魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・多島斗志之『黒百合』

西宮空襲

1945年8月6日、5度目の空襲直後の西宮市街地(白鹿酒造記念博物館所蔵)。神戸新聞のホームページより。総務省のホームページによれば「5回にわたる空襲による西宮市の罹災面積は225万3,000坪で、全市面積の約20%にのぼった。県下で2番目という被害であり、死亡者637人、重軽傷者2,353人、全焼全壊約1万5,300戸、被災者6万6,500人余」云々。

現在失踪中の天才作家、多島斗志之氏の『黒百合』について、一天一笑さんから再度紹介文を頂いておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。


多島斗志之『黒百合』(東京創元社)を再読して。
1952年、14歳の少年、寺本進は、六甲山にある別荘に招かれてひと夏を過ごすことになる。
きっかけは、父の旧友、浅木謙太郎が、進の家に晩餐に来た時のひと言だった。
「夏休みになったら、うちにこないかね。六甲山に小さな別荘がある。下の街とは気温が八度も違うから涼しく過ごせるよ。君と同い年の息子、一彦もいる、きっといい遊び相手になると思うよ」
クーラーなど無い時代に、ひと夏を涼しく過ごせるのは、進にとって願ってもないことだった。
夏休みの日記をはじめとする宿題も捗るかもしれない。
こうして、寺本進は初めての関西へ避暑に行くことになる。
少し鈍感で平均的な少年、進。如何にも利口そうな、格好つけの一彦。彼らはヒョウタン池で「この池の精」と名乗る倉沢香と偶然出会い、淡い初恋を経験する。一彦と香と進の微妙なトライアングルの行方は?

香は、夏休みの水彩画の画題に、泳ぐ進と一彦を描く。三人はその他ピクニックや、倉沢家訪問をし、香の叔母の日登美(倉沢貴久男と貴代次の実妹)も交えてトランプゲームのポーカーで遊んだりする。
また通称“六甲の女王”の経営する喫茶店に出入りもする。
倉沢香は、お嬢さん学校の神戸女学院中等部に在籍している。香は、西宮空襲で父、倉沢貴久男を亡くして、複雑な家庭環境の下、倉沢家で暮らしている。経済的に裕福であっても、倉沢家が香にとって居心地が良いかどうかは分からない。
香の言葉「お父ちゃんは、高いカメラ(ライカ)や双眼鏡を購入しても、飽きたらそれっきりで、見向きもしない」には何やら含みがありそうですが・・・。
倉沢家は女中を数名雇い、社用車はもとより、高級外車ビュイックとお抱え運転手を維持する富裕層だ。進の父の勤務先は東京電力、一彦の父親も阪急電鉄(ここでは「宝急電鉄」)本社で小芝一造(=実業家の小林一三いちぞう)の海外視察にお供する。彼らは何れも旧帝大を卒業している。彼らの努力もあるが、終戦から数年後の社会では、まず恵まれた階層と言えるでしょう。
浅木の小母さんも何くれとなく、進の居心地が悪くならないように気づかいをしてくれる。

そのような日々に殺人事件が降って湧いたように起こる。被害者は、倉沢貴代次だ。
凶器の拳銃は犬を散歩させていた“六甲の女王”が発見する。その拳銃は誰のものか?貴久男は、本当に空襲で命を落としたのか?空襲のドサクサで、機関銃の傷も拳銃の傷も確認されなかったのでは?貴代次は誰に、どんな理由で殺されたのか?
警察は、使用人を含めた倉沢家の人々に事情聴取を試みるが、倉沢貴代次の違法賭博による多額の借金が明るみにでてしまった(どこの家にも変な癖のある人はいますが)。
進と一彦の初恋の顛末は?香は何時どんな状況で倉沢家を出るのか?

物語は1952年と戦時中(小林一三のドイツ・ロシア視察の頃)を前後しながら進行する。
ドイツ・ベルリンの駅で駆け落ち志願?のアイダ・マチコという少し風変わりな女性とも関わったりする。ここで小林一三が意外な一面を見せる。“百貨店は女性客に嫌われたら詰む”の信念が遺憾なく発揮されている。また決して時間の無駄遣いをしないエネルギッシュな人柄も見て取れます。

老境に入り、遠い日の出来事を回想した進が気づいたことは?
倉沢貴久男と喜代次は、日登美の交際範囲内の人物に殺されたのではないか?
動機は?彼らは二人とも年頃になった妹、日登美に悪い噂が立つことは何としても避けたかった。

避暑地での初恋と、不慮の殺人事件。才人・多島斗志之の傑作ミステリーをお楽しみください。
天一