魔性の血

拙訳『吸血鬼カーミラ』は公開を終了しました。

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「アモンティラードの樽(The Cask of Amontillado)」

アーサー・ラッカムによる挿画

アーサー・ラッカムによる挿画。ウィキメディア・コモンズより。

フォルチュナトからこうむった無数の迷惑については、忍の一字で耐え忍んできたものの、彼が敢えて俺をおとしいれるにおよんで、俺は復讐を誓ったのだった。だがあなたは、俺の気性をよくご存じだから、俺が決して「仕返ししてやる」などと口に出して言わなかったことはおわかりだろう。俺はいつかは復讐するのであって、それは確定した点で――その確定性はリスクの観念を排除した。俺はただ罰するだけでなく、罰せられることなしに罰さなければならない。不正を正す者が報復を受けるようでは、不正は正されたことにはならない。同様に、復讐者が相手にみずからを復讐者だと思い知らせてやることが出来なければ、やはり不正は正されたことにはならないのだ。
俺はフォルチュナトに対する好意を言行両面において疑われないようにした。俺は以前と同様、彼の前では笑顔を絶やさず、そうして彼は俺が今は彼の破滅を思って笑っているのだということに気づかなかった。
このフォルチュナトという男は、他の点では敬われ、恐れられてさえしかるべき人物だったが、一つだけ弱点があった。彼は酒の味がわかるのが自慢だった。いったいイタリア人で、真の愛好家ヴィルチュオーソの精神を持っている者はきわめて稀だ。彼らの熱狂は大抵は、時と場合に応じて、イギリスやオーストリア金持ちミリオネアを引っかけるために装われる。絵画や宝石については、フォルチュナトも他の同郷人と同様、詐欺師だったが、彼の古酒にかける情熱は本物だった。そうしてこの点では俺も実質的に同類で、イタリアの銘酒ヴィンテージに凝っており、事あるごとに大量に買い込んでいた。
ある日のたそがれどき、カーニバル・シーズンの喧噪の中で、俺は彼とばったり出くわした。彼は酔っていて、上機嫌で近づいてきた。体にぴったりしたサイズの、さまざまな色のストライプの入った服を着て、頭には鈴のついた円錐形の帽子キャップをかぶっていた。俺は彼に会えたのが本当にうれしくて、いつまでも彼の手を握っていた。
「フォルチュナト、いいところで会った。今日はいつもより一段と元気そうだね。ところで俺は今し方、アモンティラードらしきものをパイプ樽で仕入れたんだが、疑わしいんだ」
「何?」と彼は言った。「アモンティラードを、パイプ樽で?あり得ない。しかもこのカーニバルの最中に」
「疑わしいんだ」と俺は答えた。「俺は馬鹿だから、君に相談もしないでアモンティラード分の代金を丸々支払ってしまった。君は見当たらなかったし、チャンスを逃すのが惜しかったから」
「アモンティラード!」
「疑わしいんだ」
「アモンティラード!」
「確かめないと」
「アモンティラード!」
「君は忙しいから、俺は今からルケージに会いに行くところなんだ。この世に違いのわかる男がいるとすれば、彼だ。彼に聞けば――」
「ルケージにアモンティラードとシェリーの違いはわからない」
「でも彼は君に匹敵する酒利きだと言う馬鹿もいるから」
「行こう」
「どこへ」
「君んちの酒蔵ヴォールトへ」
「待てよ。それでは君に迷惑がかかる。君は忙しいだろう。ルケージ――」
「忙しくないさ。行こう」
「待てよ。忙しくなくても、君は風邪を引いているだろう。うちの地下室ヴォールトは湿気がひどい。硝石だらけなんだ」
「かまわん、行こう。風邪は何でもないんだ。アモンティラード!君は騙されたんだ。ルケージはといえば、奴にシェリーとアモンティラードの違いはわからない」
こう言って、彼は俺の腕を取った。自分のパラッツォまで引きずられるようにして帰ってきた俺は黒いシルク仮面()マスクを着け、膝丈の外套ロクロールをぴったりと身にまとっていた。

ロクロールの画像

ガストン=ジャン=バプティスト・ド・ロクロール(Gaston-Jean-Baptiste de Roquelaure, 1617 - 1683)。アントワーヌ・ド・ロクロール元帥(1543 - 1625)の息子で、将校・冒険家。ロクロールを着用している。ウィキメディア・コモンズより。

家には誰もいなかった。カーニバルで、家の者は皆遊びに行ってしまったのである。俺は前もって「朝まで帰らないから、お前たちはしっかり留守番をしていろ」と厳命しておいた。そうすれば、俺が背中を向けるや否や、一人残らずいなくなるだろうことは目に見えていた。
俺は壁付燭台スコンスから二本の松明ランボーを取り、一本をフォルチュナトに手渡すと、幾つかの続きの間を通って、地下室ヴォールトにつながる拱道アーチウェイへと彼を丁重に招じ入れた。足もとに気をつけるよう声をかけながら、長い長い螺旋階段を下るうちに、俺たちはやがてモントレゾール家のじめじめとした地下墓地カタコンベへと降り立った。

トーチ用のスコンスの画像

フィレンツェはストロッツィ宮のトーチ用スコンス。ウィキメディア・コモンズより。

フォルチュナトは千鳥足で、歩くと帽子キャップにつけた鈴が鳴った。
パイプは」と彼は言った。
「まだ先だ」と俺は答えた。「だがその前に、このほら穴の壁に光っている白い蜘蛛の巣のようなものを見てくれ」
彼は振り返って俺の目の中をのぞき込んだが、その目は酒気による分泌物リューマで、とろんとしていた。
「硝石か」彼はようやくたずねた。
「硝石だ」俺は答えた。「君はいつからそんな咳をしているんだ」
「う!う!う!――う!う!う!」
かわいそうに、彼はしばらく質問に答えられなかった。
「何でもない」彼はやっとのことで言った。
「よし」俺はきっぱりと言った。「引き返そう。君の体が大事だ。君は金持ちで、敬われ、讃えられ、愛されてもいる。君は幸せ者だ、かつての俺のように。君はかけがえのない人なんだ。俺のことなんかどうでもいい。引き返そう。君が体を壊したら、俺は責任を取れない。ルケージが――」
「大丈夫だ」と彼は言った。「この咳は何でもない。俺は咳では死なない。俺は咳に殺されたりはしないぞ」
「もちろん」俺は答えた。「何も君を怖がらせようと思って言っているのではないよ。ただ用心に越したことはないからね。湿気から身を守るために、このメドックを一杯飲もう」
俺はここで地べたにずらりと寝かせられている酒瓶ボトルから一本を抜き取って、栓を開けた。
「飲んで」と言って、俺は酒を差し出した。
彼は俺を横目でにらみながら飲もうとして、やめた。そうして俺に向かって軽く会釈した。鈴が鳴った。
「いただきます」と彼は言った。「俺の周囲に眠っている人々の冥福を祈りながら」
「俺は君の長寿を祈って」
俺たちはふたたび腕を組んで、先へ進んだ。
「この地下室ヴォールトは」と彼は言った。「ずいぶん広いな」
「モントレゾール家は」と俺は答えた。「結構大きな家だったんだよ」
「君んちの紋章アームはどんなだっけ」
「紺地に金色の巨大な人間の足。蛇を踏みつけていて、蛇はその足のかかとに喰らいついている」
「モットーは」
「『私を怒らせる者はただでは済まない(Nemo me impune lacessit)』」
「なるほど」と彼は言った。

"Nemo me impune lacessit" のモットーが入ったアザミ勲章の画像

"Nemo me impune lacessit" のモットーが入ったスコットランドのアザミ勲章(星章)。ウィキメディア・コモンズより。

彼の酔眼は輝き、鈴は鳴った。俺自身も酔いが回って、何だか夢を見ているような気がしてきた。俺たちは人骨の山やカスク樽やパンチョン樽の間を通り抜けて、地下墓地カタコンベの奥へとやってきた。俺はふたたび立ち止まって、今度はあつかましくもフォルチュナトの二の腕をつかんだ。
「硝石だ」と俺は言った。「次第に増えて、地下室ヴォールトを苔のように覆っている。ここは川床の真下なんだ。湿気が雫となって、人骨の間をしたたり落ちる。この辺で引き返さないと、取り返しのつかないことになる。君の咳は――」
「何でもない」と彼は言った。「行こう。だがその前に、もう一杯メドックをくれ」
俺はデ・グラーヴの小瓶フラコンの栓を抜いて、彼に手渡した。彼はそれを一気に飲み干した。彼の目は爛々と輝いていた。彼はげらげら笑いながら酒瓶ボトルを宙に放り上げ、何か俺には理解できない身振りをして見せた。
俺はびっくりして彼を見た。彼は同じ動作を繰り返した。グロテスクな動作だった。
「わからないか」と彼は言った。
「わからない」と俺は答えた。
「では君は会員ではないな」
「え」
「君はメーソンではないな」
「いや、いや」俺は言った。「いや、いや」
「君が?あり得ない。メーソンか?」
石工メーソンだ」
合図サインは」
「ほら」と言って、俺は膝丈の外套ロクロールのかげに隠し持っていたこてを取り出してみせた。
「駄洒落かよ」彼は二三歩後ずさりしながら叫んだ。「だが、それよりもアモンティラードだ」
「そうだね」俺はそう言って、こて外套クロークのかげに収め、ふたたび彼に肩を貸した。彼は俺にずっしりと寄りかかってきた。そうして俺たちはアモンティラード探しの旅を続けた。低い拱門アーチをくぐり抜け、下へ降り、前へ進み、また下へ降りて、やがて一つの地下聖堂クリプトへとたどり着き、そこでは空気が悪くて俺たちの松明ランボーはもはや微光を発するのみとなった。

パリのカタコンベの写真

パリのカタコンベの「人骨の壁」。ウィキメディア・コモンズより。

この地下聖堂クリプトの一番奥に現れたのは、より狭いもう一つの地下聖堂クリプトだった。パリの地下墓地カタコンベに見られるような様式で、壁にずらりと人骨が並び、それが天井まで積み上げられていた。四つの壁のうち、三つはこのようにして覆われたままであったが、最後の壁からは人骨が取り除かれて、雑然と地面に散らばっており、ある箇所ではある程度の大きさの人骨の山が出来ていた。このようにして骨が取り除かれたことでむき出しになった壁の奥には、高さが二メートル、幅が一メートル、奥行きが一メートルと少しくらいの更に奥まった空間リセスが認められて、それは何も特別の用途のためにしつらえられたものではなく、ただこの地下墓地カタコンベの天井を支えている巨大な石柱のうちの二本の間に出来た隙間インターバルで、その向こうはこの地下墓地カタコンベ全体を取り巻いている堅固な花崗岩の壁の一部となっていた。
フォルチュナトは消えかけの松明トーチをかざして内部なかをのぞこうとしたが無駄だった。その暗い光ではとても奥までは見えなかった。
「進んで」と俺は言った。「その奥にアモンティラードがある。時にルケージは――」
「馬鹿だ」と言いながら、彼はふらりと先を行き、俺は彼のうしろにぴったりとついて中へ入った。一瞬後、彼は空間ニッチの突き当たりに来て、壁以外に何もないのできょとんとしていた。次の一瞬後、俺は彼を身動き出来なくした。花崗岩の壁の表面にはU字釘ステープルが二つ、数十センチの間隔を置いて水平に打ち込んであり、その片方には短いチェーン、もう片方には南京錠パドロックが下がっていた。彼の腰にリンクを渡して錠を下ろすのに暇はかからなかった。彼は全然抵抗しなかった。俺は錠前からキーを抜くと、その空間リセスから外へ出た。
「壁をさわってみろよ」と俺は言った。「硝石だらけだろう。実際、ひどい湿気だ。もう一度頼むから、引き返してくれないか。駄目だというなら、俺は君を置き去りにする以外にない。だがその前に、俺は自分に出来る限りのささやかな配慮をしなければならない」
「アモンティラードは」まだ事態が飲み込めない様子の彼が言った。
「ああ」俺は言った。「アモンティラードさ」
こう言った時、すでに俺は前に言った人骨の山に向かっていて、それをかき分けると中から大量の石材とモルタルが出てきた。俺はこれらの材料と隠し持っていたこてとを使って、せっせと空間ニッチの入口を塞ぎ始めた。
フォルチュナトの酔いがほとんど醒めたらしいことに気づいたのは、まだ石の一段目を積み終わらない頃だった。空間の奥から「うーむ」という低い大きな声が聞こえてきて、それは酔っ払いの声ではなかった。それから長い間、かたくなな沈黙が続いた。俺は二段目、三段目、四段目と石を積んでいった。するとその時、チェーンを烈しく揺さぶる音が聞こえてきた。その音は何分か続いて、その間、俺は手を休め、人骨の上に腰を下ろして、いい気分でそれを聴いていた。音が収まると、俺はふたたびこてを手にして、五段目、六段目、七段目と積んでいった。新しい壁は今や俺の胸のあたりまで来た。俺はふたたび手を止めて、松明ランボーを壁の上にかざし、その弱い光で内部なかの人影を照らし出した。
鎖につながれた男の咽喉のどから、突如として甲高い叫び声が噴出バーストし、俺は吹っ飛ばされたかのように後ずさりした。俺は一瞬ためらった。一瞬怖くなった。俺は細剣レイピアを抜いて、壁の向こうの空間リセスを恐る恐る突っつき始めた。だがすぐに思い直した。俺は地下墓地カタコンベの堅固な造りに手を触れて、気を落ち着けると、ふたたび壁に近づき、叫び返した。俺は彼の大声に大声で応じ、声の大きさと力強さとで彼を圧倒した。すると彼は静かになった。
もう真夜中で、俺の仕事も終わりに近づいていた。俺は八段目、九段目、十段目の石を積み終え、最後の十一段目を積み上げつつあった。あと一つだけ石をはめ込んで、固定すればよかった。石は重かった。俺はやっとのことで石をしかるべき位置に積みかけた。ところがその時、向こうの空間ニッチから低い笑い声が響いてきて、俺はぞっとした。続いて聞こえてきた悲痛な声は、とてもあの高貴なフォルチュナトのものとは思えなかった。声は言った。
「ははは――ひひひ――うまい、実にうまいジョークだ――ひひひ――パラッツォに帰ったら、大笑いしようじゃないか――ワインを飲みながら――ひひひ」
「アモンティラードだよ」と俺は言った。
「ひひひ――ひひひ――そうだ、アモンティラードを飲みながらだ。だがもうずいぶん遅くなった。妻や、他の者たちが心配しているだろう。帰らないか」
「ああ」と俺は言った。「帰ろうよ」
「一生のお願いだ、モントレゾール!」
「ああ」と俺は言った。「一生のお願いだ」
だがこれに対する返事がなかなか無くて、俺はしびれを切らして叫んだ。
「フォルチュナト!」
返事はなかった。俺はもう一度呼んでみた。
「フォルチュナト!」
やはり返事はなかった。俺は未完成の壁の開口部アパーチュアから、松明トーチを一本差し込んで、内部なかへ落としてみた。けれどもただ鈴の音が返ってきただけだった。――地下墓地カタコンベの湿気のせいで、胸糞が悪くなってきた俺は、さっさと仕事を片付けることにして、最後の一石をしかるべき位置に押し込み、固定した。この新しい石造建築メーソンリーの前に、俺は元通り人骨のランパートを築き上げた。その場所はその時のまま、五十年間放置されている。安らかに眠れ!