魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(抄訳)エドガー・アラン・ポー「マリー・ロジェの謎(The Mystery of Marie Roget)」(その十)

エドゥアール・マネ『草上の昼食』ウィキメディア・コモンズより。

偽装された犯行現場

「先へ進む前に、犯行現場と推定されているルール関門の茂みについて見ておこう。この茂みは深い茂みだが、公道からそれほど離れていない。その茂みの中に三つか四つの巨石があって、背もたれバック足置き台フットスツールのついた椅子の形をしている。上の石には白いペチコートが、次の石にはシルクのスカーフが乗っていた。パラソルや、手袋や、ハンカチもここで見つかった。ハンカチには『マリー・ロジェ』との記名があった。衣裳ドレスの切れ端が周囲の枝に引っかかっていた。土は踏み荒らされ、藪はなぎ倒され、到るところに格闘の痕跡があった。
報道各社プレスはこの茂みの発見を歓迎し、これを犯行現場と特定することで一致したが、それでもまだ疑いを差し挟む余地は大いにある。ここが本当に現場なのかどうか、今の僕にはまだ何とも言えないけれど、とにかく疑う理由はある。仮に『ル・コンメルシェル』紙が唱えるように、本当の犯行現場がパヴェ・サンタンドレ街付近だとすると、犯人たちがまだパリにとどまっていると仮定して、正しい方向プロパー・チャンネルへと、かくも的確に転換された世人の関心に対して、彼らは当然、恐怖しただろう。ある程度の頭脳の持ち主なら、この関心をよそへ逸らすための、何らかの努力の必要を感じたに違いない。ルール関門の茂みはかねてより疑われており、そこに遺品を並べておくというアイデアは、自然に浮かんだだろう。『ル・ソレイユ』紙にはあいにくだが、見つかった遺品が、茂みの中に、ニ、三日以上放置されていたことを裏付ける直接証拠など、何一つない。一方、それらの遺品が、問題の日曜日から発見の日の午後まで、人目を引かずに、ずっと放置されていたはずはないという間接証拠なら、たくさんある。『ル・ソレイユ』紙は、他紙報道を受け売りしながら言う。『(遺品は)雨水の作用で白カビミルデューだらけで、白カビミルデューで固着していた。遺品の周囲には草が茂り、遺品の上にもまた草が生えていた。パラソルは丈夫な絹張りだったが、閉じた内部で、絹糸が合体していた。折りたたまれた手もとは白カビミルデューで朽ち果て、ひらくと裂けた』この『遺品の周囲』やら『遺品の上』やらの『草』については、幼い子どもたち二人の言葉と記憶に基づく描写であることは明らかだ。この子どもたちは、第三者が検証する前に、これらの遺品を動かして、家に持ち帰ってきてしまったんだね。だが草は、事件があったころのように、特に蒸し暑い季節には、日に二インチも三インチも伸びるものだ。新しく芝を張った土地にパラソルを寝かせておくと、一週間で芝草に隠れて見えなくなってしまう。また『ル・ソレイユ』紙の編集者がこだわっている『白カビミルデュー』について言えば、彼は僕が引用した短い一節の中で、この言葉を三回も使っているけれど、本当にこの『白カビミルデュー』なるものの性質を知らないのかしら。『白カビミルデュー』とは、数ある菌類のうちの一種で、二十四時間以内に生成して死滅する点が、もっとも平凡な特徴とされているのだが。
「このように『少なくともニ、三週間にわたって』遺品が茂みの中に放置されていたとの説を、裏付けるべく引き合いに出されたもののすべては、証拠エビデンスとして何の意味もない。他方、これらの遺品が一週間以上、すなわちある日曜日から次の日曜日に及ぶ期間以上、くだんの茂みの中に放置されていたと信じるには、多大な困難をともなう。パリの近郊を知っている者は、郊外からかなり遠ざからない限り、パリではひとりたることを得られないことを知っている。森や木陰の、まだ誰一人として人の来ない場所、あるいは滅多に人の来ない場所など、想像するも愚かだ。たとえば根っからの自然好きが、この大都会メトロポリス塵埃じんあいと熱気とに縛りつけられ、たとえ平日であっても、自然の美によくすることで、孤独に対する渇きを癒したいと願ったとする。二歩を踏み出す前に、彼は自分のよろこびが、不審者や、不審な酒盛り集団の、声と姿とによる介入で台無しにされるのを感じるだろう。彼はもっとも深い茂みの中へ、孤独プライバシーを探し求めて分け入っていくが、ことごとく空しい。ここには馬鹿の溜まり場となっている隠れ家ヌックがあり、あそこには荒らされ放題の聖域がある。吐き気を催した彼は、まだしもちぐはぐではないゆえに、まだしも不愉快ではない、そんな汚物の掃き溜めシンクへと逃げ帰るごとく、けがらわしいパリへと逃げ帰るのだ。パリ近郊は平日でもこの有様なのに、安息日ともなれば、どうだろう。それは心ない都会人が、勤労の要求から解放され、もしくは常習的な犯罪の機会を奪われて、パリの中心部を離れる日だ。何も田園を愛するからではない(そんなものは大嫌いだ)、ただ社会の拘束としきたりから逃れたいのだ。新鮮な空気と緑が欲しいのではない、田舎の勝手気ままライセンスが欲しいのである。彼は路傍の休憩施設で、あるいは森の木陰で、気心の知れた仲間たち以外の者の目に抑止チェックされることなく、偽造された酒池肉林に耽溺する――それはラム酒やりたい放題リバティとの、結合ジョイントの産物だ。だから冷静に物を考える人には明らかだと思うが、くだんの遺品が、パリ中心部近くの茂みの中にあって、二度の日曜日を含む一週間以上の長きにわたって、誰にも見つからないまま放置されていたなんて、奇跡でしかない。
「だが遺品が茂みの中に置かれたのは、真の犯行現場から注意を逸らすためではないかと疑う根拠は、まだ他にもある。まず、遺品が発見された日付に、君の注意を促したい。そして僕が作った抜粋の五番目のものと照らし合わせてくれ。夕刊紙に何通かの熱心な投書があった直後であることがわかるだろう。これらの投書は、外見上は多様な発信元ソースからの、多様な投書に見えるけれども、すべて同じ点に偏っている。すなわち犯人としての一味ギャングに目を向けさせ、犯行現場としてのルール関門を印象づけようとしている点だ。僕はこれらの投書、もしくはそれらによって集まった世間の注目のおかげで、遺品が見つかった、などと言いたいのではない。それまで遺品が見つからなかったのは、遺品はそれまでは茂みになくて、投書日当日、もしくは投書日より少し前の日に、投書した犯人たち自身によって、茂みに置かれたからではないか、と疑っているのだ」