ポーはプラトン風の対話篇を三篇遺していて、一つ目は女性同士の対話、二つ目は男性と女性の対話、三つ目は男性同士の対話となっております。いずれも人類が一旦滅亡して、リニューアルされた惑星上に再生した人たちが前世の思い出話をするという設定で、大変面白いものです。下に抄訳したのはそのうちの二つ目のもので、いつかあらためて全訳に挑戦したいと思っております。原文はこちら。ボードレールの仏訳も参照しました。(2024年12月)
モノス:とはいえこの怪奇譚を、どの時点から語り始めようか。
ウナ:どの時点とは?
モノス:君は今何と言ったっけ。
ウナ:なるほど、わかったわ。確かに「死」という言葉は、定義できないものを定義したがる人間の悪癖を示している。それではモノス、「死」の瞬間からではなくて、病魔が去り、あなたが呼吸も脈拍も失って、私が震える指であなたの青ざめたまぶたを閉じた、あの悲しい瞬間から始めてちょうだい。
モノス:その前に、この時代の人間の一般的状態についてひとこと触れておこう。君も覚えているだろうが、われわれの祖先に、一人か二人の賢者がいて――世間では馬鹿者呼ばわりされていたが、実はその逆で、賢者だった――この賢者たちは、われわれの文明が経てきた変化に対して、「進歩」という言葉を適用するのは果たして正しいのかどうかと、あえて疑いを差し挟んだ。人類滅亡から遡ること五世紀ないし六世紀のそれぞれに、何人かの偉大な知性が現れて、ある学説のために戦った。その学説とは――選挙権など剥奪された今のわれわれの理性にとっては自明きわまる真理と思われるが――それは人類に対して、自然の掟を制御するよりも、これの教えに屈服せよと説くものだった。長いインターバルを置いて何人かの偉人が現れ、実用科学におけるあらゆる前進を、真の有益性における後退と見なした。今のわれわれは詩的知性こそもっとも優れた知性だと感じるけれども、それはもっとも永続的な重要性を持つ真理は類推によってのみ到達可能で、類推は想像力には確かなトーンで語りかけるが、裸眼の理性には重要とは映らないからだ。この詩的知性は時として、哲学者たちの朦朧たる観念よりも一歩進んで、あの知恵の樹木と、死をもたらす禁断の果実という不思議な寓話のうちに、精神的に未熟な人間にとって、知識はむしろ有害だという明白な寓意を見いだした。これらの偉人たち――すなわち詩人たち――は、自称「有益な人」たち――本当に社会にとって「有益」なのは詩人たちであるのに、このような称号を詐称してはばからなかった詐欺師たち――によって、罵倒されながら生き、そして死んでいった。この人たち――すなわち詩人たち――は、痛切に、とはいえ必ずしも愚を犯すことなく、原始時代を懐かしんだ。すなわちわれわれの欲求はもっとシンプルで、われわれのよろこびはもっと大きかった時代――歓楽という言葉は未だなく、ただもっと厳粛な、深いひびきを持つ幸福という言葉だけが存在した時代――澄んだ水が橋のない川を流れ、道なき丘の間をくぐり抜けて、薫り立つ原生林の闇の中へと消えていた、そんな神聖にして誇り高く、幸多き時代へと、彼らは思いを馳せるのだった。
だが一般的無秩序状態からのこれらの高貴な例外は、返り討ちに会って、かえって混乱を増幅するだけだった。われわれは最悪な時代の最悪な日々を生きていた。大いなる「運動」(それがこの時代だけに通用する隠語だった)が起こって、それは精神的であると同時に物質的な一つの病的脈動だった。人工が――人工物が――高度に発達して、ひとたび王座に就くや、これを権力の座に就けた人間知性を奴隷化するに到った。自然の猛威の前にひれ伏すしかなかった人間は、自然に対する既に獲得され、なおも進行し続ける支配の拡大を思って小児のごとく欣喜雀躍した。神に近づきつつあるという彼の妄想とはうらはらに、彼の知能は退化した。その狂気のそもそもの始まりからも察せられるように、彼は体系化と抽象化という病に冒された。一般化に我を忘れた。もろもろの奇怪な観念のうち、とりわけ地上を席捲したのは普遍的平等の観念だった。類推と神意にそむいて――森羅万象に浸透している等級の法則の強い警告にもかかわらず――民主主義の遍在化という無謀な試みがなされた。だがこの悪は諸悪の根源たる知識から必然的に生ずるものだった。無知でない人間は決して屈服しない。一方で煤煙まみれの大都市が出現した。青葉は溶鉱炉の息吹きの前に変色し、委縮した。美しかった自然の顔は、あたかも何か恐ろしい疫病の害によるかのように、醜くなった。そうして僕が思うに、可愛いウナよ、押しつけがましい、こじつけめいた物事に対するわれわれの眠っていた注意力も、事ここに及んで目が覚めたのだった。だが今となっては、われわれは審美能力というものの悪用、というよりもむしろ教育機関において、この審美能力というものの育成を盲目的に排除したことにより、自分たちの破滅をみずから招いてしまったかに見える。なぜならこの危機の時代においてこそ、人間の審美能力だけが――すなわち純粋知性と道徳観念との中間に位置を占め、安全に無視され得るわけもないあの能力だけが――われわれを美や、自然や、生命へと優しく連れ戻すことができたからだ。だがプラトンの純観照的精神と、偉大な直観にとって何と悲しむべきことか。彼が正当にも魂の教育のために必要にして充分な学科であるとした音楽にとって、何と嘆かわしいことか。ああ、プラトンと彼の音楽よ。これらはもっとも喫緊の必要性を帯びていた時代に、もっとも完全に忘れられ、蔑ろにされていたのだ。*1
僕ら二人がともに愛した哲学者パスカルは、何と真実を言い当てていたことだろう。いわく「われわれの推理はすべて、結局のところ、感情に道を譲る」*2そうしてもし時間さえ許せば、学者たちの煩瑣な数学的推論に対して、この天然自然の感情というものが、かつての優位を取り戻すことも不可能ではないはずだった。だがそうはならなかった。急激な知識の過剰化により、急激に世界の老朽化は進行した。大多数の人間はこれに気づかないか、不幸感に苦しみながらも欲望のままに生きることで、気づかないふりをしていた。だが僕はといえば、世界の歴史に導かれて、最も高度な文明の代償としての、最も重大な破綻について考えていた。僕は単純素朴にして底力のある中国と、これに対して大建築家であるアッシリア、大天文学者であるエジプト、そうしてこのいずれよりも技術的に高度で、あらゆる人工物の狂母であるところのヌビアとを比較することで、われわれの運命の予見を得た。これらの国々の歴史*3を通して、未来からひと筋の光が射してきたのだ。このアッシリア、エジプト、およびヌビアの個々の文明の反自然性は、地球の局所的疾患で、それぞれの衰退と消滅により、局所的な治療が施された。だがあまねく汚染された現代世界については、再生を期待できる道は滅亡しかなかった。人類は種として絶滅するか、さもなければ「生まれ変わる」しかないと僕は悟った。
そうしてこのころ、僕らはともに日々を夢想のうちに過ごしたのだった。夕まぐれ、僕らは語り合ったね、未来のことを――人工によって表面を傷だらけにされた地球が、長方形のわいせつ物を一掃できる唯一の過程であるところの浄化*4を経て、ふたたび楽園の緑と山とさざなみとを身にまとい、人間にとって――死によって浄められた人間にとって――その高められた知性には、もはや知識も毒ではない人間にとって――償いを済ませ、再生した、幸せな、そうして今や不死でありながら、なおかつ肉体を備えた人間にとって、ぴったりの住み家となる未来のことを。
*1:原注:「(教育の方法について)何世代にもわたる経験がすでに発見しているものよりも、よりよいものを見出すことは困難だろう。それは体のための体育、魂のための音楽と要約できるだろう」プラトン『国家』第二巻。
「このような理由から音楽教育こそはもっとも重要である。なぜならそれによってリズムとハーモニーとはもっとも深く魂に浸み込み、もっとも強く魂をとらえ、魂を美によって満たすことで、人を美しい心の持ち主とするからだ。(中略)彼は美しいものを賞め讃えるようになるだろう。よろこびをもってこれを魂に迎え入れ、これを糧として、みずからの状態をこれに同化させようとするだろう」(同上第三巻)
とはいえ音楽という言葉は、古代ギリシャのアテネ市民たちにとっては、現代におけるわれわれにとってよりも、はるかに包括的な意味を持っていた。音楽という言葉は、間合いや調べの調和だけではなく、詩的な語法や感情や創造のすべてをも、そのもっとも広い意味において含んでいた。音楽の研究とは彼らにとって、審美能力――すなわち正しさのみを問題とする理性とは対照的に、美しいものを感じ、理解するあの能力の、一般的育成に他ならなかった。