魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人事件(The Murders in the Rue Morgue)」(事件編)

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エンリケ・シモネ「心臓解剖」。ウィキメディア・コモンズより。

「異常な殺人事件」

それから間もなく、『ガゼット・デ・トリビュノー』紙の夕刊を読んでいて、以下の記事がわれわれの目に留まった。

異常な殺人事件――本日午前三時ごろ、サンロック地区の住民たちは、長い悲鳴で目をさました。声の出どころはレスパネー夫人なる者とその娘カミーユ・レスパネー嬢とが専有する建物の四階とおぼしかった。通常の方法マナーで許可を得ようとする空しい試みに時を費やしたのち、玄関のドアがバールで破られ、八人ないし十人の近隣住民が、二人の警官ジャンダルムに付き添われて建物内に侵入した。この時までに悲鳴は止んでいた。だが一行が階段を上がりかけると、複数の者の言い争う声がして、それは上階から聞こえてくるもののように思われた。二階に着いた頃にはその声も止み、建物内はしんと静まり返った。一行は手分けして次から次へと部屋を見て回った。四階の裏側の大部屋の(ドアが内側から施錠されていたため、こじあけて)中へ入ったところ、その場に居合わせた全員の目の前に、戦慄すべき光景が現れた。
室内は狼藉を極めていた。壊れた家具が散乱していた。一つしかない寝台の寝具が取り除かれ、部屋の中央に投げ出されていた。一脚の椅子の上に血まみれの剃刀かみそりがあった。暖炉前ハースに、ふさふさとした長い白髪が二、三束落ちていた。根こそぎ引き抜かれたと見え、これまた血まみれだった。床の上に落ちていたのはナポレオン金貨が四枚、トパーズのイヤリングが一個、シルバーの大さじが三本、疑似白銀メタル・ダルジェの小さじが三本のほか、計四千フラン近くの金貨が入ったバッグが二つ。室内の一角の箪笥ビューローの引き出しが開いており、明らかに物色の跡があったが、それでも多くの物品が残されていた。鉄製の小さな金庫セーフが(寝台の下ではなくて)寝具の下から見つかった。キーが差し込まれたまま開いていた。中には古手紙が二、三通と意味のとぼしい書類が入っているだけだった。
レスパネー夫人の行方はようとして知れなかった。ただ暖炉に尋常でない量のすすが認められたため、煙突の内部を捜索したところ(無惨にも)カミーユ・レスパネー嬢の遺体が、頭を下にした状態で出てきた。狭い空間にかなり上まで押し込まれていた。遺体はまだあたたかかった。全身の皮膚がすりむけており、明らかに無理に押し込まれ、引きずり出された際についた傷と見られた。顔じゅうに深い引っかき傷クラッチ、のどもとに黒い圧迫痕と深い爪痕つめあと。被害者は絞殺されたかのようであった。
建物内をくまなく捜索してもそれ以上の発見はなかったため、一行が建物の裏手にある敷石が敷き詰められた小庭へと足を踏み入れたところ、レスパネー夫人の遺体が横たわっていた。のどを深く切られていて、遺体を抱き起こそうとすると、首がもげた。首も胴体も滅茶苦茶であり、特に胴体は人体らしい原型をとどめていなかった。
この事件の解決につながる手がかりは、まだ何も得られていない。

「モルグ街の惨劇」

翌日の朝刊に、以下の詳細な続報が載った。

モルグ街の惨劇――この怪事件(フランス語の「事件アフェール」という言葉は英語の「色事アフェア」のような軽薄な意味合いをまだ帯びてはいない)に関連して多くの者が取り調べを受けたが、解決の糸口はまだつかめていない。以下はこれまでに得られた主要な全証言。
ポーリーン・デュブール、洗濯業者。三年前から洗濯を請け負っていたので、被害者らとは相識だった。仲のよい母娘だった。太っ腹な客だった。生業なりわいや暮らし向きについては、よくは知らないが、夫人はプロの霊能者だったと思う。金を貯め込んでいるという噂だった。洗濯物を預かったり届けたりする際、客がいるのを見たことがない。使用人はいなかった。四階以外の部屋の中は皆がらんとしているように見えた。
ピエール・モロー、煙草商人。四年近く、刻み煙草と嗅ぎ煙草スナッフとを定期的に少量ずつ、レスパネー夫人に売っていた。この近辺に生まれ育って、ずっと住んでいる。被害者らが遺体で見つかった建物に越してきたのは六年以上前である。それまでは宝石商が住んでいて、上階の部屋を色々な人に貸していた。建物自体はレスパネー夫人の所有で、夫人は宝石商が部屋を又貸しするのが気に食わず、みずから移り住んで、部屋を貸さなくなった。夫人は年の割におさない人だった。レスパネー嬢には六年の間に五、六回会ったことがある。二人はひっそりと暮らしていて、金を持っているという噂だった。夫人は霊能者だと近所の者が言うが、信じられない。二人以外にあの建物に出入りしていた者は、運送屋ポーターが一度か二度、医者が八回ないし十回、それ以外の来客は見たことがない。
近隣に住む多くの者が同様の証言をした。頻繁に出入りする客はなかった。被害者らに遺された親族がいるのかどうかも定かではない。玄関側の窓の鎧戸シャッターは滅多に開いていなかった。裏庭側の窓の鎧戸シャッターも、四階の大部屋の窓のもの以外、開いていた試しがない。建物自体は立派で、それほど古くない。

「一つはどら声、一つは金切り声だった」

イジドール・ミュゼ、警官ジャンダルム。午前三時ごろ、呼ばれて駆けつけると、玄関のドアの前に二、三十人の者が詰めかけて、中に入る許可を得ようと懸命だった。最終的に、銃剣を用いて開いた。バールではない。玄関のドアは観音開きで、かんぬき一つで閉まっており、たやすく開いた。悲鳴はドアが破られる直前まで続き、急に止んだ。一人もしくは複数の者の、長く尾を引く絶叫で、途切れ途切れの声ではなかった。先頭に立って階段を上がった。最初の階に着いた時、言い争う二つの声を聞いた。一つはどら声だった。もう一つは金切り声で、異様な声だった。どら声の言葉の幾つかは聞き取れた。フランス語だった。男性の声だったと思う。「畜生サクレ」と「外道ディアブル」という単語が聞き取れた。金切り声は外国人の声だった。声の性別ははっきりしない。何と言っているのかはわからなかったが、スペイン語だったと思う。室内の状況および遺体の状態については小紙が昨日報じた内容と同じ。
アンリ・デュヴァル、隣人、銀細工師。建物内に最初に入った者のうちの一人。上の警官の証言と大筋において一致。玄関のドアは、中に入ると、すぐにふたたび閉ざした。深更にもかかわらず殺到する野次馬を、外に閉め出しておく必要があった。金切り声はイタリア人の声だと思う。フランス人の声ではない。男性の声だったとは言い切れない。女性の声だったかも知れない。イタリア語には精通していない。言葉は聞き取れなかったが、イントネーションから、声の主はイタリア人だと確信する。レスパネー母娘とは親しく、何度も言葉を交わしたことがある。問題の金切り声が二人のいずれの声でもなかったことは確かだ。
――・オーデンハイマー、レストラン経営。みずから証言を買って出た。フランス語が話せないので、通訳を介して証言した。アムステルダムの生まれ。悲鳴が上がったころ、建物の前を通りかかった。悲鳴は数分、おそらくは十分ほど続いた。延々と続く絶叫で、ぞっとするような声だった。建物の中に入った者の一人。これまでの証言と食い違う点が一つ。金切り声はフランス人男性の声に違いない。言葉は聞き取れなかった。大声で、早口で、乱脈で、怒りと恐怖に駆られて発しているように聞こえた。金切り声というよりも、不快な声だった。金切り声というのは当たらない。どら声は「畜生サクレ」「外道ディアブル」と繰り返し言い、一度は「馬鹿モン・デュー」と言った。
ジュール・ミニョー、ドロレーヌ街の「ミニョーと息子」という銀行の経営者。若旦那ではなくて、大旦那の方。レスパネー夫人には多少の財産があった。八年前の春、当行において口座アカウントを開設。少額の預け入れがしばしばあった。初めて引き出しがあったのは亡くなる三日前で、計四千フランを本人みずからが受け取りに来た。これは金貨で支払われ、行員クラークが金をたずさえて自宅まで送り届けた。
アドルフ・ル・ボン、ミニョー銀行の行員クラーク。問題の日の正午ごろ、計四千フランの金貨が入った二つのバッグを下げて、レスパネー夫人の自宅まで同行した。玄関のドアが開くと、レスパネー嬢が現れ、バッグの一つを受け取った。もう一つのバッグは夫人に手渡した。ぺこりとお辞儀をして立ち去った。当時、モルグ街に人影はなかった。寂しい裏通りだ。
ウィリアム・バード、仕立屋。建物内に入った者のうちの一人。イギリス人だが、パリに二年住んでいる。階段を上がった先頭集団の中にいた。言い争う声を聞いた。どら声はフランス人の声だった。数語が聞き取れたが、すべてを記憶しているわけではない。「畜生サクレ」と「馬鹿モン・デュー」とははっきりと聞いた。それと同時に数人の者が四苦八苦ストラッグルする物音――せわしない摺り足スクレイピング足を引きずりながらの早歩きスカッフリングの音を聞いた。金切り声は大声で、どら声よりも大きかった。イギリス人の声ではない。ドイツ人の声のような気がした。女性の声だったかも知れない。ドイツ語はわからない。
上記の目撃者のうち、四人が再聴取を受け、レスパネー嬢の遺体が発見された部屋へと一行がたどり着いた時、ドアは内側から施錠されていたと証言した。建物内は静まり返り、誰の声も、何の物音もしなかった。室内には誰も見当たらなかった。玄関側と裏庭側の部屋の窓はともに下ろされ、内側から固く閉ざされていた。二室の間のドアは閉ざされてはいたが、施錠されてはいなかった。玄関側の部屋から廊下へと通じるドアは施錠されていて、キーが内側から差し込まれていた。四階の廊下の玄関側の突き当たりの小部屋は施錠されておらず、ドアは半開きになっていた。中には古い寝具ベッド長持ちボックスの類が押し込まれていた。すべて取り出され、綿密に調べられた。建物内はすみずみまで厳重に捜査された。煙突は「ほうきスウィープ」を用いて点検された。建物は四階建てで、マンサード型の屋根裏部屋がある。屋根にはハッチ式の隠し扉トラップ・ドアがあるが、厳重に釘付けされていて、長年使用された形跡がない。言い争う声を聴いてから大部屋のドアを突破するまでの間に、どれほどの時が流れたかについては証言が一致しない。ほんの三分という者もいれば、たっぷり五分という者もいる。大部屋のドアをこじあけるのはひと苦労だった。

「こんな不可解な事件はかつてなかった」

アルフォンゾ・ガルシオ、モルグ街の住民。スペイン生まれ。建物内に入った者の一人。階段は上がらなかった。神経質なたちで、心臓に悪いと思った。言い争う声を聞いた。どら声はフランス人の声だった。何と言っているかはわからなかった。金切り声はイギリス人の声に間違いない。英語は知らないが、イントネーションでわかる。
アルベルト・モンターニ、菓子職人。最初に階段を上がった一行のうちの一人。問題の声を聴いた。どら声はフランス人の声だった。数語が聞き取れた。相手を制止しているように聞こえた。金切り声の言葉は聴き取れなかった。早口で、乱れていた。ロシア人の声だと思う。他の証言と大筋において一致。本人はイタリア人で、生粋ネイティヴのロシア人との会話は経験がない。
再聴取を受けた数人の目撃者が、四階のどの部屋の煙突も狭すぎて、人が通ることは不可能だと証言した。「ほうきスウィープ」とは煙突掃除人が使う円筒形のブラシのことで、建物内の全煙突がこのブラシを用いて捜査された。一行が階段をのぼる間に、人が逃げられるような非常階段などは設置されていない。レスパネー嬢の遺体は煙突に強く押し込まれ、数人がかりで引きずり出さなければならなかった。
ポール・デュマ、医師。検屍のため、当日の明け方に呼ばれた。両婦人の遺体はレスパネー嬢が見つかった部屋の寝台の粗布サッククロスの上に横たえられていた。レスパネー嬢の遺体には多くの打撲傷と擦過傷とが見られた。煙突に下から押し込まれた際についた傷であろう。のどの皮膚が広範囲にわたってすりむけていた。あごの真下に深い爪痕クラッチが数ヶ所、明らかに指のあとと見られる一連の青あざを伴っていた。顔面ははなはだしく変色、眼球は眼窩からはみ出していた。舌は部分的に噛み切られていた。みぞおちに巨大な圧迫痕、膝を圧着した際に出来たものと見られる。氏の見解では、レスパネー嬢の死因は一人もしくは複数の未知の人物による絞殺。レスパネー夫人の遺体は損傷著しかった。右腕と右脚のすべての骨が多少なりとも折れていた。左の肋骨と脛骨とは粉砕されていた。全身が変形、変色していた。いかなる原因によってこのような状態となったのかは不明。怪力を有する男性が、木製、または鉄製の棒、もしくは椅子などの巨大な鈍器をふるったならば、このような結果が生ずるかも知れない。女性の力ではいかなる凶器を用いても不可能である。夫人の頭部は、検屍の際には完全に胴体から分離していたが、これまたはなはだしく損壊していた。のどは明らかに鋭利な刃物――おそらくは剃刀かみそり――で切り裂かれていた。
アレクサンドル・エチエンヌ、外科医。デュマ氏とともに検屍に呼ばれた。氏の検証を保証し、氏の見解に同意する。
他にも数人から聴取が行なわれたが、有力な情報は得られなかった。仮にこれが超常現象ではなく、本当に人的事件だとして、このように不可解な事件がパリで起こったことはかつてなかった。警察の捜査は前例のないほど難航している。にもかかわらず、手がかりらしきものは何一つない。

同紙の夕刊にはサンロック地区が今なお騒然としていること、くだんの建物が念入りに再捜索リサーチされ、目撃者たちの取り調べがあらためて行なわれたが、何ら得るところはなかったことが記されていた。にもかかわらず、速報として、アドルフ・ル・ボンが逮捕投獄された由、追記されており、「既報の事実以上のいかなる嫌疑によるものか不明」とのことだった。

「真理は井戸の中にあるとは限らない」

デュパンはなぜかこの事件に興味津々の様子だった。少なくとも私は彼の態度マナーからそう判断した。なぜなら彼はこれについて口を閉ざしていたからである。ル・ボンが投獄されたと知って彼は初めて沈黙を破り、私に「この事件についてどう思うか」とたずねた。
パリの全市民と同様、私はこの事件は迷宮入りだと思っていた。犯人を突き止めるにはどのような手段を採ればいいのか、見当も付かなかった。
「こんな捜査の形骸シェルから」とデュパンは言った。「手段を云々うんぬんしてはいけない。パリ警察はその洞察力ゆえに絶賛されているが、実はただ単にずる賢いに過ぎない。彼らの捜査には方法メソッドがない。その場限りの方法メソッドしかない。彼らは数多くの道具メジャーを持っているが、それが往々にして、対象に正しく適合していない。町人貴族ムッシュ・ジュルダンの『部屋着を持ってきてくれ、音楽がよく聴こえるように』という台詞せりふを思い出すよ。彼らは驚くべき成果を上げることも多いけれども、そのほとんどは単なる刻苦精励の賜物たまものだ。この得意技クォリティが効かないと、彼らの目論見は頓挫する。たとえばフランソワ・ヴィドックは推理の達人で、しかも根気強い男だった。ただ教育を受けていなかったから、彼自身の思い込みの強さに絶えずつまずいていた。彼は対象に近づきすぎるから、かえって対象が見えないのだ。それでは一、二の点については熟視できても、必然的に、木を見て森を見ない愚を犯してしまう。考えすぎはよろしくない。真理は井戸の中にあるとは限らない。事実、僕は真理は常にうわつらにしかないと考えている。われわれは真理を深い谷底に探すけれども、実は山のてっぺんで丸見えになっていたりする。この手の錯覚の態様モード要因ソースとは天体観測に典型的に見られる。星はちらりと見なければならない。星をはっきりと見るためには、直視するのではなく、網膜の外側の部分(網膜の内側の部分よりも微弱な光に対する感受性が強い)を向けて、横目で見なければならない。それが星の光を感じるベストの方法だ。星は真っ正面から見るとかえって見にくくなる。確かに直視した方が多量の光が目に入るが、横目で見た方が光を豊かに感じるためのより錬磨された能力キャパシティが得られるのだ。考えすぎは知性を混迷させ、無力化する。たとえあの煌々こうこうたる金星ヴィーナスといえども、あまりにも長く、あまりにもしげしげと、あまりにもあからさまに見つめられれば、恥ずかしさに身を隠してしまうかも知れない。
「だからこの事件については、考えをまとめる前に、われわれ自身で少し調べてみよう。きっと面白いよ」(この言葉は不謹慎だと私は思ったが、黙っていた)「それにル・ボンには昔、世話になったことがあって、僕は今でも恩義を感じている。行ってじかに現場を見よう。僕は警視総監のG――を知っているから、必要な許可はすぐに下りるはずだ」
許可が下りたので、われわれはさっそくモルグ街へとおもむいた。それはリシュリュー街とサンロック街とに挟まれたあの陰気な街路のうちの一つだった。現場はわれわれが住んでいるところからとても遠く、われわれが着いたころには正午をだいぶ回っていた。今なお多くの野次馬たちが、通りの向かい側から、閉め切られた鎧戸シャッターを眺めていたので、くだんの建物はすぐにわかった。それはパリのどこにでもありそうな建物で、玄関のドアのかたわらにガラス窓付きの小部屋ボックスがあって、窓ガラスに「管理人室ロジュ・ド・コンシェルジュ」との表示があった。建物に入る前に、われわれはまず建物の前を通り過ぎ、それから角を曲がって路地に入り、さらに角を曲がって、今度は建物の裏手に出た。デュパンくだんの建物のみならず、その近隣全体を細心の注意をもって見まわしていたが、何がそんなに気になるのか、私にはとんとわからなかった。
もと来た道を引き返し、ふたたび建物の正面に出たわれわれは、呼び鈴を鳴らして証明書を見せ、管理者の代理人エージェントたちによって中へ通された。われわれは階段を上がって、レスパネー嬢の遺体が見つかった部屋に入った。そこにはお二人のご遺体がまだ寝かされていた。室内は、通常通り、手つかずのままになっていた。私にはすべてが『ガゼット・デ・トリビュノー』紙の報道通りに見えた。デュパンはご婦人方のご遺体も含め、すべてをつまびらかに吟味していた。それからわれわれは他の部屋を見てまわり、裏庭に出た。警官ジャンダルムが一人、われわれに終始付き添っていた。われわれは暗くなるまでそこにいて、暗くなってから引き上げた。帰路、デュパンはある日刊紙のオフィスに少し立ち寄った。