魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

エドガー・アラン・ポー原作「アッシャー家の崩壊(The Fall of the House of Usher)」

「ライジーア」と「アッシャー家の崩壊」は恋物語ラブストーリーだ。――D. H. ローレンス

「アッシャー家の崩壊」も多く映像化されている小説で、確か音声ドラマ化もされていたように記憶します。そのすべてをチェックしたわけではありませんが(そんなこと出来るわけがない)、中に語り手の「私」を女性に設定したものが幾つかありました。このような改作は、おそらくポーが見たら憤慨しただろうと思います。なぜかというと、この話のクライマックスは、周知の通り、ロデリック・アッシャーが深夜に「私」の寝室を訪れるシーンなのですが、おそらく当時の常識では、独身男性が深夜に独身女性の寝室を訪れるなどということは極めて破廉恥な行為だと考えられていただろうからです(相手が娼婦か情婦なら別ですが)。ポーは無類の女好きでしたが、同時に紳士でもあったので、その辺はきちんとしていただろうと、私は思います。
ただ「私」が女性だと仮定すると、この物語の近親相姦的な構図が透けて見えてくる、という利点はあります。新たに現れた「私」に心を移した不実な兄を責めるために、妹があの世から舞い戻ってくる、というわけですね。


彼女の心は琵琶のいと
触れればたちまち鳴り響く ――ド・ベランジュ

 

 

それは絶対に解けない謎であった。

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1950年に公開されたイギリスの白黒映画「アッシャー家の崩壊」のワンシーン。darkermagazine.ruより。

暗雲が低く垂れ込めるある静かな秋のひと日を日もすがら、私は馬に乗って、不思議なほど荒寥とした地方を通り過ぎた。そして夕闇が迫るころ、ようやく陰気なアッシャー家が見えるところまでたどり着いた。何故かは知らない、だがその建物をひと目見た途端、私の心は耐え難い悲しみにむしばまれた。「耐え難い」と私は言う。それはこの悲しみが、悲惨で恐ろしい事実のもっとも容赦ないありのままの姿ナチュラル・イメージからも通常われわれが感受する、詩的であるがゆえになかば快 い感覚によって、緩和されることがまったくなかったからである。私は目の前の景色を見た。ただの家と土地とのシンプルな景観――寒々とした石壁――虚ろな目のような窓々――二、三のランクをなしているすげ――二、三本の枯れ木の白いトランク――そうしてこれらを見た時に私が感じた暗い気持ちは、これに比すべきものとしては阿片による幻覚からの覚醒――日常生活へのつらい復帰――ヴェールで隠されていたものとの恐ろしい直面――以外に何も思い浮かばなかった。そこには寒気さむけ、意気消沈、胸のむかつき――何かどうしようもない絶望感のようなものがあって、如何なる想像力の鞭撻もこれを荘厳なる感情へと叩き直すことはできなかった。それは何だろうか。私は立ち止まって考えた。アッシャー家を見た私をこんなにも打ちのめしたものは何だろうか。それは絶対に解けない謎であった。私は自分の頭に雲集してくる暗い考えに立ち向かうことすらできなかった。人をこのように魅する力を発揮しているのは、疑いもなく、きわめてシンプルな自然の物体の組み合わせコンビネーションに過ぎないにもかかわらず、この魔力の分析はわれわれ人間の知性の手に余るという不本意な結論に、私は甘んじざるを得なかった。また私はこの場面の部品、この絵の構成要素を単に配置転換するだけで、この悲しい印象の力を緩和し、あるいは消し去ることができるかも知れないとも考えた。このような考えに基づいて、私は家のかたわらの鏡のように澄んでいる黒い沼の切り立った岸辺に馬を止めて、下を見たが、灰色のすげや、白い木のステムや、虚ろな目のような窓々の再構成された逆さの影と出会って、以前にも増してさらに慄然としただけだった。

彼女は度を過ぎて慎み深かった。

にもかかわらず、この陰気な家に私は数週間滞在するという計画を立てていたのだった。所有者のキャロライン・アッシャーは私の女子校時代の友人のうちの一人で、最後に会ってから長い年月が経過していた。ところが最近、遠方に住む私のもとへ、一通の手紙が届いた。それは彼女からの手紙で、その異常な緊急性は、内々の返答以外の返答を許さなかった。彼女はその手紙の中で、自身を苦しめている急性の肉体的疾患および精神障害メンタル・ディスオーダーについて述べ、「私の最良のお友だちベスト・ フレンド、私の事実上たった一人の個人的なお友だちとして、是非ともお会いしたい、それはあなたの友情ソサエティの力にあずかることで、私自身の病苦を少しでも軽減したいという思いからである」などと書いていた。彼女がこれらのことすべてやその他について書く書き方――私の来訪を求める彼女の真情らしきもの――が私に躊躇する余地を与えなかった。それで私はそれにしても奇怪な呼び出しだとは思いながらも、これに素直に従うことにした。
学生時代、親友と言ってよかったにもかかわらず、私は彼女のことをほとんど知らなかった。彼女の度の過ぎた慎み深さリザーブはいつも付け入る隙がないほど板についていた。とは言え私の知るところでは、彼女の旧家は大昔から強い感受性センシビリティで知られ、それは長きにわたって多くの優れた美術作品に現れ、近代においては人目を避けた惜しみない慈善行為の繰り返しとともに、音楽研究ミュージカル・サイエンズへの情熱的な貢献、それも伝統的オーソドックスなわかりやすい美の追究よりも、それを超えた斬新かつ複雑精緻な探究への貢献のうちに示されていた。また他にも私が知っていたのは、アッシャー家は今も昔も非常な名家であるにもかかわらず、如何なる時代にも長続きのする分家ブランチを持ったことがなく、言い換えれば、一族全体が直系の子孫だけを持ち、これまで何ら取るに足りない、短命な支流ヴァリエーションしか持たなかったという注目すべき事実だった。私の考えでは、世人はこの土地家屋プレミスの完全なる保持と、そこに住む人々の認定された性格とを想像の中で重ね合わせ、また長い間に双方が相手に及ぼした可能性のある影響をも思い合わせることで――おそらくこの傍系の子孫がないということ、およびこの家名と世襲財産との父より子への、連綿たる、逸脱なき継承トランスミッションによって、遂にこの二つを同一視し、土地家屋エステーの本来の称号と、この「アッシャー家」という奇妙な、どちらの意味にも取れる呼び名とを混同するに到ったのであった。この「アッシャー家」という呼び名は、これを使う小作人たちペザントリーの間では、アッシャー家一族とその邸宅との両方の意を含んでいた。

沼の中をのぞき込むという私のいささか幼稚な実験が、ただ最初の奇妙な印象を強めるだけの結果に終わったことは既に書いた。私の迷信としか言う他はないものの急速な増大を意識することが、その増大を加速アクセレートさせるばかりであったことは疑いの余地がない。それは恐怖に根ざしたすべての感情の逆説的法則である。そうして私が池に映った影から家そのものへとふたたび目を移した時に、私の頭に奇妙な考えが浮かんだ理由はこれしかなくて、その考えはあまりにも馬鹿馬鹿しくて、今はただ私を襲った諸感情の生々しい力を示すために言及するに過ぎない。私はこの家と土地のまわりにはある雰囲気が――それら自身にとっても、またその近辺にとっても特異なある雰囲気が漂っていて――それは天空の気とはぜんぜん親和性がなく、ただ枯れ木や灰色の壁や静かな沼から匂い立つもので――その雰囲気とはすなわち、ほとんど検知できない、どんよりとした、鉛色の、有毒な謎の水蒸気に違いないのだという気がしたのである。
夢以外の何物でもないこんな妄想を振り払いつつ、私はこの建物の現実的な外観をさらに念入りに吟味した。その主たる特徴はあまりにも古すぎるということらしかった。一切が古色蒼然としていた。微細な菌類が外装全体にひろがり、蜘蛛の巣のように細い糸がもつれた状態で、軒端から垂れ下がっていた。しかし古いと言っても荒れ果てているわけではなかった。崩落している箇所はなかった。そして建築の各部分の未だ完全なる適合状態と、個々の石材の崩壊寸前の状態の間には、わけのわからない食い違いがあるように思われた。それは墓穴に何年も放置され、絶えて外気にさらされることなく朽ち果てた木製の棺桶のもっともらしい外観を大いに連想させた。この広範囲にわたる老朽化の兆候以外、その建物がぐらついているという証拠トークはなかった。ただ鋭い観察眼の持ち主ならば、ひと筋のほとんどわからない程度の亀裂を見つけたかも知れず、それは建物の正面の屋根から下へ向かって、壁面をジグザグに走り、沼の不気味な水の中へと消えているのだった。
以上の点に注意しながら、私はその家に向かって短い土手道を越えた。そして待ち受けていた下男に馬を預けて、玄関のゴシック風の拱廊アーチウェイに入った。一人のメイドが忍び足で現れて、口を閉ざしたまま、そこから女主人の仕事場スタジオへと続く長く入り組んだ通路を案内した。道中、私が出会ったものは、何故かは知らないが、先に述べた漠たる感情をいや増すものばかりだった。私の周囲の物体――天井の彫刻や、色のくすんだタペストリーや、黒檀のように黒い床や、私が闊歩するにつれて音を立てたお化け屋敷的ファンタスマゴリックな紋章入りの戦利品トロフィーの数々は、私が幼い頃から親しんでいたもの、あるいはそれに類するものに過ぎなかったにもかかわらず――このすべては見慣れたものだとすぐにわかったにもかかわらず――その姿が掻き立てる雰囲気ファンシーの何と意外なことかと私は驚き怪しまずにはいられなかった。階段のうちの一つで、私はこの家のかかりつけ医と出会ったが、その顔には卑しい悪知恵と当惑とが現れていた。彼はあわただしく挨拶して行ってしまった。さて、メイドは一つのとびらを開け放ち、女主人の面前プレゼンスへと私を導いた。
その部屋はとても広くて天井が高かった。窓は縦に細長い菱形で、黒い樫材で出来た床から遠く、室内では手の届かない位置にあった。その窓格子トレリスから、微かな真紅クリムゾンの光がさして、周囲のめぼしい物体を照らし出していた。しかし部屋の四隅は暗く、雷文細工フレットワークが施されたヴォールト天井の奥もまた真っ暗で、何も見えなかった。四壁は暗い色調の布飾りドレーパリーで覆われていた。所狭しと並べられた家具は一般に古風アンティーで、寂しげで、傷んでいた。たくさんの本と楽器がその辺に散乱していたが、この光景に活気ヴァイタリティを吹き込むには足りなかった。私は悲しみの空気を吸い込んだ。深刻にして救いがたい陰鬱の気が、すべてを覆い、すべてに行き渡っていた。

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ウィリアム・モリスがデザインしたトレリスの壁紙。ウィキメディア・コモンズより。

とは言え今も昔も彼女は美人には違いなかった。

私が来ると、キャロラインはそれまでごろりと寝そべっていたソファから立ち上がって、明るい声を上げて私の手を握ってくれたが、私は最初、そこにはある誇張された親切というか、人生に倦怠アンニュイを感じている世間ずれした女の無理な努力、といったものを少なからず感じた。とは言え彼女の顔をひと目見て、その心に嘘はないと私は確信した。私たちは腰を下ろし、そうして彼女が言葉を探している間に、私は彼女の様子を見ながら、可哀想にと思う反面、怖いとも思った。確かにキャロライン・アッシャーほど短期間に見る影もなく変わり果てた人間を私は見たことがなく、私の少女時代のお友だちと、いま私の目の前にいる半病人との間に同一性アイデンティティを認める気になるのは至難の業であった。とは言え今も昔も彼女は美人には違いなかった。真っ青な顔色。比類なく大きく、澄んだ、明るい目。唇はやや薄くて大変色あせてはいたが、それでも抜群に魅力的な曲線カーブを描き、鼻の形は繊細なヘブライ風で、それでいて鼻の穴は大きくて形が綺麗にそろっており、造作の小さな顎はあんまり出っ張っていないことで気迫モラル・エナジーの欠如を物語り、頭髪は蜘蛛の巣よりもソフトで薄く、これらの部品すべてが、非常に大きなひたいとともに、一度見たら容易に忘れられない顔立ちを形作っていた。そしてこの顔立ちにおける優勢な特質が誇張され、またこの顔に常に浮かんでいた表情が強調されているというだけで、彼女はあたかも別人のごとく、私は誰に向かって話しかけているのかわからなくなるほどだった。何よりもその血の気のない素肌の色と、爛々たる目の輝きに、私は驚き、怖じ気づきさえした。絹糸のように輝かしい銀髪もまた伸び放題で、それが野生の蜘蛛の巣状態で顔のまわりに流れていたというよりも浮かび漂っていたので、その唐草模様アラベスク風の表現エクスプレッションは乱れ髪というよりも何か人間離れしていた。
私がまず驚いたのは彼女の態度にむらがあり、一貫性がないことだった。そうしてそれがある常態的振戦、ある過度の神経的興奮を克服しようとする一連の無駄で無力な悪戦苦闘から来るものであることにすぐに気がついた。この種の事柄については、私は彼女の手紙からも、少女時代のある性癖の記憶からも、彼女の特異な気質と体質による推断からも重々承知していた。はしゃいでいる彼女とふさぎ込んでいる彼女が交互に現れた。彼女の声は(血気アニマル・スピリッツがぜんぜん足りない時の)女々しい震え声から、元気で歯切れのいい声――素っ気なく、重厚で、落ち着いた、よく通る声――ぐでんぐでんに酔った者や、治療不能な阿片中毒患者が極度に興奮した時期に発するあの鉛のように重い、自己抑制セルフ・バランスの効いた、完全に調音モジュレート済みの低いしわがれ声へと、すばやく変化した。
このような調子で彼女は「キャロライン・アッシャーです。会いたかった。あなたがくれる元気に期待しています」と言った。それから自分の病気の性質についての彼女の考えを、少し詳しく話し始めた。それは彼女の一族の体質的な病気で、治療法を探すのはあきらめたと彼女は言ったが、ただの神経病で、すぐに治ってしまうに違いないとも即座に付け加えた。その病気は患者をもろもろの異常な感覚の宿主ホストとするという症状を呈した。そのうちの幾つかは、彼女が語るにつれ、私を面白がらせるとともにまごつかせたが、それには彼女の用語と全体的な話しぶりとがあずかって力があった。彼女は五感の病的な鋭敏さに苦しんでいるのだった。味のない食べ物しか食べられない。ある種の生地の服しか着られない。花の香りはすべて息苦しい。ほんの微かな光にも目を痛めてしまう。そうしてある種の音、特にある種の弦楽器の音以外の音は、すべて彼女にとっては恐怖ホラーだった。
彼女はある例外的な種類の恐怖の奴隷であった。「私は死ぬのよ」と彼女は言った。「こんなにも情けなく、馬鹿馬鹿しいことで、死ななければならない。他でもない、そんな死に方で私は死ぬの。私は未来の出来事そのものが怖いのではなく、その結果が怖い。如何にささいな出来事とであろうと、私の心に耐え難い動揺を引き起こすと考えると恐ろしい。私は実のところ、危険そのものよりも、その絶対的な結果である恐怖テラーというものが嫌なの。こんなにも心の挫けた、こんなにも憐れむべき状態で、『恐怖フィアー』という名のむごたらしいファンタズムと苦戦しながら、遂には正気を失い、命をも投げ出さなければならない時が、いずれ来るのよ」
私はさらに、彼女が話をしながら、折にふれ、我知らずばらまいていた幾つかのヒントによって、彼女の病気の他の奇妙な一面を知った。彼女を縛りつけていたのはある迷信で、それは彼女が長年閉じこもっていて今も住んでいる家に関する迷信――その影響力についての彼女の言葉は曖昧すぎてここには書けない、そんな影響に関する迷信――彼女の言うところによれば、彼女の家の単なる外づらフォーム中身サブスタンスとが持つ幾つかの特質が、それが何世紀にもわたって持ちこたえているという事実によって、彼女の精神にもたらしたある影響に関する迷信――灰色の城館や小塔、およびそれらが影を映している暗い湖沼の形象フィジーが、彼女の心理モラルに及ぼしたある効果に関する迷信、であった。

私はただそのお姿を呆然と目で追っていた。

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「レディ・マデライン」。Abigail Larsonさんがdeviantart.comに投稿した画像。元画像はこちら

とは言え、彼女がためらいながらも認めたのは、彼女をこのように苦しめている特異な症状の多くは、もっと当然な、もっと明々白々たる原因によるものかも知れず、それは彼女の妹さん、すなわち彼女の長年にわたるたった一人の友であり、彼女の唯一にして最後の血縁者であるところの最愛の妹さんが、不治の重病に侵され、しかも刻々と死期が近づいているという事実だった。「あの子がいなくなると」と彼女は私が決して忘れることのできない口調で言った。「私は(こんなにも弱虫で、駄目な私は)この旧いアッシャー家の最後の末裔となってしまうの」。彼女が話している最中に、マデラインさん(妹さんの名)が現れて、部屋の向こうの方を、私に気づかないまま、通り過ぎて行かれた。私は彼女を見て愕然とし、またぞっとしたが、何故かはわからなかった。私はただ通り過ぎてゆくそのひとのお姿を呆然と目で追っていた。妹さんが外に出て、ドアが閉ざされると、私の視線は本能的に姉上の方へと注がれた。しかし彼女は両手で顔を覆い、私はただ彼女の細い指がますます血の気を失って、その間からはらはらと涙がこぼれ落ちるのを見ただけだった。
マデラインさんの難病に、医師たちは長年、手こずってきた。その異常な所見としては根強い無気力アパシー、漸進的な肉体的衰弱、そして部分的な強硬症カタレプシー性の頻繁ではあるが一時的な症状があった。彼女はこれまで病魔の圧力によく耐えて、病床に就くまでには到らなかった。しかし(キャロラインがその夜、ひどく取り乱した様子で告げたところによれば)私がアッシャー家に到着した日の夕暮れ、死病デストロイヤーの圧倒的な力の前に屈服してしまったのだった。そして私はおそらく、その日、マデラインさんのお姿をちらりと拝見したのが見納めとなるだろう――つまり私はマデラインさんに、少なくとも生きているマデラインさんにお目にかかる機会はもう二度とないだろうということを知った。

私たちはともに絵を描き、本を読んだ。

それから数日間、キャロラインも私も、マデラインさんの名を口にすることはなかった。そしてその間、私はキャロラインのうつ症状メランコリーを緩和しようとする真剣な努力で忙しかった。私たちはともに絵を描き、本を読んだ。彼女の物言うギターの心躍る即興演奏インプロヴィゼーションにうっとりと耳を傾けたこともあった。こうして彼女と親密な上にも親密な間柄となり、彼女の心の中へずけずけと入っていけるようになるにつれて、彼女の心を奮い立たせようとするあらゆる努力が無駄であることを私はますます痛感した。彼女の心からは暗黒が、 あたかも固有の正極的性質ポジティブ・クオリティのごとく、憂愁の気の不断の放射となって、精神界、および物質的世界におけるすべての対象の上に、力を及ぼしていた。
このようにしてアッシャー家の女主人と二人きりで過ごした長く、しめやかな時間を、私は生涯忘れることはないだろう。とは言え彼女が私を巻き込み、あるいは私に指南した勉強、もしくは仕事の正確な性質をいささかなりともお伝えすることは難しい。気のたかぶった、極度に病的な美意識アイディアリティが、すべてのものに硫黄色の光を投げかけていた。彼女が即興でいてくれた長い悲歌ダージの数々は、私の耳の中で永遠に鳴り響くことだろう。中でも痛ましく思い出されるのは、フォン・ウェーバーの最後のワルツの狂気を敷衍し、歪曲した、ある非凡な一曲のことである。彼女がその想うところを丹念に描き出した絵画作品、それは一筆ごとにわけがわからなくなり、見ている私がなぜ慄然とするのかわからない故になおいっそう慄然とさせられた絵画作品(私はそれらをいまだに生々しく記憶している)からは、単なる言葉による記述の範囲コンパスに収まるほんのわずかな部分以上のものを導き出そうとしても無駄であろう。一切の回り道なしに、画家の意図するところを赤裸々に示すことで、彼女は観る者の心をとらえ、圧倒した。もし観念アイディアを絵にした人間がいたとすれば、それはキャロライン・アッシャーだった。少なくとも、私にとっては――その頃の私を取り巻いていた環境においては――そこに在ったのは、病気不安症患者ヒポコンドリアックが苦心してキャンヴァスに描き出そうとしたもろもろの純粋に抽象的な観念から紡ぎ出された熾烈にして耐え難い恐怖の念で、私がこれに似た印象を受けたのは、フュースリーの確かに見事な、とは言えあまりにも具象的な幻想絵画を観た時だけだった。

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ヨハン・ハインリヒ・フュースリー「悪夢ナイトメア」。ウィキメディア・コモンズより。

私は彼女の奇抜な絵のうちの一枚を、それはそれほど抽象の精神に貫かれてはいなかったので、おぼろげながらも、言葉で言い表せるかも知れない。一枚の小さな絵、そこに描かれていたのはきわめて細長い四角形の墓穴、もしくは地下道トンネルの内部で、その天井は低く、その壁は白くなめらかで、継ぎ接ぎもなければ何の付け足しバイスもなかった。絵の枝葉末節アクセサリー・ポイントが、その空洞が地下のきわめて深いところにあるという考えを伝える上で、よく役立っていた。その広大な空間のどこにも出口がなく、松明などの如何なる人工的な光源も見当たらなかったにもかかわらず、強烈な光芒がその一帯に横溢し、一切のものがそれに照らされて、凄惨な、当を得ない輝きに包まれていた。

「幽霊宮殿」

既に書いた通り、彼女の聴覚神経は病的に鋭敏で、ある種の弦楽曲以外、どんな音楽をも聴くことができなかった。その表現手段をギターのみに絞ったことで、おそらく、彼女の演奏パフォーマンスは甚だしく奇矯ファンタスティックな性質を持つに到ったのだと思われる。とは言え、それは彼女の素晴らしい即興の才を説明できるものではない。彼女の即興曲は、先に述べたようなもっぱら人為的な技巧による高揚感の特異な瞬間においてのみ見られる、強烈な精神集中が、奇想天外な音と言葉(彼女は自作の即興詩によく曲を付けていたから)となって現れた結果に違いなく、事実そうなのだった。そのようなラプソディのうちの一つの歌詞を、私は簡単に覚えてしまった。私がそれに他の作品よりも格段に深い感銘を受けたのは、キャロラインがそれを歌ってみせてくれた時、その謎めいた言葉の流れのうらに、彼女の高邁な理性がその玉座の上でぐらついていることを、彼女の方でも充分に自覚しているという意味が隠されているように思われ、彼女がそんな自覚を持っているかも知れないと私が気づいたのは、おそらく、それが初めてだったからである。「幽霊宮殿」というタイトルのその歌は、たとえ正確ではなくても、大体こんな歌だった。

I.

もっとも美しい谷
善良な天使たちが住み家としていたある谷間に
かつて堂々たる 見事な宮殿が
光り輝く宮殿が そびえ立っていました
「思想」という名の王様の領地に
それは屹立していたのです
如何なる天使も このように美しい建築の上に
翼を広げたことは かつてありませんでした

II.

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歴史的城塞都市カルカソンヌ」のランパート。Image by jacqueline macou from Pixabay


輝かしい金色こんじきの旗印が
屋根の上にひるがえり たなびいていました
(これはすべて 遠い昔からの
言い伝えの中の出来事です)
吹く風のことごとく戯れ遊ぶ
その良き時代においては
羽根飾りのある蒼白い城砦ランパートに沿って
翼ある薫香が飛び立つのでした

III.

この幸せな谷間を旅する者が
二つの明るい窓を通して目にしたものは
玉座をめぐり よく調律されたリュートの音に合わせて
見事に舞い踊る精霊スピリットたち
そうしてその中央に垣間見られたものこそ
正統なる王位継承者ポーフィロージニー!)
その栄光にふさわしく鎮座まします
この国の支配者のお姿でした

IV.

そうして宮殿の美しいとびらは
あらゆるルビーとパールとで飾られ
そこからきらきらと輝きながら
滔々と流れ出るのは
木霊エコー」と呼ばれる美少女たちの一群
彼女たちのたった一つの楽しいお仕事は
その比類なき美声をもって
王様の才と知とをほめ歌うことでした

V.

ところがある日「不幸」という名の上着ローブをまとった悪者どもが
この王様の高御座たかみくらを襲ったのです
(ああ ともに歎こう なぜなら彼の上に
新しい日は二度とのぼらないから)
そしてかつては彼のふるさとを取り巻くようにして
花咲いた栄華の日々も
今は調べてもわからないことだらけの
遠い昔の物語となってしまいました

VI.

今ここを旅する者が見るものと言えば
充血した窓から いやなメロディに合わせて
何かしら巨大な影が
妖しく舞い踊るありさ
その一方で 色あせたとびらからは 山を下る川のように
みにくい魔女たちが いついつまでも
ほとばしり出てきて ただげらげら笑うばかり
にこやかに微笑ほほえむことは もう二度とない

「物質が感情を持っている証拠は」と彼女は言った。

よく覚えているが、この歌から読み取れる幾つかの思想について私たちが議論を重ねた結果、キャロラインのある持論オピニオンが明らかになって、いま私がそれに言及するのは、それが新奇だからではなく(他にも同じ考えを持っている人たちがいるから*1)、彼女が頑固にそれを言い張ったからである。それはわかりやすく言えば、すべての植物が感情を持っている、というものであった。ところが彼女の常軌を逸した妄想の中では、このアイディアはさらに大胆な性状を呈し、ある条件下では無機物の領域キングダムをも侵犯した。彼女がこれを主張する時の最大級の、一生懸命な傍若無人ぶりはとても言葉では言い尽くせない。とは言えこの信念は(私が先に暗示したように)アッシャー家を形作っている灰色の石材と関係があった。物質が感情を持つ条件は、彼女の考えでは、これらの石材の組み合わせコロケーションの方法や、配置の順序や、その上にはびこる多くの菌類の配置や、館を取り巻く枯れ木の配置、とりわけこの配置が長年にわたって手を加えられなかったこと、およびこの配置が沼の静止した水面によって二重化されていることによって、充足されているのであった。「物質が感情を持っている証拠エビデンスは」と彼女が言うのを聞いて、私ははっとさせられた。「家や沼が感情を持つことから来るある雰囲気が、少しずつ、とは言え確実に、凝集している事実のうちにあるの」「結果はご覧の通り」と彼女は付け加えた。「その無言の、とは言え執拗で恐ろしい影響が、何世紀にもわたって私たち一族の運命を決定し、私を今の私に――あなたが今見ているようなに、変えてしまったのよ」このような主観論オピニオンには何の注釈も要しないだろうと私は思う。
私たちの愛読書、と言うのはつまり、長年にわたってキャロラインの精神生活の大きな部分を形成してきた書物を言うのであるが、これはお察しの通り、この種の妄想ファンタズムと密接な関係を持っていた。グレッセの『ヴェルヴェルとシャトルーズ』、マキャベリの『大悪魔ベルファゴール』、スウェーデンボルグの『天界と地獄』、ルズヴィ・ホルベアの『ニルス・クリムの地下世界への旅』、ロバート・フラッド、ジャン・ダンダジーヌ、およびマラン・キュロー・ド・ラ・シャンブル の『手相学』、ルートヴィヒ・ティークの『青い彼方への旅』、トマソ・カンパネッラの『太陽の都』を二人は一緒に読んだ。ドミニコ会修道士、ニコラウス・エイメリクスの『異端審問官指南』の小さな八折り版は彼女の一等お気に入りであった。またポンポニオス・メラの『世界地理』の中の古代アフリカの半獣人もしくはアエギパンに関する数節を、キャロラインは何時間も夢中になって読んでいた。しかし彼女の最上のよろこびは『マインツ教会の合唱団による告別式の歌』――今は忘れられた教会の儀式手順書マニュアル――のきわめて珍奇で稀有な四折りゴシック体版をひもとくことであった。

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ニコラウス・エイメリクス(1320年頃 - 1399年)著『異端審問官指南』(1607年版)の表紙。ウィキメディア・コモンズより。

彼女の普段の態度は消えた。

この本に出てくる野蛮な儀式や、これの病気不安症患者ヒポコンドリアックに対する予想される影響について、私は思いやらざるを得なかった。するとある夜、キャロラインは出し抜けにマデラインさんが亡くなったことを告げ、そのご遺体を(最後の埋葬の前に)二週間、建物の中心部にある無数の地下室のうちの一つに保管するつもりだと言った。とは言えこの奇妙な処置に付けられた世間的理由は、私がとやかく言える筋合いのものではなかった。キャロラインがこのような処置に踏み切ったのは、彼女自身の言うところによれば、故人の疾病の普通でない性質や、医師たちからの無遠慮なうるさい詮索や、一族の墓地が遠く離れた、吹きさらしの場所にあるという事実をおもんばかってのことであった。アッシャー家に着いたその日に階段のところで会った男の人相の悪さを思い出すと、私はこのせいぜい無害でしかなく、また決して不自然でもない用心に、取り立てて反対する気にはなれなかった。
キャロラインに頼まれて、私は個人的にこの仮埋葬の段取りを手伝った。ご遺体はすでに納棺されていて、私たちはそれを二人きりで安息所レストへと運んでいった。私たちが棺を置いた地下室は(長年閉ざされていたため、その重苦しい雰囲気の中で松明がなかば消え、それで内部を詳しく調べてみることはできなかったが)狭くて湿っぽく、採光のための窓がまったくなかった。またそれはその建物の私自身の寝室がある部分のちょうど真下の、地下深くにあった。それは見たところ、遠い封建時代には地下の牢獄ダンジョン・キープという最悪の目的に、またのちには火薬か、その他の火気厳禁物質の保管庫として使用されてきたもののごとく、その階のその部分、および私たちが通ってきた長い拱廊アーチウェイの内部全体が注意深く銅板で覆われていた。厚い鉄のとびらもまた同様に銅板で保護されていたけれども、非常に重かったので、蝶番ちょうつがいによる開閉の際に、異様に鋭い軋轢あつれきの音を立てた。
この部屋の長机トレッスルを並べた上に棺を置いてから、私たちはまだ固定されていない棺の蓋を少しずらして、故人のお顔を拝見した。その時初めて、私は彼女たち姉妹が瓜二つであることに気がついた。するとキャロラインは、おそらく私の思っていることを悟って、二言三言ささやき、それで私は彼女たちが双子で、二人の間には不分明な共感シンパシーが常に存在していたことを知った。とは言え私たちは、故人のお姿をほんのちらりと拝ませていただいただけであった。なぜなら恐怖を感じないで彼女を見ていることは無理だったからである。彼女の命を花のさかりに奪った疾病は、厳密に強硬症カタレプシー的な性質を持つすべての疾病の常として、顔と胸部にうっすらとした血の気のごときものを残し、またその唇にとどまっていた怪しい微笑ほほえみは、死者の顔にあっては大変恐ろしいものであった。私たちは棺にふたたび蓋をしてこれをねじで留め、鉄のとびらをしっかりと締めて、この家の上階の同様に陰気な部屋部屋アパートメンツへと難儀して戻った。

そうして深い哀悼の数日間が過ぎたころ、キャロラインの精神障害メンタル・ディスオーダーの症状の上に注目すべき変化が現れた。彼女の普段の態度は消えた。彼女の日課は閑却され、または忘れられた。彼女は乱れた歩調で、あわただしく、あてもなく、部屋から部屋へとさまよった。彼女の血の気のない顔は、可能な時には、さらに血の気のない色を呈した。しかし目の輝きはすっかり消えてしまった。かつては折にふれて聞かれたドスの利いた声ハスキー・トーンももはや聞かれず、これに代わって極度の恐怖によるかのような おどおどした震え声クエイバーが、彼女の普段の声となった。実のところ、私の目には、彼女が心に込めがたい秘密を抱えて絶えず取り乱していて、それを打ち明けるに必要な勇気を求めて苦しんでいるように見えることもあった。また時としてそのすべてを狂人の単なる説明のつかない気まぐれと解せざるを得ないこともあった。なぜなら私は彼女があたかも聴こえない音に聴き入っているかのごとく、長時間にわたって、一心不乱に、虚空の一点を見つめ続けている姿を目撃したからである。彼女の病気が私に恐怖を植えつけ、私に伝染したとしても何の不思議もなかった。私は彼女の荒唐無稽ファンタスティックな、とは言え美しい迷信の大きな影響が、徐々にではあるが確実に、わが身に忍び寄るのを感じた。

「見てないの?」

とりわけ、マデラインさんを地下室ダンジョンに横たえてから七日目か八日目かの夜、私は遅い時間に眠りに就こうとして、そのような感情の最大限の力フル・パワーを経験した。夜が更けても、私は眠れなかった。私は自分を支配している不安感を理性によって解決しようと努力した。その原因のすべてではなくても、多くは部屋の陰気な家具や、あるいは嵐のさきがけたる突風によって無理に動かされ、壁面を断続的にあちらこちらへと揺れながら、ベッドの飾り物のあたりで落ち着きなくさらさらと音を立てている暗い色調の、すり切れたカーテン類ドレーパリーの困った影響であると信じようとした。だが無駄だった。手に負えない振戦が次第に全身に広がり、遂にはわけのわからない恐怖の夢魔インキュバスが私の胸の上に居座った。これを振り払おうと、私は息を切らして輾転反側しながら身を起こした。そうして真っ暗な部屋の中をじっとのぞき込みながら――何故かと問われれば、本能の声に従ったとしか言いようがないが――耳を澄ました。するとどこかわからないところから、ある低い、定かならぬ物音が、風雨の絶え間に、長い間隔インターバルをおいて、聞こえてきた。説明できない、それでいて我慢がならない恐怖の念に駆られて、私は(もう徹夜するしかないと思ったから)急いで服をひっかけ、部屋の中を早足で行ったり来たりすることで、この情けない状態から立ち直ろうと躍起になった。
何往復もしないうちに、隣の階段を駆け上がってくる軽やかな足音がして、それはキャロラインの足音だった。彼女はすぐに優しくとびらをノックし、ランプを手にして部屋の中へ入ってきた。彼女はいつものように真っ青な顔をしていたけれども、その上に、その目には狂喜が輝き、また態度全体に抑制された病的興奮ヒステリアが現れていた。その様子にはぎょっとしたけれども、ただ私としては、それまで長時間我慢していた淋しさに比べれば、何だって有難かった。彼女が来てくれて助かったとさえ私は思った。
「見てないの?」しばらく口を閉ざしたまま周囲を見まわした後で、彼女は不意に言った。「まだ見ていないのかしら。待って。見せてあげるわ」そう言って、ランプに注意深くシェードをかぶせると、彼女は窓の一つに駆け寄り、嵐に向かっていっぱいに開け放った。
私たちを床から持ち上げるほどの暴風が吹きこんできた。それは大荒れの、とは言え厳として美しい夜、その恐ろしさにかけても、美しさにかけても常軌を逸した夜であった。どうやら近辺に発達中の竜巻があるようで、風向きが頻繁かつ乱暴に変わってやまず、そして雲(城館の小塔を圧するほど低く垂れこめていた)のせいで視界が悪かったにもかかわらず、私たちはその雲が遠く去ることなく、あらゆる地点から他の地点へと、生けるがごとき勢いで空を駆けめぐる様子を見て取ることができた。私は今、雲のせいで視界が悪かった、と書いた。事実、夜空には月もなければ星もなく、前方を照らし出してくれる稲光りもなかったのである。しかし濃霧の下面、館をじかに取り巻いているあらゆる地上の物体は妖しく発光しており、そのほのかに明るく、また判然と視覚によって検知できるガスの発生は館をめぐり、これを屍衣シュラウドのごとく包み込んでいた。
「駄目。あなたはこれを見ては駄目」私は身ぶるいしながらそう言うと、優しく力をこめて、彼女を窓から引き離し、椅子に座らせた。「あなたの心を掻き乱すこの光景は、単なる珍しくもない電気現象、でなければ、沼の瘴気が原因ね。この窓を閉めましょうね。夜風は冷たくて、あなたのからだにさわるから。ほら、ここにあなたのお気に入りの本があるわ。私が読むから、あなたは聞いて。そうして二人一緒にこの恐ろしい夜をやり過ごしましょう」
私が手に取った古書はラーンスロット・キャニング卿の『狂気の密会』であった。ただ私がこれをキャロラインのお気に入りと言ったのは、本気でというよりも、悲しい冗談としてであった。なぜなら、実のところ、この著者の生硬で、面白味のない、冗長な表現の中には、彼女の高尚で、非世俗的な美意識アイディアリティを惹きつけるものなど何もなかったからである。とは言え手近にある本はそれしかなかったし、それにこの病気不安症患者ヒポコンドリアックを乱心させている興奮状態が、私が読む話の馬鹿馬鹿しさによってさえ、解消される(精神障害メンタル・ディスオーダーの症例は同様の変則に満ちているのだから)かも知れないという漠然たる希望に、私は惑わされたのだった。実際、もしも熱心に耳を傾けている、あるいは耳を傾けているふりをしている彼女の尋常でない、過度に張りつめた様子から判断してもいいのならば、私は自分の目論見の成功を喜んでもいいはずだった。

彼女は唇をふるわせて弱々しく微笑んだ。

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ハンス・クレル画「オルシャの戦い」(部分)。中央の老騎士が振りかざしているのがメイス。ウィキメディア・コモンズより。

物語は佳境に入って、そこでは『密会』の主人公エセルレッドが、隠者の住処すみかへ穏便に入れてもらおうとして容れられず、強行突破する。この箇所は、周知の通り、このように描かれている。

こうして生まれつき勇猛果敢であるが上に、先ほど飲んだワインの薬効で力がついたエセルレッドは、実に強情かつ意地の悪い性質たちの隠者と話し合うためにもはや待つことをせず、ただ肩の上に雨の降るのを感じ、また嵐が来るのを恐れるがゆえに、戦棍メイスをただちに振り上げ、何度か打撃を加えることで、板張りのとびらに、彼の籠手ガントレットを装着した手が入るほどの隙間をすばやく作った。そうしてそこから力いっぱい引っ張ることで、とびらを割り、むしり、ばらばらに引き裂いたので、その木材の乾いた、虚ろな響きはけたたましく森中にこだました。

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メディナシドニアアロンソ・ペレス・デ・グスマン(1550年 - 1619年)のガントレッドウィキメディア・コモンズより。

この文の終わりまで来て、私ははっとして、読むのを止めた。なぜなら(もっともそれは興奮している私の気のせいだとただちに断定したのだけれども)、この家の遠く離れたところから、ラーンスロット卿が特に詳しく述べたあの木の板が割れ、砕ける音とまったく同じ性質の反響エコー(押し殺された、鈍いものではあったが)が、かすかに聞こえてきたような気がしたからであった。私が気になったのはこの偶然の一致だけで、窓のサッシの鳴る音や、いよいよ激しくなる風雨の通常のざわめきの中にあって、その音は、それ自体としては、何ら気になるようなものではなかった。私は先を続けた。

ところが、とびらの中へと入った勇者エセルレッドは、あの意地悪な隠者がどこにも見当たらないので、いたく驚き、また憤慨した。ただその代わり、鱗に覆われた巨体と、炎の舌とを持つ一頭の龍が、床に白銀を敷いた黄金の宮殿の前に座して番をしていた。そして壁にはこのようなレジェンドが刻まれた真鍮の盾が掛けられていた。

ここに入ってきた者は、勝利を得たものである。
この龍を倒す者は、この楯を得るであろう。

そこでエセルレッドは戦棍メイスを振り上げ、龍の脳天を一撃。龍は彼の前に倒れてその有毒な息を引き取ったが、折しも恐ろしくも騒々しい、つんざくような叫び声を上げたので、エセルレッドは快く耳を両手でふさぎ、この聞いたこともないような絶叫を聞くまいとした。

愕然として、私はここでふたたび言葉を切った。なぜならこの時(どちらの方角からかはわからないが)、遠い、はるかな、それでいて耳障りで長く尾を引く、異常極まる軋轢あつれき音、もしくは金切声が確かに聞こえてきて、それは私が物語作家の描写に従って、すでに心に思い描いていた龍の断末魔の叫びの正確な相似形カウンターパートだったからである。
この二度目の偶然の一致に際して、驚き怪しむ気持ちと、恐れおののく気持ちとを主とした幾多の相反する感情に圧倒されながらも、私はまだ正気を保っていて、何としてもキャロラインの繊細な神経を刺激しないようにしなければと考えた。私は彼女が問題の音に気づいたかどうか、確信が持てなかった。ただこの数分の間に、奇妙な変化が生じていた。彼女は私の方を向いて座っていたのが、次第に椅子の向きを変えて、今は部屋のとびらの方を向いて座っていた。それで私には彼女の顔の全部は見えなかったけれども、あたかも口の中で何やらもごもご言っているかのごとく、唇がふるえているのはわかった。彼女はがっくりとこうべを垂れていた。しかし横顔をちらりと見た限りでは、目は大きく見ひらいていたので、決して眠っているのではなく、それに彼女が優しく、とは言え一定の間をおいて、絶えず椅子を前後に揺らしているところから見ても、彼女が目をさましていることは明らかだった。これだけのことをすばやく見て取ってから、私はラーンスロット卿の話の続きへと戻った。

かくして龍の怒りを免れた勇者は、かの真鍮の盾のことを思い出し、またそれにかけられていた魔法が解けたと考えて、邪魔な死骸を押しのけ、盾が掛かっている壁の方へと、城の白銀の道の上を意気揚々と進んでいった。するとくだんの盾は、彼が来るのを待たずして、凄まじき大音声だいおんじょうとともに、彼の足もとの白銀の床へと落下した。

ここまで読み終わるや否や、あたかも真鍮の盾が本当に白銀の床の上へと落下したかのごとく、明瞭で、鈍重で、金属性の、とは言えどうやら押し殺されているらしい物音が、はるかかなたから聞こえてきた。肝をつぶして、私は椅子から飛び上がった。けれどもキャロラインは、何事もなかったかのように、同じ一定の間隔で椅子を揺らしていた。私は彼女の椅子の方へと駆け寄った。彼女の目は足もとをじっと見つめたまま、顔には何の表情も浮かんではいなかった。しかし私の手が肩に触れると、その全身に戦慄が走った。彼女は唇をふるわせて弱々しく微笑ほほえんだ。そうして何か独り言のような、わけのわからないことを早口で口走った。私はうつむいて、彼女の口もとへと耳を近づけ、その言葉をつぶさに聴いた。
「聞こえない?――いいえ、聞こえる。ずっと前から、何分も、何時間も、何日も前から聞こえていた。けれど私には言えなかった。なぜなら私はこんなにも弱虫で、意気地なしで、駄目な女だから、だからどうしても言えなかった。私たちはあの子を生きたまま葬ってしまったのよ。私の耳が聴こえ過ぎることは前にも言ったでしょう?今だから言うけれど、私は最初、あの子が棺の中で微かに動く音を聞いた。何日も、何日も前に聞いた。けれどどうしても言えなかった。そして今宵――エセルレッド――ふふ――隠れ家のとびらが裂ける音、龍の臨終いまわきわの叫び、盾の鳴るひびき。それよりも、こう言った方がいい。棺の蓋が外れる音、鉄の蝶番ちょうつがいがきしむ音、そうしてあの子が銅張りの拱廊アーチウェイ七転八倒している音、とね。ああ、どこへ逃げよう。あの子は今にやってくる。私の過ちを許すまいと、息せき切ってやってくる。階段をのぼってくるあの足音は、あの子の足音ではないのかしら。この張り裂けんばかりの胸の高鳴りは、あの子の胸の高鳴りではないのかしら。気は確かなの」ここで彼女は椅子から立ち上がるや、死力を尽くして、一語一語を絞り出した。「気は確かなの。あの子は今そのとびらのうしろに立っているのに

それは一陣の風の仕業に過ぎなかった。

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ハリー・クラーク画「しかしそのうしろには、屍衣を身にまとった、背の高いマデライン・アッシャーさんの立ち姿が確かにあった」ウィキメディア・コモンズより。

彼女のこの言葉に魔法の力がこもっていたかのように、彼女が指さした大きな古めかしいとびらは、間髪を入れず、その重量感のある黒檀の両顎ジョーズを、後方へゆっくりと開け放った。それは一陣の風の仕業に過ぎなかった。――しかしそのうしろには、屍衣シュラウドを身にまとった、背の高いマデライン・アッシャーさんの立ち姿が確かにあった。彼女の白い上着ローブには血がついており、がりがりに痩せた彼女の満身の創痍は、何らかの悪戦苦闘の証拠エビデンスに違いなかった。マデラインさんはしばらくのあいだ、入り口のところで小刻みに身をふるわせながら、あちらへ、またこちらへとよろめいておられたが、やがて低い唸り声とともに、姉とぴったり重なり合ったかと思うと、床の上に押し倒された姉もろとも悶死して、キャロラインはかねてより予期していた惨事の犠牲となった。

その部屋から、またその家から、私は逃げ出していた。気がつくと、私は吹き荒れる嵐の中、古い土手道を駆け抜けていた。突然、私の進路に沿って、一筋の強い光が射した。その光はどこから来るのかと不思議に思って、私は後ろを振り返った。なぜなら私の背後には大きな屋敷とその影しかない筈だったからである。その光は今まさに没せんとする紅い満月の光で、私が先に触れた、建物の屋根から基礎にかけてジグザグに走っている、かつてはほとんどわからない程度だった亀裂から射して来るのだった。見る見るうちに、亀裂はひろがった。暴風が吹きつけてきた。月の全貌が現れた。頑丈な壁がまっぷたつに裂けて崩れ落ちるありさまに、私は目まいがした。そうして幾千の海鳴りにも似た阿鼻叫喚の声とともに、アッシャー家は、私の足もとの深い、不気味な、物言わぬ沼の底へと、跡形もなく姿を消した。

*1:原注:ワトソン、ドクター・パーシヴァル、スパランツァーニ、特にランダフ司教。『化学論集』第五巻を見よ。