切れ端のよう』だが、それは手作業によって、意図的に破り取られたものだ。いま問題となっているようなどんな衣服からでも、一本の刺によって布切れが『破り取られる』のは、極めて稀な事故だ。刺や釘が刺さると、そのような布の性質上、二つの裂け目が直角に入る。すなわち、刺などが刺さった点を頂点として、二つの向きの裂け目が直角に交わるのだ。だがそれで布切れが『破り取られる』とは考えられない。僕はそんな話は聞いたことがないし、君もないだろう。そのような布から一片を破り取るには、別の方向に働く、別の二つの力が必要だ。布に二つの端がある場合、たとえば一枚のハンカチから、一片の切れ端を破り取る場合なら、力は一つで足りるが、それはそのような場合だけだ。ところが今のケースでは、問題となっているのは端が一つしかない衣裳だ。端というものがまったくない内部から、刺だけの力によって、布切れを破り取る、そんなことができるのは奇跡だけだ。それも一本の刺では無理だ。一つの端がある場合でも、双方向に裂け目を作る刺が一つと、それとは別方向に裂け目を作る刺が一つの、二つの刺が必要となる。しかもこれは裾上げなどをしていない場合だ。裾上げなどをしてある場合は、もはや話にもならない。このように、単なる『刺』だけの力で、布切れが『破り取られる』のは難しいことがわかるが、しかもそのようにして『破り取られた』布切れが複数あると言う。一片は『フロックの裾の部分だった』、他の一片は『スカートの一部で、裾ではなかった』――ということは、刺の力だけで、端のない衣裳の内部から、一片の布切れが完全に破り取られたことになる。これは信じられないと言ってもかまわないだろう。だが総合的に考えて、さらに合理的な疑惑の根拠となり得るのは、死体を移動するほどの用心深い人殺したちが、遺品をこのように置き去りにして顧みなかったという驚くべき事実だ。ただ、誤解しないでほしい。僕はこの茂みが犯行現場であるとの説を否定したいのではない。ここで何か不正があったのかも知れないし、もっとありそうなこととしては、ドリュック夫人の家で何か事故があったのかも知れない*1。だが今のところ、それは暫く措く。われわれがいま割り出そうとしているのは殺人現場ではなく、殺人犯だ。これまで細々とした検証をしてきた目的は何かと言うと、第一に『ル・ソレイユ』紙の断定的で、性急な主張の不備を示すことと、第二に、こちらの方が重要だが、この殺人が本当に複数犯の仕業なのかどうかについて、もっと突っ込んだ考察へと君をスムーズに導きたかったからなのだ」……
死体と二人きり
「『格闘の痕跡』なるものについて考えてみよう。これらの痕跡は何を証拠立てているのか。複数犯の関与か。ではなくて、むしろ単独犯の可能性を示唆しているのではないか。かよわい無防備の少女と、想定されているような悪党の集団との間で、いかなる格闘が起こり得るのか。あらゆる方向に『痕跡』が残るくらいの、激烈で、長時間にわたる格闘が、いかにして起こり得るか。二、三人が黙って乱暴に捕捉するだけで、何もかも終わっていただろう。被害者は、暴漢たちの言いなりになるしかなかったに違いない。ここで誤解しないでほしいのは、この茂みを犯行現場ではないとする説は、それが複数犯による犯行だと仮定した場合にのみ当てはまる、ということだ。これが単独犯による犯行なら、この茂みが犯行現場である可能性はある。明らかな『痕跡』が残るほどの猛烈で、執拗な格闘を想像できるのは、これを単独犯による犯行と仮定した場合だけだからだ。
「さらに言うと、僕はすでに、問題の遺品が、発見された茂みにそのまま残されていたという事実から浮かぶ疑惑について、君に語った。このような犯行の証拠が、見つかった場所に、たまたま残されていたとは考えにくい。死体は移動された(と考えられている)。犯人にはそれだけの精神の安定があった。それなのに、死体よりももっと強力な証拠(死者の顔立ちなどは腐敗によってすぐにわからなくなる)が犯行現場に放置されていた。僕は故人の名前入りのハンカチのことを言っているのだ。もしこれが事故なら、それは複数犯による事故ではない。それは単独犯による事故としか考えられない。少し考えてみよう。一人の男が殺人を犯した。彼は死者の亡霊と二人ぼっちだ。 彼は目の前の動かなくなった肉体に慄然とする。激情は去り、今は死者に対する自然な恐怖を感じるだけの余裕が、たっぷりある。そうして複数の者が居合わせることによって、必然的にもたらされる落ち着きというものが、彼にはない。彼は死者と二人ぼっちだ。彼は恐れおののく。だが死体を始末しなければならない。彼は死体を川に運ぶが、犯行の他の証拠はそのままにしておく。何もかも一度に運ぶことは、不可能ではないとしても、至難の業だ。あとで戻ってきて処分すればよかろう。ところが川まで死体を運ぶ道中、彼の恐怖は倍増する。生き物のひびきが道を覆う。目撃者の足音を何度も聞いたか、聞いたような気がする。彼は街の灯にさえ震え上がる。だがやがて、長い長い旅路の果てに、彼は川へとたどり着き、おそらくはボートを使って、死体を処分する。とはいえこの時、いかなるこの世の財宝が、いかなる厳罰の脅威が、あの血も凍る思い出の場所へと戻るために、苦難とリスクに満ちた長い道のりをふたたび引き返すよう、この孤独な殺人犯を説得できるだろうか。彼は戻らない。あとは成り行きに任せる。戻ろうと思っても、戻ることはできない。彼の頭に浮かぶのは、ただ逃げることだけだ。かくして彼は、あの恐ろしい茂みに永遠に背を向け、あたかも天罰から逃れるごとく、逃れ去る」……
*1:訳者注:この一行は「メアリー・ロジャースの死は違法な中絶手術の失敗によるもの」との情報が飛び出してきた後から、ポーが書き足したものです。