魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(抄訳)エドガー・アラン・ポー「マリー・ロジェの謎(The Mystery of Marie Roget)」(その一)

ジョセフ=デジレ・クール『リゴレット』。リゴレットはウージェーヌ・シューの新聞小説『パリの秘密』に登場するグリゼットの名。ウィキメディア・コモンズより。

推理小説の好きな人なら、一度は読んでおきたい古典的名作。推理する楽しさ、物を考える楽しさがいっぱい詰まっています。少し長いので、数回に分けて訳出します。原文はこちら


「現実の諸事件と平行して発生する観念的な諸事件というものが存在する。両者はめったに符合しない。実在する人々や現実の諸事情は、観念的な諸事件を修正するのが普通で、それゆえ発生する現実の事件は不完全に見え、その結果もひとしく不完全である。宗教改革においてもそのように、プロテスタンティズムに代わって、ルター主義が現れた」――ノヴァーリス『道徳論』

事件のあらまし

もっとも冷静沈着な思索家たちといえども、時として、知性はこれを単なる偶然の一致コインシデンスと見過ごすことができない、そんな一見、あり得ないような偶然の一致コインシデンスによって、驚きのあまり、超自然スーパーナチュラへの漠たる、とはいえスリリングな半信仰へと、駆り立てられた経験があるだろう。そのような感情センチメント――というのは、私の言うこの半信仰は、決して思想たり得ず、感情にとどまるから――このような感情センチメントを完全に抑え込むには、「偶然の教義ドクトリン・オブ・チャンス」、もしくは専門家のいわゆる「確率論」を参照しなければならない。「確率論」とは、その本質において、純粋に数学的なものである。これによってわれわれは、思索における、もっとも解きがたい神秘の影と霊性スピリチュアリティとを、科学における、もっとも正確で厳密なものの変則アノマリーとして、理解することができるのである。
私がいま公にしようとしている異常な事件の詳細は、時系列的に、曖昧模糊とした一連の偶然の一致コインシデンスの、第一の支流ブランチを形成していて、すべての読者はその第二の、あるいは決定的な支流ブランチを、近時のニューヨークにおける、メアリー・セシリア・ロジャース殺しに見ることだろう。*1*2
私は約一年前、「モルグ街の殺人事件」というタイトルの記事で、わが友、騎士シュヴァリエC・オーギュスト・デュパンの、精神的性格メンタル・キャラクターにおける、いくつの注目すべき特徴を描写した際、ふたたびこの主題を扱うとは思っていなかった。私の意図は、この性格キャラクターの描写にあった。そうしてこの意図は、デュパン特異性イディオシンクラシーを際立たせることのできる、一連の出来事を述べることで達成された。他の例を挙げることもできたが、もうよかろうと思っていた。ところが最近の出来事が、その驚くべき展開によって、私を驚かせ、強要された自白の雰囲気を伴うような、あるこみ入った事情へと私を押しやった。最近の事件の噂を耳にしながら、私が何年か前に、見たり聞いたりした事実について、口をつぐんでいるのは変だと思うようになったのである。
レスパネー母娘おやこの死に関する悲劇にけりをつけると、デュパンはこの事件をさっさと忘れてしまい、昔からの習慣で、気まぐれな夢想にふたたびふけるようになった。私も常に上の空アブストラクになる傾向があったから、彼の気分にすぐに合わせた。こうしてわれわれは、フォブール・サンジェルマンの家にこもり、「未来」は風にまかせ、現在いまをまどろみ、退屈な世間の出来事を夢に織りなして、日々を過ごした。
だがこの夢が破られることもあった。モルグ街でのドラマにおいて、デュパンが演じた役割は、パリ警視庁の心を動かさずにはいなかった。パリ警視庁の密偵たちの間で、デュパンの名は広く知られるようになった。彼が謎を解くのに用いた帰納法のシンプルな性格は、私以外の誰にも、警視総監に対してさえ、明かされることがなかったから、事件解決が奇跡と見なされ、デュパンがその分析力によって「直観の達人」のごとき評判を得るに到ったのも無理はなかった。彼が寛大な人ならば、このような思い込みに関する質問者たちに対して、ことごとくその誤解を解いてやることもできたかも知れない。だが彼の怠惰な性分は、彼自身、長く関心を失っているトピックについて、さらなる騒ぎを引き起こすことを一切許さなかった。こうして彼はたまたま、警察において、自分が一目いちもく置かれていることに気づいた。捜査に協力するよう要請を受けたことも、一度や二度ではなかった。そのうちのもっとも注目されたものの一つが、マリー・ロジェなる少女が惨殺された事件だった。
この事件はモルグ街の惨劇の約二年後に起こった。マリーは寡婦エステル・ロジェの一人娘だったが、彼女の姓名は、あのかわいそうな「煙草屋の売り子」メアリー・ロジャースとの類似で、ただちに読者の注意を惹くことだろう。父親は娘がまだ幼いうちに亡くなった。それ以降、この記事の主題であるところの事件が起こる十八ヶ月前まで、母娘おやこはパヴェ・サンタンドレ街に二人で住んでいた。ロジェ夫人はマリーに手伝ってもらいながら、下宿屋パンションを経営していた。マリーが二十二になった頃、ある香水商が彼女の美貌に目をつけた。この香水商は、パレ・ロワイアルの地下に一店舗を構え、主としてその近辺に巣喰っているその日暮らしの相場師たちを相手に、商売をしていた。ルブラン氏は、彼の香水店に、美しいマリーを配置する利点に気づいた。ロジェ夫人はいささかためらったものの、マリー本人はルブラン氏の太っ腹な申し出を、よろこんで受け容れた。
結果はルブラン氏の期待通りで、彼の香水店は、陽気な勤労美少女グリゼットの魅力で、たちまち評判になった。彼女は彼のもとで一年ほど働いたが、ある日、急に店からいなくなって、彼女のファンたちを困惑させた。ルブラン氏は彼女の不在の理由を説明できなかった。ロジェ夫人は心配で気をもんでいた。一般紙がただちにこの話題を取り上げ、警察もいよいよ本腰を入れて捜査に乗り出そうとした矢先、失踪より約一週間後のある晴れた朝、無事ではあるが、やや悲しげな様子のマリーが、香水店のいつものカウンターにひょっこり姿を現した。殺到した質問はプライバシーに関するものばかりだった。ルブラン氏は、以前同様、何も知らないと繰り返した。マリーはロジェ夫人とともに、あらゆる質問に対して、先週は田舎の親戚の家で過ごした、とだけ答えた。やがて騒ぎは収まり、忘れられた。なぜなら少女は、表向きはぶしつけな好奇の目を避けるという名目で、香水店を辞め、パヴェ・サンタンドレ街の母親の家に引きこもってしまったからである。
それから約五ヶ月が経過したころ、彼女がふたたび急にいなくなったので、親しい人たちは驚いた。三日間、彼女から何の音沙汰もなかった。四日目になって、彼女の死体がセーヌの川岸近くに浮かんでいるのが見つかった。それはサンタンドレ街一帯の、川をはさんだ向かい側で、ルール関門のうら寂しいあたりからさほど離れていないところだった。犯行の残忍さ(一目ひとめでわかる他殺体だった)、被害者の若さと美貌、それと何にもまして、彼女がかねてより有名人だったことで、激しやすいパリジャンたちの間に一大センセーションが巻き起こった。このように広範かつ熾烈な効果を生じた案件を、私は他に知らない。数週間、この衝撃的な事件に関する議論で、当時の重大な政治的話題すら忘れ去られた。警視総監は奮起した。パリ警視庁の総力が結集され、最大限の負荷が課された。
遺体発見の当初より、捜査はいちはやく着手され、犯人逮捕は時間の問題と見られた。一週間も経たないうちに、懸賞金をかける必要があると言われた。その時の賞金は最高千フランだった。確たる判断を伴わずとも、捜査は強力に進められ、多くの者が無駄に取り調べを受けた。その一方で、謎に対する何の手掛かりもない状態が続いたので、世間は大いに騒いだ。十日目の終わりには、懸賞金を倍にするのが妥当だと考えられた。そしてとうとう、何の発見にもつながらないまま、二週間が過ぎ、パリにおいては常に存在している警察に対する不信感が、いくつかの暴動エムートとなって噴出するに及んで、警視総監みずからが、「犯人の密告」、あるいは複数犯の場合には「犯人のうちの一人の密告」に対して、二万フランを支払うと申し出た。この懸賞金を発表した公告の中で、仲間を密告した共犯者は、無罪となることが約束された。この公告すべてに、警視総監が提示した金額に上乗せして、一万フランを支払うという、ある市民団体の私的なビラが追加された。これで賞金総額は三万フランを下らないこととなった。少女の身分が低いことと、大都会ではそのような犯行は決して珍しくないこととを考え合わせると、これは異例の金額と言えよう。

警察の捜査情報を無視して独自捜査へ

誰もがこれで事件はただちに解決すると思った。謎の解明を約束する逮捕は、一、二の例があったが、疑わしい集団に関するいかなる情報も引き出せず、容疑者たちは速やかに釈放された。奇妙に思われるかも知れないが、遺体発見から、何の手掛かりもないまま、三週間が経過するまで、世間を騒がせていたこの事件のうわさ話さえ、デュパンの耳にも、私自身の耳にも達しなかった。われわれは当時、われわれの全注意力を独占していた諸研究にかかりきりで、一ヶ月近くの間、外にも出ず、客にも会わず、せいぜい日刊紙のうちの一つを広げて、政治記事の大見出しをちらりと見るのが関の山だった。G警視総監がじきじきにお出ましになったことで、この事件を初めて知ったのである。彼は一八――年七月十三日の午後、まだ早い時間帯にやってきて、夜遅くまで居座っていた。警視総監は犯人を突き止めようとする彼の努力のすべてが失敗に終わったことで不機嫌だった。「俺の面目は丸つぶれだ」と彼はいかにもパリジャンらしい口調で言った。それは彼の名誉に関わる問題だった。世間の目は彼に注がれていた。彼はいかなる犠牲を払ってでも、捜査を進展させなければならなかった。警視総監はいくぶん冗談めかしてスピーチをしながら、最後に彼が好んでデュパン機転と呼ぶところのものにお世辞を述べ、デュパンに直接の、なかなか気前のよい提案を行なったが、その正確な性質は、私にはこれを公表する自由がなく、また本稿の本来のテーマとも関係がない。
このお世辞の方に対しては、デュパンはなるたけ反論したが、提案の方は、その金額は暫定的なものだったにもかかわらず、あっさり受け容れた。この点が落着すると、警視総監はただちに彼自身の見解の説明を始め、そこに未公開の証拠エビデンスに関する長い注釈をちりばめた。彼は多くを、実に学識豊かに語った。私は折に触れて「夜も更けましたよ」と言ってやった。デュパンは座り慣れた肘掛け椅子アームチェアに硬直した姿勢で腰かけ、謹聴を具現化していた。彼は会見の間じゅう、ずっと眼鏡をかけていた。その緑色のレンズのかげから、時折ちらりと見たところでは、彼は静かに熟睡しているのだった。そうして七、八時間がのろのろと過ぎ、その後すぐ、警視総監は帰って行った。

*1:原注:「マリー・ロジェ」が初めて公にされた際、注釈は不要であった。だが今は、この短編のベースとなった事件から数年が経過したことで、このような注釈を附するとともに、これの大まかな企図について、ひと言申し添えておく方がよいかと思われるに到った。メアリー・セシリア・ロジャースという少女が、ニューヨーク近辺で殺害された。これは大変な騒ぎを、長期にわたって巻き起こしたにもかかわらず、この作品が書かれ、発表されたころ(一八四二年十一月)、これにまつわる謎はまだ未解決のままであった。そこで、とあるパリの勤労美少女グリゼットの運命について語るという擬態のもとに、作者は、メアリー・ロジャース殺しの実話のうちの、非本質的な部分はただ単に相似させながら、本質的な部分は、これを微に入り細を穿って追究した。したがって、この作り話に出てくる推理は、すべて実際の事件に適用できる。真相を明らかにするのがこの作品の目的だ。
「マリー・ロジェの謎」は、犯行現場から遠く離れた土地で書かれ、作者には新聞報道以外、頼る手段がなかった。犯行現場やその周辺を訪れることで得られたであろう多くの情報を、作者は入手できなかったのである。にもかかわらず、発表後、長い年月ののち、それぞれ異なった時期になされた二人の人物による告白(一人は作中のドリュック夫人)によって、その大雑把な結論のみならず、その結論へと到るまでの主たる仮説のあらゆる細部さえもが、完全に確証された事実を記しておくことは、不適切ではあるまい。

*2:訳者注:上の「原注」が追加されたのは一八四五年出版の『短編集テイルズ』において。この版で、ポーはこの事件に関する新しい情報に基づいて、この作品のあちこちに加筆訂正を施しております。なおニューヨークの煙草屋の売り子だったメアリー・セシリア・ロジャース(1821 - 1841)の死体がハドソン川で発見された事件は、英語版ウィキペディアによれば、未だに解決していないということです。