テキストは例によって概ねウィキソース版に拠りますが、誤入力と覚しき部分は他の版に拠っております。なおこの短編小説のタイトル(“The Assignation”)ですが、参照させていただいた諸家の旧訳では「しめしあわせ」「約束」「約束ごと」などとなっておりますが、どの英和辞典を繙いても「恋人同士が人目を忍んで会うこと」「忍び会い」「逢引き」などと明記されており、今風に「不倫」と訳すのもありかな?とも思います。
待っていておくれ 私は遅滞なく
あの谷間へと駆けつけて 君と落ち合おう
(チチェスターの司教ヘンリー・キングが妻の葬儀に際して詠んだ歌)
- それが君のあるべき姿だ。
- 常になく暗い夜だった。
- ナポリのそよ風にゆれる白百合のごとく
- それはいかにも鏡らしい鏡だった。
- 私は目も眩む思いがした。
- 彼は声と態度をがらりと変えた。
- 俗物と真の紳士の立居振舞いについて
- 「楽園の人へ(To One in Paradise)」
- そこに現れたのは侯爵夫人の全身像だった。
- 「夢を見ることが」
それが君のあるべき姿だ。
君自身の想像力の輝きに心奪われ、君自身の青春の火に焼かれて、はかなく逝った謎の男よ、私は君の姿をふたたび目の前に見る。それは今の君の現実の姿、すなわち亡霊と化した君の姿ではなく、君のあるべき姿だ。星に愛された海上の楽園ヴェネツィア、そこに聳え立つパッラーディオ式宮殿の広い窓は物言わぬ海の秘密を意味ありげな面持ちで見下ろしている、君の第二の故郷ともいうべきあの幻想の都市ヴェネツィアにおいて、赫々たる瞑想に人生を浪費している。もう一度言うが、それが君のあるべき姿だ。確かに俗界とは違う世界があり、大多数の思想とは違う思想があり、ソフィストの論理とは違う論理がある。だから私は君のしたことをもっともだと思う。夢見ることに費やした時間ゆえに君を責めるのは酷であり、君のもろもろの道楽も、それは君の無限の精力の発露に他ならず、これを生命の無駄遣いだとして非難するのは当たらない。
私が件の人物と三度目か四度目かに会ったのは、ヴェネツィアの「溜息橋」と呼ばれる屋根付きの橋の下であった。その遭遇の記憶をたどるにはいささか努力を要する。とはいえ私はその深夜を、「溜息橋」を、麗しの女の面影を、そうしてその狭い水路に出没したロマンスの神様のことを忘れない。
常になく暗い夜だった。
常になく暗い夜だった。大広場の大時計はイタリア時間の夜五時を打った。カンパニール広場に人通りは絶え、ドゥカーレ宮殿の灯火は速やかに消えていった。私は小広場から大運河経由で帰宅する途中だった。だが私のゴンドラがサン・マルコ水路の入口に差しかかった時、水路の奥の方から女性の狂おしい、ヒステリックな、長く尾を引く金切り声が聞こえてきた。私は立ち上がった。船頭がびっくりした拍子に一本しかないオールを取り落とし、夜の闇に見失ってしまったので、ゴンドラは流れに身をまかせ、大運河から狭い水路へと迷い込む他なかった。ゴンドラが黒いコンドルのように「溜息橋」へと向かって漂っていたところ、突如としてドゥカーレ宮殿の窓という窓、および階段下にかけて、数限りない松明の火が灯され、黒洞洞たる夜が一瞬にして世の常ならぬ白昼と化した。
母親が手を滑らして、抱いていた子を上階の窓から水路の中へ落してしまったのだった。水面にはもはや手がかりはなく、私のゴンドラ以外には何も見当たらなかったにもかかわらず、多くの屈強な泳ぎ手たちがすでに川に飛び込んで、水深の浅いところを探っていたが、おそらく子どもはもっと深いところに沈んでいるのだろうと思われた。宮殿の玄関の黒い大理石の敷石の上、水路からほんの数歩のところに、一度見た者なら誰しも忘れられない人の姿があった。それは侯爵夫人アフロディテ――全ヴェネツィアの憧れの的であり、花の都における華ともいうべき女であると同時に、奸策に長けた老侯爵メントーニのうら若き妻でもあり、今この瞬間、濁った水の中で彼女の愛撫を想い、命の限り彼女の名を呼んでいるであろう幼な子の母親でもあった。
彼女は一人で立っていた。彼女の小さな白い素足は黒い大理石の上で輝いていた。彼女の髪は舞踏会用に結い上げたものをなかば解いただけで、ダイヤの髪飾りを光らせ、咲いたばかりのヒヤシンスのようにカールしながら、その端正な顔の周りを幾重にも取り巻いていた。その華奢な体にまとっているものは綿紗のように薄くて白い布一枚のようだった。とはいえ真夏の夜の空気は暑くてよどんでおり、彼女もまた彫像のごとくたたずんでいて、その身を包んでいる霞のごとき衣装も、ニオベの体を包んでいる重い大理石の衣装のように、そよぎもしなかった。
ところが奇妙なことに、彼女の大きな明るい瞳は子どもが落ちた水路とは全然違う方角に釘付けになっていた。「溜息橋」をはさんで宮殿の向こう側に建っている旧共和国の牢獄は、わたくし思うに、ヴェネツィアの中でももっとも威風堂々たる建築物だ。とはいえ彼女は自分の子が溺れかけているというのに、どうして下を見ず、この建物の方ばかりを見ていたのだろう。メントーニ侯爵夫人の寝室の窓のちょうど向かい側に当たるその建物の壁面の暗い窪み――その暗がり、その建築装飾、その蔦の絡んだ荘重な軒蛇腹に、彼女がこれまで気づかなかった何者がひそんでいたというのだろうか。無論!このような場合、動転した人間の目は、千々に砕けた鏡のごとく、いたるところに悲しみの相を認め、身近に迫る災いの影を遠く離れたあらゆる場所に見出すものではないか。
侯爵夫人がいる階段下よりはるか上、水路に面した宮殿のアーチの中に、盛装したメントーニ侯爵その人のいかにも好色漢らしい立ち姿があった。彼は時としてギターをかき鳴らすのに没頭し、折に触れてわが子の捜索に指示を出しながらも、倦怠感に死ぬほど悩まされているように見えた。私は最初に悲鳴を聞いて立ち上がった姿勢のまま、呆気にとられて身動きできないでいたので、顔面蒼白、直立不動の状態で、黒いゴンドラに乗って波のまにまに漂っている私の姿は、周囲の野次馬たちの目にはあたかも冥土の使者のごとく映ったに違いない。
ナポリのそよ風にゆれる白百合のごとく
すべては無駄骨だった。もっとも精力的に捜索していた者たちの多くが追及の手をゆるめて諦めかけていた。子どもには(母親にも)絶望あるのみだった。その時、旧共和国の牢獄の一部を成している壁面、侯爵夫人の寝室の窓の真向かいにあると先ほど述べたあの壁面の窪みから、袖のない外套に身を包んだ一人の人物が現れて、一瞬ためらったあと、目も眩む高さから水路をめざして真っ逆さまに飛び込んだ。次の瞬間、彼は侯爵夫人のかたわら、大理石の敷石の上に、まだ息のある子どもの体をしっかりと抱いて立っていたが、そのとき彼の袖のない外套が水の重みで帯紐がゆるんで彼の足もとにずれ落ち、度肝を抜かれた野次馬たちの目の前に、当時その名をヨーロッパ中に轟かせていた一人の青年の優美な姿が現れた。
彼は黙っていた。そうして侯爵夫人の方は、今にも子どもを受け取って、胸に押しつけ、しっかりと抱きしめて、愛撫で窒息させるところでもあったろうが――その前に別の人間の腕が件の部外者から子どもをひったくって、いつの間にやら、遠く宮殿内へと連れ去っていた。そうして侯爵夫人の方は、唇をふるわせ、その目には――プリニウスのアカンサスのごとく「柔らかくてほとんど液体の」*1その目には、涙がこみ上げてきた。あらゆる女性的な感情が彼女の全霊に息づき、大理石の立像に血が通った。彼女の血の気のなかった顔が、白い胸が、白い素足が、真っ赤に染まるのをわれわれは見た。そうしてナポリのそよ風にゆれる白百合のごとく、彼女の華奢なからだ全体に微かな身ぶるいが走った。
彼女はなぜ赤面すべきだったのか。答えは一つしかない。彼女はわが子の身を案じるあまり、その寝室のプライバシーをもかえりみず、その小さな足に上靴も履かず、そのヴェネツィア派の肩にひっかけるべき羽織すら忘れて飛び出してきたからである。さもなければ彼女の赤面に――その食い入るようなまなざしに――その胸の常ならず高鳴っている様子に――彼女の夫が先に宮殿へと引き上げたあと、件の部外者の手をふと握りしめたその手の力の入れ様に、他のいかなる理由があったろう。彼女が別れ際にこの捨て台詞をそそくさとささやいた時の低い、奇妙に低い声のトーンに如何なる理由があったろうか。「負けたわ」水の音に紛れて聞こえてきた彼女の言葉は、私の聞き違いでなければ、こんな風だった。「負けたわ――日の出から一時間後――会いに行きます――もう迷わない」
それはいかにも鏡らしい鏡だった。
騒ぎは収まり、宮殿内の明かりは消え、件の部外者は、私は今はそれが誰であるかを心得ていたが、彼は敷石の上にぽつんと立って、想像を絶する興奮に身ぶるいしながら、ゴンドラを探して目をきょろきょろさせていた。「私のゴンドラに乗りませんか」と声をかけると、彼は私の厚意を受け入れた。水路に面した宮殿の入口でオールを手に入れて、われわれは彼の家へと向かったが、その間、彼はすばやく落ち着きを取り戻し、われわれのかつてのささやかな交遊について、表面上は非常に心のこもった言葉をもって語った。
微に入り細を穿って語ることに快楽を覚える話題が私には幾つかあって、この「部外者」――「部外者」という名で彼を呼ぼう、彼は今なお全世界にとって「部外者」なのだから――この「部外者」の肉体はそのような話題の一つである。彼の背丈はどちらかと言えば人並より少し低かった。とはいえ激しい興奮状態にある場合、彼の体格は本当にひと回り大きくなって、さような先入観を覆すこともあった。軽量で、ほとんどほっそりとした彼の体型の均整は、更なる緊急時に彼がやすやすと揮うとされるヘラクレス並みの怪力よりも、「溜息橋」で魅せたあの敏捷な動きの方を予見させた。口と顎とは神像のごとく――異様で、大きく、狂おしい、清澄な瞳の色は、純然たるヘーゼルから燃えるような黒へと移ろい――黒く豊かな巻き毛のところどころから法外に広い額が白い光を放ち――私はコンモドゥス帝の大理石像以外、そのように端正に整った顔を見たことがなかった。とはいえ彼の顔は、万人がその生涯のある時期に目にして、それ以降は決して目にすることのない態のものであった。そこには人の記憶に残るような如何なる特徴的な――如何なる一定の主たる表情も浮かんではいなかった。一度見たらすぐに忘れる顔、それでも思い出したいという漠然とした、永続する欲望を掻き立てる顔であった。この顔の澄んだ鏡の上に、如何なる激情も絶えて影を落とさなかったと言うのではない。ただ如何なる激情もいったん去ってしまえば、この鏡の表面に何の痕跡も残さず、たちまち元の澄ました顔に戻る点でも如何にも鏡らしいのだった。
私は目も眩む思いがした。
その夜の別れ際、彼は私に「明くる朝早々、俺を訪ねてきてくれまいか」と言って、その様子には何かただならぬものがあった。それで私は夜が明けてから時を擱かず、彼の城へと赴いたが、それは大運河のほとり、リアルト橋の近辺にそそり立つ陰鬱な、とはいえ幻想的な壮麗さを持つ大建築物のうちの一つであった。モザイクで飾られた広い螺旋階段を昇って通されたその部屋のひらけゆくドアからは、無類の栄光が真の光輝とともに噴出し、贅を尽くしたその有様に私は目も眩む思いがした。
彼が富裕であることは聞いていた。彼の財産について語られる言葉を、私はあえて馬鹿げた誇張と呼んではばからなかったが、今自分の目の前に広がっているこの燦然たる光景を見て、王侯貴族ならいざ知らず、これがヨーロッパの一平民の富が供給し得るものとは到底信じられなかった。
先に述べた通り、日は既に昇っていたが、室内は未だ煌々とライトアップされていた。この室内の様子と、わが友の疲れ切った表情から、私は彼が昨晩は一睡もしていないのだと判断した。その部屋の建築と装飾とは、明らかに客を驚倒させることを意図したものであった。「調和」とも言わば言うべき装飾性や、民族的属性にはほとんど注意が払われていなかった。目は対象から対象へとさまよい、ギリシャのグロテスクな絵画にも、ローマの最盛期の彫像にも、エジプトの古拙な彫刻作品にも、安らぎを見出すことは出来なかった。部屋の四壁を取り巻く厚い布飾りは、何やら低い、悲しげな音楽につれて微かに震えていたが、その音源は見当たらなかった。奇妙な渦巻き型をした幾つかの吊り香炉から発散する矛盾した薫りは、そこに穿たれた無数の穴から萌え出でる緑色や菫色の炎の舌とともに、五感を圧倒した。新しく昇ったばかりの太陽の光は、深紅色に着色されたガラスが一枚ずつ嵌め込まれた窓から、部屋いっぱいに差し込んでいた。溶解した白銀の瀑布のごとく、カーテンボックスから雪崩れ落ちているカーテンの合間合間に、天然光は燦々と反射しながらあふれ出て、人工の光と非連続的に混じり合い、直隷金糸*2で織り上げられた、液体に見える厚いカーペットの上に、優しい陽だまりとなってゆらめいていた。
彼は声と態度をがらりと変えた。
「ハ!ハ!ハ!――ハ!ハ!ハ!」私が部屋に入ると、彼は笑いながら私に椅子をすすめ、彼自身はオットマンの上に横になった。「なるほど」私がこの無礼千万な挨拶に面食らっているのを見て、彼は言った。「君はこの部屋を見て驚いたんだな。このおびただしい絵や彫刻や、俺の建築や家具に関する独自のコンセプトに仰天しているのだ。あまりの豪華絢爛さに目を回したかい?だが申し訳ない」ここで彼の声は急に心のこもった低い声になった。「俺の失敬な馬鹿笑いで気を悪くしないでくれ。君は心底びっくりしているように見えた。ところで、世の中には笑うか死ぬしかないほど馬鹿馬鹿しい事柄がある。笑いながら死ぬのはもっとも華々しい死に方に違いない。トマス・モア卿は偉い人だが、知っての通り、笑いながら死んだ。ジャン・ティクシール・デ・ラヴィージの『愚行集』には同様の立派な死に方をした人たちの長い人名リストがある。スパルタには」少し考えてから、彼は続けた。「スパルタ(今のパレオチョリ)には、城砦の西の方、ほとんど跡形もない廃墟の混沌の中に、何か台座のようなものがあって、そこに刻まれた『ΑΑΞΜ』という文字が今でも読める。それが『ΓΕΑΑΞΜΑ(笑い)』の一部であることは疑いの余地がない。さて、スパルタには無数の違う神様を拝むための無数の寺院や神殿があった。そのうち『笑い』の祭壇だけが生き残っているとは妙な話だ。だが今は」彼は声と態度をがらりと変えた。「俺には君を笑いものにする権利はない。君は驚いたかも知れない。ヨーロッパ中のどこを探したって、俺のこのささやかな王家の飾り棚のようなものは見つからない。俺の他の部屋はこんな風ではない。単なるファッショナブルな殺風景の極限さ。ここは流行よりはましだろう?とは言え、これも流行すると見なければならない。大金持ちの道楽息子どもがいかにも真似をしそうだからだ。だが俺はさような冒涜からこの部屋を守ってきた。こうしてごてごてと飾り立てて以来、俺の下男と俺自身とは別として、この至高の聖域の秘密を明かしたのは、もう一人の例外を除けば、君が初めてだ」
私は黙ってお辞儀をした。なぜなら社交辞令と解釈してもよかったかも知れない彼の言葉に対する感謝の意を口にすることを、その場の豪奢と芳香と音楽との圧倒的感覚に加えて、彼の演説と態度との変人性が、邪魔したからである。
「ここに」彼は立ち上がると、私の腕に寄りかかって室内を散策しながら、おしゃべりを続けた。「ここに古代ギリシャからチマブーエまで、そしてチマブーエから現代に到るまでの絵画がある。多くの選択はご覧の通り、『専門家』たちの意見をほとんど無視している。だがこれらすべての作品は、この部屋のタペストリーにこそふさわしい。ここにあるのは無名の巨匠による傑作、ここにあるのは当時は有名だった画家たちによる未完成の下絵で、彼らの名はアカデミーのご賢察によって、沈黙と俺とにゆだねられた。君はどう思う?」彼はいきなり私の方を見た。「その『悲しみの聖母』を、君はどう思う?」
「グイド・レーニの真作だ」持って生まれた熱狂癖を発揮しながら私がそう言ったのは、先ほどよりこの絵から目が離せなくなっていたからだった。「グイド・レーニの真作だ。こんなもの、どうやって手に入れたのだ。これは彫刻における『ヴィーナス』に匹敵する傑作だ」
「ハ!」彼は大真面目な顔で言った。「ヴィーナスって、あのメディチ家のヴィーナス?あの小さな頭に金色の髪の彼女のことかい?あの左腕の一部と」ここで彼はほとんど聞き取れないくらいに声を落とした。「右腕の全部は後から取って付けたものだ。それにあの右腕の媚態のうちにはあらゆるわざとらしさの 神髄がある。俺としてはカノーヴァのヴィーナスの方を採りたいね。ベルヴェデーレのアポロも、間違いなく複製だ。俺は芸術音痴だから、あのアポロ像が誇る霊感がわからないのだ。我ながら情けないが、俺としてはやっぱりカノーヴァのアンティノウスの方を採らざるを得ない。『彫刻家は大理石の塊の中に己の姿を見る』と言ったのはソクラテスだっけ?だとすれば、この対句はミケランジェロの独創ではないことになる。
良き芸術家が胸に抱く構想はすべて
大理石が必ず内部に隠し持っている」
俗物と真の紳士の立居振舞いについて
俗物と真の紳士の立居振舞いについて、その違いがどこにあるかとなると、その正確なところは俄に断言できないとしても、われわれはこれを決して混同するものではないという説があるが、それは正しい。で、その事件のあった朝、私はその説をわが友の外面的態度に最大限に当てはめた結果、それは彼の気質と性格とにより完全に当てはまるような気がした。彼を他の人間と本質的に違う人間だと思わせる精神的特徴、それは彼のもっとも些細な動作にまで浸透している熾烈にして間断なき思考習慣と呼ぶべきものであって、それは彼の嬉戯のさなかにも、爆笑の瞬間にも紛れ込み――たとえばペルセポリスの寺院を取り巻く軒蛇腹の中で、歯をむき出して笑っている人面の眼中から這いずり出る蝮のごときものを思わせた。
とはいえ、彼がこのように下らないことをだらだらと早口でまくし立てている時の軽薄さと重厚さとの入り混じった口調の中に、私は何か不安な様子――動作や会話における多少のわざとらしさ――ある興奮した、何か落ち着かない雰囲気を何度も見て取ったと言わざるを得ず、それは常に私にはわけのわからないものと思われ、また時として、私を警戒心で満たした。彼はまたしばしば文の途中で、その文の初めの方を忘れたかのように言葉を切って、大変な注意力を集中しながら、ある客人の訪れを今か今かと待ち受けているか、さもなければ彼の想像の中でしか聞こえない音に一心不乱に耳を傾けているかのように見えた。
「楽園の人へ(To One in Paradise)」
彼がこのように一見忘我の境地にあるかのごときひととき、私はかたわらのオットマンの上にあった学匠詩人アンジェロ・ポリツィアーノの美しい悲劇『オルフェオ物語』(イタリアにおいて初めて母国語で書かれた歌劇)*3のページをめくっていて、鉛筆でアンダーラインが引かれたある一節を見つけた。それは第三幕の終わりにかけてのもっとも感動的な一節で、いささか不道徳な点はあるにしても、男性なら胸をふるわせずに読むことは出来ず、女性なら溜息をつかずに読むことは出来ない、そんな一節だった。そのページ全体がまだ真新しい涙の染みだらけで、その反対側の空白のページに以下の手書きの詩が書き込まれていたのだが、その文字というのが彼のいつもの癖字と全然似ていなかったので、私はそれが彼の筆跡だと認めるのにいささか困難を覚えたほどである。
恋人よ 君に恋して
私は死にかけている
君は青い海に浮かぶ青い島
一つの泉 そして神殿だった
すべては花と果実とで飾られ
その花はすべて私のものだった*4
ああ 長く続くには美しすぎた夢よ
ああ ただ雲に隠れるためにのみ
空にかかった希望の星よ
未来から「前に進め」と
声がする だがわが魂は
物言わず 身じろぎもせず 青ざめたまま
過去という暗い入り江に浮かぶばかり
なぜなら私にとって
命の光は消えたからだ
「もう二度と――もう二度と――もう二度と」
(寄せては返す波の音は
浜辺の砂に向かってそう語りかける)
雷に打ち砕かれた木に花は咲かず
翼が折れた鷹に空は飛べない
そうしてわが日々は現無く
そうしてわが夜な夜なの夢はことごとく
君の黒いひとみが輝き
君の白い素足がひらめく場所にある
イタリアの川のほとりの
何という軽やかなその踊り
ああ 君は銀色の柳の木が涙する
霧深いわれわれの国から
爵位ある年老いた痴漢へと
その汚らわしい褥へと
あの呪われた時間に
海を越えて連れ去られた
この詩が英語で書かれていること、すなわち彼が知っているとは知らなかった言語で書かれていること自体については、私は別に驚かなかった。私は彼の博識と、彼がそれを隠すことに奇妙な快楽を感じているらしいのをよく知っていたので、その程度のことでは驚かなかったのである。ただその書かれた場所には少なからず驚いた。その詩はもともとロンドンで書かれたので、ただその「ロンドンにて」の文字が上から丹念に線を引いて消してあったのだが、注意して読めば読み取れる程度にしか消えていなかった。私が大いに驚いたのは、かつて彼との会話で、ロンドンで侯爵夫人と会ったことは一度もないのかと尋ねたところ(彼女は結婚前、何年かロンドンで暮らしていた)、私の聞き間違いでなければ、彼はロンドンには金輪際行った試しがないと請け合ったからである。彼が生まれも育ちもイギリスだという噂は(無論、多分に疑わしい情報は別としても)何度も耳にしていたことは言うまでもない。
そこに現れたのは侯爵夫人の全身像だった。
「ここに一枚の絵がある」彼は私が悲劇を読んでいるのに気が付かないで言った。「ここに、君にはまだ見せたことのない絵がもう一枚ある」彼が布飾りを取り除くと、そこに現れたのは侯爵夫人アフロディテの全身像だった。
それは最大の画家が全力を尽くして彼女の超人的な美しさを表現したものだった。前日の夜、侯爵の宮殿の階段で見た神々しい姿が、ふたたび私の目の前にあった。とはいえ彼女の表情は満面の笑みに輝いてはいたものの、そこにはやはり気まぐれな悲しみの影が潜んでいて、それは不可解な変則ではあっても、およそ完璧な美には必ず認められる性質のものであった。彼女の右手は胸の上で折りたたまれ、左手は彼女の足もとにある奇妙な形をした壺を指さしていた。片方だけ露わになった小さな素足は、今まさに大地を離れて飛び立とうとしていた。そうして彼女の美を取り巻いて礼拝するかに見える輝かしい雰囲気の中で、ほとんど識別できないほどの幽かな架空の翼が、彼女の背後から浮かび上がっていた。
私はその肖像画から、そのかたわらに立ち尽くしているわが友の姿へと視線を移し、本能的にジョージ・チャップマンの『ビュシー・ダンボワーズ』中の力強い詩句を口ずさんだ。
――彼はそこに
ローマ彫像のごとく立ち 「死」が彼を
大理石となす日まで 佇ち続けるだろう
「さあ」彼はしまいにそう言って、琺瑯加工を施された重量感のある銀製のテーブルの方へと向き直った。その上には幻想的に着色された二、三の盃とともに、二つのエトルリアの壺が載っていて、それは件の肖像画の前景に描かれていたのと同じ変わった型で、ヨハニスベルガーと思しきワインで満たされていた。「さあ」と彼は唐突に言った。「飲もう、まだ早いけど――飲もう、本当にまだ早いけど」つっかえつっかえ、彼はそう言って、折も折、黄金製の大きなハンマーを手にした智天使が、部屋中に響きわたる音で、日の出一時間後を告げた。「本当にまだ早いけど、構わないさ。昇りゆく太陽に、謹んでこの一献を捧げよう。もっともこの部屋のランプや香炉は、お日様に負けまいとして、今なお華々しく光り輝いているがね」彼はなみなみと満たした盃で私に乾杯をさせると、矢継ぎばやに数杯のワインを飲み干した。
「夢を見ることが」
「夢を見ることが」吊り香炉の明るい光に向かって、見事な壺の一つをかざしながら、彼は漫談を再開した。「夢を見ることが、俺の生涯の仕事だった。だから俺はご覧の通り、みずから夢の別荘を建てた。このヴェネツィアのど真ん中で、俺はベストを尽くしたのさ。周りを見ろよ、建築装飾のメドレーだ。イオニアの彫刻が大洪水前の器物に腹を立て、エジプトのスフィンクスが金ぴかのカーペットの上に寝転がっている。だがこのような効果は小心者にだけ違和感があるのだ。空間属性、特に時間の属性は、人々を脅かして美の観照を妨げる虚仮おどしなんだよ。俺自身、かつてはデコリストだった。だがもう馬鹿の壮大化には飽き飽きした。ここではすべてが俺の目的にぴったりだ。このアラベスクの香炉のように、俺の魂はくゆり焦がれる。そうしてこの室内の錯乱状態は、俺が今まさに旅立とうとしている夢の世界の更なる壮観に向かって、俺を鼓舞してくれるのだ」彼は突然黙り込んで、がっくりと首を垂れ、何か私には聞こえない音に耳を澄ましているように見えた。やがて背筋を伸ばすと、彼は天を仰ぎ、チチェスターの司教ヘンリー・キングの詩句を朗々と諳んじた。
待っていておくれ 私は遅滞なく
あの谷間へと駆けつけて 君と落ち合おう
次の瞬間、彼は「酔った」と言って、オットマンの上に倒れた。
階段を駆け上がる足音がして、ドアを烈しくノックする音が後に続いた。次なる異変を予期した私のもとへ、メントーニ家の小姓が一人飛び込んできて、激情に息を詰まらせながら支離滅裂な語を口走った。「奥様が――奥様が――毒をお飲みに――おお、あのお美しいアフロディテ様が!」
私はびっくりしてオットマンに駆け寄り、彼を叩き起こしてこの一大事を知らせようとした。だが彼の四肢は硬く、彼の唇は鉛色で、彼のつい今し方まで輝いていた目は死によって固定されていた。ふらふらと後ずさりした私の手はテーブルの上のひび割れて黒ずんだ盃に触れ、その時すべての事の真相が初めて私の脳裏にひらめいた。*5
George Snowさんが撮った短編映画。よく出来ていると思います。2008年10月公開。
EDGAR ALLAN POE - The Assignation from George Snow on Vimeo.
*1:ポーの英文では「soft and almost liquid」、ラテン語原文は「mollis et paene dixerim, liquidus」。小プリニウスの『書簡集』巻五に収められているドミティウス・アポリナリス(Domitius Apollinaris)という元老院議員宛の書簡の中に見える表現です。『プリニウス書簡集―ローマ帝国一貴紳の生活と信条 (講談社学術文庫)』(国原吉之助訳)を当たってみましたが、残念ながら選に漏れており、今のところ原典からの邦訳は無いようです。
*2:「直隷金糸(Chili gold)」。詳細不明。トマス・マボットの注に「この“Chili”はおそらく中国の直隷省(province of Chihli)のことだろう」とあったので、苦し紛れにこう訳しました。
*3:この楽譜も何もない時代のイタリアのオペラが、何と日本で上演されたそうです。こちらの記事をご参照下さい。
*4:トマス・マボットによれば、ここでの「花」は精神的なよろこび、「果実」は肉体的快楽を表わし、「その花はすべて私のものだった」の一行で、侯爵夫人と主人公との関係が100%「プラトニック」なものであったことが暗示されているそうです。